#明け星学園活動日誌

「はぁ……」
 私はため息を吐いた。それから、いけない、なんて思い、慌てて口を手で塞ぐ。ため息を吐いたら、幸せが逃げちゃうもんね。
 吐き出したため息を吸って、幸せを取り戻す。ついでに新鮮な空気を取り入れてから、よし、と私は声を出した。……もう一踏ん張り。頑張ろう!!
 そう張り切ったのも束の間。

 ガダンッ!!

 隣の被服準備室からそんな大きな音がして、私は思わず「うっひゃぁ!?」と声をあげてしまった。
 な……何? 誰? ……今私のいる被服室と、隣の部屋の被服準備室は、鍵が一緒だ。それで、今私は特別にこの部屋を使わせてもらってここにいるから、私以外が被服準備室に入れることは、ないはず……。
 ……窓から、猫ちゃんとかが入り込んだかな……? いや、でも、一切開けてないから、その可能性は少ない。じゃあ、何? 誰……?
 私は恐る恐る、被服準備室に繋がる扉に近づく。そして、ゆっくり耳を当てて。

 ……カタ、シュッ、……。

 すると、微かにだけど、そんな音が聞こえた。やっぱり、私が気づかなかっただけで、誰かいるんだ。
 ……。
 ……誰なんだろう、すごく、気になる。どうしてこんなに気になるのかは分からない。でも気になる。今、作業が行き詰っているからかもしれない。とにかく、気になる。
 ……でも、扉を開ける勇気もないし……中にいる人は何かを作業しているだけみたいだし……うん、やっぱりやめておこう。邪魔したら悪いもんね。そう思い、私が頷くと同時……。

 ガタンッ!!

 私は、足元に置いてあった清掃道具に、思いっきり躓いた。それと同時、バケツがひっくり返り、私は盛大に水を被る。何たる不幸。私は泣いた。
 そして。
「何だ!?!?!? 幽霊か!?!?!?」
 何より驚いたのは、そんな大声と共に、被服準備室の扉が勢いよく開いたことだった。扉の傍に座り込んでいた私は、見事に扉に殴られる。思わず床に倒れこんだ。
「う……うう……何でこんな目に……」
「……? 何して……いや、違うか。……えっと、大丈夫か?」
 その優しい声に、私は顔を上げる。そこには……。
 一人の、女子生徒・・・・がいた。黒色のセーラー服、ステンレス製の眼鏡が知性を醸し出していて、綺麗な顔は、不安そうに私に向けられている。思わず私は見とれてしまった。
「……大丈夫、じゃ、ない? のせいか?」
「あっ!? い、いえ、大丈夫です!! ……って、え?」
 今この人、俺って言った?
 いや、今どき、自分のことを「俺」と言う女の人も、珍しくもないだろう。でも、違う。この人は、なんか……。
 ……あれ、よく見ると、男の人……?
 私の考えに気づいたのか、ああ、とその人は呟くと。
「……俺は、墓前はかまえ糸凌しりょう。性別は男だが、オカルト少女だ」
「つまり変態……?」
「誰だか知らねぇがぶっ飛ばすぞ」


 気が動転して、失礼なことを言ってしまった。改めて冷静に話を聞くと、彼は私より一つ年上の二年生。女装をしているのは罰ゲームでもなんでもなく、自分の嗜好。一応服飾部に属しているが服飾部の中では浮いているため、日常的に被服準備室で活動を行っている。……とまあ、そんなところだ。
 ……。
「やっぱり変な人ですね」
「今度こそぶっ飛ばすぞ」
 で、お前は? と聞かれる。確かに、向こうには色々話してもらったのに、こちらは何も情報開示をしていなかった。
「わ、私は、小布施おぶせ綿毛わたげ……一年生、です。私も、服飾部に所属していて……」
「ふうん、で、これが健気・・小布施の作品ってとこか?」
「健気小布施って何ですか!? そうですけど!? っていうか勝手に見ないでください!!」
「いいだろ、減るものじゃないし」
「そうですけど……」
 気づけば彼は、私が被服室に放置していた作品の前に立っていた。物珍しそうに、ジロジロ眺めている。自由な人だな……。
 しかしそのまなざしは真剣そのもので、思わず見とれてしまうというか……。
「……へくしゅっ」
 そこで私はくしゃみをした。それと同時、背筋を悪寒が襲う。そういえば私、ついさっき思いっきり水を被ったんだった。
 もちろん彼も顔を上げ、何を思ったのか、被服準備室に戻った。そしてすぐに戻ってくる。その手にあったのは、大きなタオルと……。
「……ゴスロリ?」
「……俺の作品だ」
「え!?」
 私は思わず大声をあげてしまう。当たり前だ。だってそのゴスロリは、お店で売られていてもおかしくないくらいの可愛いデザイン、クオリティで……。
「これで体拭いて、ついでにこれ、着てみてくれ」
「え、わ、私に入りますかね……」
「目視的には大丈夫だ。まあ入らなかったら、別の服を試そう」
「目視……? 私の体ジロジロ見ないでくださいよ変態!!」
「人がせっかく親切にしてやってるのに!!」


 色々言い合ったものの、結局お言葉に甘えることになった。私は被服準備室で、貰った服に袖を通す。すると驚いたことに……ぴったりだった。少し腕がキツイ気がするのは、私の腕が太いからじゃ決してない。決して。……そのはず。
「あの、着ました、けど……」
 被服準備室を出たところで、ようやく羞恥が襲ってきた。そういえば私、ゴスロリ着るの初めて。似合ってないんじゃないか、滑稽じゃないだろうか。そんなことを考えてしまう。
 すると椅子に座って私の作品を眺めていた(また勝手に……)彼は、ゆっくり立ち上がった。そして、私に近づいて来る。……やがて、小さく笑って。
「……うん、かわいい」
「っ!?」
 その真っ直ぐな言葉に、私の頬に熱がたまるのが分かった。今、今この人、かわいいって言った!? そんな誉め言葉に耐性のない私は、思わず慌てふためき……。
「やっぱりここにフリルを付けて正解だったな。動くたびにひらひら動いて……。……? どうした?」
「そんなことだろうと思ってましたよッ!!!!」
「……何怒ってるんだよ」
 彼は訝しげな表情で私を見つめている。当たり前だ。この人からしたら、私は突然怒り出した人で……いや、分かってるんだけどさ。
 何でもないです、と誤魔化しておいた。そうか、とだけ、彼は返事をした。
「きついところとか、違和感があるところは?」
「あ……腕がキツイなって……」
「分かった」
 すると彼は、手近な裁縫セットを手元に引き寄せる。そしてなんと……私が着たままなのに、そのまま服を手直しし始めた。
「えっ、このままですか!?」
「脱いでもらうと俺が変態になるし、都度感想を貰える方が楽だからな」
「いや、先輩は変態……じゃ、ないですね、すみません」
 睨まれたので、私は口を噤む。そして動くことも出来なくて、することもなくて、私は彼の動作を見た。真剣な表情。睫毛が影を落とすとはまさにこのことで、とても綺麗だ。そして段々、楽になっていく腕。……何だろう、何でかな。
 ……ドキドキする。
 先輩が、歯で糸を噛み切る。ぷつ、と音がして、彼は私から離れた。
「……はい、どうだ?」
「あ……えっと、すごく楽になりました」
「なら良かった。……これで完成だな。講評会に間に合って良かった」
「あ……」
 講評会。そのワードに、私の心臓が先程と違う意味で音を立てる。そして意識は自然と、あの机に放置されている私の作品に、向かっていた。
 ……ここ、服飾部は、月に一回、講評会を行っている。参加は強制じゃないし、期日までに一定数の作品が出そろったら、講評会は開かれる。そして今回は、文化祭で行うファッションショーで使われる作品も決められる。特に気合が入る講評会で。……それに、私も参加しようと、張り切っているのだけれど……。
「……」
 やればやるほど、ゴールが見えなくて。分からなくて。焦れば焦るほど、どこかで見たようなデザインな気がして。縫い目も適当になって。もう、どうすればいいのか、分からなくて。
 ……私も、私もこんな、かわいくて精度の高い、そんな作品を作れたら……。
「小布施」
 そこで名字を呼ばれる。先程とは違い、名字の前に謎の「健気」は付いていなかった。
 気づいたら俯いていたらしい。顔を上げると、そこには真面目な表情をした先輩がいた。
「……お前はまだ一年生だ。これからもっと技術も上達するだろうし、焦る必要は無い。それに、お前は……守護霊と同じく、健気だ。一年の誰よりも頑張ってる。大丈夫だ」
「……なんで」
 浴びせられたのは、ポジティブな言葉だった。その言葉は、私の心を滑っていく。そんな感じがする。薄っぺらい言葉にしか、聞こえない。
 駄目だ。分かってる。この人に当たっても、意味がない。分かってる、けど。
 ……当たらずに、いられない。
「先輩には、分かりませんよ。私の気持ちなんて……私と一年しか違わないのに、こんなにいい服が作れて……それに、私は全然頑張ってない! 知ったような口を……」
「分かる」
 私の叫びを、先輩はたった一言で打ち消してしまった。思わず黙ってしまったのは……その、「分かる」という一言が……あまりにも真っ直ぐに、私の心に、届いてしまったから。
「全部、これに教えてもらった」
 気づけば先輩の手には、私の作品が握られていた。陳腐で、どこにでもありそうな、独創性の欠片もない、そんな服。
「努力の跡が見える。それに、この服を構成する、糸一本一本が覚えている。お前が、どれほどの時間と労力をかけて、この服を良くしようとしていたか」
「……」
「俺は、糸の記憶を読む能力を持っている。……全部見たよ。お前が、どれだけ頑張っているか」
 分かってるよ。そう、彼は微笑んだ。
 先輩は、ズルい。
 そんなことを言われたら……今までただひたすらに足掻いていた私自身を、認められてしまう。全てが、報われてしまう。満足したら、駄目なのに。私はまだまだ、未熟なのだから。
 ……でも、自分に掛け過ぎている重荷を、少しは下ろしてもいいかもしれない、なんて。
「……ありがとうございます。先輩」
 私がそんな風にお礼を言うと、どういたしまして、と彼は笑うのだった。
 それはとても、美しく。


 やがて私は、一つの作品を完成させた。それはやはり、周りのものに比べたら、貧相なものだけど……今の私の、全力で作ったものだって、胸を張って言える。
 そして私は完成させたそのすぐ後、彼の姿を探しに行った。お世話になったから、一言、お礼が言いたくて。何より……あの人に、一番に見てほしくて。
 顧問の服部先生に聞くと、彼はいつも別館にいるらしい。というか、住んでいるらしい。やっぱり変な人だ。
 だから私がそこに向かっていたところ……別館に行くまでもなく、本館で彼の姿を見つけた。そこでは……。
 ……一人の女子生徒と楽し気に話している、先輩が。
 相手の子を、私は知っていた。……というか、この学園に通っている人なら誰でも知っているだろう。彼女は、有名人だから。
 伊勢美いせみ灯子とうこ。この明け星学園に転校してきた……あの生徒会長に匹敵する力を持っていると言われている少女。
 ……どうしてそんな子が、先輩と……?
 ……ううん、そんなことより。
 先輩の表情を見ていれば、分かる。……先輩、あの子のことが好きなんだ。分かってしまう。だって先輩、あんなに楽しそうだもん。私はあんな顔、見たことない。
 だったら、私の出る幕なんて、もう……。
 私はしばらく悲しく思いながらその光景を見ていたが……やがて、微笑む。
 服は、また今度……先輩が部室に来た時にでも、見てもらおう。今は……邪魔しない方がいいよね。
 だって、先輩は優しい人だ。……だから、そんな先輩の優しさが報われて欲しいって思ったり、幸せになってほしいって思うのは、当然のことだから。
 ……幸せになってね。先輩。
 そう心の中で告げて、私はその場を立ち去った。


 その後、つつがなく講評会は行われて……私の作品はもちろんというか、箸にも棒にもかからず。でもいいんだ。先輩には「いい作品だな」って言ってもらえたし。
 それに……選ばれた作品の中には、先輩の服もあった。それに何故か私が、本人よりも喜んでしまって……先輩に呆れたような顔をされた。
 だって私、先輩の作る服が大好きなんだもん。……先輩と同じくらい、ね?


【終】
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