【中編/松野千冬】シークレット・ナイト
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初めて松野くんと他愛のない話をしてからというもの、私と松野くんはベランダで鉢合わせる度に雑談に花を咲かせていた。
勿論毎日話せる訳ではないし、話している時間もそこまで長くはない。
おまけにベランダでしか会わないという奇妙な関係性だけれど、松野くんと話せた日は心の中が温かくなって、いつもより少しだけ寝付きがよくなるのだ。
顔を合わせる回数が増えていくにつれて、松野くんとの距離が少しずつ縮まっているのを、私は密かに感じていた。
松野くんも私と同じように思ってくれていたら、きっと嬉しいと思う。
けれど、松野くんとの距離が縮まれば縮まる程、松野くんともっともっと仲良くなりたい、という気持ちが芽生えて来ているのも事実だった。
そんな自分の欲深さに何度苦笑いを溢したか、もう分からない。
この年になって、自分の新しい一面を知る事になろうとは、人生はまだまだ分からない事だらけだと、私は思った。
そんな日々を過ごして、気付けば暦は八月に移り変わっていた。
私は今、バイトや課題で押し潰されそうな程、多忙な生活を送っている。
いつもフルタイムでシフトに入っていたパートさんが、子供の部活や塾の送り迎えでなかなかシフトに入れなくなってしまい、その穴をみんなでカバーせざるを得なくなってしまった。
それに加え、やらなければいけない大学の課題もあるから、鬼のようなシフトの合間に近くの図書館に行って調べ物をしたりと、本当に忙しい毎日だった。
おかげで以前のように松野くんに会う事が出来ず、私はまた、なかなか眠れない生活に逆戻りしていた。
松野くんに会えない寂しさが、心の中を少しずつ埋め尽くしていく。
どうしてこんな気持ちになるのか、自分でもよく分からないけれど。
そんな気持ちを抱えながらも、私は今日も図書館での調べ物を終えた後、バイトへ行って閉店まできっちり働いた。
私が帰宅する頃には既に日付も変わっていて、疲労感から来る深い溜め息が、思わず私の口から溢れた。
けれど明日は、久しぶりの休日だ。
帰宅したらまずはシャワーを済ませて、あまり強くはないけどお酒も飲んでしまおう。
そして、明日の朝はベッドでゴロゴロしながら、好きな事だけをして過ごそう。
そんな妄想を膨らませながら自宅の鍵を開け、靴を脱いで中へ入った。
荷物を片付け、着替えとタオルを持ってお風呂場へ向かい、考えていた筋書き通りに早々にシャワーを済ませた。
メイクや汗を洗い落とし、お風呂場から出て服を着ると、タオルで髪を拭きながら冷蔵庫に仕舞っておいた缶ビールを取り出した。
プルタブを開けて、黄金の液体をぐいっと一気に煽る。
絶妙な苦味と炭酸が喉を通って、疲れた体へ染み渡っていくようだった。
「はぁ…美味しい……」
ついついそんな一人言を漏らしながら、もう一度ビールを体内へ流し込んだ。
そして、早々に一缶目を飲み終わると、冷蔵庫からもう一缶取り出してプルタブを開けた。
一気に飲み干したからか、少し酔いが回って気持ちがふわふわしている。
そのせいで何だか外の風を浴びたくなった私は、濡れた髪のまま、缶ビールを片手にベランダへと繰り出した。
夏の夜特有の生ぬるい風が、頬を緩やかに撫でていくのが心地よい。
ふぅ、と大きく息を吐き出すと隣の窓がカラカラと音を立てて開いた。
そして、衝立の向こうから松野くんがひょっこりと顔を出す。
「あ、やっぱり志織さんだ!」
突然の松野くんの登場に、飲んでいたビールを吹き出しそうになったが、何とかそれは堪えた。
「ま、松野くん……。こんばんは」
「こんばんは!今日は煙草じゃないんですね!」
「あ、はい。明日久しぶりの休みだから、少しだけ飲もうかなと思って」
「そうなんですね!お疲れ様です!」
「ありがとうございます」
「どういたしまして!ちなみに俺も明日休みなんすよ!だから今日は夜更かししようかなって思って」
「そっか。じゃあ、一緒に飲みませんか?」
そう言ってから、私はハッと我に返った。
アルコールも手伝って、半ば勢いでそんな事を口走ってしまったが、こんな時間にいきなり誘っては迷惑以外の何物でもないだろう。
仲良くなりたいと思っていたのに、こんな事を言ったら嫌われてしまうかもしれない。
きっと断られて、気まずくなって、だんだんと話さなくなってしまうんだ。
そんな最悪な想像を脳内で繰り広げていた私に松野くんが放ったのは、予想外の言葉だった。
「え!いいんすか!?」
「……え?」
「俺もご一緒してもいいんすか!?」
「え、あ、えと…松野くんがよろしければ……」
「ほんとすか!じゃあ飲みましょう!」
「あ、はい…!」
「どっか行きます?この時間空いてる店あるかわからないけど。外だと暑いっすよね流石に」
「そうだね…そうしましょうか」
「はい!」
「そしたら私、髪乾かしたいから少し待ってて貰ってもいいですか?準備出来たら千冬くんの部屋のインターホン鳴らすので」
「了解っす!」
私は部屋へ戻るとドライヤーを取り出し、急いで髪を乾かし始めた。
まだイマイチ状況が飲み込めていないけれど、これから私、松野くんと一緒に出掛けるのか……。
そう思ったら胸がドキドキと大きな音を立てて、このまま心臓が壊れてしまうんじゃないかと思うくらい、私は緊張していた。
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