執政弟 ファラミア
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幼い頃から貴方を見てきて、
幼い頃から貴方だけを好きだった。
どんなに、身分が違おうとも、
どんなに、手の届かない場所にいようとも、
この気持ちだけは…
~隠れた恋心~
「終わった…か…」
ゴンドールに向けられたサウロン軍との戦いに区切りがつくと、ユアはぼそりと呟いた。ミナス・ティリスは何とか守られ、ゴンドールは勝利を収めた。
オークやトロルの返り血を浴びたままに、ユアはヘルムを外すと額を拭って短く息を吐く。
「…っ…」
長時間の武器の持ちすぎで、己の手が悲鳴をあげている。
利き腕の手のひらは、力の入れすぎで真っ赤に染まっていた。
城門前に配備されていたユア。この激戦区で、よく戦っていたと思う。
ジンジンする手を何とかブラブラさせながら、ユアは城内に急いだ。
―ファラミア
戦いの最中心配で心配でどうしょうもなかった幼なじみ。
矢傷を負って馬に引きずられて戻ってきた彼を見て、何故自分はここにいるのかと、悔やんだ。
それに、傷だらけで戻ってきた彼には、治療を充分にする時間も与えられず、直ぐにサウロンとの戦いが始まってしまった為、この戦では、まともな手当てはなされていないだろと、彼女は足早にファラミアの部屋に向かった。
「ファラミア!」
部屋に駆けつけると、侍女達が彼に付き添って、傍ら座っていた。薬で眠っているのか、気を失っているのか、ファラミアは目をさましていないようだった。
香油の独特の臭いに、彼女はどうかしたのかと尋ねる。
「…デネソール様が…」
その言葉に、ユアは顔色を変える。
ボロミア亡き後、先のオークの大群。あの方が乱心する姿が目に浮かぶ。
そして、目の前の彼の状態を見れば、何があったのかは予想がついた。
「…後は私が。貴女達は下がっていいわ。」
傷だらけの頬を布で優しく拭い、包帯で巻かれたファラミアを見つめる。
こんな事になって…
こんなに酷い傷を負って…
悔し涙を堪えながら強引に目をこすった。
香油の匂いが己の不甲斐なさを掻き立てる。
「…ファラミア。ゴメンナサイ。」
横たわるファラミアの頬を優しく撫でながら、彼女は涙を流した。
それからしばらくしてファラミアは目を覚ました。
見覚えのある部屋に、自分は助かったのかと安緒の息を漏らす。
外では戦があったはずなのに、窓からはそれらしき音が聞こえないということは、戦いが終わったのだろうと判断した。
ふと、辺りを見回すと見知った人物が手を握り締めながら眠っていた。
「ユア?」
寝息をたてる彼女の輪郭を優しく撫でると、ファラミアは柔らかく笑った。
兄のボロミア、父デネソールに加えて、己は彼女までも失ってはいなかったのだと、安心したようだった。
「ん…」
何度も優しく指で輪郭を撫でると、くすぐったかったのか、彼女は眉間に少しばかり皺をよせる。
白く綺麗な肌に、かすかに残る血の痕や傷を見るからに、サウロン軍との凄まじさを物語っているようだった。
「ファラミア、気がついたの?」
寝起きのかすれた声で、ユアはファラミアに声をかけた。
「はい。今し方。」
そう言って柔らかく笑うと、彼女は難しい顔をして彼をジッと見つめた。
「生きてる…よね?」
「…生きてますよ。」
珍しく弱々しく聞いてくるユアの頬を撫でると、彼女の目から水滴が溢れ出た。
「良かった…」
泣きながら、安緒の声を漏らすユアに、泣かないでと言うと、彼女は泣き止むどころか、しゃくりをあげて涙を流す一方だった。
「ボロミア…みたいに、私の知らないところでいなくならないで。」
お願いだからと付け加えると、ユアはファラミアの体温を確かめるように、彼の手を握り締めた。
それから幾日たったのか、ガンダルフやアラゴルンを筆頭に、ゴンドール、ローハン軍は黒門へと向かった。
ファラミアの傷が完治していないため、ユアはミナス・ティリスにて待機を命じられた。
利き腕を痛めていたユアは傷が完治すると、積極的に兵士らの手当てや看病に明け暮れていた。ファラミアの傷が治っていないとはいっても、ずっと彼のそばにいることは、なんだか気恥ずかしかったからだ。それでも、常に時間が空けば彼の部屋へ足を運び包帯を巻くのを手伝ったり、食事を持ってきたりと、懸命さが見て取れた。
しばらくして、歩けるほどに回復したファラミアは城内をリハビリと称して歩くようになる。ユアは相変わらず、心配していたようではあったが、気にせず、ローハンやゴンドールの兵士らの看病に時間を割くようになる。
だから、知らなかったのだ。
ファラミアが、ローハンの姫エオウィンとの距離が縮まっていた事を…
「ファラミア様とエオウィン様。最近はいつもあそこで2人っきりでいらっしゃいますね。」
療養所で2人を数回に及んで話をしているところを見かけていた兵士は、包帯を気難しげにまく彼女に同意を求めるように、そう口にした。
「ファラミア様が?」
促されるように視線をそちらへ向けると、仲良く話し込む二人の姿が見えた。
彼女のよく知る、いつも自分に向けられていたあの笑みで、ファラミアはエオウィンを見つめていた。ユアは複雑な表情をしながら、作業を再開する。
「ファラミア様が歩けるようになられてから同時期に、エオウィン様も動けるようになったんですよ。」
それから、仲良く2人で話し込むところを見かけていた兵士はお似合いですよねと付け加えた。
「日に日にあそこで話している時間が長くなっているので、婚約の話でも近い内に持ち上がるかもしれませんね。」
聞きたくない言葉だった。
自分はファラミアとボロミアの幼なじみではあったが、年が近いというだけで、顔馴染みになっただけで、身分はたいしたことがない。
対してファラミアは執政の息子。
となれば、身分の高い者と婚礼を行うことは必至。覚悟はしていたつもりだったが、聞きたくはなかった。
「ユア殿?」
涙が出ていたことに気がついたのは、兵士に呼ばれて数秒してからだった。
「…ごめんなさい。」
包帯を巻き終えていた彼女は、すっとその場から立ち上がると、療養所を出て行った。
泣きながら広場へ走っていくとユアは外壁に手をついた。風が轟々となる広場の最奥に足を運んで涙を風で乾かそうと、息切れをしながら、彼女はゆっくり歩いていく。目を瞑ると懐かしい昔の光景が瞼に蘇る。デネソール、ボロミアとファラミアと4人で楽しく笑い合っていたあの頃。昔は娘のように可愛がってくれていたデネソール。素直ではないけれど、照れ屋でさり気なく優しい言葉をかけてくれたボロミア。いつも、側にいて優しい笑みで自分を見つめ、常に自分を守ってくれたファラミア。
あの日の光景は、もう二度とくることはなく、自分はファラミアに『見てもらえない』のだろうと、ユアは現実を実感してしまう。
「…バカね。身の程をわきまえないからこうなるのよ。」
今まで優しい彼に甘えてばかりで、現実を直視しようとしなかった。ファラミアから女性の話も聞いたこともなかった…自分の家に男子が居なかったため、自らゴンドールの剣になろうと決めたあの時。女としての自分は捨てたつもりでいた。だが、時をますほどに…彼と兵として時間を過ごすほどにこの気持ちが、切り捨てられない程に、強く増していっていた。だから、安心していたのだ。彼が女性の話をしなければしない程に、自分が近くにいられるという錯覚をおこすほどに…
「なんて、愚かな考え…」
滑稽すぎて笑えてしまう。彼のいつもの笑みや言動は自分にだけ向けられているものではないのに…
「…潮時なのね。」
赤黒く光るモルドールを悔しげに見つめると、ユアはただただ、その場に立ち尽くしたままだった。
幼い頃、武官のライドニヒから紹介された小さな少女。
ボロミアとファラミアは、その愛くるしい少女に目を奪われた。
ライドニヒの後ろに、怯えるように寄り添うその少女は、出会ったばかりのファラミア達に戸惑いながら挨拶をした。
「はじめまして、ユアです。」
少女独特の高い声で、怯えながら自己紹介をするユアの頭をボロミアは豪快に撫でると
「外に行こう。」
と彼女とファラミアを強引に連れ出した。行き着いた先で、ボロミアはユアを抱き上げて緊張しなくてもいい、楽しい事をしよう。と言うと、彼女は嬉しそうに笑ってボロミアを抱きしめ返した。
「…ユア」
その時の、彼女の笑顔と兄ボロミアの表情と、そして自らに湧き上がったあの不思議な感情。自分はけして忘れないだろう。少なくともその少女を一生をかけても守っていきたいと思ったことに、嘘偽りはない。
だから…
「…何故、泣いてるんですか?」
鳴り響く風。
背を向け、上を見る彼女に話しかけた。何度も見たその姿に、胸が締め付けられて、亡くした者を想うユアにファラミアはゆっくりと近づいていく。
「何故…?難しい質問だわ。」
クスッと笑って、目を瞑る。
彼女がボロミアを想い泣いていると解釈しているファラミアは、ユアを後ろから抱きしめた。
「…貴方こそ、何故ここへ来たの?」
回した腕に、彼女の手が置かれ、体をぎゅっと丸くした。
「ユアが泣いている気がして…」
視線をゆっくり向けるユアにファラミアは優しく見つめると、彼女は淋しげにすぐに顔をそらしてしまう。
「貴方には関係ない事だわ。」
「ユア?」
冷たく突き放されて、ファラミアはユアの顔をこちらに向かせた。
「何か…あったのですか?」
「何も…。あったとしても、貴方には関係がない事よ」
「関係ない…。それでも、話して…」
「イヤよ。自分が惨めになるだけだわ。」
そう言って、ユアは頭を振る。
「惨め…?そんなに私には話したくないことですか?」
「ええ、そうよ。話したくないし、聞いてほしくないことよ。」
拒絶が胸を裂く。
彼女もまた、自分から離れていってしまっていることにファラミアは悲観の顔をする。
「…貴女まで、私の傍から離れていくのですか?」
違うと言いかけたユアだったが、口をつぐんでしまう。
「もう、傍にはいられないもの…」
「何故そんな…っ」
言いかけて、唇が重なった。
触れるだけの、ほんの数秒のキス。
ユアは綺麗に柔らかく微笑むが、彼女はファラミアの腕を解くと、視線をそらして今度は寂しそうに笑った。
「…ユアっ」
「さよなら…」
まるで、自らの想いを断ち切るかのように、彼女は療養所へ戻ってゆく。
ファラミアは、唇に触れた感触を確かめるように、自らの指をあてながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
それからしばらくは、彼女はまるで隠れるように、生活をした。
ファラミアの目に触れないよう、アラゴルンらの出迎えにも、離れて出迎えるなど、とにかく徹底的に避けていた。
そんな中、エレサール王の戴冠式の日取りが決まる。都の中はその話題で持ちきりになっていた。ゴンドールにとって、待ち続けていた事なのにユアは素直に喜べない自分を叱咤しながら、ミナス・ティリスで噂されているもう一つの婚約の話題に耳をふさいだ。
「…ふぅ」
都から少し離れた泉で、彼女はため息をつく。一日中気を張っている生活に、彼女は疲れきっていた。両脚を泉に浸からせてどさりと横たわるとユアは静かに笑みを漏らすと目を瞑った。
この場所にいる時だけは、ファラミアを純粋な気持ちで想っていられたからだ。
「~♪~~♪~~♪~~」
幼い頃、この泉でファラミアとよく歌っていた歌を口ずさむ。この歌と、この場所だけは、永遠に変わらない物。それだけを想い、涙を流しながら彼女は歌い続けた。
「~♪~~♪~~♪~~~」
「…懐かしい歌だ。」
ふと、聞こえた声に其方へ顔を向けると、長年想い続けていた男がいた。
馬に跨り、彼女の歌を聞いていた彼は、ゆっくりと愛馬から降りると、ユアに近づいてくる。
「…ご婚約、おめでとうございます。ファラミア様」
急いで起き上がって濡れたまま跪く。
「…。」
頭を垂れるその行為に、ファラミアは不機嫌そうな顔をする。
「貴女から、そんな言葉は聞きたくはない。」
顔を強引にあげさせられ、ファラミアと目が合う。ユアは困った顔をして、視線だけそらしてしまう。
「ユア…見て。私を…」
両手を頬にあてて、逃げられないようにする。彼女に逃げ場はなく、諦めたかのように、ファラミアを見る。
「何故、私を避けていたのですか?」
「…さ、避けてなんていないわ。」
「嘘です。」
きっぱり言われて、苦笑いをする。
「この間から…。広場でのキスから、貴女は私を避けている。私が、何かしましたか?」
詰め寄る彼は、いつものファラミアではなかった。口調は静かではあるが、どこか余裕がないように見えた。
「別に、何も…ぁ…っ…」
言いかけて、茂みに押し倒される。ユアは驚いて、男を見上げた。
「…どうあっても、言う気はないと?そういうのですか?」
「な、何を言って…。私は貴方を避けてなんてないし、貴方に対して何も…っ」
両腕を抑えられて、突然塞がれた唇。
強引な、それでいて激しく深い口づけ。ユアは頭の中が真っ白で、なにも考えられなかった。
「…っ…ん…ぁ…っ!や…やめて!やめてよ!」
「ユア…」
「…好きでもないくせに!こんな事しないで!この場所で…っ!ここでこんな事っ!!」
―この泉だけは、自分の醜い嫉妬に汚されたくなかったのに。
「好きだから、こんな事するんです。貴女が好きだから、愛しているからこの場所に…この泉で、キスをしたんです。」
目を丸くするユアに、ファラミアはもう一度キスを落とすと、彼女は嬉しそうに彼を抱きしめた。
はじめは、
このゴンドールを救ってくださり、有難うございます。
そう礼を言うつもりで、エオウィン姫の病室を訪ねた。
聡明で、賢く、少し弱いところを見せるエオウィン姫。
何度か話をしているうにちに誰かと重なった。
ユア…。
何となく親近感が湧いて、ユアの話をエオウィンに何度かするうちにいつの間にか婚約の話にまで発展していたことに、ファラミア同様、エオウィンもしらなかった。
同時に、思い起こされたのは、ユアだった。怪我を負って、自分の部屋にいた彼女は心配そうな面持ちで、生きているかと訪ねた。ファラミアは、ユアのその言葉が嬉しくて、生きていると言った。だが、不意にはなたれた愛しいひとの呪いの言葉。ファラミアは罪悪感に苛まれた。そう、現実を引き戻してしまうほどに彼は彼女に溺れていたのだ。
彼女がボロミアに恋い焦がれていた事は知っていた。初めて出会ったあの日から、ボロミアにべったりだったからだ。ライドニヒが怪我で負傷してから、跡継ぎのいなかった彼女の家は、ユアをいち兵士としてデネソールに託す。
ユアも、女性でありながら覚悟を決めた雰囲気で、父であるデネソールと、ゴンドールに忠誠を誓った。
「ユア。なぜこのご時世に、兵になど…」
「そうです。貴女は女性なんですよ。」
「仕方ないわ。父様の命には逆らえない。それに、人手不足のこのご時世だもの。1人でも戦える人間がいるのは頼もしいでしょ?」
あっけらかんとした口調でいう彼女にボロミアはため息をつき、ファラミアは納得がいかないようだった。
「なら、約束してください。私達の知らない所で死なないと…」
「心配症だなぁ。ファラミアは。大丈夫だよ。二人から直々に習った剣なんだよ?そう簡単に死なないよ。」
「ですが…私は貴女が心配なんですよ!」
必死のファラミアに、彼女は肩を竦めると、分かったと頷いた。
「なら、2人も約束して。決して私の知らないところで、死んだりしないと…」
その言葉が、後々どんなに重要になってくるのか…
ボロミアが裂け谷に向かう日のあの時。
自分はどれほど呪われた言葉を吐いたのか思い知ってしまった。
兄に懐いていたユアが、ボロミアを好きだったとしても…
その言葉を口にした自分を、彼女が責めなかったとしても。
償いでもいい。兄の変わりでもいい。守って、いこうと決めていたのだ。
いつも傍に、どんなときも…
だが、日を増すごとに、ファラミアは兄に対して嫉妬を覚える。
彼は、ユアが自らを避けていることに苛立ち、そして先日のボロミアと自分を重ねるようなキスに焦りを感じていた。どんなに焦がれても、自分は兄には勝てないのかと、ぶつけようのないこの感情のはけ口を彼は探していた。
そんなとき、馬に跨りかけていくユアを見かけた。ファラミアは慌てて彼女の後を追うと、そこは懐かしい…。彼女とよく出かけた泉だった。
不意に歌声が聞こえた。透き通るような心地よい声。その声の主が誰のものか、すぐにわかった。
声をかければ、再び彼女からの拒絶の声。
ファラミアは珍しく、不機嫌な表情を露わにした。つもりにつもった焦りと嫉妬。もうこれ以上抑えることができなかったのだ。感情に任せて彼女を押し倒して、唇を強引に吸った。ボロミアもエオウィンも関係ない。自分が好きな女性は確かにユアという女性で、この世で自分しか、彼女を守れないとそう強引な考えでユアに激しいキスをしたのだ。
「…好きでもないくせに!こんな事しないで!この場所で…っ!ここでこんな事っ!!」
そこで気がついたのだ。
彼女も同じ気持ちだったことに、2人で誤解をして、何年も一緒にいたことに…
「好きだから、こんな事するんです。貴女が好きだから、愛しているからこの場所に…この泉で、キスをしたんです。」
目を丸くするユアに、ファラミアはもう一度キスを落とす。それは、長年をかけて、ようやくお互いの気持ちを知った瞬間だった。
「ファラミア。エレサール様とアルウェン様素敵ね。」
「ええ。そうですね。」
王冠を授かり、アルウェン姫と寄り添う2人を見つめるファラミア達は嬉しそうに拍手を送る。その光景を、ドレスを身にまといながら微笑ましく見つめるユアの肩をファラミアは優しく抱き寄せた。
「貴女も十分綺麗で素敵ですよ。」
「ファラミアこそ。」
ファラミアの肩に頭を置く彼女。
微笑ましく、花びらが散る広場で笑いあった。
2人が婚儀をおえて、今以上に幸せに笑い合うのはもう少し先の話。
幼い頃から貴方だけを好きだった。
どんなに、身分が違おうとも、
どんなに、手の届かない場所にいようとも、
この気持ちだけは…
~隠れた恋心~
「終わった…か…」
ゴンドールに向けられたサウロン軍との戦いに区切りがつくと、ユアはぼそりと呟いた。ミナス・ティリスは何とか守られ、ゴンドールは勝利を収めた。
オークやトロルの返り血を浴びたままに、ユアはヘルムを外すと額を拭って短く息を吐く。
「…っ…」
長時間の武器の持ちすぎで、己の手が悲鳴をあげている。
利き腕の手のひらは、力の入れすぎで真っ赤に染まっていた。
城門前に配備されていたユア。この激戦区で、よく戦っていたと思う。
ジンジンする手を何とかブラブラさせながら、ユアは城内に急いだ。
―ファラミア
戦いの最中心配で心配でどうしょうもなかった幼なじみ。
矢傷を負って馬に引きずられて戻ってきた彼を見て、何故自分はここにいるのかと、悔やんだ。
それに、傷だらけで戻ってきた彼には、治療を充分にする時間も与えられず、直ぐにサウロンとの戦いが始まってしまった為、この戦では、まともな手当てはなされていないだろと、彼女は足早にファラミアの部屋に向かった。
「ファラミア!」
部屋に駆けつけると、侍女達が彼に付き添って、傍ら座っていた。薬で眠っているのか、気を失っているのか、ファラミアは目をさましていないようだった。
香油の独特の臭いに、彼女はどうかしたのかと尋ねる。
「…デネソール様が…」
その言葉に、ユアは顔色を変える。
ボロミア亡き後、先のオークの大群。あの方が乱心する姿が目に浮かぶ。
そして、目の前の彼の状態を見れば、何があったのかは予想がついた。
「…後は私が。貴女達は下がっていいわ。」
傷だらけの頬を布で優しく拭い、包帯で巻かれたファラミアを見つめる。
こんな事になって…
こんなに酷い傷を負って…
悔し涙を堪えながら強引に目をこすった。
香油の匂いが己の不甲斐なさを掻き立てる。
「…ファラミア。ゴメンナサイ。」
横たわるファラミアの頬を優しく撫でながら、彼女は涙を流した。
それからしばらくしてファラミアは目を覚ました。
見覚えのある部屋に、自分は助かったのかと安緒の息を漏らす。
外では戦があったはずなのに、窓からはそれらしき音が聞こえないということは、戦いが終わったのだろうと判断した。
ふと、辺りを見回すと見知った人物が手を握り締めながら眠っていた。
「ユア?」
寝息をたてる彼女の輪郭を優しく撫でると、ファラミアは柔らかく笑った。
兄のボロミア、父デネソールに加えて、己は彼女までも失ってはいなかったのだと、安心したようだった。
「ん…」
何度も優しく指で輪郭を撫でると、くすぐったかったのか、彼女は眉間に少しばかり皺をよせる。
白く綺麗な肌に、かすかに残る血の痕や傷を見るからに、サウロン軍との凄まじさを物語っているようだった。
「ファラミア、気がついたの?」
寝起きのかすれた声で、ユアはファラミアに声をかけた。
「はい。今し方。」
そう言って柔らかく笑うと、彼女は難しい顔をして彼をジッと見つめた。
「生きてる…よね?」
「…生きてますよ。」
珍しく弱々しく聞いてくるユアの頬を撫でると、彼女の目から水滴が溢れ出た。
「良かった…」
泣きながら、安緒の声を漏らすユアに、泣かないでと言うと、彼女は泣き止むどころか、しゃくりをあげて涙を流す一方だった。
「ボロミア…みたいに、私の知らないところでいなくならないで。」
お願いだからと付け加えると、ユアはファラミアの体温を確かめるように、彼の手を握り締めた。
それから幾日たったのか、ガンダルフやアラゴルンを筆頭に、ゴンドール、ローハン軍は黒門へと向かった。
ファラミアの傷が完治していないため、ユアはミナス・ティリスにて待機を命じられた。
利き腕を痛めていたユアは傷が完治すると、積極的に兵士らの手当てや看病に明け暮れていた。ファラミアの傷が治っていないとはいっても、ずっと彼のそばにいることは、なんだか気恥ずかしかったからだ。それでも、常に時間が空けば彼の部屋へ足を運び包帯を巻くのを手伝ったり、食事を持ってきたりと、懸命さが見て取れた。
しばらくして、歩けるほどに回復したファラミアは城内をリハビリと称して歩くようになる。ユアは相変わらず、心配していたようではあったが、気にせず、ローハンやゴンドールの兵士らの看病に時間を割くようになる。
だから、知らなかったのだ。
ファラミアが、ローハンの姫エオウィンとの距離が縮まっていた事を…
「ファラミア様とエオウィン様。最近はいつもあそこで2人っきりでいらっしゃいますね。」
療養所で2人を数回に及んで話をしているところを見かけていた兵士は、包帯を気難しげにまく彼女に同意を求めるように、そう口にした。
「ファラミア様が?」
促されるように視線をそちらへ向けると、仲良く話し込む二人の姿が見えた。
彼女のよく知る、いつも自分に向けられていたあの笑みで、ファラミアはエオウィンを見つめていた。ユアは複雑な表情をしながら、作業を再開する。
「ファラミア様が歩けるようになられてから同時期に、エオウィン様も動けるようになったんですよ。」
それから、仲良く2人で話し込むところを見かけていた兵士はお似合いですよねと付け加えた。
「日に日にあそこで話している時間が長くなっているので、婚約の話でも近い内に持ち上がるかもしれませんね。」
聞きたくない言葉だった。
自分はファラミアとボロミアの幼なじみではあったが、年が近いというだけで、顔馴染みになっただけで、身分はたいしたことがない。
対してファラミアは執政の息子。
となれば、身分の高い者と婚礼を行うことは必至。覚悟はしていたつもりだったが、聞きたくはなかった。
「ユア殿?」
涙が出ていたことに気がついたのは、兵士に呼ばれて数秒してからだった。
「…ごめんなさい。」
包帯を巻き終えていた彼女は、すっとその場から立ち上がると、療養所を出て行った。
泣きながら広場へ走っていくとユアは外壁に手をついた。風が轟々となる広場の最奥に足を運んで涙を風で乾かそうと、息切れをしながら、彼女はゆっくり歩いていく。目を瞑ると懐かしい昔の光景が瞼に蘇る。デネソール、ボロミアとファラミアと4人で楽しく笑い合っていたあの頃。昔は娘のように可愛がってくれていたデネソール。素直ではないけれど、照れ屋でさり気なく優しい言葉をかけてくれたボロミア。いつも、側にいて優しい笑みで自分を見つめ、常に自分を守ってくれたファラミア。
あの日の光景は、もう二度とくることはなく、自分はファラミアに『見てもらえない』のだろうと、ユアは現実を実感してしまう。
「…バカね。身の程をわきまえないからこうなるのよ。」
今まで優しい彼に甘えてばかりで、現実を直視しようとしなかった。ファラミアから女性の話も聞いたこともなかった…自分の家に男子が居なかったため、自らゴンドールの剣になろうと決めたあの時。女としての自分は捨てたつもりでいた。だが、時をますほどに…彼と兵として時間を過ごすほどにこの気持ちが、切り捨てられない程に、強く増していっていた。だから、安心していたのだ。彼が女性の話をしなければしない程に、自分が近くにいられるという錯覚をおこすほどに…
「なんて、愚かな考え…」
滑稽すぎて笑えてしまう。彼のいつもの笑みや言動は自分にだけ向けられているものではないのに…
「…潮時なのね。」
赤黒く光るモルドールを悔しげに見つめると、ユアはただただ、その場に立ち尽くしたままだった。
幼い頃、武官のライドニヒから紹介された小さな少女。
ボロミアとファラミアは、その愛くるしい少女に目を奪われた。
ライドニヒの後ろに、怯えるように寄り添うその少女は、出会ったばかりのファラミア達に戸惑いながら挨拶をした。
「はじめまして、ユアです。」
少女独特の高い声で、怯えながら自己紹介をするユアの頭をボロミアは豪快に撫でると
「外に行こう。」
と彼女とファラミアを強引に連れ出した。行き着いた先で、ボロミアはユアを抱き上げて緊張しなくてもいい、楽しい事をしよう。と言うと、彼女は嬉しそうに笑ってボロミアを抱きしめ返した。
「…ユア」
その時の、彼女の笑顔と兄ボロミアの表情と、そして自らに湧き上がったあの不思議な感情。自分はけして忘れないだろう。少なくともその少女を一生をかけても守っていきたいと思ったことに、嘘偽りはない。
だから…
「…何故、泣いてるんですか?」
鳴り響く風。
背を向け、上を見る彼女に話しかけた。何度も見たその姿に、胸が締め付けられて、亡くした者を想うユアにファラミアはゆっくりと近づいていく。
「何故…?難しい質問だわ。」
クスッと笑って、目を瞑る。
彼女がボロミアを想い泣いていると解釈しているファラミアは、ユアを後ろから抱きしめた。
「…貴方こそ、何故ここへ来たの?」
回した腕に、彼女の手が置かれ、体をぎゅっと丸くした。
「ユアが泣いている気がして…」
視線をゆっくり向けるユアにファラミアは優しく見つめると、彼女は淋しげにすぐに顔をそらしてしまう。
「貴方には関係ない事だわ。」
「ユア?」
冷たく突き放されて、ファラミアはユアの顔をこちらに向かせた。
「何か…あったのですか?」
「何も…。あったとしても、貴方には関係がない事よ」
「関係ない…。それでも、話して…」
「イヤよ。自分が惨めになるだけだわ。」
そう言って、ユアは頭を振る。
「惨め…?そんなに私には話したくないことですか?」
「ええ、そうよ。話したくないし、聞いてほしくないことよ。」
拒絶が胸を裂く。
彼女もまた、自分から離れていってしまっていることにファラミアは悲観の顔をする。
「…貴女まで、私の傍から離れていくのですか?」
違うと言いかけたユアだったが、口をつぐんでしまう。
「もう、傍にはいられないもの…」
「何故そんな…っ」
言いかけて、唇が重なった。
触れるだけの、ほんの数秒のキス。
ユアは綺麗に柔らかく微笑むが、彼女はファラミアの腕を解くと、視線をそらして今度は寂しそうに笑った。
「…ユアっ」
「さよなら…」
まるで、自らの想いを断ち切るかのように、彼女は療養所へ戻ってゆく。
ファラミアは、唇に触れた感触を確かめるように、自らの指をあてながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
それからしばらくは、彼女はまるで隠れるように、生活をした。
ファラミアの目に触れないよう、アラゴルンらの出迎えにも、離れて出迎えるなど、とにかく徹底的に避けていた。
そんな中、エレサール王の戴冠式の日取りが決まる。都の中はその話題で持ちきりになっていた。ゴンドールにとって、待ち続けていた事なのにユアは素直に喜べない自分を叱咤しながら、ミナス・ティリスで噂されているもう一つの婚約の話題に耳をふさいだ。
「…ふぅ」
都から少し離れた泉で、彼女はため息をつく。一日中気を張っている生活に、彼女は疲れきっていた。両脚を泉に浸からせてどさりと横たわるとユアは静かに笑みを漏らすと目を瞑った。
この場所にいる時だけは、ファラミアを純粋な気持ちで想っていられたからだ。
「~♪~~♪~~♪~~」
幼い頃、この泉でファラミアとよく歌っていた歌を口ずさむ。この歌と、この場所だけは、永遠に変わらない物。それだけを想い、涙を流しながら彼女は歌い続けた。
「~♪~~♪~~♪~~~」
「…懐かしい歌だ。」
ふと、聞こえた声に其方へ顔を向けると、長年想い続けていた男がいた。
馬に跨り、彼女の歌を聞いていた彼は、ゆっくりと愛馬から降りると、ユアに近づいてくる。
「…ご婚約、おめでとうございます。ファラミア様」
急いで起き上がって濡れたまま跪く。
「…。」
頭を垂れるその行為に、ファラミアは不機嫌そうな顔をする。
「貴女から、そんな言葉は聞きたくはない。」
顔を強引にあげさせられ、ファラミアと目が合う。ユアは困った顔をして、視線だけそらしてしまう。
「ユア…見て。私を…」
両手を頬にあてて、逃げられないようにする。彼女に逃げ場はなく、諦めたかのように、ファラミアを見る。
「何故、私を避けていたのですか?」
「…さ、避けてなんていないわ。」
「嘘です。」
きっぱり言われて、苦笑いをする。
「この間から…。広場でのキスから、貴女は私を避けている。私が、何かしましたか?」
詰め寄る彼は、いつものファラミアではなかった。口調は静かではあるが、どこか余裕がないように見えた。
「別に、何も…ぁ…っ…」
言いかけて、茂みに押し倒される。ユアは驚いて、男を見上げた。
「…どうあっても、言う気はないと?そういうのですか?」
「な、何を言って…。私は貴方を避けてなんてないし、貴方に対して何も…っ」
両腕を抑えられて、突然塞がれた唇。
強引な、それでいて激しく深い口づけ。ユアは頭の中が真っ白で、なにも考えられなかった。
「…っ…ん…ぁ…っ!や…やめて!やめてよ!」
「ユア…」
「…好きでもないくせに!こんな事しないで!この場所で…っ!ここでこんな事っ!!」
―この泉だけは、自分の醜い嫉妬に汚されたくなかったのに。
「好きだから、こんな事するんです。貴女が好きだから、愛しているからこの場所に…この泉で、キスをしたんです。」
目を丸くするユアに、ファラミアはもう一度キスを落とすと、彼女は嬉しそうに彼を抱きしめた。
はじめは、
このゴンドールを救ってくださり、有難うございます。
そう礼を言うつもりで、エオウィン姫の病室を訪ねた。
聡明で、賢く、少し弱いところを見せるエオウィン姫。
何度か話をしているうにちに誰かと重なった。
ユア…。
何となく親近感が湧いて、ユアの話をエオウィンに何度かするうちにいつの間にか婚約の話にまで発展していたことに、ファラミア同様、エオウィンもしらなかった。
同時に、思い起こされたのは、ユアだった。怪我を負って、自分の部屋にいた彼女は心配そうな面持ちで、生きているかと訪ねた。ファラミアは、ユアのその言葉が嬉しくて、生きていると言った。だが、不意にはなたれた愛しいひとの呪いの言葉。ファラミアは罪悪感に苛まれた。そう、現実を引き戻してしまうほどに彼は彼女に溺れていたのだ。
彼女がボロミアに恋い焦がれていた事は知っていた。初めて出会ったあの日から、ボロミアにべったりだったからだ。ライドニヒが怪我で負傷してから、跡継ぎのいなかった彼女の家は、ユアをいち兵士としてデネソールに託す。
ユアも、女性でありながら覚悟を決めた雰囲気で、父であるデネソールと、ゴンドールに忠誠を誓った。
「ユア。なぜこのご時世に、兵になど…」
「そうです。貴女は女性なんですよ。」
「仕方ないわ。父様の命には逆らえない。それに、人手不足のこのご時世だもの。1人でも戦える人間がいるのは頼もしいでしょ?」
あっけらかんとした口調でいう彼女にボロミアはため息をつき、ファラミアは納得がいかないようだった。
「なら、約束してください。私達の知らない所で死なないと…」
「心配症だなぁ。ファラミアは。大丈夫だよ。二人から直々に習った剣なんだよ?そう簡単に死なないよ。」
「ですが…私は貴女が心配なんですよ!」
必死のファラミアに、彼女は肩を竦めると、分かったと頷いた。
「なら、2人も約束して。決して私の知らないところで、死んだりしないと…」
その言葉が、後々どんなに重要になってくるのか…
ボロミアが裂け谷に向かう日のあの時。
自分はどれほど呪われた言葉を吐いたのか思い知ってしまった。
兄に懐いていたユアが、ボロミアを好きだったとしても…
その言葉を口にした自分を、彼女が責めなかったとしても。
償いでもいい。兄の変わりでもいい。守って、いこうと決めていたのだ。
いつも傍に、どんなときも…
だが、日を増すごとに、ファラミアは兄に対して嫉妬を覚える。
彼は、ユアが自らを避けていることに苛立ち、そして先日のボロミアと自分を重ねるようなキスに焦りを感じていた。どんなに焦がれても、自分は兄には勝てないのかと、ぶつけようのないこの感情のはけ口を彼は探していた。
そんなとき、馬に跨りかけていくユアを見かけた。ファラミアは慌てて彼女の後を追うと、そこは懐かしい…。彼女とよく出かけた泉だった。
不意に歌声が聞こえた。透き通るような心地よい声。その声の主が誰のものか、すぐにわかった。
声をかければ、再び彼女からの拒絶の声。
ファラミアは珍しく、不機嫌な表情を露わにした。つもりにつもった焦りと嫉妬。もうこれ以上抑えることができなかったのだ。感情に任せて彼女を押し倒して、唇を強引に吸った。ボロミアもエオウィンも関係ない。自分が好きな女性は確かにユアという女性で、この世で自分しか、彼女を守れないとそう強引な考えでユアに激しいキスをしたのだ。
「…好きでもないくせに!こんな事しないで!この場所で…っ!ここでこんな事っ!!」
そこで気がついたのだ。
彼女も同じ気持ちだったことに、2人で誤解をして、何年も一緒にいたことに…
「好きだから、こんな事するんです。貴女が好きだから、愛しているからこの場所に…この泉で、キスをしたんです。」
目を丸くするユアに、ファラミアはもう一度キスを落とす。それは、長年をかけて、ようやくお互いの気持ちを知った瞬間だった。
「ファラミア。エレサール様とアルウェン様素敵ね。」
「ええ。そうですね。」
王冠を授かり、アルウェン姫と寄り添う2人を見つめるファラミア達は嬉しそうに拍手を送る。その光景を、ドレスを身にまといながら微笑ましく見つめるユアの肩をファラミアは優しく抱き寄せた。
「貴女も十分綺麗で素敵ですよ。」
「ファラミアこそ。」
ファラミアの肩に頭を置く彼女。
微笑ましく、花びらが散る広場で笑いあった。
2人が婚儀をおえて、今以上に幸せに笑い合うのはもう少し先の話。