―酷なれど、君を思ふ―
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思いを告げてしまえば
楽になると思っていた。
あの方は心根の優しい方だから、
口にしてしまえば
受け入れてくれるだろう
大切にしてくださるだろう。
そう思っていたから…
―酷なれど、君を思ふ―
「救出…でございますか?」
軍議に呼ばれた私を含めた呉の武将ら約数名は、突然提案された『二喬救出作戦』に目を丸くしていた。
「そうだ。魏国曹操が二喬を狙っているようでな…
早めに手をうとうと思う。」
正直、あの方が二喬を救う理由等あるのかと問いただしてみたかったが、それを聞いたところでどうなるわけでもないと判断した私は、何も言わずただ作戦に従おうと思った。同時に、この方に助けられる二人の姫は羨ましいと思った。
―何もしなくても、貴女達は誰かに助られるのだから…
数日後…孫策様、周瑜様。
そして、私を含め数名の武将らは目的地につく。決行が明け方のため、私は野営で休むことにした。たが、しばらくするとなにかを察したかのように愛馬が暴れ出したらしく、仕方なしに馬の待つ場所へ歩いて行った。
「お疲れ様…どう?あいかわらず暴れてるの?」
「あ!ユア様!はっはい…なかなか落ち着いてくれないんです」
「そう…それは困ったわね…麟…」
愛場の『麟』の元に歩いて行きながら、優しく言う。麟はと私の姿を見ると、動きをやめて大人しくなった。
「いい子ね…どうしたの?」
ブルルと鼻息を荒くした麟の瞳は、なぜか寂しそうに私を見つめるだけだった。
―もしかしたら、麟は本能的に主の喪失感の前触れに気がついていたのかもしれない…
「なぁ…周瑜よぉ…俺は反対だぜ…
いくら曹操から二喬を救うって言ったってあいつを囮に使うなんてよぉ…」
ユアの現在いる夜営のとある一角で、
孫策は前を歩く周瑜に話し掛ける。
「孫策…二喬を救うためだ。方法など厭わん。味方の損害を気にしていては戦などできないぞ。」
冷たくそう言い放つ。
ポリポリと頭を掻きながら、孫策は前の男の背を見つめる。
「あいつ…その作戦聞いたらどんな顔するだろうな…」
「どうした…何故そんなことを言う?」
前を歩く男はくるりと振り返ると、不思議そうな顔そして言う。
「呉の武将クラスの仲じゃ…勤務は長いだろ…いつでも忠実だ…」
「それがどうした?」
周瑜の横を通り過ぎて、今度は孫策が前を歩いて行く。髪の長い男は、小走りに走りながら義兄弟の隣を歩いた。人気のない夜営のはずれに歩いて行く二人…
「しかも、歳の割にしっかりしているし、後宮の女よか…よっぽど綺麗な顔してるし腕も立つ…」
「……。」
黙って話を聞く周瑜に孫策は立ち止まって、一言言う…
「あいつの気持ち利用してるんなら…周瑜…やめてやれよ…」
「曹操にユアを渡しちまっても、お前はいいのか?あいつが、犯され苦しむのが分かっているのに…それでもなお、この作戦を決行するのか…?」
―パキッ
「「!」」
「誰だ!?」
不自然な音に周瑜は反応すると、音のした方に体ごと向ける。
「ユア…」
そこには、口元に両手を置き小刻みに体を震えさせたユアが立っていた。信じられないと言った表情で二人を見つめる。
「あ…私…その…」
ユアの顔を見るなり、周瑜は顔を辛そうに歪ませる。
「ユア!」
突然くるりと体を反転させると、ユアはそのまま走り去って行ってしまった。
「周瑜…これがお前が提案した策の結果だぜ…」
孫策は冷たくそう言い放った…
そう…
私はあの方にとって
戦のコマの一つに過ぎなかった。
淡い心はずっと押し込めてきた。
けれど私はもうなにも…
なにも…
なにも…
もう何も…信じたくない。
今はもう…あの方さえ、憎む種になる…
―酷なれど、君を思ふ―
二喬を助けるために、私は周瑜様からの直々の命を聞く事もなく、呉国の将として囮を自らかって出た。
「ほう…むさ苦しいだけの軍だとばかり思っていたが、呉の国にもなかなかの上玉の女武将がいるではないか…」
自分の顎髭をシャリシャリとなでながら、
曹操はあざけ笑うかの表情で私を眺める。
私はキッと睨みつけながら、手にしていた武器を構える。死ぬことなどは怖くない。国のために死ねるのだ…武将にとってそれは本望と呼ぶべきか…
―だが、他国の捕虜になるほど屈辱的なことはない。
「『月も恥らうほどの美しさ』の大喬、小喬よりもお主は、磨けばあの二喬よりももっと美しく咲くだろうな…」
妖しく私を見つめる曹操。
背筋が凍りつきそうなほどの悪寒がする。
「…っ…戯言をっ…私はお前の玩具になるつもりはない!」
武器を構えて、魏軍総大将に斬りかかって行く…だが、男は卑しく笑うだけで動こうとしない。
「やめておけ…お主では…わしに傷一つつけられぬ…」
「ふざけるっ……」
―ガッ
「くっ…うぁ………」
背後から、何者かに強打され私はその場にドサリと崩れ落ちた。
「うむ…よくやった…悪来…」
勝ち誇った表情をしながら、曹操は馬から降りる。気を失ったユアの顔をマジマジと眺め、男は再びニタリと笑った。そして…彼女を軽々と抱き抱えると馬に乗り退却の号令をかけた。
「二喬を取り逃がしたのは残念だが、いい収穫があった。全軍!撤退するぞ!」
―周瑜…様…
「報告します!中央前衛の位置におられましたユア様が、敵、総大将により捕縛されたとのことです!!」
「なっなんだと!?」
二喬の救出もようやく一段落したという矢先のことだった。小喬を馬に乗せた周瑜は目を見開いた表情をして、伝令兵の報告を聞いた。同じく姉の大喬を馬の背に乗せていた孫策は、まったく驚く素振りも見せず淡々と言う。
「周瑜……言っただろ…あいつは忠実だと…」
「だが、私は彼女に直々に命は下していない!」
「だがよ…先の話を聞いちまってりゃ…あいつのことだ…行動に移すに決まってんじゃねーか…」
拠点位置に着くと、救出した二人を降ろす。
「大喬…小喬…別働隊がこの先にいる…先に呉に行っててくれねーか…」
孫策は、二人にそういうと兵数名に案内をさせた。
「お二人とも御無事で……」
「あぁ…わかってる…」
ニカッと笑うと、孫策は表情を変えて周瑜の方へ向きなおった。
「で…?どうすんだ?」
「……。」
俯き加減に考える周瑜。
「命令無視は御法度だ。助けにはいかねーんだろ?お前は元々ユアを囮に使おうとしたんだからな…」
「……。」
「お前には、小喬がいる。娶るつもりなんだろう?だったらこのまま放っておくのが一番なんじゃねーのか?別の女がいる男の側に、おいておくのは酷だ。…気持ちに答える勇気がないなら、追いかけるな。」
ユアの気持ちには彼女が呉に勤務して数年後に気がついた。それは、自分も彼女が好きだったからなのだ。いつも見ている彼女。振り向いてくれない彼女。権力を使って自分の物にする事も出来た。だがそれでは、彼女の気持ちを踏みにじってしまう。だから、彼は諦めた。結果、ユアがずっと見ている人物は周瑜だと気がついた。だから、人一倍彼女を心配する。だから、人一倍彼女と周瑜を応援したくなる。
「わっ…私は…」
「申し上げます!魏軍!撤退を開始しました!!!」
伝令兵が、大声でそう叫ぶ。
「…だとよ。どうしたいんだ?周瑜…」
冷ややかな瞳で問い掛ける孫策。
「………。」
「今すぐに魏軍、追撃を開始する!!!!!!!騎馬隊は私に続け!!!!!!!」
目を大きく見開きながら、周瑜は馬に乗ると騎馬兵を引き連れてその場を去って行った。
「おっしゃ!それでこそ周瑜だぜ!!お前ら俺について来い!」
残った歩兵隊らを引き連れて、孫策は周瑜の後を追って行った。
あの時、気持ちに答える勇気がないなら追いかけるなと孫策に言われてから、君がいなくなるのではないかと思って気が気じゃなかった。君のことはずっと思っていたし、大切にしたかった。けれど、私と君には決して絶つ事の出来ない『身分』というものがある。
私には、いつもそれが頭から放れなかった。
だからあんな血迷った策を思いついたのかも知れない。
―けれどもう…自分の気持ちからは逃げないよユア。
私は君を愛しているから…。
―酷なれど、君を思ふ―
気がつくと、曹操に抱かれるように馬に乗っていた。愛馬の麟は本陣に戻ったのだろう…群がる群衆の中にそれらしい馬は見当たらなかった。手首を後ろ手に縛られていた私は、なんとか縄を解こうと両腕を上下左右に動かす。同時に、抱き抱えている収穫物が気がついた事を察した曹操はニタリと笑って突然私の首筋に顔を沈める。
「…ぅ…んっ…」
チリッとした痛みが走ると、そこには私にとって酷な印がつけられた。
「感度も良い……わしの腕で咲くのが楽しみな娘よの…」
「はなっ…放せっ…誰がお前の腕でなどっ…」
「強情な女は男を熱くさせるものよ…」
そう言って、私が抵抗が出来ないのをいい事に片手で私の顎を持って、唇を塞いだ。
「んっ…んぅ…」
触れるだけのキスは歯列をなぞられるほんの隙をついて、いつの間にか、舌を入れられたいた。顔を振ろうにも、固定されている手のせいでどうにも出来ない。しばらくして、開放された唇からは透明な糸が紡がれていたが切れた。
「はっ…はぁ…はぁ…」
「ふん…中々…良い味だぞ…ますます欲しくなった。」
満足げに笑う曹操。もうろうとしている頭でなんとか、男が逆上するような事を考える。
「…ぺッ」
男の頬にツバを吐きかける。
「ふん…なんとも剥きがいのある女よ…すぐにでも欲しくなった。全軍停止せよ!」
その時…曹操は油断をしていたのかも知れない。まさか、周瑜らが追ってきているとは思っていなかったのだ。
陣営のとある場所で、曹操はユアを抱き抱えドサリと急遽組敷かれた寝床に降ろされる。
「愉快よの…追い詰められる羊の目は…」
上から見下ろすように私を眺めんながらいまだニタニタと、いやらしい笑みを浮かべる曹操。
「抱くだけ抱けばいい。だが、どんなに抱かれようと心までは渡さない!!」
じっと睨みつけながら、私はそう言った。
曹操は、途端に馬乗りのなって私に言う。
「気の強いのは良いが、その言葉は感心せぬな…」
冷たい瞳が、自分だけを捕える。
「私は、お前の思い通りになるような女ではない。見くびるな!」
「女など…幾度も幾度も男の腕に抱かれれば変わるものよ…」
「籠の中の鳥の羽をむしり取るのが趣味なのが…魏国君主曹操…笑止…とでも言っておくか…?」
自分の分が悪いのにも関らず、私は曹操をせせら笑ってやった。すると、曹操はくくっと喉で笑うとこう言うのだ。
「武のみの女ではないようだな…わしはお主が本気で気に入った…なんとしても、手に入れる…」
―周瑜様に言われたかった言葉を…なぜ敵国の君主が言うのだ…
―なぜ、目の前の男性が貴方ではないのですか…?
覚悟を決めたかのように、目を瞑る。
―これで私も…汚れるか…
「てって…敵襲!!!!!!!!」
突然聞こえる兵士声に思わず耳を疑う。
「なにぃ!!敵襲だと!?」
そう言って、早々と男は愛用の剣を持って外にでる。私は好機と思い、近く置かれた短剣の元へ走る。後ろ手にしばられていれば、逃げる時に不便だ。たとえ短剣でも身を守る武器になる。
「くっ……うっ…つっ…」
見えない縄を感覚的に切ってゆく。
途中手を少しばかりかすったりして斬ったが、なんとか手首を戒めているモノを取り去った。
「怯むな!!!敵は私達の思わぬ奇襲に混乱している!!!一気に押してゆけ!!」
―どこにいる…?ユア…
「ええい!!油断していた!!まさか追って来るとはっ!!」
―良き獲物をみすみす奪われてたまるものか!!
曹操は自軍の指揮をしながらそう考える。周瑜もまた同じだった。
「貴様!!先ほど捕えられた捕虜の女だな!!」
なんとか逃げ出してきた私は、曹操にみつからないように混乱している、軍の状況を見ながら先へ先へ進むがそこへ一般の兵が、自分の存在に気がついたらしく、私を呼びとめた。
「こんな所で何をしてい…ぐはっ…」
すかさず、短剣を鞘から出して急所をねらって男に斬り付ける。ドサリと倒れた兵を眺めて冷たくに私は言った。
「たかが、一般兵ごときが私に汚い言葉を向けるな。虫唾が走る。」
男の持っていた長剣を手にとると、私は先へ進んで行った。
「まだ見つからぬのか!!!」
状況に苛立つ周瑜。愛するもののためにここまで来たのだ。彼女が見つからなければ、自分のしていることは無駄になる。
「はっ…申し訳ありません!!何分混乱状態が酷く、まともに探すのは困難かとっ」
兵に言われて、再びイライラが募る。
「私が行く!!孫策!後は任せたぞ!!!」
「おう!きぃつけろよ周瑜!!」
向かってくる兵を薙ぎ倒しながら、孫策は声をかけた。
どこにいるのかも分からない君を探す。
君がいなくなるのは耐えられないんだ。
あんな策を出した私が言える義理ではないことは分かっている。
だが、それでも…
―君を好きな気持ちはやめられない。
どこにいるかも分からない貴方を探す。
貴方の側にいられないことが苦痛でならないのです。
勝手に行動をおこした私がそんなこと言える立場ではないことは分かっています。
けれど、それでも…
―ずっと…お慕いしておりました。
―酷なれど、君を思ふ―
「もう、逃げられねーぜ!!混乱状態になってるからって、上玉の女をみすみす見逃すわけねーだろ。」
もう少しで味方の陣だと言うのに、わが国の拠点の旗が見えているというのに…
なぜこんな所で、敵将に当たるのかっ運が悪いっ
「このままじゃ前衛にいる俺たちゃ死ぬんだ。いい事をさせてもらおうじゃないかっ」
「お前が得るような良いことなど、ない!!」
カキンと金属が重なる音。
「へっなかなかやるじゃねーか!!
だがっそんな軽装では長くと持つま…ぐ!!!!」
男の背後から誰かが斬り付けたようで、将兵は血を吐いて倒れた。唖然としながら、私はゆっくり前を向く。
「ユア…見つけたぞっ…良くぞ…良くぞ無事で…」
目の前に、会いたいと思っていた方がいた。
「しゅ…周瑜様…なぜですか…なぜ…」
「話は後だ。本陣に帰還するぞ!!」
片手で抱き抱えられて、馬に乗せられる。
周瑜様に抱き抱えられるようにして、私達は本陣に移動をした。その途中に、震えるような声で私の耳元で周瑜様はこう囁いた。
「無事で、良かった…ユア…」
その後、魏軍の混乱は収まらず。曹操は撤退を余儀なくされた。呉軍は、私のために動いてくださった周瑜様の働きかけで勝利を収めた。
孫策様は大喬様を娶られた。
とても幸せそうで仲むつまじく、羨ましいほどだった。御2人のその顔を眺めて、涙が少し出てしまう程だった。私もいつか、こんなふうになってみたいなと純粋に思った。
―同時に思い浮かぶのは周瑜様のこと…
小喬様を娶ると周りが噂していているのを知っている私は、少しばかり気が重くなる。
ずっと、好きでいた方が違う方と婚儀を行なうのだ。
―私は耐えられるのだろうか…あの方の隣にいるのは私ではないのだ…
そう思うと、考えることは一つだった。
―国を出る―
見たくはないのだ。周瑜様と違う女性の幸せそうな顔など。
私は…
そして、数日後…国を出る為の支度をし始めた。
「行くのか…ユア…」
「はい…」
夜中に国を出ると、孫策様にだけこっそり言って行く。月が出ていて、とても天気の良い日だ。こんな時に国を出て行く私は愚か者だな。
私は国を裏切るためじゃない。
自分のプライドを…女としての誇りを守りたいために出て行く。それを彼は理解をしてくださった。
「本当に…あいつにゃ言わなくていいのか?」
「えぇ…お顔を見たら、私の決心が鈍ってしまいます。それに、小喬様に失礼でしょう…」
「ユア…お前…」
寂しそうな瞳で私を見てくださる孫策様…
そんなお顔をしないでください。涙がでてしまいます。
「ユア!!!」
聞いてはいけない声。
一番好きだった方の声。
駄目…耳にいれちゃ駄目…
「周瑜様…なぜ…」
「孫策から聞いたのだ。何故…出て行こうとする!」
両肩を抑えられて、そう強く聞かれる。
孫策様は微笑みながら、その場を去って行ってしまった。
「貴方をお慕いしているからです…周瑜様…」
俯いて、そういう。目を見たら終わりなのだ。
放れたくなくなってしまう。
―みたくない。考えたくないの…
「私は…私もそなたを愛している。だから…」
―あぁ…その言葉だけで天国にでも行けそうだわ…
「小喬様と、一緒になってください。私は、私に周瑜様は勿体無いです…」
「勿体無いかどうかは私が決めることだ。周りが決めることじゃない。」
「え…?」
そうして、ふわりと抱き締められた。
「周瑜様?…あのっ…」
「気持ちに答える勇気がないなら、追いかけるなと孫策に言われたのだ…」
「え?」
「曹操に連れ去られたとき、私は孫策にそう言われた。正直、ずっと迷っていたのだ。
身分も家柄も違うそなたと一緒になって、お前は幸せなのかと…」
一層抱きしめられる力が強まりながら、周瑜様は話を続けた。
「だが、もう迷わない。私の愛する相手はユア…そなた一人なのだ…周りが噂をしている小喬を娶るともりはもうとうない。安心してくれ…」
「周瑜さ…」
言いかけて、月が照らす影に2人の影が重なった。
「公瑾と…これからはそう呼んで欲しい。」
「公…瑾…」
月明かりに微笑む貴方がなんとも眩しく見えた。
その時、このまま時間が止まってしまえと、思った…
―貴方を
―君を
―好きな気持ちをやめられない―
楽になると思っていた。
あの方は心根の優しい方だから、
口にしてしまえば
受け入れてくれるだろう
大切にしてくださるだろう。
そう思っていたから…
―酷なれど、君を思ふ―
「救出…でございますか?」
軍議に呼ばれた私を含めた呉の武将ら約数名は、突然提案された『二喬救出作戦』に目を丸くしていた。
「そうだ。魏国曹操が二喬を狙っているようでな…
早めに手をうとうと思う。」
正直、あの方が二喬を救う理由等あるのかと問いただしてみたかったが、それを聞いたところでどうなるわけでもないと判断した私は、何も言わずただ作戦に従おうと思った。同時に、この方に助けられる二人の姫は羨ましいと思った。
―何もしなくても、貴女達は誰かに助られるのだから…
数日後…孫策様、周瑜様。
そして、私を含め数名の武将らは目的地につく。決行が明け方のため、私は野営で休むことにした。たが、しばらくするとなにかを察したかのように愛馬が暴れ出したらしく、仕方なしに馬の待つ場所へ歩いて行った。
「お疲れ様…どう?あいかわらず暴れてるの?」
「あ!ユア様!はっはい…なかなか落ち着いてくれないんです」
「そう…それは困ったわね…麟…」
愛場の『麟』の元に歩いて行きながら、優しく言う。麟はと私の姿を見ると、動きをやめて大人しくなった。
「いい子ね…どうしたの?」
ブルルと鼻息を荒くした麟の瞳は、なぜか寂しそうに私を見つめるだけだった。
―もしかしたら、麟は本能的に主の喪失感の前触れに気がついていたのかもしれない…
「なぁ…周瑜よぉ…俺は反対だぜ…
いくら曹操から二喬を救うって言ったってあいつを囮に使うなんてよぉ…」
ユアの現在いる夜営のとある一角で、
孫策は前を歩く周瑜に話し掛ける。
「孫策…二喬を救うためだ。方法など厭わん。味方の損害を気にしていては戦などできないぞ。」
冷たくそう言い放つ。
ポリポリと頭を掻きながら、孫策は前の男の背を見つめる。
「あいつ…その作戦聞いたらどんな顔するだろうな…」
「どうした…何故そんなことを言う?」
前を歩く男はくるりと振り返ると、不思議そうな顔そして言う。
「呉の武将クラスの仲じゃ…勤務は長いだろ…いつでも忠実だ…」
「それがどうした?」
周瑜の横を通り過ぎて、今度は孫策が前を歩いて行く。髪の長い男は、小走りに走りながら義兄弟の隣を歩いた。人気のない夜営のはずれに歩いて行く二人…
「しかも、歳の割にしっかりしているし、後宮の女よか…よっぽど綺麗な顔してるし腕も立つ…」
「……。」
黙って話を聞く周瑜に孫策は立ち止まって、一言言う…
「あいつの気持ち利用してるんなら…周瑜…やめてやれよ…」
「曹操にユアを渡しちまっても、お前はいいのか?あいつが、犯され苦しむのが分かっているのに…それでもなお、この作戦を決行するのか…?」
―パキッ
「「!」」
「誰だ!?」
不自然な音に周瑜は反応すると、音のした方に体ごと向ける。
「ユア…」
そこには、口元に両手を置き小刻みに体を震えさせたユアが立っていた。信じられないと言った表情で二人を見つめる。
「あ…私…その…」
ユアの顔を見るなり、周瑜は顔を辛そうに歪ませる。
「ユア!」
突然くるりと体を反転させると、ユアはそのまま走り去って行ってしまった。
「周瑜…これがお前が提案した策の結果だぜ…」
孫策は冷たくそう言い放った…
そう…
私はあの方にとって
戦のコマの一つに過ぎなかった。
淡い心はずっと押し込めてきた。
けれど私はもうなにも…
なにも…
なにも…
もう何も…信じたくない。
今はもう…あの方さえ、憎む種になる…
―酷なれど、君を思ふ―
二喬を助けるために、私は周瑜様からの直々の命を聞く事もなく、呉国の将として囮を自らかって出た。
「ほう…むさ苦しいだけの軍だとばかり思っていたが、呉の国にもなかなかの上玉の女武将がいるではないか…」
自分の顎髭をシャリシャリとなでながら、
曹操はあざけ笑うかの表情で私を眺める。
私はキッと睨みつけながら、手にしていた武器を構える。死ぬことなどは怖くない。国のために死ねるのだ…武将にとってそれは本望と呼ぶべきか…
―だが、他国の捕虜になるほど屈辱的なことはない。
「『月も恥らうほどの美しさ』の大喬、小喬よりもお主は、磨けばあの二喬よりももっと美しく咲くだろうな…」
妖しく私を見つめる曹操。
背筋が凍りつきそうなほどの悪寒がする。
「…っ…戯言をっ…私はお前の玩具になるつもりはない!」
武器を構えて、魏軍総大将に斬りかかって行く…だが、男は卑しく笑うだけで動こうとしない。
「やめておけ…お主では…わしに傷一つつけられぬ…」
「ふざけるっ……」
―ガッ
「くっ…うぁ………」
背後から、何者かに強打され私はその場にドサリと崩れ落ちた。
「うむ…よくやった…悪来…」
勝ち誇った表情をしながら、曹操は馬から降りる。気を失ったユアの顔をマジマジと眺め、男は再びニタリと笑った。そして…彼女を軽々と抱き抱えると馬に乗り退却の号令をかけた。
「二喬を取り逃がしたのは残念だが、いい収穫があった。全軍!撤退するぞ!」
―周瑜…様…
「報告します!中央前衛の位置におられましたユア様が、敵、総大将により捕縛されたとのことです!!」
「なっなんだと!?」
二喬の救出もようやく一段落したという矢先のことだった。小喬を馬に乗せた周瑜は目を見開いた表情をして、伝令兵の報告を聞いた。同じく姉の大喬を馬の背に乗せていた孫策は、まったく驚く素振りも見せず淡々と言う。
「周瑜……言っただろ…あいつは忠実だと…」
「だが、私は彼女に直々に命は下していない!」
「だがよ…先の話を聞いちまってりゃ…あいつのことだ…行動に移すに決まってんじゃねーか…」
拠点位置に着くと、救出した二人を降ろす。
「大喬…小喬…別働隊がこの先にいる…先に呉に行っててくれねーか…」
孫策は、二人にそういうと兵数名に案内をさせた。
「お二人とも御無事で……」
「あぁ…わかってる…」
ニカッと笑うと、孫策は表情を変えて周瑜の方へ向きなおった。
「で…?どうすんだ?」
「……。」
俯き加減に考える周瑜。
「命令無視は御法度だ。助けにはいかねーんだろ?お前は元々ユアを囮に使おうとしたんだからな…」
「……。」
「お前には、小喬がいる。娶るつもりなんだろう?だったらこのまま放っておくのが一番なんじゃねーのか?別の女がいる男の側に、おいておくのは酷だ。…気持ちに答える勇気がないなら、追いかけるな。」
ユアの気持ちには彼女が呉に勤務して数年後に気がついた。それは、自分も彼女が好きだったからなのだ。いつも見ている彼女。振り向いてくれない彼女。権力を使って自分の物にする事も出来た。だがそれでは、彼女の気持ちを踏みにじってしまう。だから、彼は諦めた。結果、ユアがずっと見ている人物は周瑜だと気がついた。だから、人一倍彼女を心配する。だから、人一倍彼女と周瑜を応援したくなる。
「わっ…私は…」
「申し上げます!魏軍!撤退を開始しました!!!」
伝令兵が、大声でそう叫ぶ。
「…だとよ。どうしたいんだ?周瑜…」
冷ややかな瞳で問い掛ける孫策。
「………。」
「今すぐに魏軍、追撃を開始する!!!!!!!騎馬隊は私に続け!!!!!!!」
目を大きく見開きながら、周瑜は馬に乗ると騎馬兵を引き連れてその場を去って行った。
「おっしゃ!それでこそ周瑜だぜ!!お前ら俺について来い!」
残った歩兵隊らを引き連れて、孫策は周瑜の後を追って行った。
あの時、気持ちに答える勇気がないなら追いかけるなと孫策に言われてから、君がいなくなるのではないかと思って気が気じゃなかった。君のことはずっと思っていたし、大切にしたかった。けれど、私と君には決して絶つ事の出来ない『身分』というものがある。
私には、いつもそれが頭から放れなかった。
だからあんな血迷った策を思いついたのかも知れない。
―けれどもう…自分の気持ちからは逃げないよユア。
私は君を愛しているから…。
―酷なれど、君を思ふ―
気がつくと、曹操に抱かれるように馬に乗っていた。愛馬の麟は本陣に戻ったのだろう…群がる群衆の中にそれらしい馬は見当たらなかった。手首を後ろ手に縛られていた私は、なんとか縄を解こうと両腕を上下左右に動かす。同時に、抱き抱えている収穫物が気がついた事を察した曹操はニタリと笑って突然私の首筋に顔を沈める。
「…ぅ…んっ…」
チリッとした痛みが走ると、そこには私にとって酷な印がつけられた。
「感度も良い……わしの腕で咲くのが楽しみな娘よの…」
「はなっ…放せっ…誰がお前の腕でなどっ…」
「強情な女は男を熱くさせるものよ…」
そう言って、私が抵抗が出来ないのをいい事に片手で私の顎を持って、唇を塞いだ。
「んっ…んぅ…」
触れるだけのキスは歯列をなぞられるほんの隙をついて、いつの間にか、舌を入れられたいた。顔を振ろうにも、固定されている手のせいでどうにも出来ない。しばらくして、開放された唇からは透明な糸が紡がれていたが切れた。
「はっ…はぁ…はぁ…」
「ふん…中々…良い味だぞ…ますます欲しくなった。」
満足げに笑う曹操。もうろうとしている頭でなんとか、男が逆上するような事を考える。
「…ぺッ」
男の頬にツバを吐きかける。
「ふん…なんとも剥きがいのある女よ…すぐにでも欲しくなった。全軍停止せよ!」
その時…曹操は油断をしていたのかも知れない。まさか、周瑜らが追ってきているとは思っていなかったのだ。
陣営のとある場所で、曹操はユアを抱き抱えドサリと急遽組敷かれた寝床に降ろされる。
「愉快よの…追い詰められる羊の目は…」
上から見下ろすように私を眺めんながらいまだニタニタと、いやらしい笑みを浮かべる曹操。
「抱くだけ抱けばいい。だが、どんなに抱かれようと心までは渡さない!!」
じっと睨みつけながら、私はそう言った。
曹操は、途端に馬乗りのなって私に言う。
「気の強いのは良いが、その言葉は感心せぬな…」
冷たい瞳が、自分だけを捕える。
「私は、お前の思い通りになるような女ではない。見くびるな!」
「女など…幾度も幾度も男の腕に抱かれれば変わるものよ…」
「籠の中の鳥の羽をむしり取るのが趣味なのが…魏国君主曹操…笑止…とでも言っておくか…?」
自分の分が悪いのにも関らず、私は曹操をせせら笑ってやった。すると、曹操はくくっと喉で笑うとこう言うのだ。
「武のみの女ではないようだな…わしはお主が本気で気に入った…なんとしても、手に入れる…」
―周瑜様に言われたかった言葉を…なぜ敵国の君主が言うのだ…
―なぜ、目の前の男性が貴方ではないのですか…?
覚悟を決めたかのように、目を瞑る。
―これで私も…汚れるか…
「てって…敵襲!!!!!!!!」
突然聞こえる兵士声に思わず耳を疑う。
「なにぃ!!敵襲だと!?」
そう言って、早々と男は愛用の剣を持って外にでる。私は好機と思い、近く置かれた短剣の元へ走る。後ろ手にしばられていれば、逃げる時に不便だ。たとえ短剣でも身を守る武器になる。
「くっ……うっ…つっ…」
見えない縄を感覚的に切ってゆく。
途中手を少しばかりかすったりして斬ったが、なんとか手首を戒めているモノを取り去った。
「怯むな!!!敵は私達の思わぬ奇襲に混乱している!!!一気に押してゆけ!!」
―どこにいる…?ユア…
「ええい!!油断していた!!まさか追って来るとはっ!!」
―良き獲物をみすみす奪われてたまるものか!!
曹操は自軍の指揮をしながらそう考える。周瑜もまた同じだった。
「貴様!!先ほど捕えられた捕虜の女だな!!」
なんとか逃げ出してきた私は、曹操にみつからないように混乱している、軍の状況を見ながら先へ先へ進むがそこへ一般の兵が、自分の存在に気がついたらしく、私を呼びとめた。
「こんな所で何をしてい…ぐはっ…」
すかさず、短剣を鞘から出して急所をねらって男に斬り付ける。ドサリと倒れた兵を眺めて冷たくに私は言った。
「たかが、一般兵ごときが私に汚い言葉を向けるな。虫唾が走る。」
男の持っていた長剣を手にとると、私は先へ進んで行った。
「まだ見つからぬのか!!!」
状況に苛立つ周瑜。愛するもののためにここまで来たのだ。彼女が見つからなければ、自分のしていることは無駄になる。
「はっ…申し訳ありません!!何分混乱状態が酷く、まともに探すのは困難かとっ」
兵に言われて、再びイライラが募る。
「私が行く!!孫策!後は任せたぞ!!!」
「おう!きぃつけろよ周瑜!!」
向かってくる兵を薙ぎ倒しながら、孫策は声をかけた。
どこにいるのかも分からない君を探す。
君がいなくなるのは耐えられないんだ。
あんな策を出した私が言える義理ではないことは分かっている。
だが、それでも…
―君を好きな気持ちはやめられない。
どこにいるかも分からない貴方を探す。
貴方の側にいられないことが苦痛でならないのです。
勝手に行動をおこした私がそんなこと言える立場ではないことは分かっています。
けれど、それでも…
―ずっと…お慕いしておりました。
―酷なれど、君を思ふ―
「もう、逃げられねーぜ!!混乱状態になってるからって、上玉の女をみすみす見逃すわけねーだろ。」
もう少しで味方の陣だと言うのに、わが国の拠点の旗が見えているというのに…
なぜこんな所で、敵将に当たるのかっ運が悪いっ
「このままじゃ前衛にいる俺たちゃ死ぬんだ。いい事をさせてもらおうじゃないかっ」
「お前が得るような良いことなど、ない!!」
カキンと金属が重なる音。
「へっなかなかやるじゃねーか!!
だがっそんな軽装では長くと持つま…ぐ!!!!」
男の背後から誰かが斬り付けたようで、将兵は血を吐いて倒れた。唖然としながら、私はゆっくり前を向く。
「ユア…見つけたぞっ…良くぞ…良くぞ無事で…」
目の前に、会いたいと思っていた方がいた。
「しゅ…周瑜様…なぜですか…なぜ…」
「話は後だ。本陣に帰還するぞ!!」
片手で抱き抱えられて、馬に乗せられる。
周瑜様に抱き抱えられるようにして、私達は本陣に移動をした。その途中に、震えるような声で私の耳元で周瑜様はこう囁いた。
「無事で、良かった…ユア…」
その後、魏軍の混乱は収まらず。曹操は撤退を余儀なくされた。呉軍は、私のために動いてくださった周瑜様の働きかけで勝利を収めた。
孫策様は大喬様を娶られた。
とても幸せそうで仲むつまじく、羨ましいほどだった。御2人のその顔を眺めて、涙が少し出てしまう程だった。私もいつか、こんなふうになってみたいなと純粋に思った。
―同時に思い浮かぶのは周瑜様のこと…
小喬様を娶ると周りが噂していているのを知っている私は、少しばかり気が重くなる。
ずっと、好きでいた方が違う方と婚儀を行なうのだ。
―私は耐えられるのだろうか…あの方の隣にいるのは私ではないのだ…
そう思うと、考えることは一つだった。
―国を出る―
見たくはないのだ。周瑜様と違う女性の幸せそうな顔など。
私は…
そして、数日後…国を出る為の支度をし始めた。
「行くのか…ユア…」
「はい…」
夜中に国を出ると、孫策様にだけこっそり言って行く。月が出ていて、とても天気の良い日だ。こんな時に国を出て行く私は愚か者だな。
私は国を裏切るためじゃない。
自分のプライドを…女としての誇りを守りたいために出て行く。それを彼は理解をしてくださった。
「本当に…あいつにゃ言わなくていいのか?」
「えぇ…お顔を見たら、私の決心が鈍ってしまいます。それに、小喬様に失礼でしょう…」
「ユア…お前…」
寂しそうな瞳で私を見てくださる孫策様…
そんなお顔をしないでください。涙がでてしまいます。
「ユア!!!」
聞いてはいけない声。
一番好きだった方の声。
駄目…耳にいれちゃ駄目…
「周瑜様…なぜ…」
「孫策から聞いたのだ。何故…出て行こうとする!」
両肩を抑えられて、そう強く聞かれる。
孫策様は微笑みながら、その場を去って行ってしまった。
「貴方をお慕いしているからです…周瑜様…」
俯いて、そういう。目を見たら終わりなのだ。
放れたくなくなってしまう。
―みたくない。考えたくないの…
「私は…私もそなたを愛している。だから…」
―あぁ…その言葉だけで天国にでも行けそうだわ…
「小喬様と、一緒になってください。私は、私に周瑜様は勿体無いです…」
「勿体無いかどうかは私が決めることだ。周りが決めることじゃない。」
「え…?」
そうして、ふわりと抱き締められた。
「周瑜様?…あのっ…」
「気持ちに答える勇気がないなら、追いかけるなと孫策に言われたのだ…」
「え?」
「曹操に連れ去られたとき、私は孫策にそう言われた。正直、ずっと迷っていたのだ。
身分も家柄も違うそなたと一緒になって、お前は幸せなのかと…」
一層抱きしめられる力が強まりながら、周瑜様は話を続けた。
「だが、もう迷わない。私の愛する相手はユア…そなた一人なのだ…周りが噂をしている小喬を娶るともりはもうとうない。安心してくれ…」
「周瑜さ…」
言いかけて、月が照らす影に2人の影が重なった。
「公瑾と…これからはそう呼んで欲しい。」
「公…瑾…」
月明かりに微笑む貴方がなんとも眩しく見えた。
その時、このまま時間が止まってしまえと、思った…
―貴方を
―君を
―好きな気持ちをやめられない―