第1章 アズカバンの囚人
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朝食のために大広間に足を踏み入れた瞬間、イリスはまたも無数の視線に晒された。
新調された黒い制服は彼女の白すぎる肌を際立たせ、細い手首や鎖骨の影が浮き上がっている。銀糸のような髪は背に流れ、紅い瞳は一層鋭く光を集めていた。
まるで生きて動く人形のようだ、と誰もが思った。
声を潜めながらも、ちらちらと彼女を見て囁く。驚き、恐れ、好奇心――そのすべてが混じり合い、食堂の空気はわずかにざわついていた。
イリスは視線を逸らし、俯いて食卓についた。
だがその落ち着かぬ空気を切り裂くように、白金の髪を持つ少年が近づいてきた。
ドラコ・マルフォイだった。
彼は二人の取り巻きを従えており、その顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
「君があの“エルフ”だろう?」
囁くような声は、周囲の視線をさらに集めた。
「紅い目に白い髪……珍しいことこの上ない。スリザリンに入ったのは正解だよ。力ある者は、正しく扱われるべきだからな」
イリスは答えず、ただ黙ってスープを口に運んだ。
マルフォイの眼差しは、彼女を“仲間”としてではなく、“利用価値”を測るものだった。
「君が僕と共に行動すれば、誰も手出しはできないさ。……まあ、返事は今すぐじゃなくていい。時間をやるよ」
そう言って、彼は満足そうに背を向け、取り巻きと共に去っていった。
イリスの胸はざわついた。言葉を返さなかったのは、何を答えていいか分からなかったからだ。
だが彼の目に宿る野心は、鋭く刺さるように心に残った。
──
この日からしばらく、授業の連続だった。
魔法薬学では、不思議と手が止まらなかった。
薬草の調合、温度の管理、色の変化――どれも彼女には自然の粒子の動きとして“見える”のだ。
正確に、迷いなく分量を計り、薬液を完成させる。
その手際に、スネイプが小さく口角を吊り上げたことに、イリスは気づかなかった。
変身術は苦手だった。
「既に形あるものを、なぜ無理やり別の姿に変えるのか」
理屈がどうしても理解できず、杖を振る手は止まりがちになる。猫を杯に変える演習では、半ばの姿で止まってしまい、マクゴナガルが眉を寄せていた。
呪文学では驚かれることになった。
杖を振るたびに呪文は鮮やかに効果を現し、時には言葉を唱えずとも発動する。
「どうしてそんなにできるの?」
ハーマイオニーが隣で息を呑む。
「普通のことよ」
イリスは小さく返した。
だが周囲は騒然とした。
無言で魔法を放つなど、高学年の魔法使いでも困難な技だと知らされ、イリスは驚いて目を瞬かせた。
自分が“普通”だと思ってきたことが、他者にとっては異質である。その事実は彼女をさらに混乱させた。
薬草学の時間。温室の湿った空気の中、イリスは向かいの生徒の鉢をちらりと見た。
その子は枯れかけた葉を前に困惑している。
「……水が多すぎ。肥料もやりすぎ。根が腐るよ」
自然に口から漏れた言葉に、生徒は驚いて顔を上げる。
ちょうど通りかかったスプラウト教授が鉢を覗き込み、目を丸くした。
「その通りです!よく気づきましたね!」
周囲がざわめき、イリスは頬を赤らめて俯いた。
だが胸の奥に、小さな温もりが宿った。
防衛術では、まだ座学ばかりだったが、知らない生物や呪文の名が次々に出てきて、ページをめくる手は止まらなかった。
新しい知識を得るたびに胸が温かくなる。
特別授業の飛行術は苦戦した。1年生と共に授業を受けることになったからだ。
箒に跨がっても、浮き上がることができない。
「なぜ飛ぶのか」が理解できないのだ。
箒はただの木材、魔力の流れをどう作用させればいいのか掴めない。
周囲の一年生が次々に浮かび上がる中、イリスは地面に立ち尽くしたままだった。
その異様さに視線が集まり、囁き声がざわつく。
「どうした、飛べないのか?」
白金の髪を揺らし、マルフォイが校舎から顔を出し嘲るように声を上げた。
「スリザリンに入ったって聞いたから期待したけど……所詮は見た目だけか」
取り巻きがくすくす笑い、イリスの胸は締め付けられる。
唇を噛み、俯いたまま箒を握りしめるが、やはり魔力は応えない。
マダム・フーチの笛が鳴り、授業は進んでいった。
笑い声が遠ざかっても、イリスの胸に残ったのは重く沈む痛みだけだった。
占いの授業では、手にした水晶球から淡く像がにじみ出る。
「……光が揺れて、遠くに……2人の姿が見える」
イリスが思わず呟くと、トレローニーが瞳をぎらりと光らせた。
「見えているのですね……!あなたには稀有な資質があるわ」
クラスの空気がざわめいたが、イリスはただ静かに球を見つめていた。
──
そうして過ぎた数週間。
イリスは、知識に触れることが何よりも心を支えてくれると感じ始めていた。
その日の放課後、教室の片隅でノートを整理していた彼女に、ハーマイオニーが声をかけた。
「ねえ……どうして、そんなに理解できるの?」
問いかけは真剣だった。
イリスは一瞬迷ったが、答える。
「自然を見れば……分かる。ただ、それだけ」
「すごいわ」ハーマイオニーはため息をもらした。
「もっと話がしたい」
その言葉に、イリスは初めて“拒絶ではない声”を聞いた気がした。
小さく頷いた自分に驚きつつも、胸の奥がかすかに温かくなる。

──
その夜。ベッドの上で膝を抱え、手の中の杖を見つめた。
学びに触れ、心が震えた。
「……また、楽しく学べるなんて」
掠れた声は夜の闇に溶けていった。
檻に囚われていた日々の記憶はまだ消えない。
けれど、解き放たれる未来があると、イリスは初めて思えた。
