心の楔
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どんなに恋い焦がれたって、
貴方の視界に入らなくなったとしても…
それでも私は想うから…
貴方を想う私を壊さないでください。
「次!」
沖田君に撃剣師範を代役で頼まれて、私は向かってくる隊士を次々に伸して声を掛ける。
「だらしないな。もう一度!はい!」
所々痣だらけの隊士に向かって言うと、彼等は再び竹刀を持って向かってくる。
「はい。ダメもう一回。」
―ビシィ!!!
凄まじい音と叫び声が聞こえる道場で、私は思いの外イライラしていた。
「あんた達…やる気あるわけ?」
トントンと肩に竹刀を乗せて、私はすでに数人伸びている隊士と怯えながら順番を待つ彼等を見回しながら言った。
「いや…やる気はあるんですが、手合いがキツすぎてっ」
「あぁん?」
眉間にシワを寄せていう私はさぞかし柄が悪いだろう。
それもそのはずだ。朝から無理やり沖田君に叩き起こされ、挙げ句に非番なのに師範代役を勤めているのだ。しかも、当の本人は先日の羅刹脱走騒ぎで出くわした綱道さんの娘さんとお出かけときちゃたまらない。安眠を邪魔されたのに、道場にでて、稽古つけてやってるだけありがたく思って欲しい。
「ずいぶんと…ご立腹だな。どうしたんだ。」
「一君じゃない。珍しいね。道場来るなんて今日、撃剣師範の稽古はしないって言ってなかった?」
「中から叫び声が聞こえて、様子を見に来ただけた。」
「ふーん…少し休憩~休んでいいよ。」
そう声を掛けると隊士達は一目散に全員井戸に向かって走っていった。
「ユア。一体何時間ぶっ通しでやっていたんだ?」
「ん。そんなに長くないよ。三時間位じゃない?」
「…休憩なしでか?」
「うん。なんで?」
キョトンとする私に一君はため息をついた。
「そういえば、何故ユアが稽古をつけているんだ?総司はどうした」
道場の端に座り込むと、一君もそれにならって隣に座った。
「知らない。なんでも、土方さんから外出許可が出たから、千鶴ちゃんと出掛けるとかなんとか言ってたけど…」
「許可したのか?」
そう言われても、宜しくと言われただけで、何故師範代役を勤めるのか全く分からず道場に行けば、千鶴ちゃんとお出かけだと聞いたのだ反対も何もない。
「許可も何も、押しつけられただけで理由は個々で新人隊士に聞いたんだもん。できるわけないじゃん。」
「そうか。すまない変なことを聞いた。」
「何で一君が謝るの?気にしないでよ。」
「あぁ。」
そう言って一君が静かに笑うと、私もつられて笑った。
「ユア。良ければこの後出掛けるか?」
恋人である沖田君の扱いが不憫に思ったのか、一君はそう私を誘った。
「んー。甘味処ならいいよ!」
少し考えて答えると、一君はこくりと頷いた。
「いよーし!俄然やる気出てきた!はい!休憩終わり~やるよ~」
隊士の不満げな声などには耳を貸さず、私は彼等の稽古を再開した。
試衛館時代からの付き合いの一君は、沖田君と恋人同士になってからも変わらずなんでも言える相談相手だ。
男装をしながら、近藤さんに鍛えて貰った剣術で、何とか新選組にいる私はひょんな事から沖田君と恋人同士になった。
一番組にいる中で、自分の背中を任せられるのは私だけだと言ってくれた時は本当に嬉しかったものだが…
最近の沖田君は正直何を考えているのか分からない。突然ふらっとひとりで飲みに行ってみたり、約束を破ってみたり、そして今回の千鶴ちゃんとの件だったり…
嫉妬なんてあからさまな事はしたくはないし、まして私は一応ここでは男で通しているわけだから、色恋沙汰で屯所のみんなに迷惑はかけたくなかった。
「そういや最近触れてもこないな…」
ポロリと零す言葉。
そろそろ潮時なのかなと、稽古中そんなことをぼんやり考えていた。
「まぁ、元々女らしさないからね。私。飽きられてもしょうがないんじゃないかな」
甘味処で汁粉を頬張りながら、私は悟ったように一君にいった。
「いつから、あぁなんだ?」
「良順先生が来て少ししてからかな。この間の大掃除以来冷たいよ。かなり。…あ、おねーさんおかわり。」
思いきり動いた後は甘い物が一番。とかいいながら、本日ニ杯目の汁粉を平らげる。
「それは…」
言いかけて口を噤む一君に、私は何だか申し訳なくて話を続ける。
「池田屋の件…。多分、良順先生に何か言われたのかもしれないって察しはついてるんだ。そんなに沈んだ顔しないでよ一君。」
付き合いが長いからなのか、この人の表情の少しの変化で、私は最近わかるようになっていた。
一君は無表情とか言われるけど、日常生活では意外と顔に出る方だと想う。
それは今現在も然りだ。
「そうはいっても、こればかりは総司と話し合わなくてはいけない件だ。きちんと向き合わないといけないことだ。」
「うん。分かってる。私も逃げてばかりはいられないもんね。」
追加で出された汁粉を机に置かれる。
私は、それに再び食いついた。
「沖田さん。あれってユアさんですよね。斎藤さんと一緒なんて珍しいですね。」
甘味処の前で、千鶴ちゃんと歩いていると、彼女は店の中をジッと見つめた。
「あ…うん。本当だ。珍しいね。」
珍しいもんか。試衛館に居たときからあの二人はよく一緒にいて、京に来てからもずっと一緒にいるくらい仲が良かったんだから…
「わっ!いつも冷静なユアさんが笑ってる。凄い…」
―あんな顔…
もうずいぶん自分に向けなくなったあの笑顔。
嬉しそうに目を輝かせて見つめられていた頃はそんな昔ではないのに、僕はチクリと心臓が痛むのを感じた。松本先生に、先日聞かされた僕の患った労咳。先の長くない僕には彼女はもったいないくらい有能で、可愛い女性だ。だから、ワザと嫌われるような行動を起こしたりしていたのに…
―ねぇ、君は本当に僕が好きなの?
嫉妬を垣間見せることもしない君に疑問を感じた。千鶴ちゃんと出掛けると聞かされても君は悲しい表情一つせず、そうやって笑ってるんだ。
僕には君が分からない。
「あ、お、沖田さん!?手から血がっ」
「え…」
気づいたら凄い力で手を握りしめていたらしく、僕は手から血を流していた。
「早く、止血しましょう!」
「…っ…!」
懐から取り出した布を押し当てられて、僕は眉間にシワを寄せる。
―なんで?この役目はずっと君だっただろうユア…
未だに、楽しく斎藤君との会話に華を咲かせる君を睨むように一瞥すると、僕達は屯所に戻って行った。
「食べた!」
人気がないのをいいことに、縁側で、私は体をどさりと倒した。けふっと喉の奥から息が漏れた。
「もう食べられない!」
日差しのよく当たるこの場所でジタバタしていると、遠くから足音が聞こえた。
(足音は一つ…これは、沖田君かな。)
体を大の字にしながら、私はそのまま目をつむった。
最近の彼は、私に必要最低限の事を話す位で個人的な話を一切してこないからだ。だから、今回も無視を決め込むか、挨拶程度に声を掛けてそのまま素通りかその程度だろうと思いこんでいた。
明るかった日差しが影を作る。
「ユア?」
今朝とは違う問いかけ。
私は片目を開けると、沖田君は無表情で私を見下ろした。
「何?」
「隣…いい?」
「別に構わないけれど…」
返事をすると、沖田君は悲しげに笑うと、私の隣に座るの確認すると再び目を瞑った。
静かに流れる沈黙。
鳥の鳴き声と、遠くから道場で稽古するかけ声が微かに聞こえるだけだった。
互いに話をせず、私は耐えきれなくなり話題を振った。
「あー…師範代役やっておいたから、心配して来たのなら安心して。」
「うん。ありがとう。」
片目を開けて様子を伺う。
背中しか見えないので沖田君の表情は伺えない。何の用で話しかけたのか分からず、私は体を起こして立ち上がった。
「用が無いなら、私行くけど。」
伸びを一つ。
お腹一杯に食べたので部屋で安眠妨げ分を取り返してもいいと思った私は部屋の方へ歩き出そうとする。
「待って!」
手を掴まれて、沖田君は俯いたままこちらを見ようとはせず私は苦笑いした。
「何?どうした…うわっ!」
怪訝そうな顔を浮かべる私に、沖田君は掴んでいた腕を自分の胸に引っ張り込んだ。
「ちょ、何?なんなの?沖田く…ん」
これ以上何も言わせないための口付けなのか、いつもの気まぐれの口付けなのか…
「…ユアは、ユアは僕のものでしょう?」
「沖田君?」
ゆるゆると離された唇から漏れた言葉はそれだった。
「答えてよ。ユアは僕のものでしょう?」
「まぁ、表面上はそうだね。」
「だったら、何故斎藤君と一緒に出掛けたり、楽しそうに笑ったりするわけ?」
震えた手で言われて、私は首を傾げる。
「先に千鶴ちゃんと出掛けたのは沖田君じゃない。」
「でも、僕は楽しくなかった!ユアはいつも斎藤君といるときは、楽しげで、僕にいつも向けていた笑顔も向けるじゃないか!」
抱え込むように包まれる。
拗ねたような顔をする。今の沖田君は、普段では考えられない位甘えっ子に見えた。
「…嫉妬してるの?沖田君。」
「なっ…悪い?だったら何だって言うんだよ。だいたいユアが悪いんだよ。斎藤君にばっかりベッタリして…。僕はいつでも指をくわえてみているだけなの…こほっ…に…こほっ…くっ」
突然嫌な咳をし出す沖田君に、私は表情を堅くする。
「馬鹿っ…風邪治ってないのに出掛けたりするからっ」
口を覆って、なお咳をする沖田君の背をさする。
「沖田君。部屋に戻ろう。此処は…っ!」
手に付着した血に、私は慌て沖田君部屋に連れていくと彼を抱き締めた。
これは風邪なんかじゃない。もっと重病でよくないもののはずだ。
「こほっ…あ、あーあ。ばれちゃった。」
思いの外、私の胸で軽く話す沖田君はクスクスと笑いだした。
「…良順先生に、何を言われたの!?これ、ただの風邪じゃないでしょ!」
「労咳…だってさ。嫌になっちゃうよね。新選組も、近藤さんも、土方さんも僕らも…。ユアともこれからってときに…」
どこか寂しげな笑みを作る沖田君に、私は抱きしめている腕の力を強めた。
「隠してたのね…ずっと、私の為に…」
「うん。だって」
―僕にユアはもったいないでしょ?
「ばっ…かっ…。」
流れる涙。
私は沖田君を泣きながらひたすら抱き締めていた。
「総司の世話?」
「はい。彼の体調が良くないので、私にお世話を任せてもらえませんか?」
土方さんの部屋へ行くと、私は開口一番に言った。
「だが、お前は今一番組の指揮もしてるだろう。割り振りで死番も多い。ここは雪村に…」
「嫌です!」
大声を出して、言う。
これだけは、これだけは譲れないことで、任せてはいけないことだから…
「私以外の人間が、彼の身体に触れることは許せない!」
真剣な顔で初めて、土方さんに我が儘を言った。
「…お願いです!土方さん!」
「分かった、分かった!世話はお前に任せる。だから、そんな泣きそうな面するな。」
「土方さん!ありがとうございますっ」
ぺこりとお辞儀して私は笑顔になる。
「ただし、これだけは言っておくぜ。無理はするな。お前にもしもの事があっちゃ元も子もねぇからな。体調が悪けりゃ休め。それでも、総司の世話を続けるなら、俺は力ずくで止めるぞ。」
「はい。土方さん!」
嬉しくて涙ぐみながら、沖田君の部屋へ向かう。
労咳だろうとなんだろうと、沖田君は沖田君だ。今までのように無視されるのではなく、そばにいられることが何より嬉しかった。
「沖田君っ!聞いて!土方さんから許可っ…あっ…は、一君っ」
「邪魔しているぞ」
沖田君の隣で静かに座る一君は、かすかに笑みを作った。私は一君のその言葉に短く返事をした。
「随分急いで来たみたいだけど、どうしたのユア?」
部屋の布団で、沖田君は笑顔で言った。
「あ…う…うん。あのね、土方さんから、沖田君のお世話許可貰ったの!だからっ」
「本当?でも、僕のために無理はしないでね。一番組の方も今は大変だろうから…」
嬉しげに笑う沖田君に笑顔で頷いた。
「ユア…話し合いは出来たようだな。」
曇った表情で一君はポツリと呟くと、立ち上がって部屋出口へ足を運ぶ。
「それでは、俺はもう行く。今日は、昼の隊務がまだ残っているからな。」
「一君…」
「なんだ?」
戸に手をかけて、彼は振り向かずそのまま返事をした。
「ありがとうね。」
「……。」
無言の返事で部屋を出ていく。表情は見えなかったけど、静かに笑ってくれていたような気がする。
「…ユア。僕は本当に長くない。それでも…本当にそれでもいいの?」
「何を今更な事言ってるの…私は沖田君だから、一緒にいたいと思うし、お世話したいの。だからそんな事言わないで。」
頬や髪を撫でながら、言うと彼は気持ちよさそうに目を瞑った。
「ありがとうユア。少し、眠ってもいいかな…」
「うん。食事の時間になったら起こすから…ゆっくり休んでいいよ。」
こんな、たわいもない会話もいつまでできるだろ。一分一秒でも、多く幸せと思い出を作っていこう。
慶応 四年
「あいつは、静かに逝ったのか?」
「はい。最後の最後まで、私を気遣ってました。可笑しいですよね。今にもいなくなってしまうかもしれない人が、私の心配ばかり…」
風が少し熱を帯びてきた季節。
『総司』は逝ってしまった。笑ってと、ずっと見守っているといったあの人の最期は、とても穏やかな顔をしていた。
「これから、どうするんだ?」
松本先生の言葉に私は笑顔で答えた。
「試衛館に戻ります。私達の原点だった場所へ…」
貴方や近藤さん、そしてみんなの新選組を語り継ぐ人間が、一人位いてもいいでしょう。
私にはこれしかないのだ。最初からあの頃のようにはじめてもいいと思う。
大丈夫。最初の一歩はいつも貴方と一緒だよ。
私の太刀と小太刀は貴方の物だから…
―僕が居なくなっても、これだけは遺るから…君に持っていてほしい。
―君に出会えて愛されて本当に幸せなんだ…。
―ありがとう。
最期に向けた笑顔と共に、私は前へ進む。
貴方の視界に入らなくなったとしても…
それでも私は想うから…
貴方を想う私を壊さないでください。
「次!」
沖田君に撃剣師範を代役で頼まれて、私は向かってくる隊士を次々に伸して声を掛ける。
「だらしないな。もう一度!はい!」
所々痣だらけの隊士に向かって言うと、彼等は再び竹刀を持って向かってくる。
「はい。ダメもう一回。」
―ビシィ!!!
凄まじい音と叫び声が聞こえる道場で、私は思いの外イライラしていた。
「あんた達…やる気あるわけ?」
トントンと肩に竹刀を乗せて、私はすでに数人伸びている隊士と怯えながら順番を待つ彼等を見回しながら言った。
「いや…やる気はあるんですが、手合いがキツすぎてっ」
「あぁん?」
眉間にシワを寄せていう私はさぞかし柄が悪いだろう。
それもそのはずだ。朝から無理やり沖田君に叩き起こされ、挙げ句に非番なのに師範代役を勤めているのだ。しかも、当の本人は先日の羅刹脱走騒ぎで出くわした綱道さんの娘さんとお出かけときちゃたまらない。安眠を邪魔されたのに、道場にでて、稽古つけてやってるだけありがたく思って欲しい。
「ずいぶんと…ご立腹だな。どうしたんだ。」
「一君じゃない。珍しいね。道場来るなんて今日、撃剣師範の稽古はしないって言ってなかった?」
「中から叫び声が聞こえて、様子を見に来ただけた。」
「ふーん…少し休憩~休んでいいよ。」
そう声を掛けると隊士達は一目散に全員井戸に向かって走っていった。
「ユア。一体何時間ぶっ通しでやっていたんだ?」
「ん。そんなに長くないよ。三時間位じゃない?」
「…休憩なしでか?」
「うん。なんで?」
キョトンとする私に一君はため息をついた。
「そういえば、何故ユアが稽古をつけているんだ?総司はどうした」
道場の端に座り込むと、一君もそれにならって隣に座った。
「知らない。なんでも、土方さんから外出許可が出たから、千鶴ちゃんと出掛けるとかなんとか言ってたけど…」
「許可したのか?」
そう言われても、宜しくと言われただけで、何故師範代役を勤めるのか全く分からず道場に行けば、千鶴ちゃんとお出かけだと聞いたのだ反対も何もない。
「許可も何も、押しつけられただけで理由は個々で新人隊士に聞いたんだもん。できるわけないじゃん。」
「そうか。すまない変なことを聞いた。」
「何で一君が謝るの?気にしないでよ。」
「あぁ。」
そう言って一君が静かに笑うと、私もつられて笑った。
「ユア。良ければこの後出掛けるか?」
恋人である沖田君の扱いが不憫に思ったのか、一君はそう私を誘った。
「んー。甘味処ならいいよ!」
少し考えて答えると、一君はこくりと頷いた。
「いよーし!俄然やる気出てきた!はい!休憩終わり~やるよ~」
隊士の不満げな声などには耳を貸さず、私は彼等の稽古を再開した。
試衛館時代からの付き合いの一君は、沖田君と恋人同士になってからも変わらずなんでも言える相談相手だ。
男装をしながら、近藤さんに鍛えて貰った剣術で、何とか新選組にいる私はひょんな事から沖田君と恋人同士になった。
一番組にいる中で、自分の背中を任せられるのは私だけだと言ってくれた時は本当に嬉しかったものだが…
最近の沖田君は正直何を考えているのか分からない。突然ふらっとひとりで飲みに行ってみたり、約束を破ってみたり、そして今回の千鶴ちゃんとの件だったり…
嫉妬なんてあからさまな事はしたくはないし、まして私は一応ここでは男で通しているわけだから、色恋沙汰で屯所のみんなに迷惑はかけたくなかった。
「そういや最近触れてもこないな…」
ポロリと零す言葉。
そろそろ潮時なのかなと、稽古中そんなことをぼんやり考えていた。
「まぁ、元々女らしさないからね。私。飽きられてもしょうがないんじゃないかな」
甘味処で汁粉を頬張りながら、私は悟ったように一君にいった。
「いつから、あぁなんだ?」
「良順先生が来て少ししてからかな。この間の大掃除以来冷たいよ。かなり。…あ、おねーさんおかわり。」
思いきり動いた後は甘い物が一番。とかいいながら、本日ニ杯目の汁粉を平らげる。
「それは…」
言いかけて口を噤む一君に、私は何だか申し訳なくて話を続ける。
「池田屋の件…。多分、良順先生に何か言われたのかもしれないって察しはついてるんだ。そんなに沈んだ顔しないでよ一君。」
付き合いが長いからなのか、この人の表情の少しの変化で、私は最近わかるようになっていた。
一君は無表情とか言われるけど、日常生活では意外と顔に出る方だと想う。
それは今現在も然りだ。
「そうはいっても、こればかりは総司と話し合わなくてはいけない件だ。きちんと向き合わないといけないことだ。」
「うん。分かってる。私も逃げてばかりはいられないもんね。」
追加で出された汁粉を机に置かれる。
私は、それに再び食いついた。
「沖田さん。あれってユアさんですよね。斎藤さんと一緒なんて珍しいですね。」
甘味処の前で、千鶴ちゃんと歩いていると、彼女は店の中をジッと見つめた。
「あ…うん。本当だ。珍しいね。」
珍しいもんか。試衛館に居たときからあの二人はよく一緒にいて、京に来てからもずっと一緒にいるくらい仲が良かったんだから…
「わっ!いつも冷静なユアさんが笑ってる。凄い…」
―あんな顔…
もうずいぶん自分に向けなくなったあの笑顔。
嬉しそうに目を輝かせて見つめられていた頃はそんな昔ではないのに、僕はチクリと心臓が痛むのを感じた。松本先生に、先日聞かされた僕の患った労咳。先の長くない僕には彼女はもったいないくらい有能で、可愛い女性だ。だから、ワザと嫌われるような行動を起こしたりしていたのに…
―ねぇ、君は本当に僕が好きなの?
嫉妬を垣間見せることもしない君に疑問を感じた。千鶴ちゃんと出掛けると聞かされても君は悲しい表情一つせず、そうやって笑ってるんだ。
僕には君が分からない。
「あ、お、沖田さん!?手から血がっ」
「え…」
気づいたら凄い力で手を握りしめていたらしく、僕は手から血を流していた。
「早く、止血しましょう!」
「…っ…!」
懐から取り出した布を押し当てられて、僕は眉間にシワを寄せる。
―なんで?この役目はずっと君だっただろうユア…
未だに、楽しく斎藤君との会話に華を咲かせる君を睨むように一瞥すると、僕達は屯所に戻って行った。
「食べた!」
人気がないのをいいことに、縁側で、私は体をどさりと倒した。けふっと喉の奥から息が漏れた。
「もう食べられない!」
日差しのよく当たるこの場所でジタバタしていると、遠くから足音が聞こえた。
(足音は一つ…これは、沖田君かな。)
体を大の字にしながら、私はそのまま目をつむった。
最近の彼は、私に必要最低限の事を話す位で個人的な話を一切してこないからだ。だから、今回も無視を決め込むか、挨拶程度に声を掛けてそのまま素通りかその程度だろうと思いこんでいた。
明るかった日差しが影を作る。
「ユア?」
今朝とは違う問いかけ。
私は片目を開けると、沖田君は無表情で私を見下ろした。
「何?」
「隣…いい?」
「別に構わないけれど…」
返事をすると、沖田君は悲しげに笑うと、私の隣に座るの確認すると再び目を瞑った。
静かに流れる沈黙。
鳥の鳴き声と、遠くから道場で稽古するかけ声が微かに聞こえるだけだった。
互いに話をせず、私は耐えきれなくなり話題を振った。
「あー…師範代役やっておいたから、心配して来たのなら安心して。」
「うん。ありがとう。」
片目を開けて様子を伺う。
背中しか見えないので沖田君の表情は伺えない。何の用で話しかけたのか分からず、私は体を起こして立ち上がった。
「用が無いなら、私行くけど。」
伸びを一つ。
お腹一杯に食べたので部屋で安眠妨げ分を取り返してもいいと思った私は部屋の方へ歩き出そうとする。
「待って!」
手を掴まれて、沖田君は俯いたままこちらを見ようとはせず私は苦笑いした。
「何?どうした…うわっ!」
怪訝そうな顔を浮かべる私に、沖田君は掴んでいた腕を自分の胸に引っ張り込んだ。
「ちょ、何?なんなの?沖田く…ん」
これ以上何も言わせないための口付けなのか、いつもの気まぐれの口付けなのか…
「…ユアは、ユアは僕のものでしょう?」
「沖田君?」
ゆるゆると離された唇から漏れた言葉はそれだった。
「答えてよ。ユアは僕のものでしょう?」
「まぁ、表面上はそうだね。」
「だったら、何故斎藤君と一緒に出掛けたり、楽しそうに笑ったりするわけ?」
震えた手で言われて、私は首を傾げる。
「先に千鶴ちゃんと出掛けたのは沖田君じゃない。」
「でも、僕は楽しくなかった!ユアはいつも斎藤君といるときは、楽しげで、僕にいつも向けていた笑顔も向けるじゃないか!」
抱え込むように包まれる。
拗ねたような顔をする。今の沖田君は、普段では考えられない位甘えっ子に見えた。
「…嫉妬してるの?沖田君。」
「なっ…悪い?だったら何だって言うんだよ。だいたいユアが悪いんだよ。斎藤君にばっかりベッタリして…。僕はいつでも指をくわえてみているだけなの…こほっ…に…こほっ…くっ」
突然嫌な咳をし出す沖田君に、私は表情を堅くする。
「馬鹿っ…風邪治ってないのに出掛けたりするからっ」
口を覆って、なお咳をする沖田君の背をさする。
「沖田君。部屋に戻ろう。此処は…っ!」
手に付着した血に、私は慌て沖田君部屋に連れていくと彼を抱き締めた。
これは風邪なんかじゃない。もっと重病でよくないもののはずだ。
「こほっ…あ、あーあ。ばれちゃった。」
思いの外、私の胸で軽く話す沖田君はクスクスと笑いだした。
「…良順先生に、何を言われたの!?これ、ただの風邪じゃないでしょ!」
「労咳…だってさ。嫌になっちゃうよね。新選組も、近藤さんも、土方さんも僕らも…。ユアともこれからってときに…」
どこか寂しげな笑みを作る沖田君に、私は抱きしめている腕の力を強めた。
「隠してたのね…ずっと、私の為に…」
「うん。だって」
―僕にユアはもったいないでしょ?
「ばっ…かっ…。」
流れる涙。
私は沖田君を泣きながらひたすら抱き締めていた。
「総司の世話?」
「はい。彼の体調が良くないので、私にお世話を任せてもらえませんか?」
土方さんの部屋へ行くと、私は開口一番に言った。
「だが、お前は今一番組の指揮もしてるだろう。割り振りで死番も多い。ここは雪村に…」
「嫌です!」
大声を出して、言う。
これだけは、これだけは譲れないことで、任せてはいけないことだから…
「私以外の人間が、彼の身体に触れることは許せない!」
真剣な顔で初めて、土方さんに我が儘を言った。
「…お願いです!土方さん!」
「分かった、分かった!世話はお前に任せる。だから、そんな泣きそうな面するな。」
「土方さん!ありがとうございますっ」
ぺこりとお辞儀して私は笑顔になる。
「ただし、これだけは言っておくぜ。無理はするな。お前にもしもの事があっちゃ元も子もねぇからな。体調が悪けりゃ休め。それでも、総司の世話を続けるなら、俺は力ずくで止めるぞ。」
「はい。土方さん!」
嬉しくて涙ぐみながら、沖田君の部屋へ向かう。
労咳だろうとなんだろうと、沖田君は沖田君だ。今までのように無視されるのではなく、そばにいられることが何より嬉しかった。
「沖田君っ!聞いて!土方さんから許可っ…あっ…は、一君っ」
「邪魔しているぞ」
沖田君の隣で静かに座る一君は、かすかに笑みを作った。私は一君のその言葉に短く返事をした。
「随分急いで来たみたいだけど、どうしたのユア?」
部屋の布団で、沖田君は笑顔で言った。
「あ…う…うん。あのね、土方さんから、沖田君のお世話許可貰ったの!だからっ」
「本当?でも、僕のために無理はしないでね。一番組の方も今は大変だろうから…」
嬉しげに笑う沖田君に笑顔で頷いた。
「ユア…話し合いは出来たようだな。」
曇った表情で一君はポツリと呟くと、立ち上がって部屋出口へ足を運ぶ。
「それでは、俺はもう行く。今日は、昼の隊務がまだ残っているからな。」
「一君…」
「なんだ?」
戸に手をかけて、彼は振り向かずそのまま返事をした。
「ありがとうね。」
「……。」
無言の返事で部屋を出ていく。表情は見えなかったけど、静かに笑ってくれていたような気がする。
「…ユア。僕は本当に長くない。それでも…本当にそれでもいいの?」
「何を今更な事言ってるの…私は沖田君だから、一緒にいたいと思うし、お世話したいの。だからそんな事言わないで。」
頬や髪を撫でながら、言うと彼は気持ちよさそうに目を瞑った。
「ありがとうユア。少し、眠ってもいいかな…」
「うん。食事の時間になったら起こすから…ゆっくり休んでいいよ。」
こんな、たわいもない会話もいつまでできるだろ。一分一秒でも、多く幸せと思い出を作っていこう。
慶応 四年
「あいつは、静かに逝ったのか?」
「はい。最後の最後まで、私を気遣ってました。可笑しいですよね。今にもいなくなってしまうかもしれない人が、私の心配ばかり…」
風が少し熱を帯びてきた季節。
『総司』は逝ってしまった。笑ってと、ずっと見守っているといったあの人の最期は、とても穏やかな顔をしていた。
「これから、どうするんだ?」
松本先生の言葉に私は笑顔で答えた。
「試衛館に戻ります。私達の原点だった場所へ…」
貴方や近藤さん、そしてみんなの新選組を語り継ぐ人間が、一人位いてもいいでしょう。
私にはこれしかないのだ。最初からあの頃のようにはじめてもいいと思う。
大丈夫。最初の一歩はいつも貴方と一緒だよ。
私の太刀と小太刀は貴方の物だから…
―僕が居なくなっても、これだけは遺るから…君に持っていてほしい。
―君に出会えて愛されて本当に幸せなんだ…。
―ありがとう。
最期に向けた笑顔と共に、私は前へ進む。