この手に掴むもの…
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「ばっかじゃないの?」
そう一言言った後、彼の表情が確かに濁った。
この手に掴むもの…
「怯むな!援軍はもうすぐくるわ!持ちこたえて!!」
叫びながら、半信半疑に来るか来ないかの援軍をあてにしつつ兵の士気をあげる。
だって私は武将だから。兵の命を預かるものだから。たとえ彼らに、待っているものが『死』だとしても、栄誉ある死に様を与えてやりたい。
そう思うのは、私の我侭だろうか…
「はぁ!!」
鋭く尖った両刃の剣を相手に向けて生々しく首もとに斬りつける。
痛々しい叫び声をあげながら、相手の男はその場にバタリと倒れ落ちた。
「ユア様!我が部隊はこれ以上はもう持ちません!!」
そばにいた部隊長の一人が私にそう叫んだ。たしかに私の部隊は敵の攻撃によってかなりの劣勢だった。
それもそのはずだ。
別動隊の位置に共にあたっていた姜維の一小部隊が命令無視をしたのだ。
後方から敵に悟られず奇襲をかけるはずが視察に行ったはずの彼の隊の数人が、
相手側の敵に見つかり正当防衛のために攻撃をしたのである。
「撤退…一番嫌だわ。こんな下らない失態で…で、でも…しかたない…全部隊ただちに撤退する!!」
かけ声をかけた瞬間、兵は撤退を開始する。逃げる途中、後ろから斬られる者もいれば無事に帰還できた者もいた。
「苓彗!!!」
仕官したときから、面倒を見てきた部下が混乱している中どさりと倒れた。
私はあわてて彼の元へ走っていった。
苓彗は自分の意外な行動に叫ぶように言う。
「ユア様っ何を!!お急ぎください!私のことなど構わずに!!」
「こんなっ所であんたを失いたくない!!
あたしが、ずっと訓練してきた優秀なあんたを!!……苓彗!!」
すんでの所で苓彗に斬りかかってくる敵をなぎ倒す。
苓彗は助けてくれたことに感謝しつつ、共に自軍に走っていく。
「坂を登れば援軍が待機しているはずだわ!がんばって!!」
そうして命からがら逃げてきた二人。
が、そこには思いもよらぬ光景があった。
「何よこれ!!援軍は!?兵は!?」
あたり一面何処を見回しても援軍らしき陰は見あたらない。
「どうして!?」
がくりと膝をおり、砂利にまみれた地面に両腕をついて愕然とする。
「別部隊に援軍を送るほどの余裕がないようなんですよ。」
「なんですって?」
背後から聞こえてきた姜維の声にびくりと反応しながら、私はそう返答する。
「それは、本陣が苦戦しているということ?」
「おそらく……」
姜維はそう言うと、ユアに近づいて如何しますかと聞く。
「命令は絶対よ。このまま待機。」
「!?」
「…といいたいところだけど、私達も作戦が失敗。このままでは無駄死にするだけだわ。本陣に帰還する!」
きっぱりとそう言って隊をまとめながら先へ行こうとする。
「まっ待ってください!!」
叫び声に振り返る。
何?といえば、姜維は私の前に走ってきた。
「命令は…別働隊の私達が奇襲をかけるという命は如何するのですか!?」
「本陣は苦戦。我ら二部隊も壊滅的致命傷を負っているのよ?このまま作戦が成功するとは思えない。」
「では、このまま逃げ帰るとでも言うのですか?」
―丞相の命令を無視して…
俯いて、姜維は言った。
信頼をしている諸葛亮の力になりたいと思っている彼の事はよく理解しているつもりである。だが、さすがに今の現状ははっきり言って良いとは言えないのだ。
私は、姜維に一言。
「…ばっかじゃないの?」
言った瞬間、狐につままれたような顔をして見る姜維。
ため息をつきながら言う。
「現状をもっとよく見てからものを言いなさい。あなた、部隊が自分のせいで駄目になった罪悪感に苛まれててまともな思考で物を考えられないでしょ?」
自軍の部隊に撤退の指示を出しながら、
先立っていく兵の後ろで遅れてくるものに更に指示を出していく。
「……すみません。」
しょぼくれる姜維を横目に、にっこり笑って彼の頭を撫でた。
「あんたはまだ若い。そんなに気落ちしなくていいのよ。次頑張れば全部丸く収まるわ。要はこの戦に勝ちゃいいんだから…」
「…は、はぁ…」
「本陣に帰還後は軍師、諸葛亮殿の指示を仰げ!頼んだわよ。私は逃げ遅れている兵を誘導しながら行くわ!」
「ですが!それでは危険すぎます!!ユア様!!」
傍らにいた副将がそう叫ぶと、
厳しい表情でそちら側に顔を向かせて私は言う。
「今作戦、別働隊指示の失敗はすべて私にあります。そして、この劣勢のさなかに多少なりとも動けるであろう大切な戦力を見殺しには出来ません。」
「ですが!!」
言いかけて、副将は私の鋭い目つきに押し黙る。そして副将はふと見た私の視線の先にあるものを見た。
姜維である。
「私の変わりに、今の段階で無事に動ける兵を本陣へ…」
「!…ユア殿…。」
目を丸くして、姜維は自分を眺める。
「行きなさい!大丈夫よ!後から追いつくわ!!」
剣を抜くと、私はそのまま走っていった。
「ユア殿!!!!」
叫び声をあげても、振り返る事はなかった。聞こえていたあの声に、振り返ってはいけないと思ったから…
そうして姜維は、ぐっと目をつぶると副官に告げる。
「別働隊の指揮は私がとります。無事に本陣へ!!」
「は!了解いたしました!」
名残惜しそうに後ろを振り返る。
小さく見えなくなりつつある彼女を少し眺めると、姜維はそのまま本陣へ向かった。
「状況は?」
逃げ遅れていた兵達の元に足を運べば、
案の定数十名の動ける兵達がいた。
ユアは三人ほどで固まっていた兵の元に走って行った。
彼女の声に気がついた男達は、みるなり驚いた顔をしていたが周辺の状況を報告し始めた。
この手に掴むもの…
「すでに四方に囲まれた状態です。敵は今のところ数えて50…うち、10が騎馬、同数が弓。30が歩兵です。」
兵はそういうと、厳しい状況で周りを見回す。
「撤退した部隊は弱者…蜀にとって残った兵は用済みとでも思っているみたいね…少数の部隊で何とかなると思ってるわけ…その思惑が命取りよ!」
不適にニヤリと笑うユア。
地面に転がっている人の形をしたもののそばに、無造作に置かれた弓をとる。
「ユア様?」
「弓兵はやっかいね。弓が10いるなら弓でやるまでよ。」
そういって、ユアはそこからしゃがみ込みながら草が覆い茂る場所へ移動。
「こんな草の背が高いところで、弓兵が単独で行動するだけ馬鹿だわ!」
キリキリとねらいをつけて、一気にそれを引く。ドスンとうめき声もあげず、敵兵は地面に倒れた。彼女の行動をみるなり、周りの兵は同じように行動をする。
ユアは、敵に特定の場所を悟られず移動をしながら敵を射る。
「…7…8…9…10」
報告された人数を一通りやると、早々に元の場所へ。
先ほどよりそこにいたのはおおよそ5名ほど。
周辺を合わせれば20程度いた。
彼女の近くにはちょうどよいところに、部隊長が待機していた。
「ユア様…」
「残りは40。
いい?時は一刻を争うから手短に言うわ。
合図で囮として私が、敵に突撃。
この少し先の坂に動ける数名を除いて、
残りの兵は周辺に落ちている弓を所持し待機。騎馬はいるだけやっかいだから、なるべく減らすわ。歩兵はあの坂に誘導。
ある程度の距離まできたら、誘導隊は分散、同時に弓で一斉攻撃。
後、残った敵を誘導隊と共に一掃。」
誘導部隊は各自ユアが決めながら。
周りの敵の気配を気にしつつ、ユアは作戦を告げる。
「…勝敗は?」
一人の兵が彼女に不安げに聞く。
ユアもこのときばかりは、自分の策に確証はもてなかった。
だが、ここで将の自分が気落ちをするようなところを見せれば
兵の士気にも関わる。
「…0じゃないわ。貴方達の生き残りたいという気持ちが左右する。」
自分にも言い聞かすように、ユアは言う。
「生き残りたいと思うなら、戦って!貴方達の死に場所はこんなつまらないところじゃない。」
「奇跡は、待つだけじゃ来ない…自分の手で…この手で掴むものなのよ。」
自分の剣を抜くと、行くわよと言いながら突撃する準備をする。
その行動で、各々移動を開始。
騎馬が目の前を通り過ぎようとする瞬間、出ていこうと考えるユア。
すると隣にいた兵が、ボソリと彼女に言った。
「生きましょう。我らの国へ帰りましょう。」
にっこりこくんとうなずくと、ユアは騎馬に飛び出していく。
「はぁ!!」
―ズシュ!
相手の乗っていた馬の足を傷つけると、
男は衝撃で地面にドサリとたたきつけられる。刹那、剣を抜くことを許さず彼女は敵の首を落とす。
「…見くびってもらっては困る。」
「てめぇ!!!」
少し離れた場所から、違う騎馬がかけてくる。
ユアは先ほどの男が所持していた短剣を向かってくる敵に投げつけた。
「あめーんだよ!俺がそんなものにやられるか!!!」
ひょいと避けると、男はニヤつきながらこちらを向いて向かって来ようとするが…
「…ぐあ!!」
―ドス!
「今のは囮。」
勢いよく男の首には長めの槍が刺さっていた。
バランスをなくした馬の主は、その場にドサリと地面に倒れる。
ユアは馬の手綱をつかむと、そのまま背に乗った。
「さぁ。残りは8騎。いくわよ。」
ユアの言いつけ通り、別部隊を本陣に帰還させた姜維は諸葛亮にユア救出の策を提案していた。彼はようやく安定した戦況の後だったが、快くその提案を受け入れた。
「兵を500程をつれて、ユアの救出に向かってください。」
静かな声で、諸葛亮は姜維に言う。
「ユアは私達、蜀にとってなくてはならない方です。姜維…頼みましたよ。」
「はい!丞相!!」
すぐさま編成した部隊で、彼は彼女の救出へ向かった。
「無事で、いてください…ユア殿…」
切に願うように、姜維は兵を引き連れて走っていく。
「敵は思わぬ反撃に混乱をしている!!作戦通り展開せよ!!」
彼女の言葉に、誘導隊は一斉に動きを展開する。草陰から隠れるように待機していた数名は、
敵が近づいてくると、一気に死角での攻撃に移る。
相手側は、何がなんだかわからず右往左往するばかり。
命令では、残党狩りをすれば良いと言われていたのにこの状況は何だ。
「うぅ!!」
口元を抑えられて、急所を刺される敵兵。
息をしなくなったと確認すると、更に次のターゲットへ…
坂上の戦闘になる前に、少しでも敵の数を減らしておきたい。
そう思う兵たちのささやかな行動だった。
この手に掴むもの…
「くぅ!」
数の少ないこの状況の中、一番苦戦を強いられているのはやはりユアであった。
一人騎馬に乗り、8騎の敵と交戦しているのだから…
「蜀も落ちぶれたもんだな!女を武将に起用するほど人材に困っているらしい!!」
はははと罵るように笑う男達。
ユアはその笑いに先ほどから心底腹が立っていた。
女だから戦に出るものではない。そんなこと分かってはいる。
けれど、幼い頃からこの場所で…戦で剣を振るい敵を倒す事しか教えられてこなかった。
だからだろうか、自分を罵り味方の軍勢を罵るこいつらが許せなかった。
「では、その『女』にやられた場合、どう説明をつけてくれるのか…
そこに転がっている奴らのように首の一つや二つではすまない…」
「いい目をする…犯しがいがあるな…」
くっくっくと笑いながら、自分をいやらしい目で眺める男。
ユアは男を、我慢ならないという顔をしながら容赦なく斬りつけた。
「ぐぁ!!」
悲痛な声をあげる男。
彼女は、冷めた目つきで男を眺めて言った。
「…なんとも…殺しがいのない男。」
一言言うと、先ほど刺した男の首に痛々しく突き刺さっていた槍を手にして
それを勢い良く、自分を罵った者の体に投げつけた。
―ドスッ
「がっ!!」
冷たく男を眺めるユア。
痛みでもだえるこの男。簡単には死なせはしない。
そう思ってそのまま放置して見せた。
「他愛もない。…そのまま痛みにもがき苦しむがいい。」
「このアマァ!!」
背後から攻撃を仕掛けてくる別の男の攻撃をよける。
―キン!!ズシャー!!
鉛が落ちるかのような反動のしない肉の塊。
次々に地面に落ちては、鉄の匂いを漂わせる。
残りの騎馬が全滅するのは時間の問題だった。
姜維はユアと先ほど別れた場所へ馬を走らせていた。
後から追いつくといっていた彼女。
ここまでの道のりで、彼女を見たものも生き残った兵が駈けて来るところも見てはいない。
―くっ…もう勝負はついてしまったのか?
そんな弱気な考えがめぐる。
けれど、それでは彼女の存在自体…
彼女との信頼自体違えてしまっているのと同じだと気がついた。
今は、まだ死体すら転がってはいないのだ。
望みを持ってユアを探すことを決めた姜維は馬を進めた。
―カキン!!!
―ヒュン!!!
―トス!!!
「は!!」
敵の数が少ないとはいえ、目立って戦いを繰り広げているユアにとって敵のいい的だった。
そう。先ほどから本数的には少ないとはいえ矢が飛んでくる。
それを、残り3騎で終わるところまできていたユアは苦戦をしつつ激戦を繰り返していた。
誘導隊の坂までの合図は今のところまだない。
と、言うことは自分が目立ちすぎていることによってあまり隊の意味がなされていない事に気がつく。
そう、一人の兵士をやるより指示を仰いでいる将をやってしまったほうが
戦の戦略では効率がいい。だから彼らは自分を狙ってくるのだ。
(この残りの奴らをやった後、坂への指示をさせるしかないようね…)
残った敵を一掃したユアは乗っていた馬とともに誘導隊の元に…
目を見開く彼らにユアは言う。
「敵は目立って行動しすぎた私を狙っているわ。ここはしばらくひきつけておきます。
貴方たちは早急に坂上に待機。いいわね。」
言い終われば、頬を飛んできた弓矢がかする。
かすったそこからは、赤い血がうっすらと皮膚を色づけた。
後ろを振り向けば、残った歩兵部隊が追いかけてくる。
ユアはその群れの中に突っ込んでいく。
「弱い癖に俺たちに逆らうんじゃねぇ!!」
「弱いかどうかは剣を交えてみればわかるだろう。」
―ガキン!!
「ぐは!!」
「テメェ!!!」
襲い掛かってくる敵の群れ。
大人数に囲まれすぎたユア…馬が混乱し、突然暴れ出す。
ヒヒーンと声をあげる馬の背から、ユアは反動でドサリと落ちた。
「ちっ!!しまった!!」
落ちた瞬間、剣を放してしまった。
だが、そのときそれ以上に運が悪かったのは暴れた馬の足に自分の利き腕を倒れたときに踏まれたことだった。
「うっああああああああああああああああああああああ!!!!」
悲痛な叫び声と共にグキリと鈍い音がした。そして…彼女の目の前を敵の剣が襲う。
(こ…ここまで…か!!)
そうして折れたであろう自分の腕を支えながら目をつむった。
瞬間、うめき声が短く聞こえると、地面に何かが倒れる音が聞こえた。
うっすらとまぶたを開けると、あせったような顔をした姜維がそこにいるではないか。
「きょ…姜維…?」
「ユア殿!!大丈夫ですか!!」
兵を引き連れて目の前に現れたのは、血相を変えて自分の救助に来たのであろう姜維だった。
痛みで自分の腕が震える。
地面に転がった剣を持つことは容易ではない。
そう…自分より体重のありすぎる馬に踏まれた腕は
いとも簡単に骨折をさせてしまっていた。
この手に掴むもの…
「え…援軍…感謝するわ…姜維…はっ…うっ!!」
痛みに耐えられず、ユアは倒れた。
それを優しく支えながら、姜維は彼女の名を呼んだ。
「ユア殿!!ユア殿!!!」
泣きそうな顔をしながら自分を呼ぶ姜維。
かすかに聞こえた、苦しそうな…悲しそうな声をユアは聞いた。
―ごめん…姜維…
「ん…」
目が醒めたそこは、見覚えのある…野営地の天井だった。
うっすらと横を見ると、自分の手をぎゅっと固くつないでいる姜維がいた。
「ユア殿…目が醒めました…?私がわかりますか?」
ゆっくりと、涙を今にでも流しそうな目で問い掛ける。
彼女は、彼の顔を見るなりニッコリと笑った。
「姜維…戦…勝ったの?」
自分のことよりも、戦況を優先に聞いてくるユアに苦笑いしながら姜維は勝ちましたよと言う。その言葉によかったとほっとため息をついた。
「…っ!!」
体を起こそうとしたユアは、腕にくる激痛に思わず顔をしかめさせた。
そういえば、自分はあの時馬に利き腕を…
青ざめたような顔をして痛む腕を見れば、
彼は悲しそうな顔をしながら、口を開いた。
「骨折をしているみたいなんです。その腕が治るのは半年以上かかるとか…」
「半年?…そんなに?」
「複雑に折れてしまっているんです。ですから、次の戦には…いえ、もしかしたら今後一切戦場で剣を振るうことはできないかも知れないと丞相が…」
「な…何?」
目を見開いて、ユアは彼を眺める。
「そんな…だって…私は、今までずっと剣を振るうことしかしてこなかった…
それを…今後一切戦に出られないだなんて…そんなこと…」
目の前にある彼女の目は、ただ絶望をしきった目。
剣を振るうことしか知らない自分にこれから、どう生きていけというのか…
どうやって姜維を守っていけばいいのか…
無論彼だって男で、自分よりはるかに強い。
でも、彼の背中を守れる人間は自分だけだと思っていたし、そしてそれは、これからだってそうなのだと自負していた。
だから…
「私は、好きな貴方さえもう…守れないというの?」
流した涙は、嬉しさからくるものではなく悲しさ、辛さという悲観からきた涙。
嗚咽が広がる部屋で、彼女は弱々しく泣きじゃくる。
姜維は彼女を優しく抱きしめた。
「悲しまないでください。すぐにとはいかなくてもきっとまた、剣を振るえるときがきっときます。
だから、こんなところであきらめちゃいけない。」
「知った風な事言わないで!!私はっもう二度と剣をっ…」
「あなたは言ったはずだ!奇跡はこの手で掴むものだと!!!」
「!…」
「振るえないといわれたのなら、振るえるようにすればいい。
それが奇跡でしょう。この…あなたの手に掴むものでしょう!!」
力強く自分の手を握る姜維。
「あなたは一人じゃない。私がいます。だから、一緒に…また剣を振るいましょう!!戦にっ…」
言いかけて、姜維は目をこすった。
ともに戦場に出られなくて悲しいのは自分だけじゃないのだ。
そして、元を正せば自分の作戦ミスから来たものだったのに…
なぜ自分ではなく、彼女がこんなことになったのか…
だから悔しかった。
ユアと出陣する戦が、最後の戦があんな形の戦いだなんて…
「お願いです。貴女と…また一緒に戦に出たいから…また一緒に勝利を勝ち取りたいから…」
「姜維…」
「だから、諦めないことを止めないで…」
抱きしめられたぬくもりで、それが本心だと気づく。
そう、彼は本当に自分を思ってくれてるんだ。
―奇跡を…この手で掴んでやらなくちゃ…
「うん…わかった…」
与えられたぬくもりを、そのまま返すように…
姜維の背に腕を回した。
彼女の腕が完治し、再び剣を振るうようになるのは…
そう遠くない未来だろう…
後日談→
時々、貴女は私でも錯覚するくらい別人のような表情をする。
その細く傷ついた腕を優しくなでながら、
…貴女は窓から何を求めてそんな顔をなさるのですか…
「はぁ…」
あの日の戦から帰還して3ヶ月が過ぎた。
相変わらず、私は腕を満足に動かすこともできず寝台に横になっている。
先の戦では、私の活躍は大いに貢献をしたと多大に評価された。
劣勢にもかかわらず、少数部隊を率いて味方の全滅を防いだからだ。
その働きというわけではないらしいが、連日殿が私の顔を伺いにくる。
「ユア…調子はどうだ?」
再びため息をついた後、しんとした部屋の外から声が聞こえた。
そう。先ほどまで考えていた御方。劉備元徳だ。
「毎日顔を出して頂いて申し訳ありません。殿…」
ベットから起き上がって、礼儀といわんばかりに跪こうとすると
そなたは横になっていなさい。と一言言われて、寝台に戻された。
「して…腕の調子はどうだ?」
落ち着いた声で私に話し掛ける殿。
私は冗談交じりにそんなに早く治りませんよというと、彼は優しい表情でそのまま笑った。
「先の戦…諸葛亮と姜維。二人と共によく戦ってくれた。私は民も兵も大切にするそなたが心配でならぬのだ…」
「殿。その言葉は毎日聞いてますよ。
褒めてくださるのはもう十分ですよ…恥ずかしいから…」
「お、おぉ…そうか…すまないな…」
苦笑いをして、頬をかくようなそぶりをする殿。私は思わずクスリと笑った。
「私は、そなたの腕が治ったら一度…そなたの戦う所を見てみたい。」
「…え?」
包み込むような、そんな雰囲気をした顔。
私は殿に頭をなでられながら上目遣いに劉備様を眺めた。
「今一度…そなたの生きる証であるあの剣を…振れると良いな…」
そう一言言い終わると、彼はそのまま部屋を出て行った。
「生きる…証…か…」
『戦に出る』ことと、『自分が女』ということに関して今まで生きてきた中でこれほど何度も深く考えるキーワードはないだろう。
幼いころから…いや、むしろ物心つく前から自分の父親に剣術を仕込まれてきた。
それは、自分の家計に父を継ぐ男児がいなかったから…
母親は私を生んですぐに他界した。
それが私を、より一層一武将としての気質を高めたのか…
もし、私に兄弟がいてそれが上でも下でもどちらかいたとしたら…
私の今の運命は変わっていたんだろうか…
戦に行く自分の愛するものの帰りを待ち、いつ終わるのか分からない乱世の
日々を震えながら過ごす。そんな生活をしていたのだろうか…
否、他国の将の元へ己の意見もお構いなく…
まるで使い回しをされる…少し高級な人形のように
知らない男の下へと嫁がされていたのかもしれない…
「…そんなの…ごめんだわ…」
思わずため息をついて、すっと白い鳥が大きな庭の木の枝に止まり戯れている様を眺めた。
自由に羽ばたこうとするそれが、なぜだかうらやましく感じる。
きっと、今とは違う人生だったらそう思うんだろうな…
「ユア…殿?」
「ぇ?」
突然声が聞こえて、そちら側を向いたらそこには姜維の顔のドアップがあった。
「わーーーー!!!!いつからいたの!?」
「え?さっきからいましたよ?ボーっとしてて呼んでも返事がなかったので勝手にお茶を頂いてました。」
「えぁ…そ、そう…」
焦った表情から、再びため息が漏れた。
ふと、視線を壁際へ移した。愛用の剣が立てかけてある…
ユアは、どこか苦痛そうな顔をしてただその剣だけをじっと見つめた。
「…ユア…殿?」
―…それでも私は…
「ねぇ姜維…私、もう一度剣を握りたい。」
「え?」
凛とした声でそう言った。
迷いなどない。ただ、その声は希望に向かって行きたい…
そんな雰囲気にもとれた。
「もう一度、剣を握って…私の部下や私の守るべき人々のために剣を振るいたい…」
「ユア殿…」
「姜維…こんな私でもあなたと一緒にこの国を守れるかしら…
足手まといにはならない?」
今の自分でなければ彼には出会わなかったかもしれない。
そして、共に戦うことも勝利を勝ち取る喜びを分かち合うこともできなかったかもしれない。
―ねぇだから、私はあなたの何かになれるかしら…
―一緒に、殿のためにこの世界を幸せにできるかしら…
「ユア殿…私は貴女と共に生きていたいんですよ。
だから足手まといだなんて思ったことは一度もない。」
微笑む貴方のその顔を見て、なんだかほっとした。
「貴女が好きです…今までも、これからも…だから…」
そこから先は、姜維と唇を重ねてしまって聞くことはなかった。
けれど、なんとなく分かるから…
言葉にしなくても、分かるから…
―今までも、これからもずっと…ずっと貴女のそばに…
そう一言言った後、彼の表情が確かに濁った。
この手に掴むもの…
「怯むな!援軍はもうすぐくるわ!持ちこたえて!!」
叫びながら、半信半疑に来るか来ないかの援軍をあてにしつつ兵の士気をあげる。
だって私は武将だから。兵の命を預かるものだから。たとえ彼らに、待っているものが『死』だとしても、栄誉ある死に様を与えてやりたい。
そう思うのは、私の我侭だろうか…
「はぁ!!」
鋭く尖った両刃の剣を相手に向けて生々しく首もとに斬りつける。
痛々しい叫び声をあげながら、相手の男はその場にバタリと倒れ落ちた。
「ユア様!我が部隊はこれ以上はもう持ちません!!」
そばにいた部隊長の一人が私にそう叫んだ。たしかに私の部隊は敵の攻撃によってかなりの劣勢だった。
それもそのはずだ。
別動隊の位置に共にあたっていた姜維の一小部隊が命令無視をしたのだ。
後方から敵に悟られず奇襲をかけるはずが視察に行ったはずの彼の隊の数人が、
相手側の敵に見つかり正当防衛のために攻撃をしたのである。
「撤退…一番嫌だわ。こんな下らない失態で…で、でも…しかたない…全部隊ただちに撤退する!!」
かけ声をかけた瞬間、兵は撤退を開始する。逃げる途中、後ろから斬られる者もいれば無事に帰還できた者もいた。
「苓彗!!!」
仕官したときから、面倒を見てきた部下が混乱している中どさりと倒れた。
私はあわてて彼の元へ走っていった。
苓彗は自分の意外な行動に叫ぶように言う。
「ユア様っ何を!!お急ぎください!私のことなど構わずに!!」
「こんなっ所であんたを失いたくない!!
あたしが、ずっと訓練してきた優秀なあんたを!!……苓彗!!」
すんでの所で苓彗に斬りかかってくる敵をなぎ倒す。
苓彗は助けてくれたことに感謝しつつ、共に自軍に走っていく。
「坂を登れば援軍が待機しているはずだわ!がんばって!!」
そうして命からがら逃げてきた二人。
が、そこには思いもよらぬ光景があった。
「何よこれ!!援軍は!?兵は!?」
あたり一面何処を見回しても援軍らしき陰は見あたらない。
「どうして!?」
がくりと膝をおり、砂利にまみれた地面に両腕をついて愕然とする。
「別部隊に援軍を送るほどの余裕がないようなんですよ。」
「なんですって?」
背後から聞こえてきた姜維の声にびくりと反応しながら、私はそう返答する。
「それは、本陣が苦戦しているということ?」
「おそらく……」
姜維はそう言うと、ユアに近づいて如何しますかと聞く。
「命令は絶対よ。このまま待機。」
「!?」
「…といいたいところだけど、私達も作戦が失敗。このままでは無駄死にするだけだわ。本陣に帰還する!」
きっぱりとそう言って隊をまとめながら先へ行こうとする。
「まっ待ってください!!」
叫び声に振り返る。
何?といえば、姜維は私の前に走ってきた。
「命令は…別働隊の私達が奇襲をかけるという命は如何するのですか!?」
「本陣は苦戦。我ら二部隊も壊滅的致命傷を負っているのよ?このまま作戦が成功するとは思えない。」
「では、このまま逃げ帰るとでも言うのですか?」
―丞相の命令を無視して…
俯いて、姜維は言った。
信頼をしている諸葛亮の力になりたいと思っている彼の事はよく理解しているつもりである。だが、さすがに今の現状ははっきり言って良いとは言えないのだ。
私は、姜維に一言。
「…ばっかじゃないの?」
言った瞬間、狐につままれたような顔をして見る姜維。
ため息をつきながら言う。
「現状をもっとよく見てからものを言いなさい。あなた、部隊が自分のせいで駄目になった罪悪感に苛まれててまともな思考で物を考えられないでしょ?」
自軍の部隊に撤退の指示を出しながら、
先立っていく兵の後ろで遅れてくるものに更に指示を出していく。
「……すみません。」
しょぼくれる姜維を横目に、にっこり笑って彼の頭を撫でた。
「あんたはまだ若い。そんなに気落ちしなくていいのよ。次頑張れば全部丸く収まるわ。要はこの戦に勝ちゃいいんだから…」
「…は、はぁ…」
「本陣に帰還後は軍師、諸葛亮殿の指示を仰げ!頼んだわよ。私は逃げ遅れている兵を誘導しながら行くわ!」
「ですが!それでは危険すぎます!!ユア様!!」
傍らにいた副将がそう叫ぶと、
厳しい表情でそちら側に顔を向かせて私は言う。
「今作戦、別働隊指示の失敗はすべて私にあります。そして、この劣勢のさなかに多少なりとも動けるであろう大切な戦力を見殺しには出来ません。」
「ですが!!」
言いかけて、副将は私の鋭い目つきに押し黙る。そして副将はふと見た私の視線の先にあるものを見た。
姜維である。
「私の変わりに、今の段階で無事に動ける兵を本陣へ…」
「!…ユア殿…。」
目を丸くして、姜維は自分を眺める。
「行きなさい!大丈夫よ!後から追いつくわ!!」
剣を抜くと、私はそのまま走っていった。
「ユア殿!!!!」
叫び声をあげても、振り返る事はなかった。聞こえていたあの声に、振り返ってはいけないと思ったから…
そうして姜維は、ぐっと目をつぶると副官に告げる。
「別働隊の指揮は私がとります。無事に本陣へ!!」
「は!了解いたしました!」
名残惜しそうに後ろを振り返る。
小さく見えなくなりつつある彼女を少し眺めると、姜維はそのまま本陣へ向かった。
「状況は?」
逃げ遅れていた兵達の元に足を運べば、
案の定数十名の動ける兵達がいた。
ユアは三人ほどで固まっていた兵の元に走って行った。
彼女の声に気がついた男達は、みるなり驚いた顔をしていたが周辺の状況を報告し始めた。
この手に掴むもの…
「すでに四方に囲まれた状態です。敵は今のところ数えて50…うち、10が騎馬、同数が弓。30が歩兵です。」
兵はそういうと、厳しい状況で周りを見回す。
「撤退した部隊は弱者…蜀にとって残った兵は用済みとでも思っているみたいね…少数の部隊で何とかなると思ってるわけ…その思惑が命取りよ!」
不適にニヤリと笑うユア。
地面に転がっている人の形をしたもののそばに、無造作に置かれた弓をとる。
「ユア様?」
「弓兵はやっかいね。弓が10いるなら弓でやるまでよ。」
そういって、ユアはそこからしゃがみ込みながら草が覆い茂る場所へ移動。
「こんな草の背が高いところで、弓兵が単独で行動するだけ馬鹿だわ!」
キリキリとねらいをつけて、一気にそれを引く。ドスンとうめき声もあげず、敵兵は地面に倒れた。彼女の行動をみるなり、周りの兵は同じように行動をする。
ユアは、敵に特定の場所を悟られず移動をしながら敵を射る。
「…7…8…9…10」
報告された人数を一通りやると、早々に元の場所へ。
先ほどよりそこにいたのはおおよそ5名ほど。
周辺を合わせれば20程度いた。
彼女の近くにはちょうどよいところに、部隊長が待機していた。
「ユア様…」
「残りは40。
いい?時は一刻を争うから手短に言うわ。
合図で囮として私が、敵に突撃。
この少し先の坂に動ける数名を除いて、
残りの兵は周辺に落ちている弓を所持し待機。騎馬はいるだけやっかいだから、なるべく減らすわ。歩兵はあの坂に誘導。
ある程度の距離まできたら、誘導隊は分散、同時に弓で一斉攻撃。
後、残った敵を誘導隊と共に一掃。」
誘導部隊は各自ユアが決めながら。
周りの敵の気配を気にしつつ、ユアは作戦を告げる。
「…勝敗は?」
一人の兵が彼女に不安げに聞く。
ユアもこのときばかりは、自分の策に確証はもてなかった。
だが、ここで将の自分が気落ちをするようなところを見せれば
兵の士気にも関わる。
「…0じゃないわ。貴方達の生き残りたいという気持ちが左右する。」
自分にも言い聞かすように、ユアは言う。
「生き残りたいと思うなら、戦って!貴方達の死に場所はこんなつまらないところじゃない。」
「奇跡は、待つだけじゃ来ない…自分の手で…この手で掴むものなのよ。」
自分の剣を抜くと、行くわよと言いながら突撃する準備をする。
その行動で、各々移動を開始。
騎馬が目の前を通り過ぎようとする瞬間、出ていこうと考えるユア。
すると隣にいた兵が、ボソリと彼女に言った。
「生きましょう。我らの国へ帰りましょう。」
にっこりこくんとうなずくと、ユアは騎馬に飛び出していく。
「はぁ!!」
―ズシュ!
相手の乗っていた馬の足を傷つけると、
男は衝撃で地面にドサリとたたきつけられる。刹那、剣を抜くことを許さず彼女は敵の首を落とす。
「…見くびってもらっては困る。」
「てめぇ!!!」
少し離れた場所から、違う騎馬がかけてくる。
ユアは先ほどの男が所持していた短剣を向かってくる敵に投げつけた。
「あめーんだよ!俺がそんなものにやられるか!!!」
ひょいと避けると、男はニヤつきながらこちらを向いて向かって来ようとするが…
「…ぐあ!!」
―ドス!
「今のは囮。」
勢いよく男の首には長めの槍が刺さっていた。
バランスをなくした馬の主は、その場にドサリと地面に倒れる。
ユアは馬の手綱をつかむと、そのまま背に乗った。
「さぁ。残りは8騎。いくわよ。」
ユアの言いつけ通り、別部隊を本陣に帰還させた姜維は諸葛亮にユア救出の策を提案していた。彼はようやく安定した戦況の後だったが、快くその提案を受け入れた。
「兵を500程をつれて、ユアの救出に向かってください。」
静かな声で、諸葛亮は姜維に言う。
「ユアは私達、蜀にとってなくてはならない方です。姜維…頼みましたよ。」
「はい!丞相!!」
すぐさま編成した部隊で、彼は彼女の救出へ向かった。
「無事で、いてください…ユア殿…」
切に願うように、姜維は兵を引き連れて走っていく。
「敵は思わぬ反撃に混乱をしている!!作戦通り展開せよ!!」
彼女の言葉に、誘導隊は一斉に動きを展開する。草陰から隠れるように待機していた数名は、
敵が近づいてくると、一気に死角での攻撃に移る。
相手側は、何がなんだかわからず右往左往するばかり。
命令では、残党狩りをすれば良いと言われていたのにこの状況は何だ。
「うぅ!!」
口元を抑えられて、急所を刺される敵兵。
息をしなくなったと確認すると、更に次のターゲットへ…
坂上の戦闘になる前に、少しでも敵の数を減らしておきたい。
そう思う兵たちのささやかな行動だった。
この手に掴むもの…
「くぅ!」
数の少ないこの状況の中、一番苦戦を強いられているのはやはりユアであった。
一人騎馬に乗り、8騎の敵と交戦しているのだから…
「蜀も落ちぶれたもんだな!女を武将に起用するほど人材に困っているらしい!!」
はははと罵るように笑う男達。
ユアはその笑いに先ほどから心底腹が立っていた。
女だから戦に出るものではない。そんなこと分かってはいる。
けれど、幼い頃からこの場所で…戦で剣を振るい敵を倒す事しか教えられてこなかった。
だからだろうか、自分を罵り味方の軍勢を罵るこいつらが許せなかった。
「では、その『女』にやられた場合、どう説明をつけてくれるのか…
そこに転がっている奴らのように首の一つや二つではすまない…」
「いい目をする…犯しがいがあるな…」
くっくっくと笑いながら、自分をいやらしい目で眺める男。
ユアは男を、我慢ならないという顔をしながら容赦なく斬りつけた。
「ぐぁ!!」
悲痛な声をあげる男。
彼女は、冷めた目つきで男を眺めて言った。
「…なんとも…殺しがいのない男。」
一言言うと、先ほど刺した男の首に痛々しく突き刺さっていた槍を手にして
それを勢い良く、自分を罵った者の体に投げつけた。
―ドスッ
「がっ!!」
冷たく男を眺めるユア。
痛みでもだえるこの男。簡単には死なせはしない。
そう思ってそのまま放置して見せた。
「他愛もない。…そのまま痛みにもがき苦しむがいい。」
「このアマァ!!」
背後から攻撃を仕掛けてくる別の男の攻撃をよける。
―キン!!ズシャー!!
鉛が落ちるかのような反動のしない肉の塊。
次々に地面に落ちては、鉄の匂いを漂わせる。
残りの騎馬が全滅するのは時間の問題だった。
姜維はユアと先ほど別れた場所へ馬を走らせていた。
後から追いつくといっていた彼女。
ここまでの道のりで、彼女を見たものも生き残った兵が駈けて来るところも見てはいない。
―くっ…もう勝負はついてしまったのか?
そんな弱気な考えがめぐる。
けれど、それでは彼女の存在自体…
彼女との信頼自体違えてしまっているのと同じだと気がついた。
今は、まだ死体すら転がってはいないのだ。
望みを持ってユアを探すことを決めた姜維は馬を進めた。
―カキン!!!
―ヒュン!!!
―トス!!!
「は!!」
敵の数が少ないとはいえ、目立って戦いを繰り広げているユアにとって敵のいい的だった。
そう。先ほどから本数的には少ないとはいえ矢が飛んでくる。
それを、残り3騎で終わるところまできていたユアは苦戦をしつつ激戦を繰り返していた。
誘導隊の坂までの合図は今のところまだない。
と、言うことは自分が目立ちすぎていることによってあまり隊の意味がなされていない事に気がつく。
そう、一人の兵士をやるより指示を仰いでいる将をやってしまったほうが
戦の戦略では効率がいい。だから彼らは自分を狙ってくるのだ。
(この残りの奴らをやった後、坂への指示をさせるしかないようね…)
残った敵を一掃したユアは乗っていた馬とともに誘導隊の元に…
目を見開く彼らにユアは言う。
「敵は目立って行動しすぎた私を狙っているわ。ここはしばらくひきつけておきます。
貴方たちは早急に坂上に待機。いいわね。」
言い終われば、頬を飛んできた弓矢がかする。
かすったそこからは、赤い血がうっすらと皮膚を色づけた。
後ろを振り向けば、残った歩兵部隊が追いかけてくる。
ユアはその群れの中に突っ込んでいく。
「弱い癖に俺たちに逆らうんじゃねぇ!!」
「弱いかどうかは剣を交えてみればわかるだろう。」
―ガキン!!
「ぐは!!」
「テメェ!!!」
襲い掛かってくる敵の群れ。
大人数に囲まれすぎたユア…馬が混乱し、突然暴れ出す。
ヒヒーンと声をあげる馬の背から、ユアは反動でドサリと落ちた。
「ちっ!!しまった!!」
落ちた瞬間、剣を放してしまった。
だが、そのときそれ以上に運が悪かったのは暴れた馬の足に自分の利き腕を倒れたときに踏まれたことだった。
「うっああああああああああああああああああああああ!!!!」
悲痛な叫び声と共にグキリと鈍い音がした。そして…彼女の目の前を敵の剣が襲う。
(こ…ここまで…か!!)
そうして折れたであろう自分の腕を支えながら目をつむった。
瞬間、うめき声が短く聞こえると、地面に何かが倒れる音が聞こえた。
うっすらとまぶたを開けると、あせったような顔をした姜維がそこにいるではないか。
「きょ…姜維…?」
「ユア殿!!大丈夫ですか!!」
兵を引き連れて目の前に現れたのは、血相を変えて自分の救助に来たのであろう姜維だった。
痛みで自分の腕が震える。
地面に転がった剣を持つことは容易ではない。
そう…自分より体重のありすぎる馬に踏まれた腕は
いとも簡単に骨折をさせてしまっていた。
この手に掴むもの…
「え…援軍…感謝するわ…姜維…はっ…うっ!!」
痛みに耐えられず、ユアは倒れた。
それを優しく支えながら、姜維は彼女の名を呼んだ。
「ユア殿!!ユア殿!!!」
泣きそうな顔をしながら自分を呼ぶ姜維。
かすかに聞こえた、苦しそうな…悲しそうな声をユアは聞いた。
―ごめん…姜維…
「ん…」
目が醒めたそこは、見覚えのある…野営地の天井だった。
うっすらと横を見ると、自分の手をぎゅっと固くつないでいる姜維がいた。
「ユア殿…目が醒めました…?私がわかりますか?」
ゆっくりと、涙を今にでも流しそうな目で問い掛ける。
彼女は、彼の顔を見るなりニッコリと笑った。
「姜維…戦…勝ったの?」
自分のことよりも、戦況を優先に聞いてくるユアに苦笑いしながら姜維は勝ちましたよと言う。その言葉によかったとほっとため息をついた。
「…っ!!」
体を起こそうとしたユアは、腕にくる激痛に思わず顔をしかめさせた。
そういえば、自分はあの時馬に利き腕を…
青ざめたような顔をして痛む腕を見れば、
彼は悲しそうな顔をしながら、口を開いた。
「骨折をしているみたいなんです。その腕が治るのは半年以上かかるとか…」
「半年?…そんなに?」
「複雑に折れてしまっているんです。ですから、次の戦には…いえ、もしかしたら今後一切戦場で剣を振るうことはできないかも知れないと丞相が…」
「な…何?」
目を見開いて、ユアは彼を眺める。
「そんな…だって…私は、今までずっと剣を振るうことしかしてこなかった…
それを…今後一切戦に出られないだなんて…そんなこと…」
目の前にある彼女の目は、ただ絶望をしきった目。
剣を振るうことしか知らない自分にこれから、どう生きていけというのか…
どうやって姜維を守っていけばいいのか…
無論彼だって男で、自分よりはるかに強い。
でも、彼の背中を守れる人間は自分だけだと思っていたし、そしてそれは、これからだってそうなのだと自負していた。
だから…
「私は、好きな貴方さえもう…守れないというの?」
流した涙は、嬉しさからくるものではなく悲しさ、辛さという悲観からきた涙。
嗚咽が広がる部屋で、彼女は弱々しく泣きじゃくる。
姜維は彼女を優しく抱きしめた。
「悲しまないでください。すぐにとはいかなくてもきっとまた、剣を振るえるときがきっときます。
だから、こんなところであきらめちゃいけない。」
「知った風な事言わないで!!私はっもう二度と剣をっ…」
「あなたは言ったはずだ!奇跡はこの手で掴むものだと!!!」
「!…」
「振るえないといわれたのなら、振るえるようにすればいい。
それが奇跡でしょう。この…あなたの手に掴むものでしょう!!」
力強く自分の手を握る姜維。
「あなたは一人じゃない。私がいます。だから、一緒に…また剣を振るいましょう!!戦にっ…」
言いかけて、姜維は目をこすった。
ともに戦場に出られなくて悲しいのは自分だけじゃないのだ。
そして、元を正せば自分の作戦ミスから来たものだったのに…
なぜ自分ではなく、彼女がこんなことになったのか…
だから悔しかった。
ユアと出陣する戦が、最後の戦があんな形の戦いだなんて…
「お願いです。貴女と…また一緒に戦に出たいから…また一緒に勝利を勝ち取りたいから…」
「姜維…」
「だから、諦めないことを止めないで…」
抱きしめられたぬくもりで、それが本心だと気づく。
そう、彼は本当に自分を思ってくれてるんだ。
―奇跡を…この手で掴んでやらなくちゃ…
「うん…わかった…」
与えられたぬくもりを、そのまま返すように…
姜維の背に腕を回した。
彼女の腕が完治し、再び剣を振るうようになるのは…
そう遠くない未来だろう…
後日談→
時々、貴女は私でも錯覚するくらい別人のような表情をする。
その細く傷ついた腕を優しくなでながら、
…貴女は窓から何を求めてそんな顔をなさるのですか…
「はぁ…」
あの日の戦から帰還して3ヶ月が過ぎた。
相変わらず、私は腕を満足に動かすこともできず寝台に横になっている。
先の戦では、私の活躍は大いに貢献をしたと多大に評価された。
劣勢にもかかわらず、少数部隊を率いて味方の全滅を防いだからだ。
その働きというわけではないらしいが、連日殿が私の顔を伺いにくる。
「ユア…調子はどうだ?」
再びため息をついた後、しんとした部屋の外から声が聞こえた。
そう。先ほどまで考えていた御方。劉備元徳だ。
「毎日顔を出して頂いて申し訳ありません。殿…」
ベットから起き上がって、礼儀といわんばかりに跪こうとすると
そなたは横になっていなさい。と一言言われて、寝台に戻された。
「して…腕の調子はどうだ?」
落ち着いた声で私に話し掛ける殿。
私は冗談交じりにそんなに早く治りませんよというと、彼は優しい表情でそのまま笑った。
「先の戦…諸葛亮と姜維。二人と共によく戦ってくれた。私は民も兵も大切にするそなたが心配でならぬのだ…」
「殿。その言葉は毎日聞いてますよ。
褒めてくださるのはもう十分ですよ…恥ずかしいから…」
「お、おぉ…そうか…すまないな…」
苦笑いをして、頬をかくようなそぶりをする殿。私は思わずクスリと笑った。
「私は、そなたの腕が治ったら一度…そなたの戦う所を見てみたい。」
「…え?」
包み込むような、そんな雰囲気をした顔。
私は殿に頭をなでられながら上目遣いに劉備様を眺めた。
「今一度…そなたの生きる証であるあの剣を…振れると良いな…」
そう一言言い終わると、彼はそのまま部屋を出て行った。
「生きる…証…か…」
『戦に出る』ことと、『自分が女』ということに関して今まで生きてきた中でこれほど何度も深く考えるキーワードはないだろう。
幼いころから…いや、むしろ物心つく前から自分の父親に剣術を仕込まれてきた。
それは、自分の家計に父を継ぐ男児がいなかったから…
母親は私を生んですぐに他界した。
それが私を、より一層一武将としての気質を高めたのか…
もし、私に兄弟がいてそれが上でも下でもどちらかいたとしたら…
私の今の運命は変わっていたんだろうか…
戦に行く自分の愛するものの帰りを待ち、いつ終わるのか分からない乱世の
日々を震えながら過ごす。そんな生活をしていたのだろうか…
否、他国の将の元へ己の意見もお構いなく…
まるで使い回しをされる…少し高級な人形のように
知らない男の下へと嫁がされていたのかもしれない…
「…そんなの…ごめんだわ…」
思わずため息をついて、すっと白い鳥が大きな庭の木の枝に止まり戯れている様を眺めた。
自由に羽ばたこうとするそれが、なぜだかうらやましく感じる。
きっと、今とは違う人生だったらそう思うんだろうな…
「ユア…殿?」
「ぇ?」
突然声が聞こえて、そちら側を向いたらそこには姜維の顔のドアップがあった。
「わーーーー!!!!いつからいたの!?」
「え?さっきからいましたよ?ボーっとしてて呼んでも返事がなかったので勝手にお茶を頂いてました。」
「えぁ…そ、そう…」
焦った表情から、再びため息が漏れた。
ふと、視線を壁際へ移した。愛用の剣が立てかけてある…
ユアは、どこか苦痛そうな顔をしてただその剣だけをじっと見つめた。
「…ユア…殿?」
―…それでも私は…
「ねぇ姜維…私、もう一度剣を握りたい。」
「え?」
凛とした声でそう言った。
迷いなどない。ただ、その声は希望に向かって行きたい…
そんな雰囲気にもとれた。
「もう一度、剣を握って…私の部下や私の守るべき人々のために剣を振るいたい…」
「ユア殿…」
「姜維…こんな私でもあなたと一緒にこの国を守れるかしら…
足手まといにはならない?」
今の自分でなければ彼には出会わなかったかもしれない。
そして、共に戦うことも勝利を勝ち取る喜びを分かち合うこともできなかったかもしれない。
―ねぇだから、私はあなたの何かになれるかしら…
―一緒に、殿のためにこの世界を幸せにできるかしら…
「ユア殿…私は貴女と共に生きていたいんですよ。
だから足手まといだなんて思ったことは一度もない。」
微笑む貴方のその顔を見て、なんだかほっとした。
「貴女が好きです…今までも、これからも…だから…」
そこから先は、姜維と唇を重ねてしまって聞くことはなかった。
けれど、なんとなく分かるから…
言葉にしなくても、分かるから…
―今までも、これからもずっと…ずっと貴女のそばに…