第1章 アズカバンの囚人
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夜のホグワーツは静まり返っていた。
だが石壁を伝って、小さな唸り声が漏れていた。
──鉄格子のきしむ音。
──鎖が皮膚に食い込む痛み。
──観衆の笑い声と、鼻を突く血と鉄の匂い。
──「怪物だ」と叫ぶ声。
イリスは夢の中で引きずられていた。
ホグワーツの石造りの廊下から、いつの間にか見世物小屋の泥へ。銀の髪は泥にまみれ、腕の枷は皮膚を裂き、紅い瞳は笑い者に晒される。
「……やめて……!」掠れた声が喉を震わせる。汗が首筋を伝い、涙が頬を濡らした。
小部屋の外まで、唸り声と何かが倒れる音が響いていた。
──
スネイプは自室で静かに瓶を並べ、調合の帳面に筆を走らせていた。
だが耳障りな唸り声が、静寂を割った。眉間に皺を寄せ、筆を置く。
「……厄介な」
面倒を嫌う苛立ちと、昼間の光景──ボガートの前で硬直した少女の姿が脳裏をよぎる。
ため息と共に、彼は立ち上がった。
イリスの小部屋の前。
ノックをするも応答はなく、代わりに荒れ狂うような音。
解錠の呪文を唱えると、扉は軋みを上げて開いた。
風のないはずの部屋で、カーテンとシーツが激しく舞っていた。
ベッドの上のイリスは目を見開き、涙を流しながらも眠りに囚われている。体は硬直し、爪はシーツを裂いていた。
思わずスネイプは駆け寄り、肩を揺さぶった。
「……イリス!」
少女はびくりと震え、ようやく現実へ引き戻された。
荒い呼吸の中で、彼女は震える声を絞り出した。
「……悪夢を……見て……ごめんなさい。起こしてしまって」
スネイプはわずかに目を細め、感情を押し殺すように言う。
「もとより起きていた。……気にする必要は貴様には無い」
その声音には嫌味が滲んでいたが、冷たく突き放すものではなかった。
「あまり騒ぐのは控えたまえ。廊下中に響いていたぞ。」
皮肉めいた言葉に、イリスは小さく息を飲んだが、怯えた胸の鼓動は少しだけ落ち着いていた。
彼の無骨な存在が、闇を押し返すようにそこにあった。
イリスはようやく瞼を閉じ、震えを鎮めていった。
──
翌日。魔法生物学の授業。
巨大な姿のハグリットが先頭に立つ。
「……あれが、人間?」
イリスは思わず胸の奥で呟いた。異なる種のような風貌だが、確かに人間なのだろうか?
湖畔に出ると、ハグリットが檻からヒッポグリフを引き出した。
銀灰色の羽根、琥珀色の瞳、堂々たる四肢。
「美しい……」 息を呑むイリスの横で、ハーマイオニーが微笑んだ。
「ね、すごいでしょう?」
「こんな生き物が……他にも?」
二人の会話は自然に弾み、イリスの胸は高鳴っていた。
まずはハリーが前に出た。深いお辞儀。ヒッポグリフが首を傾げ、返礼をする。
背に乗り、空を舞い、歓声と共に戻ってくると生徒たちは息を呑んだ。
「次は……イリス!」 ハグリットが声を上げた。
イリスは一歩進み出る。
紅い瞳と銀の髪を前に、ヒッポグリフはじっと見つめた。
そして──信じられない光景が広がった。
堂々たるその巨体が、ゆっくりと、深々と、地に頭を垂れたのだ。
その瞬間生徒たちは静まり返った。
「先にお辞儀をした……!」
誰かの囁きに、生徒たちのざわめきが広がった。
「まさか……あれほどプライドの高い生き物が……ありえねぇ……」
ハグリットでさえ目を見開き、呆然としていた。
イリスはお辞儀を返し、恐る恐る近づいて頬を撫でた。
温かく、柔らかな羽根。
その背に跨がると、ヒッポグリフは従順に歩き出した。
「ふん……たいしたことないな」
嘲る声と共に、マルフォイが前に出た。
「僕にもできる」
挑発的に手を伸ばす。だが礼はしない。
ヒッポグリフが烈火のごとく吠え、上半身を持ち上げた。
爪が振り下ろされる寸前──
「やめなさい!」
イリスの声が響いた。
巨体はぴたりと怒りを収め、動きを止めた。
だが、爪の勢いは抑えきれず、鋭い爪がマルフォイの腕をかすめ、彼は地に倒れ込み情けない声をあげた。
「危なかった……命はなかったぞ。イリスが止めなければ……!」
ハグリットの声に、生徒たちの視線は震えと共にイリスへ。
「ヒッポグリフすら従うのか……」
マルフォイは顔を歪め、苦悶と憎しみを混ぜた瞳で睨みつけた。
「あいつのせいだ……!お前も、あいつも、あの鳥も覚えておけよ!お父様に言いつけてやる...」
──
医務室から戻るや否や、マルフォイは大広間で叫んだ。
「あいつが操ったんだ!危険だ、スリザリンに置くな!」
生徒たちのざわめきが広がる。
「違う!イリスが止めなかったら、マルフォイは死んでいたのよ!」
ハーマイオニーの声が響いた。
だが恐れと好奇心は消えず、視線はなおイリスを突き刺した。
「……私はどうすればよかったの?……咄嗟に浮かんだのはあれだけだった」
小さな声が漏れる。
嘘も罰もない世界で育ったイリスには、この理不尽が理解できなかった。
「エルフは正すだけ。責任をなすりつけたり、嘘をついたりはしない……人間はなぜ、こんなに無意味で卑怯なことを?」
それでも思い出す。
制服を整えてくれたマクゴナガル。
暖かな食事を運んでくれたポンフリー。
本を語りかけてくれるハーマイオニー。
夜、嫌味を並べながらも立ち続けたスネイプ。
──人間は優しいのか、汚いのか。
答えはまだ出ない。
けれどその揺らぎが彼女の歩みを支え始めていた。
