天秤
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欲しい言葉は沢山ある。
して欲しい事も沢山ある。
けれど、我が儘を通すより、貴方はそばにいる方がいいのでしょ?
煩わしい女は嫌いだものね。
「乱菊…あたしまた振られた!!」
「はぁ?なぁに?あんた、あいつ意外に好きな男いたの?」
―ゴン!
痛いとこをつかれて、居酒屋のテーブルに勢いよく頭を叩きつけると、額から煙がでる。
「ちょ…ユア平気?」
「ら゛~ぁ~ん~ぎ~ぐ~!!!!」
苦笑いする乱菊を、鼻血と鼻水出しながら顔を上げる。
「振られる以前に、あんたそれ女として終わってるわ。」
「らん~ぎ~ぐ~!!!!」
そんな彼女の言葉などお構いなく、私は彼女の服をわしずかみにしてゆさゆさ揺らした。
「はいはい何なのよ。で、なんて振られたの?」
備え付けのティッシュを強引に顔に押しつけられて、鼻をかみながら話だした。
「僕は君とは釣り合わないって!意味わかんないと思わない!?なにその言い訳!釣り合わないって何基準にいってるのよ!!!釣り合う釣り合わないはあたしが決めることで、あんたが決める事じゃないっての!!!」
悪態をつきながら、鼻に詰め物をする。
酔ってるので恥ずかしげもなくできる自分は我ながらにすごいと思う。
「本当にあんた女捨ててるわ。」
乱菊のそれは今に始まった発言じゃない。飲みに行くと決まっていうセリフなのだ。
「っさいな。鼻血出てるんだからしょうがないでしょ。」
思いの外でっかく丸めたティッシュがなかなか入らず悪戦苦闘中。
「小さくしなさいよ。鼻にそんなデッカいの入るわけないでしょ。」
そう言って女性特有の綺麗な手でクルクル巻いてくれる。彼女の仕草は、豪快だがいつも女らしくて羨ましいと思う。自分にはない物を、同期の彼女は持っていて私はいつも憧れていた。
「ほら。これ入れなさい。」
「うぃ」
姉御で頼りがいがある乱菊が、私に短く作ったティッシュを渡してくれた。
「んで?あんたいつの間に一角以外の男を好きになったわけ?」
グリグリ鼻にそれを入れながら、私は苦笑い。
「いや、うん。なんかね…」
言葉を濁して言うと乱菊はため息を吐いた。
「…疲れたの?」
すかさず出た言葉に再び苦笑い。
「エヘヘ…なんかね、そろそろ潮時かなーなんて思ってさ。アイツ以外でも好きになれる人いるかなーみたいな…アハハ」
九番隊で三席の位置にいる私は、元は十一番隊の四席だった。
更木隊で草鹿副隊長に次いで、女隊士で上位席官ということで隊内では評価されていたと思う。
一角と知り合ったのは、もうずいぶん昔の話だ。付き合いが長すぎて覚えていない。最初は良きライバルだったあの人を、私はいつの間にか好きになっていたのだ。
けれど、先の三人の隊長の裏切りにより、私は書類や事務事の能力を買われ檜佐木副隊長のいる九番隊へ異動が決まった。最初はとても嫌だったけれど、彼は真面目だが、気さくでイイ人だったのですぐに馴れた。が、同時に十一番隊での日々が懐かしくもあった。一角、隊長や弓親達とバカばかりやっていたあの頃。いつもそばにいたあの人を見ることが出来ない事に寂しさを感じていたのだ。
「あのねぇ…あんた不器用なんだからそんなのできるわけないでしょ。」
私の心情を察知したかのように言う乱菊は呆れた表情をした。私はちみちみお酒を注いで口に運ぶ。
「ケジメつけたいんだ。報われない恋をいつまでも引きずってたって仕方ないしさ。」
遠い目をしながら言う私に乱菊が深く考え込む表情をすると、私の頭を突然ワシワシと豪快に撫でた。
「よし分かったわ!今日はトコトン飲むわよ!!!!!」
「えっ、あ、……う……うん!」
乱菊のさり気ない優しさが嬉しかった。
「えうぅ…気持ち悪い。」
詰め所のキッチンで、水をのみながら二日酔いの薬を口に入れる。
昨日は浴びるほど飲んで、どうやって帰ったのか覚えていなかった。日本酒一升瓶空けて、もう一升瓶の半分空けた所まで覚えていたのだが、そこからさっぱり記憶がないのだ。
「まあ…無事に帰れただけいいわ。えうぅ…吐きそう。」
手に持った水を飲み干して、ダルい表情をしつつ、私は自分の机に向かった。
「檜佐木副隊長、おはようございます!」
「おう!」
低い男らしい声が、後から聞こえると振り返って私も挨拶をする。
「おはようございます。檜佐木副隊長…えうぅっ」
「おう…おはよ…って、酒臭っ!!お前、酒の匂いすごいぞ!!」
すかさず鼻をつまむ檜佐木に苦笑いをする。
「いや、もう、すみません。松本副隊長にですね…」
そう言うと、彼は納得したように私の肩を叩く。
「断りきれずに飲まされたのか…哀れな…」
哀れむ表情をする檜佐木に再び苦笑い。
押しつけられて飲んだ訳でなく、翌日二日酔いになることを半ば承知の上でがぶ飲みしたとはいえ言えない、言いにくい雰囲気のまま、私は無言で笑顔を作る。
「大丈夫か…?なんか、凄い顔色悪いけど…」
「だ…大丈夫です。たぶん…」
ふらふら自分の席に着く。
「えうっ」
「全く大丈夫に見えないのは俺だけか?」
「大丈夫です。ちょっと吐きそうになるくらいですから、ほっときゃあ治ります。」
「おい…それヤバいだろ十分。ったく、しょうがねぇ、来い見細。」
「あっ…え…あ、はい。」
手を引かれて副隊長室に来ると、彼は部屋の窓を少し開けると、私に向き直った。
「そこに座れ。」
指されたソファに腰を落とす。
「横になれ。んで、寝ろ。水持ってきてやるから。」
「あ、はい。…え、いや、それはマズいです!」
「はぁ?何でだよ。遠慮しなくてもいいんだぜ。ここは俺の執務室だからな。」
きょとんとする檜佐木に私は被りをふる。が、副隊長に強引に寝かせられると、私はぼそりと呟いた。
「いや、…………………熱狂的ファンの報復が怖い。」
「…はぁ?」
「あ、イヤイヤ。三席の私が寝てて、副隊長だけ働かせるのは如何なものかと…」
「ぷっ…相変わらず変な所で真面目な奴だな。」
書類に目を通しながら言うと、副隊長は数秒の間の後、顔を上げて口を開いた。
「じゃあ、飯付き合ってくれよ。」
「…は…食事、ですか?」
「あぁ、最近帰りが遅くて殆ど午前様で夜マトモな飯食ってねぇんだ。今夜付き合ってくれよ。」
「はぁ…私でよければ…」
「あ…あーでも、お前二日酔いだから昨日の今日じゃキツい…よな…?」
ガシガシ頭をかきながら言う副隊長に、私は少しばかり笑みを浮かべる。
「じゃあ…私の部屋で食事はどうです?」
「は……………えっ、なっ!」
突然焦り出す副隊長に、私は少し首を傾げる。
「あ、十一番隊にいたとき、良くたまり場になっていたので、気にしなくていいですよ?」
「たまり場?」
「はい…一角とか、弓親とか乱菊…十番隊副隊長とか、良く私の部屋にきて呑んでたんですよ…」
「あぁ…なんだそう言うことか…」
「はぁ…他に何かあるんですか?」
頭の上にハテナマークをつけつつ問いかけると、檜佐木副隊長は首を横に振った。
「いや、なんでもない。お前が大丈夫なら、部屋で飯…いいか?」
「はい。大丈夫です。あまりこったもの作れませんけど。」
「無理言ったのは俺だし…そんなに気をつかわなくていい。…午前中は寝てろ無理するな。」
「はい…副隊長ありがとうございます…………。」
そう言うと、睡魔に襲われて私は目を閉じた。
「お…おぉ!」
隊務を終えて、簡単に買い物をすませると、私の自室へ向かった。彼に少し時間をもらい、机に料理を並べると副隊長は声をもらす。
「本当に料理できたんだな…びっくりだ」
「檜佐木副隊長…私が元十一番隊だからって何も出来ないと思ってました?」
目尻をひくつかせて言うと、彼は冗談だと笑った。
「食っていいか…?」
「どうぞ。口に合うといいのですが…」
言うなり、副隊長は机に並べられた料理を口に入れた。
「ん。旨いぜ。」
「そうですか?」
ほっと息をつくと、次々に料理をつつく副隊長に私は笑った。
「副隊長って得意なこと料理だって聞いたことあるから…内心ドキドキしてたんですよ。」
「ん…あぁ、そうだな。料理は好きだぜ。朝は自分で作るしな。」
「隊務で忙しいのに朝食まで作ってしまうなんて、流石です。」
「…そうでもねぇよ」
「副隊長…耳真っ赤。照れてるんですか?意外と可愛いですね。」
くすくす笑う。
「ばっ…男に可愛いなんて言うもんじゃねーよ。」
ふてくされた表情をする副隊長に笑うと、私は酒を彼のコップに注ぐ。
「サンキュー。お前は飲まないのか?」
「私…ですか?あは…呑んでも大丈夫ですかね?」
「おう、呑め。俺一人はつまらねぇよ。」
「はい。」
お言葉に甘えて、といって自分のコップに酒を注いで口にいれる。
「ん~!!美味しい!!」
そうして二人でお酒を呑み始めた。
「なぁ、見細。どうだ九番隊は?大変か?」
しばらくしてそんな事を聞いてくる檜佐木副隊長。
「大変ですけど楽しいですよ…最初は十一番隊と勝手が違って戸惑いましたけど今は大分なれました。」
「そうか…そう言ってもらえると嬉しいな。これからも宜しく頼むな。」
整った顔で、優しげに見つめられて私は返事をして頷くと同時にドキドキしてしまう。
「こ…こちらこそ。宜しくお願いします。あまり無理はしないでくださいね。大変だったら私にいってください。力になりますから。」
「サンキュ頼りにしてるぜ。ユア」
「あ…」
名前で呼ばれて彼を見つめる。
「あー…駄目か?」
「いえ。好きに呼んでください。信頼して頂いてるみたいで嬉しいです。十一番隊では、私の事名前で呼んでましたから。」
「そっか…じゃあユアで。あ、後…これからも…お前の部屋に飯食いにきてもいいか?」
「え…あ、はい。いつでもきてください。歓迎しますよ。」
嬉しそうに笑う檜佐木副隊長に私もつられて笑った。
「ユア、これ頼む。二番隊と三番隊な。納期は二週間後だ。」
「はい。今行ってきます。」
手につけていた書類を飛ばないように机に置いて副隊長から渡された物を届けに詰所をでていく。
「おう見細…書類か。」
二番隊に行くと、丁度詰所から出てきた大前田副隊長に返事をしながらそれを渡す。
「異動したばかりだから忙しそうだな…たまには前みたいに飯食いに来いよ。」
「はい。落ち着いたら、皆でお邪魔しますね。」
「おう!そうしろ。また旨い飯食わせてやるからな!」
「はい!…それでは書類お願いします!大前田副隊長!」
そう言ってそこから忙しなく走っていく。
「次は…三番隊の吉良くんね。」
独り言を言って、三番隊詰所に向かって、戸を叩くと中から隊士が出てくる。
「九番隊です。吉良副隊長は?」
隊士に微笑まれて、副隊長室へ案内される。
「中にいますのでどうぞ。」
去っていく隊士を数秒見つめ、ノックをする。返事を確認して名前を告げて中に入った。
「ユアさん。こんにちは。書類ですか?」
「うん。そう。重要書類だから、吉良くんにと思って…はい。」
「ありがとうございます。これ、納期はいつまでですか?」
「あ、えっと二週間後って言ってた。」
「あぁ…丁度入稿が忙しい時期ですね。分かりました。なるべく早く処理しておきます。」
「ありがとう吉良くん…恩に着る!じゃ私行くね。また、時間ある時に乱菊達と呑みに行こうね。」
そう言って私は詰所を後にした。
「只今戻りました…!」
息を切らして詰所に戻る。
戻ってきた事を報告するために副隊長室へ向かう。
「見細三席…あの…」
隊士が声をかける。
「あ…ごめん。ちょっと待って。檜佐木副隊長に戻ったことだけ報告してくる。」
「はい。」
ノックをして数秒。
反応がないので扉を開けた。
「…檜佐木副隊長?」
バタンと静かに戸を閉める。
書類の山に埋もれていて、彼の状態が分からなかったが、近づいてみるとどうやら寝ているようだ。連日の残業が原因なのだろう。全く起きる気配はない。
「…副隊長。」
再び声をかけてみるが反応がなく、私は仕方なく大きめの自分の膝掛けをもってくるとそっとそれをかけた。
「…しょうがない。副隊長が起きるまで頑張ろう。」
そう意気込み腕まくりをして、私は副隊長室を出ていった。
目を覚ますと、辺りは真っ暗で俺は慌てて飛び起きて執務室の灯りを付けた。
「うわ…マジかよ。ありえねえ…」
部屋時計を見れば、既に定時の時刻はとっくに過ぎていてそのまま出口に向かった。
「みんな悪ぃ!!!!…ってあれ?」
九番隊の隊舎には人はなく、灯りもなくガランとしていて、俺はそのまま棒立ちになりながら、辺りを見回した。
「…は?意味わからねぇ…なんでだれもいないんだ?」
定時刻を過ぎているとはいえ、この時間に人が居ないのは珍しい事ではないが、副隊長の自分が居ないのに何故己を残して退舎しているのかが不明だった。
「あ、檜佐木副隊長目が覚めました?」
「は?」
給湯室から出てきたのは、紛れもない三席のユアで、俺は目をパチクリさせながら頷くと、彼女はにこりと微笑んだ。
「なかなか起きないので、そろそろ起しに行こうと思ってたんですよ。」
「え…あ、あぁ…」
うまく状況が掴めず歯切れの悪い返事をする。
「ごめんなさい。連日残業に追われてるって言ってたから…起こさないでそのままにしてしまって…」
申し訳なさげな顔をすると、ユアは手にしていたお茶を俺に渡した。
「書類は、どうしたんだ?俺が寝てる間」
「あ、檜佐木副隊長が確認印をするものと重要書類以外の物は、私が目を通して処理しておきました。」
山盛りになっていて部屋の入り口から窓の外が見えなかったハズの部屋は書類が減ったためか、見晴らしが良くなっていた。
「お、おぉ。凄いなお前…」
「は、ははは…いや、だてに十一番隊にはいませんでしたから…。アソコは隊長、副隊長以前に三席、五席共に隊士のほとんどが書類処理をしないというか、使いものにならない…」
空笑いをして言うユアに、ぷっと吹き出して笑う。
「…檜佐木副隊長、今笑いました?酷いですね!もう!」
むーっとむくれるユアが可愛くて、俺は悪い悪いと言って彼女の頭を撫でた。
「副隊長、私子供じゃないです。」
「や、なんか可愛かったからさ…」
「副隊長っ!!!!もう!」
そういって二人で少しの間の後笑い出す。
「ユアー!いるー?」
ひょこっと顔を覗かせて話しかけてきたのは、乱菊だった。
「あれ?どうしたの?乱菊」
「どうしたじゃないわよ!最近付き合い凄く悪いんだから!たまには付き合いなさい!」
「あのね、松本副隊長…私今隊務中なんですが…」
呆れた顔で私はため息をつきながら答えた。
「いいじゃない。後は修兵にまかせとけば!あたしが優先よ!」
言うなり、私の首に自分の腕を巻きつけて強制連行していこうとする。
「…修兵。あんたも、仕事終わったらきてもいいわよ。いつもの所だから。んじゃあ~ね~」
「ちょっ…待ちなさいよ!乱菊!…ふっ副隊長ごめんなさ…ああん!引きずらないでー!」
嵐のように去っていく2人に、檜佐木はその場で暫く呆然としていた。
「で?あんたいつから修兵とラブラブするようになったわけ?」
いつもの酒屋で日本酒を飲みながら、乱菊はいった。
「…は?誰が誰と?」
「あんたが、修兵と。」
その言葉に首を傾げる。仲がいいと言えばいいと思うが、彼は自分の上司であって恋人ではないからだ。
「ラブラブはしてないよ?信頼関係はうまく出来上がってきてるけど。」
「へぇ…否定するんだ。珍しいわね。」
自分には未だに一角という想い人がいるし、彼には恐らくだけど彼女がいる気がする。
「いや、なんかさ…あの人あたしの部屋来たとき妙にソワソワしてたんだよね。たぶん彼女いるんじゃないの?」
檜佐木副隊長の噂は前から知っている。カッコ良くてモテるから、彼女には困らないって…
それに、気さくで優しい人だから女性にモテないわけがない事も一緒に隊務をこなしてきたから分かっている方だと想う。
「ちょ、ちょっと…あんた、まさか修兵を部屋に入れたんじゃないでしょうね!」
「…?いや、ご飯食べたいって言うから。」
「はぁ!?」
「はぁ!?って言われても…。隊務さぼらせくれたんだもの…家でご飯ご馳走しただけだよ?」
「だからって、男と二人きりでしかも部屋に上げるのはどうかと思うわよ!?」
「何いってるのよ。昔はよく一角や弓親と二人きりで飲んでたわよ?あ、後、阿散井君もそうか…」
ぐびっとお猪口にはいったお酒を口に入れると乱菊はため息をつく。
「一角はあんたの思い人でしょう。弓親はあの性格じゃあんたなんか眼中ないでしょ。」
「うーわ、酷いなぁもう…あたしだって一応女なんだからねっ」
「だから、相手をよく見て部屋に上げなさいよ。修兵なのよ?いいの?!」
少しばかりイライラしながら言う乱菊に、私は苦笑い。
「あたしはもう、乱菊に心配されるほど危なっかしくないよ。少しは信じてくれてもいいんじゃない?」
「あのねぇ…あんたもいい加減女として隙があることに気付きなさいっ」
「男からみれば、その方がいいんじゃないの?それ。」
間髪ツッコミを入れる私に、乱菊はうっとうなり声をあげる。
「と、とにかく修兵はやめなさいよ!いい?」
「いくら、私でも副隊長と恋愛する度胸ないわ。それはないとおもうよ?上司として、人しては尊敬してるけどね。」
彼は尊敬してる。でも、それ以上になる訳ないしなるつもりもない。
「一角の事もさ…諦めるつもりなんだ。これ以上気づいて貰えない恋はつらいしさ。」
この言葉は自分に対するケジメ。私は恋はもう暫くするつもりもしたいとも思わない。
「楽しく生活する。それでいいよ。」
「ユア…」
「ユア。」
「えっ、はい?」
背後から聞こえた自分を呼ぶ声に振り向く。そこには副隊長がいて、私はマズいという顔をした。
「あ、副隊長…お、お疲れ様でした。来てくれ…た…!!」
一瞬のことで思考を訳が分からなかった。とにかく私は彼に抱かれるように立っていて、目の前に彼のはだけた肌が見えた。
「乱菊さん、すみません。コイツ借りてもいいですか?」
「え?…えっ?」
「ここの支払いあんたが払うなら良いわよ?」
「…ちょ、…何言って…乱菊?」
―ジャラ
お金の音がしたのと同時に、すかさず出た言葉に思わず近づいてツッコミを入れようとしたのに私は彼に抱きかかえられてしまう。
「…いくぞ…」
「はぁ?何?なんなの?なにー?!」
叫び声が小さくなっていく私達を見送ると、乱菊は苦笑いしたまま日本酒をお猪口に注ぐ。
「まったく…不器用ねぇ。あの2人…」
ポツリと呟いて、酒を一気に流し込んだ。
十一番隊にいた頃から、彼女のことは知っていた。いつも、乱菊さんや斑目達と飲んでいて、楽しげに笑っていたのが印象的だった。
感情を全面に押し出す笑顔を遠目に見ていた。見かけると、その笑みに釘付けになる自分が居た。
先の騒動で隊長の裏切りが原因で人手がなく他隊から引き抜きの話が出たとき、迷わず彼女を推薦した。あの笑顔が近くで俺に向けられるなら、この際職権乱用しても構わないと思ったから。
俺は彼女が好きだ―
彼女の笑顔が見たい。
彼女の声が聞きたい。
彼女に触れたい。
彼女をこの腕に抱きたい。
ユア…
「檜佐木副隊長、あのですね、いい加減おろしてくれませんか?」
三席にもなって…この歳にもなってお姫様抱っことか本気で有り得ないのだが…
恥ずかしくて彼の胸元に顔を埋めたまま、なんとか懇願するしかなくて私は副隊長の胸をトントンと叩くばかりでされるがままになっていた。
「話、聞いちまったんだ。」
立ち止まってポツリと呟く言葉に、私は顔を上げた。
「斑目のこと…俺とも、その…ないって。」
「それ…は、その…」
傷つくのは嫌だ。私は長い間あの人だけ目で追って、あの人だけ見てきたのだ。たとえ、別の人を好きになったって…
「俺じゃ、駄目か?」
ポツリと降ってくる言葉に私は眉間に皺を寄せる。
「俺じゃ、お前の枷にもならないか?」
副隊長の言葉に揺れる。だって、反則じゃないか…。そんな目で私に聞いてくるなんてズルいしどうかしてる。
「ユア…ずっと、お前の傍にいるから………」
「…っ…」
何か、デジャヴを感じた。
『お前の傍にいるから…だからよ、安心して頼れよ!絶対幸せにしてやるから』
いつだったかある男に言われた。必要としてくれることが嬉しくて頑張って尽くした。…尽くした筈だった。
「…せ…どうせ、自分には不釣り合いだとか言うくせに…」
「ユア…?」
男として好きになり掛けていたのかはわからない。けれど、私には彼の言葉に少なからず傷ついたのは事実で…
「1人で生きていける。自分には不釣り合いだ。…君は、強いから…自分が居なくても…平気だって…言うくせに…」
それからも、やっぱり一角を忘れられず違う恋を探す度に、いつもそう言われてきた。
いつだって私は…
「想って欲しいだけなのに…」
何でもない振りしていつも、男に振られては傷ついて…
「期待させるような事言って、私を置いていく癖に…」
勝手なのも知ってる。振られる理由も分かってる。だって私は一角が忘れられない。
「でも、忘れさせて欲しかった。あの人以外の人を一度でも本気で想って……でも、ホントに最低で最悪なのは私。気持ちを利用して、1人で満足しては状況に酔ってる。」
だから―
「こんな最低な女、やめた方がいいですよ。副隊長…」
「…最低なんかじゃねぇさ。いつだってお前は他人に気を使って…。使いすぎて生きてるじゃねーか」
「三席として当然です。私は、貴方の補佐だから。」
「違う。そうじゃねぇ、そうじゃねぇよ。」
突然抱えられたまま力強い腕に抱かれる。
「俺は他人を思えるお前も、自分を厳しく評価する少し不器用なお前も好きなんだ。」
副隊長の匂いを感じながら、抱きしめられて言われる言葉に目を見開く。
「だから、頼む。俺の気持ちに応えなくてもいいから、俺が好きになったお前を否定しないでくれ。最低なんて言うなよ。」
「檜佐木、副隊長…」
「弱くてもいい、強がってもいい。お前の重荷やトラウマが少しでも軽くなるなら、俺に分けてくれ。力になる…いいや、寄りどころにはなるだろ?」
最高の口説き文句。
最高の落とし方。
素直になれない私の手をさり気なく取る貴方を拒否出来ない。
「じゃあ、俺行くわ。」
「あ、はい…ありがとうござい、ました。」
部屋の前まで送って貰い、檜佐木副隊長はそのまま自室に向かい歩き出す。私はその背中をただ、ただ見つめていた。
部屋に戻って部屋着に着替えようと死覇装を脱ぐ。
「…檜佐木………副隊長の……匂いがする。」
完全に落とされた。でも、だからといってすぐなびくわけにはいかない。こんな時までも警戒心が強くて嫌になる。
―ダメ、頼ったりしちゃだめ。
辛くなるのは自分で、苦しくなるのは自分なのだ。期待して、最後に後悔するのだけはもう味うことはしたくない。
「ホント…ずるい女…」
翌日、私は平静を装いながらも隊務に専念した。副隊長とは一定の距離を保ちながら、事務的な会話しかしなった。
甘えて彼にすがることはしたくはなかった。弱い自分をひけらかしてしまうようで…
私は強く、冷静であり一人でも立っていられる存在であった筈だ。
たとえ、愛しいと感じた人にそのキーワードを口にされたくなかったとしても、死神である以上はそうあれと願った。それは、変わらない事実であり、自分のプライドであった。
「矛盾女…」
我侭であり、勝手でありずるい女。
それでいいのだ。決して他人に弱い部分を見せてはいけない。そう、いけないのだ。『恋』に臆病になった私が導き出した答えだった。
「見細三席。この書類の資料、十一番隊の書庫でないとないそうなのですが…その…」
新人の部下が言うと、私は彼の緊張した表情に思わず笑ってしまう。
「あはは…いいよ、緊張しなくても。十一番対には私が行くから、この書類三番隊の吉良副隊長へお願いしていい?」
「ですが、その…上位席官の方に行っていただくというのは…」
「んー、まぁあそこは元は古巣だし。たまには隊長の顔も見たいしね。大丈夫よ。今日はそんなに隊務は残ってないし、休憩がてら行ってくるわよ。ほら、この書類頼んだ!」
バシっと背中を叩くと、新人君は渋々隊舎を出て行った。
「こんにちはー」
十一番隊の隊舎にひょっこりと顔を出して声を掛ける。声と同時に、相変わらずガラの悪い連中がこちらをキッ!と睨みつけた。
「お、おぉ。相変わらずバカみたいに眉間に皺寄せて書類整理してるわね。」
「見細四席~~~~~~!!!!!」
「は?あたしもう四席じゃな…ぶっ!!」
言いかけて、数人振ってくる。
「ちょっとぉーー!あんたらに押し倒されても嬉しくないんだからどきなさいよ!バカ!何?なんなのよ!!」
すでに涙目で書類持ったままそこに転がる元同僚。
「あぁ~…書類溜めて、ギリギリ提出しないといけない書類が山ほどあるわけね。」
無言でうなづく奴等に、私はため息を着く。
「見細四席がいなくなってから、しわ寄せが全部俺らに来てるんですよ!見細四席!助けてください!戻って来て下さいよ!」
「いや、無理だから。それにあたしは今四席じゃなくて三席だから。十一番隊での呼び方そのまま継続させるのやめてくれる?てーか、他隊から来た新しい四席はどうしたのよ。書類整理は新席官と一緒にやればいいでしょーよ。」
「な、何言ってんですかっ!新しい四席なんて斑目三席にべったりで書類整理すらしませんよっ!!」
「はぁ?」
「今だって、道場に綾瀬川五席と3人で稽古とかいって…」
「あ、いや…でもね、こればっかりはあたしが言えることじゃなくてね?んー…とにかく頑張れ!」
さめざめ泣く元同僚に、少しばかり同情しつつ私はそのまま隊長の執務室へ向かう。
―絶対いないと思うけどね。
声を掛けてノックをすると、珍しく声が返ってくる。びっくりしながら扉を開けた。
「おう、どうした。お前が来るなんてよ。忙しくねぇのか?」
「こんにちは!執務ある程度かたしちゃったので時間あるんですよ。それにしても、珍しいですね。執務室いるなんて。」
「あぁ?なんか今日提出の書類がたまっててよ。他隊から苦情きて仕方なしだ…」
相変わらずかなり適当に判を押す隊長の姿に、苦笑いしながら私は続けて声を掛ける。
「適当に押して読んでませんね。大丈夫なんですか?」
「あー、めんどくせぇし。知らなきゃ知らなかったでどうにでもなる。火急の知らせなら伝達が直接来るからな。」
「あはっ…相変わらずですね。」
とりあえず、座れと言われてソファーに腰掛ける。久しぶりの隊長の執務室は、なんだか新鮮に感じられた。
「お前がいなくなって、どうもまだ慣れなくてな…書類担当をバラバラにバラけさせた。今の四席はお前ほどの処理能力がなくて困る。」
「あはは…私はこの隊で書類係でしたからね。そりゃ、新しく来た人と比べれば違いはでてきますよ。」
「九番隊での評判は聞いてる。随分と活躍してるみてぇだな。」
休憩とばかり、一息つくと私は執務室の端にある茶器でお茶を入れて隊長に手渡した。
「あまり、役にはたってない気もするんですけどねぇ…それなりに楽しんではいますよ。」
「ほぅ…九番隊へ異隊命令でたときはあれだけ泣いて嫌がった奴がなぁ…」
「隊長。それあまり言わないでくださいってばっ!年甲斐もなく泣き顔見せてすごく恥ずかしいんですよ。今思い返すと…」
もごもごと口ごもる私に、隊長は鼻で笑った。
「あの時は、本当に驚いたがな…。俺や一角との仕合いにも涙一つ流さない奴がってな…。まぁだが、正直九番隊にやるには惜しかったし今でも悔いてるが昇進もしたことだしいいことじゃねぇのか?楽しくやってるならそれでいい。」
「はい。その節は本当に感謝してます。実力は十一番隊で付けて頂きましたから…。四番隊士だった時期が懐かしいです。今では、女性隊士として十一番隊にいた事を誇りに思っています。」
更木隊にいたことは誇りであり、自分のすべてだった。四番隊でそれなりに隊務をこなしていた自分にとって十一番隊は怖くて未知の場所だった。それでも、諦めずに前に進んでいったこと…ここにいたことは大きな糧となった。怖い、恐ろしいと言われていた隊長だけれど、やちる副隊長と共に自分はよくしてもらっていたほうだと思う。だからこそ、他隊へ声もかかったし、三席と出世をしたのだと思う。
「さてと、また来ます。隊長。あまり長居しちゃ悪いし…また、一緒にお茶のみましょうね!それじゃ!」
少しのつもりが、長居してしまったと反省しつつ見送ってくれた更木隊長に感謝しつつ私は執務室から出て行った。
「えー、だからぁ~斑目三席聞いてますかぁ~??」
「あーもう、ウゼェなお前は。仕事しろよ!仕事!早くやらねぇとおわらねぇだろ!」
視線の先に、一角と知らない女性が話していた。
「ん、何だユアじゃないか。どうしたんだい?十一番隊に何か用事でもあったのかい?」
弓親がとっさに気がついて声を掛けてくれる。私はそれに苦笑いしながら
「あー、うん。資料が必要でさ…寄らせてもらったんだけど…」
「そうなのかい?どの資料?僕も探そうか?」
「えっ?」
「おい、弓親!お前逃げるんじゃねぇよ!手伝え!そんで、お前は引っ付くな!!!!」
「えー?」
うざったそうに、近くにいる女性隊士を引き剥がそうとする一角を見て私はなんだか、やるせない気持ちで一杯になった。
―そっか、やっぱり女性は守られなきゃいけないのか…
うざったいと言いながら、こんな表情をする一角を知らなかった。ずっと傍にいたはずなのに…
「ごめん、弓親…。資料また今度に、する…」
「え?ユア!?」
足早に十一番隊の隊舎から出て行く。
私の知らない一角がいる。
私の知らない一角が話している。
私の知らない一角…
…どこまで、捕われたままなんだ私は…
悔しい
悔しい
悔しいっ
私が何十年もかけて培ってきたものを、私以外の誰かが安易に越えていくのが悔しい。
十一番隊から出てすぐの空き部屋に入る。
埃っぽい部屋だが、そんなの今の私には関係なかった。
「あんなの…あんなの酷い…。」
女を利用したくなかった自分の負けなのは十分承知している。それを利用してしまったら、私は一角の背中を守ることが出来なくなるからだ。常に肩を並べていくことが自分の望みだった。それなのに…
それでも、私は気がついてもらいたかった。悟って欲しかった。我侭なのはわかっている。彼にとって私自身をそういう対象に見ない限りは望みがないことも分かっているのに…
「それでも、悔しい…。それでも…」
どこかで期待している自分がいた。
それが間違いだったことも知りながら…
「くっ…うっ…」
「ユア…?」
「っ…」
突然の声に反応して、急いで涙を拭いた。
こんな姿見られたくなかった。
「弓親…どうしたの?こんなところでっ」
「あぁ、うん。ユアが泣いていると思って…」
「何を言って…」
「目が腫れている原因は一角だろ?」
「…っ…」
すかさず、そっぽを向く私に弓親はフッと少しばかり笑うとそのまま私を抱きしめた。
「ユアは泣くと中々泣き止まないから、僕がいないと泣き顔隠せないだろ?」
「泣いてなんか…っ」
「泣いていいよ。辛いんだろ…今の君には必要だろ?」
「…ぅ…っ…」
頭を撫でられて、私はそのまま涙を流す。静かに…静かに泣いた。
「……チッ…」
空き部屋の前で悪態をつく男が一人。
斑目一角。
「弓親の野郎…」
昔から、事あるごとに自分より先に行動する。それが気に入らなかった。ユアを思えば思うほど、その行動が癪に障った。
―俺だって…。
粗雑で喧嘩っ早い自分には、彼女に優しい言葉をかけたり、気にかけたりなど恥ずかしくてできるはずもなかった。それでも、数十年前から感じる視線に気がつかないほど自分は鈍感ではない。好きな相手に告白するような恥ずかしいことも出来やしない。その結果、彼女は異隊という形で自分の元から去っていったのだ。新しい部下も、それなりに可愛いが、どうしても自分はユアを重ねていた。
「…くそっ」
自分のせいで、彼女が泣いていることも知っている。それでも、近くに行くことをためらう。弓親がいつも傍にいた。自分はいつもそれを黙ってみているだけだったからだ。
「…。」
扉越しに聞こえるすすり泣く声に、胸が締め付けられる。それもこれも自分のせいなのに、今この扉を開けていくことが出来ない。
再び、舌打ちをすると遠くから声が聞こえた。
「あぁ~~!斑目三席~!みつけたぁ!なにしてるんですかぁ!」
「バッ…」
瞬間、慌ててそいつに近づいて口を押さえる。
「ん!んん!!!」
「バカっ突然呼ぶんじゃねぇよ!ユアに気がつかれちまうだろ!?」
「んっ!?」
「…!?あー!くそ!とにかくお前あっちに…」
思わず滑らせた名前に、自己嫌悪する。あの場所にいたことも、恐らく彼女たちにも気が付かれただろう。それがどうしょうもなく恥ずかしかった。
「…!」」
騒いでいると、後ろから声がした。多分、檜佐木だろう。揺れた霊圧のまま俺に話しかけてきた。
「ユアがどうかしたのか?」
「あ?お前にゃ関係ないだろうが…」
「関係ある。ユアがお前ら十一番隊の処に行ったきり、中々戻らなくて探していたところだったからな。」
「あぁ、そうかよ。俺は見てないぜ。」
暴れる四席を口を押さえたまま抱き寄せていった。
「見てないのに、ユアに見つかるとか言うやつがいるのか?」
「うるせぇな。お前には関係ない。」
「関係なくないと言った筈だ。」
「意味わからねぇ、どう関係ないって言うんだよ。あいつと、お前は上官と部下ってだけで特に深い関係でもねぇだろ。」
悪態をつく俺に、檜佐木は短くため息をつく。
「愚問だろ。あいつを三席に推薦したのは俺なんだ。油断してる隙に他の男に持ってかれたらたまらない。」
「は?な、何言って…」
「まさか、知らなかったのか?」
他隊への引き抜きなんて、護廷十三隊じゃ日常茶飯事。それでも、荒くれ者集団の人間を引き抜くことなんて稀だったはずだった。
「むしろお前は、あいつの事なんとも思ってないだろ。お前こそ関係ないはずだ。口を出してこないでくれるか…」
「テメェ!!!!!!!!!!!」
「檜佐木副隊長!!!!!!!!…あっ!!!!」
―ガッ!!!!
―ドサ!
「きゃあああああああ!!!」
胸倉をつかんで殴ろうとした刹那、瞬歩で割って入ってきたユアの顔に俺の拳が彼女の顔にめり込んだ。抱きかかえられていたはずの四席はあまりのことにびっくりして叫び声をあげる。
「ユアっ!!おい!ユア!!」
駆け寄って、檜佐木に抱き起こされた彼女の頬は真っ赤になっていて唇からは血がでていた。
「副、隊長…無事、ですか…」
衝撃で、床に頭を打った彼女は少し途切れ途切れにそういった。
「一角…ダメでしょ?喧嘩、しちゃ…」
いつもの透る声で、痛々しそうに言われて棒立ちになって自分以外の別の男に抱えられて横たわる彼女にとてつもなく嫉妬した。
「…んでだ…。」
「一角…?」
「どうして、お前…そいつを庇ったんだ。」
弓親に先を越され続け、肩を並べる存在だったはずの彼女を檜佐木に奪われ、ユアが檜佐木を庇った。挙句の果てに俺は俺自身の拳を決して向けてはいけない人間に向けてしまった。
「ふざけろよ。お前…訳がわからねぇ!!」
吐き捨てるように、その場から瞬歩で消えた。この空間にいたくはなかったからだ。
「一角っ!待って!!一角っ!!!」
かすかに聞こえた、あいつの静止の言葉にも耳を貸さず俺はその場から逃げた。
最初から分かっていたことだった。
彼を振り向かすことも出来ない。
私を女としてみてくれる事もない。
でも、一度でも願ったら願わずにはいられなかった。
たとえそれが、叶わぬものだったとしても私は願わずにはいられなかった。
ごめん。
ごめんね。
一角…
「馬鹿野郎!どうして俺を庇ったりなんかしたんだよっ!顔が腫れちまったじゃねーか!」
副隊長に抱えられて、急いで四番隊へ向かうと、手当てを受けながら私は説教を受けていた。
「すみません…とっさに動いてしまって…」
自分でも、どうして一角を止めるでもなく副隊長を庇ったのかは分からなかった。
多分、本当に瞬間的に行動したまでだと思う。一角に大事に抱かれていた四席が羨ましく思ったのか、それとも、檜佐木副隊長を本気で庇おうと思ったのか…でも多分…
「悔しかった気持ちのほうが大きかった…」
女として触れてもらうことが羨ましかった。一度だって彼は、あんなふうに私に触れることはなかったから…
「副隊長、ありがとうございます。」
手当てを終えて、二人きりの病室で私は力なく笑顔をつくる。
「振り切れる、勇気が出そうです。私…」
あの現状を見れば、答えはでてしまっていたし自分には望みなんて一ミリもないことも悟ってしまった。だからこそ、振り切る勇気を持つことは大切だと思った。
「最近私は。副隊長に助けられてばかりですね…」
苦笑いして言う私に、檜佐木服隊長は苦虫を噛み潰したような顔で私を見下ろしていた。
「副隊長?」
「俺は…何もしてねぇよ…」
「え…?」
ぼそりと言う、バツの悪そうな顔をする。
「お前が、斑目の事を吹っ切ろうとしたのも、お前がここにいるのも…。やり方が強引だっただけで全部お前の意志で決めて、行った結果だろ。俺はたまたま、そこに居合わせただけで何もしちゃいない。」
突然椅子に腰掛けた副隊長に手を握られて、私はどきりとする。
「でもさ、結果がどうあれ…お前が俺を庇ってくれたこと…それはほんとに嬉しかったし、益々お前を好きになった…」
「…っ…」
照れたような、優しげな笑みでそう言う副隊長。
「わ、私は…誰も…好きになんかっ…」
―それでも分かる
揺れているのだ。
真剣に自分のことを考えてくれる彼に…
「いいさ、ゆっくり考えてくれよ。焦らないから…」
「…ぅ…」
赤面しているであろう自分の顔がゆでだこの様になっていると思う。
それでも、優しくまっすぐに自分を見つめてくる副隊長から視線をはずせない。
「でも、執務中に素っ気無い態度取るのはなしな…あれ、結構くる…精神的に…」
絡めてくる指。
ゴツゴツしているけど大きくて、こんな風に触れてもらったことのない私にとって、彼はもったいないんじゃないかと思ってしまう。
「善処…します…」
それしかいえなくて、私はしばらく彼のされるがままになっていた。でも、一つだけやらなくちゃいけないことがある。
不安の要素といえば一角で…
あんな一角、見たことなくて…
会わなくちゃと…
して欲しい事も沢山ある。
けれど、我が儘を通すより、貴方はそばにいる方がいいのでしょ?
煩わしい女は嫌いだものね。
「乱菊…あたしまた振られた!!」
「はぁ?なぁに?あんた、あいつ意外に好きな男いたの?」
―ゴン!
痛いとこをつかれて、居酒屋のテーブルに勢いよく頭を叩きつけると、額から煙がでる。
「ちょ…ユア平気?」
「ら゛~ぁ~ん~ぎ~ぐ~!!!!」
苦笑いする乱菊を、鼻血と鼻水出しながら顔を上げる。
「振られる以前に、あんたそれ女として終わってるわ。」
「らん~ぎ~ぐ~!!!!」
そんな彼女の言葉などお構いなく、私は彼女の服をわしずかみにしてゆさゆさ揺らした。
「はいはい何なのよ。で、なんて振られたの?」
備え付けのティッシュを強引に顔に押しつけられて、鼻をかみながら話だした。
「僕は君とは釣り合わないって!意味わかんないと思わない!?なにその言い訳!釣り合わないって何基準にいってるのよ!!!釣り合う釣り合わないはあたしが決めることで、あんたが決める事じゃないっての!!!」
悪態をつきながら、鼻に詰め物をする。
酔ってるので恥ずかしげもなくできる自分は我ながらにすごいと思う。
「本当にあんた女捨ててるわ。」
乱菊のそれは今に始まった発言じゃない。飲みに行くと決まっていうセリフなのだ。
「っさいな。鼻血出てるんだからしょうがないでしょ。」
思いの外でっかく丸めたティッシュがなかなか入らず悪戦苦闘中。
「小さくしなさいよ。鼻にそんなデッカいの入るわけないでしょ。」
そう言って女性特有の綺麗な手でクルクル巻いてくれる。彼女の仕草は、豪快だがいつも女らしくて羨ましいと思う。自分にはない物を、同期の彼女は持っていて私はいつも憧れていた。
「ほら。これ入れなさい。」
「うぃ」
姉御で頼りがいがある乱菊が、私に短く作ったティッシュを渡してくれた。
「んで?あんたいつの間に一角以外の男を好きになったわけ?」
グリグリ鼻にそれを入れながら、私は苦笑い。
「いや、うん。なんかね…」
言葉を濁して言うと乱菊はため息を吐いた。
「…疲れたの?」
すかさず出た言葉に再び苦笑い。
「エヘヘ…なんかね、そろそろ潮時かなーなんて思ってさ。アイツ以外でも好きになれる人いるかなーみたいな…アハハ」
九番隊で三席の位置にいる私は、元は十一番隊の四席だった。
更木隊で草鹿副隊長に次いで、女隊士で上位席官ということで隊内では評価されていたと思う。
一角と知り合ったのは、もうずいぶん昔の話だ。付き合いが長すぎて覚えていない。最初は良きライバルだったあの人を、私はいつの間にか好きになっていたのだ。
けれど、先の三人の隊長の裏切りにより、私は書類や事務事の能力を買われ檜佐木副隊長のいる九番隊へ異動が決まった。最初はとても嫌だったけれど、彼は真面目だが、気さくでイイ人だったのですぐに馴れた。が、同時に十一番隊での日々が懐かしくもあった。一角、隊長や弓親達とバカばかりやっていたあの頃。いつもそばにいたあの人を見ることが出来ない事に寂しさを感じていたのだ。
「あのねぇ…あんた不器用なんだからそんなのできるわけないでしょ。」
私の心情を察知したかのように言う乱菊は呆れた表情をした。私はちみちみお酒を注いで口に運ぶ。
「ケジメつけたいんだ。報われない恋をいつまでも引きずってたって仕方ないしさ。」
遠い目をしながら言う私に乱菊が深く考え込む表情をすると、私の頭を突然ワシワシと豪快に撫でた。
「よし分かったわ!今日はトコトン飲むわよ!!!!!」
「えっ、あ、……う……うん!」
乱菊のさり気ない優しさが嬉しかった。
「えうぅ…気持ち悪い。」
詰め所のキッチンで、水をのみながら二日酔いの薬を口に入れる。
昨日は浴びるほど飲んで、どうやって帰ったのか覚えていなかった。日本酒一升瓶空けて、もう一升瓶の半分空けた所まで覚えていたのだが、そこからさっぱり記憶がないのだ。
「まあ…無事に帰れただけいいわ。えうぅ…吐きそう。」
手に持った水を飲み干して、ダルい表情をしつつ、私は自分の机に向かった。
「檜佐木副隊長、おはようございます!」
「おう!」
低い男らしい声が、後から聞こえると振り返って私も挨拶をする。
「おはようございます。檜佐木副隊長…えうぅっ」
「おう…おはよ…って、酒臭っ!!お前、酒の匂いすごいぞ!!」
すかさず鼻をつまむ檜佐木に苦笑いをする。
「いや、もう、すみません。松本副隊長にですね…」
そう言うと、彼は納得したように私の肩を叩く。
「断りきれずに飲まされたのか…哀れな…」
哀れむ表情をする檜佐木に再び苦笑い。
押しつけられて飲んだ訳でなく、翌日二日酔いになることを半ば承知の上でがぶ飲みしたとはいえ言えない、言いにくい雰囲気のまま、私は無言で笑顔を作る。
「大丈夫か…?なんか、凄い顔色悪いけど…」
「だ…大丈夫です。たぶん…」
ふらふら自分の席に着く。
「えうっ」
「全く大丈夫に見えないのは俺だけか?」
「大丈夫です。ちょっと吐きそうになるくらいですから、ほっときゃあ治ります。」
「おい…それヤバいだろ十分。ったく、しょうがねぇ、来い見細。」
「あっ…え…あ、はい。」
手を引かれて副隊長室に来ると、彼は部屋の窓を少し開けると、私に向き直った。
「そこに座れ。」
指されたソファに腰を落とす。
「横になれ。んで、寝ろ。水持ってきてやるから。」
「あ、はい。…え、いや、それはマズいです!」
「はぁ?何でだよ。遠慮しなくてもいいんだぜ。ここは俺の執務室だからな。」
きょとんとする檜佐木に私は被りをふる。が、副隊長に強引に寝かせられると、私はぼそりと呟いた。
「いや、…………………熱狂的ファンの報復が怖い。」
「…はぁ?」
「あ、イヤイヤ。三席の私が寝てて、副隊長だけ働かせるのは如何なものかと…」
「ぷっ…相変わらず変な所で真面目な奴だな。」
書類に目を通しながら言うと、副隊長は数秒の間の後、顔を上げて口を開いた。
「じゃあ、飯付き合ってくれよ。」
「…は…食事、ですか?」
「あぁ、最近帰りが遅くて殆ど午前様で夜マトモな飯食ってねぇんだ。今夜付き合ってくれよ。」
「はぁ…私でよければ…」
「あ…あーでも、お前二日酔いだから昨日の今日じゃキツい…よな…?」
ガシガシ頭をかきながら言う副隊長に、私は少しばかり笑みを浮かべる。
「じゃあ…私の部屋で食事はどうです?」
「は……………えっ、なっ!」
突然焦り出す副隊長に、私は少し首を傾げる。
「あ、十一番隊にいたとき、良くたまり場になっていたので、気にしなくていいですよ?」
「たまり場?」
「はい…一角とか、弓親とか乱菊…十番隊副隊長とか、良く私の部屋にきて呑んでたんですよ…」
「あぁ…なんだそう言うことか…」
「はぁ…他に何かあるんですか?」
頭の上にハテナマークをつけつつ問いかけると、檜佐木副隊長は首を横に振った。
「いや、なんでもない。お前が大丈夫なら、部屋で飯…いいか?」
「はい。大丈夫です。あまりこったもの作れませんけど。」
「無理言ったのは俺だし…そんなに気をつかわなくていい。…午前中は寝てろ無理するな。」
「はい…副隊長ありがとうございます…………。」
そう言うと、睡魔に襲われて私は目を閉じた。
「お…おぉ!」
隊務を終えて、簡単に買い物をすませると、私の自室へ向かった。彼に少し時間をもらい、机に料理を並べると副隊長は声をもらす。
「本当に料理できたんだな…びっくりだ」
「檜佐木副隊長…私が元十一番隊だからって何も出来ないと思ってました?」
目尻をひくつかせて言うと、彼は冗談だと笑った。
「食っていいか…?」
「どうぞ。口に合うといいのですが…」
言うなり、副隊長は机に並べられた料理を口に入れた。
「ん。旨いぜ。」
「そうですか?」
ほっと息をつくと、次々に料理をつつく副隊長に私は笑った。
「副隊長って得意なこと料理だって聞いたことあるから…内心ドキドキしてたんですよ。」
「ん…あぁ、そうだな。料理は好きだぜ。朝は自分で作るしな。」
「隊務で忙しいのに朝食まで作ってしまうなんて、流石です。」
「…そうでもねぇよ」
「副隊長…耳真っ赤。照れてるんですか?意外と可愛いですね。」
くすくす笑う。
「ばっ…男に可愛いなんて言うもんじゃねーよ。」
ふてくされた表情をする副隊長に笑うと、私は酒を彼のコップに注ぐ。
「サンキュー。お前は飲まないのか?」
「私…ですか?あは…呑んでも大丈夫ですかね?」
「おう、呑め。俺一人はつまらねぇよ。」
「はい。」
お言葉に甘えて、といって自分のコップに酒を注いで口にいれる。
「ん~!!美味しい!!」
そうして二人でお酒を呑み始めた。
「なぁ、見細。どうだ九番隊は?大変か?」
しばらくしてそんな事を聞いてくる檜佐木副隊長。
「大変ですけど楽しいですよ…最初は十一番隊と勝手が違って戸惑いましたけど今は大分なれました。」
「そうか…そう言ってもらえると嬉しいな。これからも宜しく頼むな。」
整った顔で、優しげに見つめられて私は返事をして頷くと同時にドキドキしてしまう。
「こ…こちらこそ。宜しくお願いします。あまり無理はしないでくださいね。大変だったら私にいってください。力になりますから。」
「サンキュ頼りにしてるぜ。ユア」
「あ…」
名前で呼ばれて彼を見つめる。
「あー…駄目か?」
「いえ。好きに呼んでください。信頼して頂いてるみたいで嬉しいです。十一番隊では、私の事名前で呼んでましたから。」
「そっか…じゃあユアで。あ、後…これからも…お前の部屋に飯食いにきてもいいか?」
「え…あ、はい。いつでもきてください。歓迎しますよ。」
嬉しそうに笑う檜佐木副隊長に私もつられて笑った。
「ユア、これ頼む。二番隊と三番隊な。納期は二週間後だ。」
「はい。今行ってきます。」
手につけていた書類を飛ばないように机に置いて副隊長から渡された物を届けに詰所をでていく。
「おう見細…書類か。」
二番隊に行くと、丁度詰所から出てきた大前田副隊長に返事をしながらそれを渡す。
「異動したばかりだから忙しそうだな…たまには前みたいに飯食いに来いよ。」
「はい。落ち着いたら、皆でお邪魔しますね。」
「おう!そうしろ。また旨い飯食わせてやるからな!」
「はい!…それでは書類お願いします!大前田副隊長!」
そう言ってそこから忙しなく走っていく。
「次は…三番隊の吉良くんね。」
独り言を言って、三番隊詰所に向かって、戸を叩くと中から隊士が出てくる。
「九番隊です。吉良副隊長は?」
隊士に微笑まれて、副隊長室へ案内される。
「中にいますのでどうぞ。」
去っていく隊士を数秒見つめ、ノックをする。返事を確認して名前を告げて中に入った。
「ユアさん。こんにちは。書類ですか?」
「うん。そう。重要書類だから、吉良くんにと思って…はい。」
「ありがとうございます。これ、納期はいつまでですか?」
「あ、えっと二週間後って言ってた。」
「あぁ…丁度入稿が忙しい時期ですね。分かりました。なるべく早く処理しておきます。」
「ありがとう吉良くん…恩に着る!じゃ私行くね。また、時間ある時に乱菊達と呑みに行こうね。」
そう言って私は詰所を後にした。
「只今戻りました…!」
息を切らして詰所に戻る。
戻ってきた事を報告するために副隊長室へ向かう。
「見細三席…あの…」
隊士が声をかける。
「あ…ごめん。ちょっと待って。檜佐木副隊長に戻ったことだけ報告してくる。」
「はい。」
ノックをして数秒。
反応がないので扉を開けた。
「…檜佐木副隊長?」
バタンと静かに戸を閉める。
書類の山に埋もれていて、彼の状態が分からなかったが、近づいてみるとどうやら寝ているようだ。連日の残業が原因なのだろう。全く起きる気配はない。
「…副隊長。」
再び声をかけてみるが反応がなく、私は仕方なく大きめの自分の膝掛けをもってくるとそっとそれをかけた。
「…しょうがない。副隊長が起きるまで頑張ろう。」
そう意気込み腕まくりをして、私は副隊長室を出ていった。
目を覚ますと、辺りは真っ暗で俺は慌てて飛び起きて執務室の灯りを付けた。
「うわ…マジかよ。ありえねえ…」
部屋時計を見れば、既に定時の時刻はとっくに過ぎていてそのまま出口に向かった。
「みんな悪ぃ!!!!…ってあれ?」
九番隊の隊舎には人はなく、灯りもなくガランとしていて、俺はそのまま棒立ちになりながら、辺りを見回した。
「…は?意味わからねぇ…なんでだれもいないんだ?」
定時刻を過ぎているとはいえ、この時間に人が居ないのは珍しい事ではないが、副隊長の自分が居ないのに何故己を残して退舎しているのかが不明だった。
「あ、檜佐木副隊長目が覚めました?」
「は?」
給湯室から出てきたのは、紛れもない三席のユアで、俺は目をパチクリさせながら頷くと、彼女はにこりと微笑んだ。
「なかなか起きないので、そろそろ起しに行こうと思ってたんですよ。」
「え…あ、あぁ…」
うまく状況が掴めず歯切れの悪い返事をする。
「ごめんなさい。連日残業に追われてるって言ってたから…起こさないでそのままにしてしまって…」
申し訳なさげな顔をすると、ユアは手にしていたお茶を俺に渡した。
「書類は、どうしたんだ?俺が寝てる間」
「あ、檜佐木副隊長が確認印をするものと重要書類以外の物は、私が目を通して処理しておきました。」
山盛りになっていて部屋の入り口から窓の外が見えなかったハズの部屋は書類が減ったためか、見晴らしが良くなっていた。
「お、おぉ。凄いなお前…」
「は、ははは…いや、だてに十一番隊にはいませんでしたから…。アソコは隊長、副隊長以前に三席、五席共に隊士のほとんどが書類処理をしないというか、使いものにならない…」
空笑いをして言うユアに、ぷっと吹き出して笑う。
「…檜佐木副隊長、今笑いました?酷いですね!もう!」
むーっとむくれるユアが可愛くて、俺は悪い悪いと言って彼女の頭を撫でた。
「副隊長、私子供じゃないです。」
「や、なんか可愛かったからさ…」
「副隊長っ!!!!もう!」
そういって二人で少しの間の後笑い出す。
「ユアー!いるー?」
ひょこっと顔を覗かせて話しかけてきたのは、乱菊だった。
「あれ?どうしたの?乱菊」
「どうしたじゃないわよ!最近付き合い凄く悪いんだから!たまには付き合いなさい!」
「あのね、松本副隊長…私今隊務中なんですが…」
呆れた顔で私はため息をつきながら答えた。
「いいじゃない。後は修兵にまかせとけば!あたしが優先よ!」
言うなり、私の首に自分の腕を巻きつけて強制連行していこうとする。
「…修兵。あんたも、仕事終わったらきてもいいわよ。いつもの所だから。んじゃあ~ね~」
「ちょっ…待ちなさいよ!乱菊!…ふっ副隊長ごめんなさ…ああん!引きずらないでー!」
嵐のように去っていく2人に、檜佐木はその場で暫く呆然としていた。
「で?あんたいつから修兵とラブラブするようになったわけ?」
いつもの酒屋で日本酒を飲みながら、乱菊はいった。
「…は?誰が誰と?」
「あんたが、修兵と。」
その言葉に首を傾げる。仲がいいと言えばいいと思うが、彼は自分の上司であって恋人ではないからだ。
「ラブラブはしてないよ?信頼関係はうまく出来上がってきてるけど。」
「へぇ…否定するんだ。珍しいわね。」
自分には未だに一角という想い人がいるし、彼には恐らくだけど彼女がいる気がする。
「いや、なんかさ…あの人あたしの部屋来たとき妙にソワソワしてたんだよね。たぶん彼女いるんじゃないの?」
檜佐木副隊長の噂は前から知っている。カッコ良くてモテるから、彼女には困らないって…
それに、気さくで優しい人だから女性にモテないわけがない事も一緒に隊務をこなしてきたから分かっている方だと想う。
「ちょ、ちょっと…あんた、まさか修兵を部屋に入れたんじゃないでしょうね!」
「…?いや、ご飯食べたいって言うから。」
「はぁ!?」
「はぁ!?って言われても…。隊務さぼらせくれたんだもの…家でご飯ご馳走しただけだよ?」
「だからって、男と二人きりでしかも部屋に上げるのはどうかと思うわよ!?」
「何いってるのよ。昔はよく一角や弓親と二人きりで飲んでたわよ?あ、後、阿散井君もそうか…」
ぐびっとお猪口にはいったお酒を口に入れると乱菊はため息をつく。
「一角はあんたの思い人でしょう。弓親はあの性格じゃあんたなんか眼中ないでしょ。」
「うーわ、酷いなぁもう…あたしだって一応女なんだからねっ」
「だから、相手をよく見て部屋に上げなさいよ。修兵なのよ?いいの?!」
少しばかりイライラしながら言う乱菊に、私は苦笑い。
「あたしはもう、乱菊に心配されるほど危なっかしくないよ。少しは信じてくれてもいいんじゃない?」
「あのねぇ…あんたもいい加減女として隙があることに気付きなさいっ」
「男からみれば、その方がいいんじゃないの?それ。」
間髪ツッコミを入れる私に、乱菊はうっとうなり声をあげる。
「と、とにかく修兵はやめなさいよ!いい?」
「いくら、私でも副隊長と恋愛する度胸ないわ。それはないとおもうよ?上司として、人しては尊敬してるけどね。」
彼は尊敬してる。でも、それ以上になる訳ないしなるつもりもない。
「一角の事もさ…諦めるつもりなんだ。これ以上気づいて貰えない恋はつらいしさ。」
この言葉は自分に対するケジメ。私は恋はもう暫くするつもりもしたいとも思わない。
「楽しく生活する。それでいいよ。」
「ユア…」
「ユア。」
「えっ、はい?」
背後から聞こえた自分を呼ぶ声に振り向く。そこには副隊長がいて、私はマズいという顔をした。
「あ、副隊長…お、お疲れ様でした。来てくれ…た…!!」
一瞬のことで思考を訳が分からなかった。とにかく私は彼に抱かれるように立っていて、目の前に彼のはだけた肌が見えた。
「乱菊さん、すみません。コイツ借りてもいいですか?」
「え?…えっ?」
「ここの支払いあんたが払うなら良いわよ?」
「…ちょ、…何言って…乱菊?」
―ジャラ
お金の音がしたのと同時に、すかさず出た言葉に思わず近づいてツッコミを入れようとしたのに私は彼に抱きかかえられてしまう。
「…いくぞ…」
「はぁ?何?なんなの?なにー?!」
叫び声が小さくなっていく私達を見送ると、乱菊は苦笑いしたまま日本酒をお猪口に注ぐ。
「まったく…不器用ねぇ。あの2人…」
ポツリと呟いて、酒を一気に流し込んだ。
十一番隊にいた頃から、彼女のことは知っていた。いつも、乱菊さんや斑目達と飲んでいて、楽しげに笑っていたのが印象的だった。
感情を全面に押し出す笑顔を遠目に見ていた。見かけると、その笑みに釘付けになる自分が居た。
先の騒動で隊長の裏切りが原因で人手がなく他隊から引き抜きの話が出たとき、迷わず彼女を推薦した。あの笑顔が近くで俺に向けられるなら、この際職権乱用しても構わないと思ったから。
俺は彼女が好きだ―
彼女の笑顔が見たい。
彼女の声が聞きたい。
彼女に触れたい。
彼女をこの腕に抱きたい。
ユア…
「檜佐木副隊長、あのですね、いい加減おろしてくれませんか?」
三席にもなって…この歳にもなってお姫様抱っことか本気で有り得ないのだが…
恥ずかしくて彼の胸元に顔を埋めたまま、なんとか懇願するしかなくて私は副隊長の胸をトントンと叩くばかりでされるがままになっていた。
「話、聞いちまったんだ。」
立ち止まってポツリと呟く言葉に、私は顔を上げた。
「斑目のこと…俺とも、その…ないって。」
「それ…は、その…」
傷つくのは嫌だ。私は長い間あの人だけ目で追って、あの人だけ見てきたのだ。たとえ、別の人を好きになったって…
「俺じゃ、駄目か?」
ポツリと降ってくる言葉に私は眉間に皺を寄せる。
「俺じゃ、お前の枷にもならないか?」
副隊長の言葉に揺れる。だって、反則じゃないか…。そんな目で私に聞いてくるなんてズルいしどうかしてる。
「ユア…ずっと、お前の傍にいるから………」
「…っ…」
何か、デジャヴを感じた。
『お前の傍にいるから…だからよ、安心して頼れよ!絶対幸せにしてやるから』
いつだったかある男に言われた。必要としてくれることが嬉しくて頑張って尽くした。…尽くした筈だった。
「…せ…どうせ、自分には不釣り合いだとか言うくせに…」
「ユア…?」
男として好きになり掛けていたのかはわからない。けれど、私には彼の言葉に少なからず傷ついたのは事実で…
「1人で生きていける。自分には不釣り合いだ。…君は、強いから…自分が居なくても…平気だって…言うくせに…」
それからも、やっぱり一角を忘れられず違う恋を探す度に、いつもそう言われてきた。
いつだって私は…
「想って欲しいだけなのに…」
何でもない振りしていつも、男に振られては傷ついて…
「期待させるような事言って、私を置いていく癖に…」
勝手なのも知ってる。振られる理由も分かってる。だって私は一角が忘れられない。
「でも、忘れさせて欲しかった。あの人以外の人を一度でも本気で想って……でも、ホントに最低で最悪なのは私。気持ちを利用して、1人で満足しては状況に酔ってる。」
だから―
「こんな最低な女、やめた方がいいですよ。副隊長…」
「…最低なんかじゃねぇさ。いつだってお前は他人に気を使って…。使いすぎて生きてるじゃねーか」
「三席として当然です。私は、貴方の補佐だから。」
「違う。そうじゃねぇ、そうじゃねぇよ。」
突然抱えられたまま力強い腕に抱かれる。
「俺は他人を思えるお前も、自分を厳しく評価する少し不器用なお前も好きなんだ。」
副隊長の匂いを感じながら、抱きしめられて言われる言葉に目を見開く。
「だから、頼む。俺の気持ちに応えなくてもいいから、俺が好きになったお前を否定しないでくれ。最低なんて言うなよ。」
「檜佐木、副隊長…」
「弱くてもいい、強がってもいい。お前の重荷やトラウマが少しでも軽くなるなら、俺に分けてくれ。力になる…いいや、寄りどころにはなるだろ?」
最高の口説き文句。
最高の落とし方。
素直になれない私の手をさり気なく取る貴方を拒否出来ない。
「じゃあ、俺行くわ。」
「あ、はい…ありがとうござい、ました。」
部屋の前まで送って貰い、檜佐木副隊長はそのまま自室に向かい歩き出す。私はその背中をただ、ただ見つめていた。
部屋に戻って部屋着に着替えようと死覇装を脱ぐ。
「…檜佐木………副隊長の……匂いがする。」
完全に落とされた。でも、だからといってすぐなびくわけにはいかない。こんな時までも警戒心が強くて嫌になる。
―ダメ、頼ったりしちゃだめ。
辛くなるのは自分で、苦しくなるのは自分なのだ。期待して、最後に後悔するのだけはもう味うことはしたくない。
「ホント…ずるい女…」
翌日、私は平静を装いながらも隊務に専念した。副隊長とは一定の距離を保ちながら、事務的な会話しかしなった。
甘えて彼にすがることはしたくはなかった。弱い自分をひけらかしてしまうようで…
私は強く、冷静であり一人でも立っていられる存在であった筈だ。
たとえ、愛しいと感じた人にそのキーワードを口にされたくなかったとしても、死神である以上はそうあれと願った。それは、変わらない事実であり、自分のプライドであった。
「矛盾女…」
我侭であり、勝手でありずるい女。
それでいいのだ。決して他人に弱い部分を見せてはいけない。そう、いけないのだ。『恋』に臆病になった私が導き出した答えだった。
「見細三席。この書類の資料、十一番隊の書庫でないとないそうなのですが…その…」
新人の部下が言うと、私は彼の緊張した表情に思わず笑ってしまう。
「あはは…いいよ、緊張しなくても。十一番対には私が行くから、この書類三番隊の吉良副隊長へお願いしていい?」
「ですが、その…上位席官の方に行っていただくというのは…」
「んー、まぁあそこは元は古巣だし。たまには隊長の顔も見たいしね。大丈夫よ。今日はそんなに隊務は残ってないし、休憩がてら行ってくるわよ。ほら、この書類頼んだ!」
バシっと背中を叩くと、新人君は渋々隊舎を出て行った。
「こんにちはー」
十一番隊の隊舎にひょっこりと顔を出して声を掛ける。声と同時に、相変わらずガラの悪い連中がこちらをキッ!と睨みつけた。
「お、おぉ。相変わらずバカみたいに眉間に皺寄せて書類整理してるわね。」
「見細四席~~~~~~!!!!!」
「は?あたしもう四席じゃな…ぶっ!!」
言いかけて、数人振ってくる。
「ちょっとぉーー!あんたらに押し倒されても嬉しくないんだからどきなさいよ!バカ!何?なんなのよ!!」
すでに涙目で書類持ったままそこに転がる元同僚。
「あぁ~…書類溜めて、ギリギリ提出しないといけない書類が山ほどあるわけね。」
無言でうなづく奴等に、私はため息を着く。
「見細四席がいなくなってから、しわ寄せが全部俺らに来てるんですよ!見細四席!助けてください!戻って来て下さいよ!」
「いや、無理だから。それにあたしは今四席じゃなくて三席だから。十一番隊での呼び方そのまま継続させるのやめてくれる?てーか、他隊から来た新しい四席はどうしたのよ。書類整理は新席官と一緒にやればいいでしょーよ。」
「な、何言ってんですかっ!新しい四席なんて斑目三席にべったりで書類整理すらしませんよっ!!」
「はぁ?」
「今だって、道場に綾瀬川五席と3人で稽古とかいって…」
「あ、いや…でもね、こればっかりはあたしが言えることじゃなくてね?んー…とにかく頑張れ!」
さめざめ泣く元同僚に、少しばかり同情しつつ私はそのまま隊長の執務室へ向かう。
―絶対いないと思うけどね。
声を掛けてノックをすると、珍しく声が返ってくる。びっくりしながら扉を開けた。
「おう、どうした。お前が来るなんてよ。忙しくねぇのか?」
「こんにちは!執務ある程度かたしちゃったので時間あるんですよ。それにしても、珍しいですね。執務室いるなんて。」
「あぁ?なんか今日提出の書類がたまっててよ。他隊から苦情きて仕方なしだ…」
相変わらずかなり適当に判を押す隊長の姿に、苦笑いしながら私は続けて声を掛ける。
「適当に押して読んでませんね。大丈夫なんですか?」
「あー、めんどくせぇし。知らなきゃ知らなかったでどうにでもなる。火急の知らせなら伝達が直接来るからな。」
「あはっ…相変わらずですね。」
とりあえず、座れと言われてソファーに腰掛ける。久しぶりの隊長の執務室は、なんだか新鮮に感じられた。
「お前がいなくなって、どうもまだ慣れなくてな…書類担当をバラバラにバラけさせた。今の四席はお前ほどの処理能力がなくて困る。」
「あはは…私はこの隊で書類係でしたからね。そりゃ、新しく来た人と比べれば違いはでてきますよ。」
「九番隊での評判は聞いてる。随分と活躍してるみてぇだな。」
休憩とばかり、一息つくと私は執務室の端にある茶器でお茶を入れて隊長に手渡した。
「あまり、役にはたってない気もするんですけどねぇ…それなりに楽しんではいますよ。」
「ほぅ…九番隊へ異隊命令でたときはあれだけ泣いて嫌がった奴がなぁ…」
「隊長。それあまり言わないでくださいってばっ!年甲斐もなく泣き顔見せてすごく恥ずかしいんですよ。今思い返すと…」
もごもごと口ごもる私に、隊長は鼻で笑った。
「あの時は、本当に驚いたがな…。俺や一角との仕合いにも涙一つ流さない奴がってな…。まぁだが、正直九番隊にやるには惜しかったし今でも悔いてるが昇進もしたことだしいいことじゃねぇのか?楽しくやってるならそれでいい。」
「はい。その節は本当に感謝してます。実力は十一番隊で付けて頂きましたから…。四番隊士だった時期が懐かしいです。今では、女性隊士として十一番隊にいた事を誇りに思っています。」
更木隊にいたことは誇りであり、自分のすべてだった。四番隊でそれなりに隊務をこなしていた自分にとって十一番隊は怖くて未知の場所だった。それでも、諦めずに前に進んでいったこと…ここにいたことは大きな糧となった。怖い、恐ろしいと言われていた隊長だけれど、やちる副隊長と共に自分はよくしてもらっていたほうだと思う。だからこそ、他隊へ声もかかったし、三席と出世をしたのだと思う。
「さてと、また来ます。隊長。あまり長居しちゃ悪いし…また、一緒にお茶のみましょうね!それじゃ!」
少しのつもりが、長居してしまったと反省しつつ見送ってくれた更木隊長に感謝しつつ私は執務室から出て行った。
「えー、だからぁ~斑目三席聞いてますかぁ~??」
「あーもう、ウゼェなお前は。仕事しろよ!仕事!早くやらねぇとおわらねぇだろ!」
視線の先に、一角と知らない女性が話していた。
「ん、何だユアじゃないか。どうしたんだい?十一番隊に何か用事でもあったのかい?」
弓親がとっさに気がついて声を掛けてくれる。私はそれに苦笑いしながら
「あー、うん。資料が必要でさ…寄らせてもらったんだけど…」
「そうなのかい?どの資料?僕も探そうか?」
「えっ?」
「おい、弓親!お前逃げるんじゃねぇよ!手伝え!そんで、お前は引っ付くな!!!!」
「えー?」
うざったそうに、近くにいる女性隊士を引き剥がそうとする一角を見て私はなんだか、やるせない気持ちで一杯になった。
―そっか、やっぱり女性は守られなきゃいけないのか…
うざったいと言いながら、こんな表情をする一角を知らなかった。ずっと傍にいたはずなのに…
「ごめん、弓親…。資料また今度に、する…」
「え?ユア!?」
足早に十一番隊の隊舎から出て行く。
私の知らない一角がいる。
私の知らない一角が話している。
私の知らない一角…
…どこまで、捕われたままなんだ私は…
悔しい
悔しい
悔しいっ
私が何十年もかけて培ってきたものを、私以外の誰かが安易に越えていくのが悔しい。
十一番隊から出てすぐの空き部屋に入る。
埃っぽい部屋だが、そんなの今の私には関係なかった。
「あんなの…あんなの酷い…。」
女を利用したくなかった自分の負けなのは十分承知している。それを利用してしまったら、私は一角の背中を守ることが出来なくなるからだ。常に肩を並べていくことが自分の望みだった。それなのに…
それでも、私は気がついてもらいたかった。悟って欲しかった。我侭なのはわかっている。彼にとって私自身をそういう対象に見ない限りは望みがないことも分かっているのに…
「それでも、悔しい…。それでも…」
どこかで期待している自分がいた。
それが間違いだったことも知りながら…
「くっ…うっ…」
「ユア…?」
「っ…」
突然の声に反応して、急いで涙を拭いた。
こんな姿見られたくなかった。
「弓親…どうしたの?こんなところでっ」
「あぁ、うん。ユアが泣いていると思って…」
「何を言って…」
「目が腫れている原因は一角だろ?」
「…っ…」
すかさず、そっぽを向く私に弓親はフッと少しばかり笑うとそのまま私を抱きしめた。
「ユアは泣くと中々泣き止まないから、僕がいないと泣き顔隠せないだろ?」
「泣いてなんか…っ」
「泣いていいよ。辛いんだろ…今の君には必要だろ?」
「…ぅ…っ…」
頭を撫でられて、私はそのまま涙を流す。静かに…静かに泣いた。
「……チッ…」
空き部屋の前で悪態をつく男が一人。
斑目一角。
「弓親の野郎…」
昔から、事あるごとに自分より先に行動する。それが気に入らなかった。ユアを思えば思うほど、その行動が癪に障った。
―俺だって…。
粗雑で喧嘩っ早い自分には、彼女に優しい言葉をかけたり、気にかけたりなど恥ずかしくてできるはずもなかった。それでも、数十年前から感じる視線に気がつかないほど自分は鈍感ではない。好きな相手に告白するような恥ずかしいことも出来やしない。その結果、彼女は異隊という形で自分の元から去っていったのだ。新しい部下も、それなりに可愛いが、どうしても自分はユアを重ねていた。
「…くそっ」
自分のせいで、彼女が泣いていることも知っている。それでも、近くに行くことをためらう。弓親がいつも傍にいた。自分はいつもそれを黙ってみているだけだったからだ。
「…。」
扉越しに聞こえるすすり泣く声に、胸が締め付けられる。それもこれも自分のせいなのに、今この扉を開けていくことが出来ない。
再び、舌打ちをすると遠くから声が聞こえた。
「あぁ~~!斑目三席~!みつけたぁ!なにしてるんですかぁ!」
「バッ…」
瞬間、慌ててそいつに近づいて口を押さえる。
「ん!んん!!!」
「バカっ突然呼ぶんじゃねぇよ!ユアに気がつかれちまうだろ!?」
「んっ!?」
「…!?あー!くそ!とにかくお前あっちに…」
思わず滑らせた名前に、自己嫌悪する。あの場所にいたことも、恐らく彼女たちにも気が付かれただろう。それがどうしょうもなく恥ずかしかった。
「…!」」
騒いでいると、後ろから声がした。多分、檜佐木だろう。揺れた霊圧のまま俺に話しかけてきた。
「ユアがどうかしたのか?」
「あ?お前にゃ関係ないだろうが…」
「関係ある。ユアがお前ら十一番隊の処に行ったきり、中々戻らなくて探していたところだったからな。」
「あぁ、そうかよ。俺は見てないぜ。」
暴れる四席を口を押さえたまま抱き寄せていった。
「見てないのに、ユアに見つかるとか言うやつがいるのか?」
「うるせぇな。お前には関係ない。」
「関係なくないと言った筈だ。」
「意味わからねぇ、どう関係ないって言うんだよ。あいつと、お前は上官と部下ってだけで特に深い関係でもねぇだろ。」
悪態をつく俺に、檜佐木は短くため息をつく。
「愚問だろ。あいつを三席に推薦したのは俺なんだ。油断してる隙に他の男に持ってかれたらたまらない。」
「は?な、何言って…」
「まさか、知らなかったのか?」
他隊への引き抜きなんて、護廷十三隊じゃ日常茶飯事。それでも、荒くれ者集団の人間を引き抜くことなんて稀だったはずだった。
「むしろお前は、あいつの事なんとも思ってないだろ。お前こそ関係ないはずだ。口を出してこないでくれるか…」
「テメェ!!!!!!!!!!!」
「檜佐木副隊長!!!!!!!!…あっ!!!!」
―ガッ!!!!
―ドサ!
「きゃあああああああ!!!」
胸倉をつかんで殴ろうとした刹那、瞬歩で割って入ってきたユアの顔に俺の拳が彼女の顔にめり込んだ。抱きかかえられていたはずの四席はあまりのことにびっくりして叫び声をあげる。
「ユアっ!!おい!ユア!!」
駆け寄って、檜佐木に抱き起こされた彼女の頬は真っ赤になっていて唇からは血がでていた。
「副、隊長…無事、ですか…」
衝撃で、床に頭を打った彼女は少し途切れ途切れにそういった。
「一角…ダメでしょ?喧嘩、しちゃ…」
いつもの透る声で、痛々しそうに言われて棒立ちになって自分以外の別の男に抱えられて横たわる彼女にとてつもなく嫉妬した。
「…んでだ…。」
「一角…?」
「どうして、お前…そいつを庇ったんだ。」
弓親に先を越され続け、肩を並べる存在だったはずの彼女を檜佐木に奪われ、ユアが檜佐木を庇った。挙句の果てに俺は俺自身の拳を決して向けてはいけない人間に向けてしまった。
「ふざけろよ。お前…訳がわからねぇ!!」
吐き捨てるように、その場から瞬歩で消えた。この空間にいたくはなかったからだ。
「一角っ!待って!!一角っ!!!」
かすかに聞こえた、あいつの静止の言葉にも耳を貸さず俺はその場から逃げた。
最初から分かっていたことだった。
彼を振り向かすことも出来ない。
私を女としてみてくれる事もない。
でも、一度でも願ったら願わずにはいられなかった。
たとえそれが、叶わぬものだったとしても私は願わずにはいられなかった。
ごめん。
ごめんね。
一角…
「馬鹿野郎!どうして俺を庇ったりなんかしたんだよっ!顔が腫れちまったじゃねーか!」
副隊長に抱えられて、急いで四番隊へ向かうと、手当てを受けながら私は説教を受けていた。
「すみません…とっさに動いてしまって…」
自分でも、どうして一角を止めるでもなく副隊長を庇ったのかは分からなかった。
多分、本当に瞬間的に行動したまでだと思う。一角に大事に抱かれていた四席が羨ましく思ったのか、それとも、檜佐木副隊長を本気で庇おうと思ったのか…でも多分…
「悔しかった気持ちのほうが大きかった…」
女として触れてもらうことが羨ましかった。一度だって彼は、あんなふうに私に触れることはなかったから…
「副隊長、ありがとうございます。」
手当てを終えて、二人きりの病室で私は力なく笑顔をつくる。
「振り切れる、勇気が出そうです。私…」
あの現状を見れば、答えはでてしまっていたし自分には望みなんて一ミリもないことも悟ってしまった。だからこそ、振り切る勇気を持つことは大切だと思った。
「最近私は。副隊長に助けられてばかりですね…」
苦笑いして言う私に、檜佐木服隊長は苦虫を噛み潰したような顔で私を見下ろしていた。
「副隊長?」
「俺は…何もしてねぇよ…」
「え…?」
ぼそりと言う、バツの悪そうな顔をする。
「お前が、斑目の事を吹っ切ろうとしたのも、お前がここにいるのも…。やり方が強引だっただけで全部お前の意志で決めて、行った結果だろ。俺はたまたま、そこに居合わせただけで何もしちゃいない。」
突然椅子に腰掛けた副隊長に手を握られて、私はどきりとする。
「でもさ、結果がどうあれ…お前が俺を庇ってくれたこと…それはほんとに嬉しかったし、益々お前を好きになった…」
「…っ…」
照れたような、優しげな笑みでそう言う副隊長。
「わ、私は…誰も…好きになんかっ…」
―それでも分かる
揺れているのだ。
真剣に自分のことを考えてくれる彼に…
「いいさ、ゆっくり考えてくれよ。焦らないから…」
「…ぅ…」
赤面しているであろう自分の顔がゆでだこの様になっていると思う。
それでも、優しくまっすぐに自分を見つめてくる副隊長から視線をはずせない。
「でも、執務中に素っ気無い態度取るのはなしな…あれ、結構くる…精神的に…」
絡めてくる指。
ゴツゴツしているけど大きくて、こんな風に触れてもらったことのない私にとって、彼はもったいないんじゃないかと思ってしまう。
「善処…します…」
それしかいえなくて、私はしばらく彼のされるがままになっていた。でも、一つだけやらなくちゃいけないことがある。
不安の要素といえば一角で…
あんな一角、見たことなくて…
会わなくちゃと…