【中編/松野千冬】シークレット・ナイト
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私と千冬くんの関係が正式に恋人に変わって、数日が経ったある日の土曜日。
千冬くんに出掛けようと誘われていた私は、千冬くんとの待ち合わせ場所に向かっていた。
師走の慌ただしさに包まれた世間は、電車の中も駅も人で溢れ返っている。
そんな喧騒の中をくぐり抜け駅の外へ出ると、私は人混みの中を見回して千冬くんの姿を探した。
視線をさ迷わせ、カフェの入り口から少し外れた場所に立っている千冬くんを見つける。
「千冬くん、待たせてごめんね。バイトお疲れ様」
「ありがとう!俺もさっき来たところだから大丈夫!」
そう言いながら、千冬くんは私の手を取って歩き出した。
「今日はどこ行くの?」
「行けば分かるよ!」
千冬くんは、今日の行き先を教えてくれなかった。
けれど、まるでヒントを与えるかのように話す千冬くんは、なんだかすごく楽しそうだった。
「絶対、志織さんを連れていこうと思ってた」
「私を?」
「うん!志織さんも楽しんでくれたら嬉しいなって思って」
「えー、何だろう」
そんな話をしながら街を歩いていると、あっという間に目的地に到着したようだった。
あるビルの前に出来ていた小さな人だかりの中に、千冬くんは私の手を引きながら迷いなく入っていく。
そして、千冬くんはその人だかりにいた人たちと、二言三言やり取りを交わしていた。
千冬くんの知り合いだろうか。
……あれ、そういえばこの今千冬くんと話している女の子、どこかで見覚えがある気がする。
ぐるぐると記憶を辿っていくと、いつしか千冬くんの彼女だと思い込んだ女の子だと気が付いた。
という事は、女の子の隣に立っている男の子は、もしかして千冬くんが相棒と言っていた子だろうか。
そんな事を考えていると千冬くんが不意にこちらを向き、千冬くんの仲間たちに私を紹介してくれた。
花垣くんと橘さんは、やっぱり千冬くんが話していた相棒とその恋人だった。
色んな人と話す中で分かった事だが、この集まりはかつて千冬くんが所属していた東京卍會というチームの人たちの飲み会らしい。
今は既にチームは解散になっているが、今でもこうして定期的に集まっているのだとか。
千冬くんと出会ってから時々疑問に思っていた千冬くんの言動や行動が、ここへ来てようやく腑に落ちた。
やっぱり君は元ヤンだったんだね、千冬くん。
そんな事を考えながら店内に入ると、広めの宴会場のような個室へ通され、私は千冬くんと一緒に端の方に並んで座った。
「志織さん、びっくりした?」
「うんびっくりした。でもみんないい人たちだね」
「へへ、よかった。でも今日会わせたかった人がまだいるんだ」
「会わせたかった人?」
「そう!たぶんもう少しで来ると思う」
千冬くんはそう言いながら、無邪気な笑顔を私に向けていた。
それから少し経ち、一杯目のビールジョッキがもう少しで空きそうになった頃、個室の扉が開いて誰かが入ってきた。
「あ、場地さん!」
「おう、千冬!」
遅れてやってきたその人は千冬くんを見つけるとこちらへやって来て、千冬くんの隣へ座った。
……あれ、千冬くん今、バジさんて言わなかった?
「悪ぃな、バイトが長引いてよ」
「お疲れ様っす!場地さん何飲みます?」
やっぱり千冬くんは、隣に座った彼をバジさんと呼んでいた。
という事は、今まで散々話に聞いていたバジさんが今、私の目の前にいるという事になる。
千冬くんの話でしか知らなかったバジさんが突然目の前に現れ、私は何とも言えない不思議な感情に包まれていた。
本物のバジさんだとか、バジさんって本当に生きてるんだとか、そんな不思議な感情。
そんな感情に流されて、私は半ば無意識に口を開いていた。
「もしかして……噂のバジさん、ですか?」
「ん?……あ、もしかして千冬の彼女?」
「そ、そうです。千冬くんからよく話聞いてました、バジさんの事」
「まじか。俺も千冬に会うたび毎回あんたの話聞いてたぜ。付き合ってると思い込んでた千冬の勘違いも聞いたし、二人で出掛けたいけど誘い方が分からないとか、告白したいけどどうしたらとかも全部な」
「うわあああああ!!場地さん!来て早々何言ってんすかああ!バラさないで下さいよ!!」
千冬くんが大きな声を上げながらバジさんの口を塞ごうとするが、バジさんはそれをひょいっと避け、そのまま話を続けた。
「初めてあんたと二人で出掛けた時の話してるコイツとか、もう見せてやりてーもんな」
「場地さああああん!もう勘弁して下さいってええ!」
千冬くんは顔を真っ赤にして止めようとしていたが、場地さんはそれを難なく避けながら千冬くんの色んな話をしてくれた。
中には中学や高校の頃の話題もあって、色んな千冬くんの話が聞けて楽しかったし、バジさんと千冬くんの仲の良さが伝わってきた。
見た目は怖いけど、優しくて仲間想いで、千冬くんがバジさんに憧れるのも分かる気がする。
「もおおお!ほとんど志織さんにバレた!」
「別にいーだろ、減るもんじゃないし」
「減ります!俺の中の何かが減る!」
頭を抱えながら何とも言えない声を上げる千冬くんを見て、バジさんはケラケラと笑っていた。
そこへ少し離れた席へ座っていた花垣くんが、千冬を呼びつける。
初めは渋っていたが、何度も呼ぶ花垣くんと行ってこいと言うバジさんに押され、千冬くんは重い腰を上げたようだった。
「いいですか場地さん!これ以上志織さんに変な話吹き込まないで下さいよ!」
「へいへい。分かったよ」
そう言って花垣くんたちの席へと移動した千冬くんを見ながら、バジさんは再び楽しそうな笑い声を上げていた。
千冬くんがいなくなったその空間に、気まずさを孕んだような何とも言えない空気が流れる。
そんな中先に口を開いたのは、バジさんだった。
「……千冬との付き合いはだいぶ長くなってきたけど、女子にこんな一生懸命になってる千冬は初めて見た」
「え?」
「本当にあんたの事好きなんだな、千冬は」
バジさんはジョッキを手に取り、残り僅かになったビールを一口で飲み干すと、もう一度言葉を紡ぎ始めた。
「ちょっと変な奴だけど良い奴だから、これからも千冬の事頼むな」
バジさんはそう言って、少し照れ臭そうな笑みを私に見せる。
バジさんのその言葉が嬉しくて、私はついつい泣きそうになってしまった。
「あの……どっちかというといつも私が千冬くんに頼っちゃってて。だからそんな風に言ってもらえる事はしてないです。でも、千冬くんが憧れてる人にそう言って貰えるなんて光栄です」
「おう。千冬にはきっと、あんたが一番いい。千冬も多分そう思ってる」
「千冬くんじゃなきゃダメなのは、私の方です。でも、千冬くんが少しでも同じように思ってくれてたら嬉しい」
辿々しく紡がれた私の言葉を聞くと、バジさんは安心したように笑っていた。
つられて私も、笑顔が零れた。
「場地さん!志織さんに余計な事言ってないですよね!?」
そこへ千冬くんが戻ってきて、私たちを取り巻く空気がガラリと変わった。
千冬くんの必死な表情に、今度は思わず笑い声が零れる。
騒がしく会話をする千冬くんとバジさんを見つめながら、私はその後もとても楽しい時間を過ごした。
▼
あっという間に終電の時間がやってきて、飲み会は解散となった。
最寄り駅で電車を降り、私たちは手を繋いで見慣れた道を歩いていく。
「楽しかったなぁ」
「良かった!また志織さんも一緒に行こ!」
「うん!」
「志織さん、今日も俺の部屋来るよね?」
「行ってもいいの?」
「うん、寒いからくっついて寝よ」
「うん、千冬くんとくっついて寝る」
そんな他愛のない話をしながら、私は不意に千冬くんと出会った夏の日の事を思い出していた。
偶然が重なって出会い、辛くて真っ暗な日々を過ごしていた私を救い出してくれた千冬くん。
あの時千冬くんと出会っていなかったら、私は今どう生きていたんだろう。
少し想像しただけでも怖くなって、千冬くんと繋いだ手に無意識に力を込めてしまう。
「志織さん?」
「…ねえ千冬くん」
「ん?」
「私、千冬くんに出会えて本当に良かったよ」
「え、急にどうしたの?」
「んー、ちょっと言いたくなっただけ」
「そっか」
千冬くんはそれだけ言うと、私の手の甲を指の腹で優しく撫でる。
繋いだ手から千冬くんの優しさが止めどなく伝わってきて、千冬くんへの気持ちが一気に溢れ出した。
「千冬くん」
「ん?」
「大好き」
「俺も。志織さんの事大好き」
その言葉が鼓膜を揺らした瞬間、私の心はあの夏の日のように、じんわりと熱を帯びた。
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