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今日は、大きな満月が夜空に上っていた。
黒く塗りつぶしたような空に浮かび上がって怪しく輝く満月を、私は自室の窓を開けてぼうっと眺める。
両親が仕事でいない時間を、こうして夜風に当たりながら過ごすのが私は好きだ。
秋の冷たくて柔らかい風が、頬をそっと撫でるのが心地よい。
そうして満月を暫く眺めていると、どこからか聞き覚えのある音が微かに鼓膜を揺らした。
それはだんだんと近づいてきて、私の聴覚を支配していく。
この音は万次郎の、バブの排気音だ。
すぐ近くにいると思った時には、万次郎は私の家の目の前にまで来ていた。
万次郎は窓から顔を出していた私に気付くと、こちらに手を振って自分の後ろに視線をやった。
"乗って"
万次郎は、そう言っているようだった。
私は身振り手振りで待っててと伝えると、開けていた窓とカーテンを閉め、タンスの中から適当な服を引っ張り出して着替える。
素早く準備を終えると、私は戸締りをしてバタバタと家を飛び出した。
万次郎の元へ駆け寄ると、万次郎はこちらを見ながら少々悪戯な笑みを浮かべていた。
「びっくりした?」
「うん。来るなら連絡くれればよかったのに」
「志織のびっくり顔見たかったから。ちょっと走りに行くから付き合ってよ」
「うん、いいけど」
私がそう返事をすると、万次郎は私にヘルメットを被せた。
そのまま私がバブの後ろに乗って万次郎のお腹に腕を回すと、ちゃんと掴まってろよーと言ってバブを走らせた。
発車時の遠心力を感じて、思わず万次郎のお腹に巻き付けた腕にぎゅっと力を込める。
あまりぴったりくっついたら、心臓の鼓動が伝わってドキドキしているのが万次郎にバレてしまうかもしれないけれど、この瞬間だけは何回乗っても少しびっくりしてしまうのだ。
それでも少し走れば速度にも慣れて来て、今日は風が気持ちいいなんて思う余裕も出てくる。
ついでに風に乗って香ってくる万次郎の匂いが、私の鼻腔を不意に擽ってきゅんとした。
「そういえば志織、さっき何してたのー?」
万次郎が前を向いたまま、そう私に声をかけた。
排気音に掻き消されないように、私も大きめの声で何がー?と返した。
「さっき窓開けてボーッとしてたじゃん!」
「あーあれ!月見てたの!」
「月ー?」
「そう月ー!」
私がそう言うと万次郎はなんだそれ、と笑っていた。
それにつられて、私も小さく笑う。
「じゃあさ、月がよく見えるところでも行くー?」
「そんなところあるのー?」
「あるよー!ここからそんな遠くない!」
「じゃあ行くー!」
万次郎はりょーかい!と、楽しそうに返事をした。
▼
万次郎に連れられてやってきたのは、高台だった。
バブから降りて被っていたヘルメットを取ると、私は思わず息を飲んだ。
夜空に浮かぶ月もキラキラと光る夜景もどちらも一望出来て、まさにここは絶景スポットといえる場所だった。
「すごい!綺麗!」
「だろ?」
「うん、月すごく大きく見えるね!掴めそう」
「ははっ、かーわいお前。ここおいで」
万次郎はバブに腰掛けながら、空いているスペースをぽんぽんと叩いた。
言われるままに万次郎の隣に腰を下ろすと、思ったよりも距離が近くて肩と肩が触れ合う。
これだけで心臓はドキドキと忙しなく音を立てるのに、まるで私の緊張なんて知らないというように、万次郎は私の手をそっと取って優しく指を絡ませた。
「志織、こっち向いて」
「ん、何?」
名前を呼ばれて思わず万次郎の方を向くと、万次郎の形の良い唇が私のそれに一瞬触れた。
突然の事に目を閉じる暇すらなくて、思わず目を見開いたまま固まってしまった。
頬にじわじわと熱が集まっていく。
「顔真っ赤」
「う、うるさい……」
「志織ってほんとに可愛いよな」
「可愛くない……」
「可愛いよ」
万次郎の真っ直ぐな言葉が恥ずかしくて、私はそれ以上何も返せなかった。
会話が途切れると、辺りはシンと静まり返った。
その静寂が何だか照れ臭くて、私はそんな空気を誤魔化すように、再び夜空に浮かぶ月を見上げた。
万次郎は繋いでいた手を離して私の肩を抱き、私の頭を肩に凭れかけさせると、顔を上げてまん丸な満月を見つめていた。
また、万次郎の匂いが優しく鼻腔を擽る。
「ほんとに綺麗だなあ」
「…うんすごく綺麗。連れてきてくれてありがとうね、万次郎」
「もっと色んなところ連れてってやるよ。だから二人で色んなもん見よう」
「うん!」
そう返事をすると、万次郎は優しく私の髪を撫でた。
そして、私の額に口づけを一つ落としていった。
やっぱり私の心臓はドキドキと騒がしく音を立てていたけれど、温かな気持ちが胸いっぱいに広がって、なんだかとても幸せに満たされた気分だった。
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