心躍るアンラッキー
その日十希夫は朝から不機嫌だった。
「のー、トキオ。アニやんどうしたと?」
「うるせぇな!!」
「うおっ!!なんねー!何怒っとると?」
珍しく学校に来た九里虎は来てすぐに屋上に向かったと言う。そこで目にしたのがあちこち傷だらけの軍司。当然どうしたのか尋ねたのだが何でもねーよの一点張り。別に追求するつもりはないがなんとなく気になったのだ。そこで、軍司のことと言えば十希夫。そう思いついて十希夫の教室に出向いたのだった。
ところが、色々な所から九里虎と同じ様に尋ねられるその問いに十希夫は何も答えない。否、答えられないのだ。何故なら彼は何も知らないから。
もっとも、十希夫の怒りの理由は"知らない"からではない。他に"知っている"奴がいるということが原因なのだ。
十希夫は昨日ぼろぼろになった軍司が自宅に入るところを見ていた。秀吉に支えられながら。
昼を過ぎた頃、秀吉は屋上に軍司が居ると聞き向かった。が、米崎とゼットンの2人しかいなかった。
「よう、珍しいな。どうした?」
「…別に、なんでもねーよ」
米崎が声を掛けるも軍司が居ないことが分かると、すぐに屋上を出た。
真っ直ぐ美術室に向かう。ドアを開けると目当ての人物ともう一人、そいつの後輩が居た。
後輩は軍司を気遣うように手を添えている。その姿を見て直感的に感じた。その目はただの後輩としてではない。自分と同じ様に、軍司を想っている目だと。だが、軍司の目は秀吉を見る目とは違う。信頼しきっている。もちろん、二人の付き合いの長さを考えれば当たり前のことなのだが。
胸の奥がちくっとして、秀吉は十希夫の手を取り軍司から離した。
「…何ですか、秀吉さん?」
言い放つ十希夫の目にひどくイライラする。喧嘩を売るときのような挑発的な目。
「てめぇ!」
秀吉が拳を振り上げると、間に軍司が入った。
「軍司…」
「いきなり何するつもりだ!」
当たり前のように後輩を背にする。その行動が更に秀吉の怒りをを増幅させた。
「その体で俺とやりあうつもりか?」
「てめぇがそのつもりならやってやんよ」
軍司の目が秀吉を睨んでいる。昨日中島とやった傷は癒えていない。それでも軍司に引く気はなかった。
「軍司さん、」
軍司の肩に手を置いて十希夫が二人の間に入った。
「俺の喧嘩ですよ」
今度は秀吉と十希夫が睨み合う。
「秀吉さん、あんたには渡しません」
軍司のことだと察する。
「上等だ、てめぇ!!」
秀吉が拳を振り上げる。十希夫はそれを避けると同時に広い空間へ場所を移した。軍司は腕を組んでそれを見ている。
やはり秀吉の方が優勢。十希夫の目の上が切れ、血溜りを作っている。秀吉の右ストレートで十希夫が床に叩きつけられた。
それを秀吉が追おうと足を進める。止めを刺す為に。
と、十希夫を庇うように軍司が秀吉の前に立った。
「ここまでだ。これ以上やるなら、俺が相手だ」
「なんの相手だ」
「あ?」
「――――――――、」
秀吉が軍司に近づき耳元で囁く。その言葉を聞くと、軍司は耳を押さえ眉間に皺を寄せた。
「十希夫、二度はねぇぞ」
秀吉が美術室を出て行く。
「……大丈夫か?」
倒れている十希夫を見る。
目の上は腫れ上がり塞がっている。切れたところからは相変わらず血が垂れていた。
「まだ止まってねぇな。保健室行くぞ。押さえてろ」
「……勝手して…すんませんでした」
立ち上がって十希夫が頭を下げた。
「お前の喧嘩なんだろ。別に、勝手だなんて思ってねぇよ」
頭を上げるよう十希夫に促し、軍司は保健室へ向かった。
「くそっ!」
図書室に入るなり、机を蹴った。
「うおっ!秀吉!何だよ?!」
中で漫画を読んでいたマサが驚いて声を上げた。
「あのガキ生意気なんだよ!」
「ガキ?誰?何があったの?」
マサが聞くもそれ以上はしゃべらなかった。
授業に出る気にもマサの話を聞く気にもならなかったので、早々に学校を出ることにした。
とにかくこのむしゃくしゃした気持ちを発散したい。女にでも連絡を取ろうかと携帯を取り出して廊下を歩いた。
その途中に軍司が居た。
この場所を通るのは図書室から移動する時だけだ。
間違いなく軍司は自分を待っていたのだと思った。軍司の目が黒く沈んでいる。
「なんだ」
「後輩やられて黙ってらんねーんだ。付き合え」
軍司はやる気だった。
「お前は俺に、お前を殴れって言うのか」
「あ?」
「惚れた相手殴れって言うのか」
「……じゃあ黙って殴れられるか?」
「……それでお前の気が済むんなら、」
バキッ!!言い終わるか否かというところで軍司の拳が秀吉を飛ばした。間仕切り壁にぶつかり大きな音が響いた。
「くっ……、」
音を聞きつけてマサが図書室から出てくる。
「どうした?!秀吉?え?軍司?!」
状況の把握の出来ないマサが秀吉に駆け寄る。軍司の目はまだ喧嘩時のものだった。
「イテェ……」
「大丈夫か?!」
「イテェよ…」
そんな秀吉を見ても軍司は何も言わず、向きを変えてその場を去っていった。
「いったい何があったんだ?秀吉、」
「……何でもねぇ」
一瞬泣きそうな顔をした秀吉は悪い、とマサに言ってフラフラとその場を去った。
その背中を見送って、マサは軍司のところへ来た。
あんな秀吉は初めて見る。それだけに、心配になった。
「何があったんだよ?!お前にあんなことされて、秀吉が傷つかないわけがねぇだろ!」
聞かずとも秀吉の気持ちに気付いているマサが軍司を責めた。
「マサ。悪いが、お前にゃ関係ねぇよ」
「でもよー!!」
何も話す事はない。話は終わりだ、とでも言うように軍司がマサに目線を向ける。
「っ……、」
「喧嘩?」
自分の手には負えない、そう思ってマサが屋上に助けを求めに来た。一人で雑誌を読んでいた米崎が話を聞く。
「喧嘩っつーか、軍司が怒ってる」
「珍しいな。あいつ身内にゃ甘いだろ」
「何も聞いてねぇ?」
「知らねぇな」
そっか、とマサが肩を落とす。
「それとなく聞いてみるよ。あいつらが雰囲気悪いと色々と困るからな」
「頼むよ」
マサの落ち込み様を見てそう言ったものの、
マサに言わないものを自分に言うだろうか。
考えた末、事情を知っていそうな人物に聞くことにした。
「十希夫」
軍司が授業に出ているのを狙って、十希夫に話しかけた。事情を知っていればよし、知らなくても十希夫ならうまく解決してくれるかもしれない。米崎は十希夫の力を認めていた。
「ちょっと付き合え」
屋上に連れて行く。
「まあ座れよ」
促されるまま十希夫がドラム缶に座る。
「なんですか?」
「知ってること話してもらおうと思ってな」
「……」
「単刀直入に聞くけどよ。軍司と秀吉、何があった?」
「なんのことですか」
十希夫の目が険しくなる。
それを見て米崎は苦笑いを浮かべた。
「あいつらの揉め事はややこしくしたくねぇんだよ。拗らせたら派閥の争いになるからな。分かるだろ?」
「…もちろんです。けど…」
「?」
「米崎さん」
「ん?」
「これは、俺と秀吉さんの喧嘩なんです」
「は?」
「秀吉さんに軍司さんは渡せません」
「……、」
「俺が秀吉さんに喧嘩売ったんすよ。軍司さんは分かってないですけどね」
「!!」
「だから、俺は止めることは出来ません。寧ろ派閥同士の争いになればいいと思ってる。まぁ、ならないでしょうが」
驚きのあまり声が出なかった。
「軍司さんの目には、いきなり秀吉さんが俺を殴ったように映ってる。でも、実際は俺が秀吉さんを挑発したんです。――それが、今回の始まりです」
そう言った十希夫の顔は普段のものとはかけ離れていた。十希夫の目が秀吉を完全に敵として見ている。威圧感すら感じるそれに、それ以上何も言うことが出来なかった。自分が何を言っても無駄だと、それほどの強さを感じたから。
.