【長編/佐野万次郎】オレンジの片割れ
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母に自宅へと連れ戻された志織は、母と共に食卓を囲んでいた。
けれどあんな形で万次郎と離れる事になってしまっては、食欲なんて湧くはずもない。
用意された食事も、一切手付かずだった。
「志織、食べないの?」
「……お腹、あんまり空いてない……」
「そうなの?久しぶりに志織とご飯食べられるからって頑張って作ったのに。ねえ、少しでいいから食べてよ」
「……少しなら」
志織は目の前に置かれたスプーンを手に取り、スープを掬って口に運んだ。
「美味しい?」
「うん、美味しいよ……」
「そうよかった。美味しいなら全部食べられるよね?」
「……へ?」
「ちゃんと全部食べてね?ママが志織の為に作ったご飯」
母は、笑みを浮かべてそう言った。
その笑顔が志織には恐ろしいくらい不気味に見えて、手に持っていたスプーンを思わず強く握り締める。
志織の為にと用意された食事は、今の志織にはとても食べきれる量ではなかった。
けれど、志織がそれを素直に言えるわけもない。
拒絶されたと母が感じれば、きっとまた、刃物のような鋭い言葉を浴びせられるだろう。
志織は吐き気を我慢しながら、目の前に並べられた料理を胃の中へ押し込む事しか出来なかった。
「志織がたくさん食べてくれてよかった!おかわりもあるからね」
「…うん、ありがとう」
にこやかに、そして不気味に笑う母に、志織は必死に笑顔を作って笑い返した。
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それからの日々は志織にとって、とても苦しいものだった。
学校に行く事すら禁じられ、愛する恋人にも会えず、声を聞く事も連絡を取る事も出来ない。
その上、失恋のせいで情緒不安定な状態が続く母親は、感情のまま志織に当たり散らす事が度々あった。
「なんで私が振られなきゃならないの!?あんなに尽くしたのに!」
「お母さん落ち着いて……!」
「うるさい!あんたなんかに私の気持ちが分かるわけないでしょ!?」
母親の肩に触れようとして伸ばした志織の手は、乱暴に振り払われる。
けれど志織は、それでもめげずに母親に手を伸ばし、震えるその背中を優しく撫で続けた。
「あんたのせいだよ!あんたがいるから!」
「ごめんなさい……ごめんなさいお母さん……」
「あんたも私みたいに、振られちゃえばいいのに!」
「ごめんなさいお母さん……ごめんなさい……」
「もう嫌!なんで私だけこんな不幸なの!?」
「お母さん……っ!お母さんなら素敵な人見つかるよ……!だからそんな事言わないで……っ」
「うるさいうるさいうるさい!!あんたに何が分かるっていうわけ!?」
志織がどんな言葉をかけようとも、傍にいようとも、母親からの罵声が止む事はない。
そんな生活は、志織の心を疲弊させるには十分だった。
時々母親が気まぐれに出掛けて行って一人になる度に、志織は人知れず涙を流していた。
「万次郎……万次郎……会いたいよ……」
溢れる涙を何度拭っても止まる事はなく、次々と溢れ出して頬を濡らしていく。
いつ貼り詰めた糸が切れてしまっても、いつ気が狂ってしまっても、決しておかしくはない。
志織の精神は、まさにギリギリの状況だった。
けれどそんな志織を繋ぎ止めていたのは、やはり万次郎の存在が大きかった。
これを耐えれば、またきっと一緒にいられる。
また一緒に、楽しい時間を過ごせる。
だから今、こんな所で壊れるわけにはいかない。
「万次郎……待っててね……」
ポロポロと溢れ落ちる涙を拭いながら、志織はそう呟いた。
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