#明け星学園活動日誌
俺は海中要塞をアテもなく歩いていた。今は、急いでやる必要のある仕事もない。だからまあ、暇だったのだ。
いつもなら煙草を吸ったり、酒を飲んだり、適当な女と会ったりするが……今はどれも気が乗らない。だから何をして暇を潰すか、と考え、こうして歩き回っていたのだ。
医務室が目に入り、仮眠でも取るか、とそちらに足を向けようとした瞬間。
「……ん~~~~……」
誰かの呻き声のようなものが、耳に入った。聞こえたのは、医務室の向かい側の部屋。……あそこは小さな会議室だが……誰かいるのか?
何か悩んでいるような声だったので、俺はその部屋を覗いてみることにした。まあ、どうせ暇だし。……「湖畔隊」のやつらをサポートするのが、今の俺の役目だ。
静かに足を踏み入れると……目に入るのは、美しい白髪。机の上にべたーっと広げられていた。その髪の持ち主が机に突っ伏しているらしい。
「……何してるんだお前」
「……あ、密香 」
俺が声を掛けると、その白髪の持ち主は勢い良く顔を上げる。そして俺のことを振り返ると、俺の名を呼んだ。……カーラ・パレット。12歳の少女だ。だが間違いなく、「湖畔隊」に所属する警察である。……毎度思うが、俺の方が年上なんだけどな……まあ、敬語もまともに使えてないお子様に言っても仕方がないか。
「ちょっと悩んでたの、ですよ」
「……何に?」
「勉強!!」
カーラ・パレットは意気揚々と答える。……しかしすぐに困ったように眉をひそめた。その言葉の通り、困っているらしい。
だが俺は首を傾げる。こいつは確か、通信教育で勉強をしている。だけどこいつは特別頭が悪いわけではないはずだし、普通の授業なら問題なく付いて行ける程度の学力はあるはずだ。……なのに、一体何に悩んでるんだ?
そう考えていた俺だったが、カーラ・パレットは何を思ったのか……ぱっ、と、急に表情を明るくする。なんだ、と思っていると、カーラ・パレットは勢い良く椅子から立ち上がると……俺の手を握った。
「……なんだよ」
「密香!! ……カーラに勉強を教えて!! です!!」
いや、嫌だけど。深く聞くより先に、俺はそう答えていた。
「えっ、なんでです!?」
「いやなんで教えてもらえると思ってんだ……面倒だからだよ、普通に」
「そんなぁ……そんなこと言わないで!! 困ってるカーラを助けてですよ~!!」
「抱き付くな鬱陶しい!!」
カーラ・パレットは俺に泣き付いて来ていた。腰に抱き着かれたので、俺はそれを引き剥がそうと必死になるが……いやこいつ無駄に力強いな。その力、どうせなら任務の時に発揮しろよ。俺を拘束するのに使うな。
「尊 大智 とか頼ればいいだろ」
「大智は……ちょっとあんまり勉強できないから、アテに出来ないです」
「お前って割とバッサリ行くよな」
「それに比べて密香は頭いいでしょ、です!! だってあの明け星学園の卒業生でしょ!? です!!」
「正確に言うと退学してるから卒業はしてねぇけどな……」
「細かいことはいいの、ですっ!! ……密香、お願い!! おねがーーーーい!!!!」
「あーーーーもーーーーうっせぇな分かったよ!! ……何教えればいいんだ?」
遂に首にまでよじ登られそうになったので、俺はそのお願いを聞き入れることにした。このまま断り続ける方が面倒なことになる、と判断したのである。
するとカーラ・パレットはその7色の瞳を輝かせ、やったーーーー!!!! と叫んだ。うるさい。
「えっとね、あのねあのね!!」
「いやこの体制で説明始めようとするな。重いから降りろ」
首に抱き着かれたまま話を始めようとしたので、降りるよう促す。カーラ・パレットはそんなに重くないと思うですけど、と首を傾げてから、ひらりと床に舞い降りた。
そして机に戻ると、何かを俺に差し出してくる。受け取ると……それは、参考書だった。しかも、それなりに有名な中学の入試の、過去問集。
「……お前、この中学行きたいのか?」
「うん、行けたらいいなって、考えてるです」
カーラ・パレットは満面の笑みで頷く。そして俺は悟った。長丁場になりそうなことを引き受けてしまった、と。
詳しく話を聞くと、「湖畔隊」に来てからある程度学校への抵抗感がなくなってきた。学校に通ってみて、ちゃんと友達とかも作って、ちゃんと卒業してみたい。どうせならいい環境で沢山勉強をしたいから、受験校をいくつかピックアップして、最終的にここを選んだ、だそうだ。
確かに、こいつは12歳。世間では小学6年生だ。……受験に踏み出すには遅すぎないか? とも思うが、まあ本人にやる気がありそうなのは確かだ。
軽く参考書にも目を通したが、少なくとも一回はやり終えているようだ。正答率も悪くはない。行動は遅いが、始めたら早いタイプ……というか、自頭の良さが助けてるんだろうな。
「……泉 には相談したのか?」
「隊長には……その、まだ……」
「……もし受かったら、仕事にも支障が出るだろ。報連相はちゃんとしとけ」
「それはそう、だけど……その、まずは模試を受けようと思ってるんだ、ます」
「模試?」
繰り返すと、カーラ・パレットは頷く。そして机の上に伏せられていた紙を差し出して。……それを見ると、まあ全国的に行われている模試のお知らせだった。自分の学力がどの学校のレベルか、ということが分かるらしい。
「それで、カーラの実力を確かめようと思ってて……あんまり受かりそうじゃなかったら、諦めようと思ってる、です」
「……だからまだ言ってない、ってことか」
カーラ・パレットは頷く。ちゃんと考えてはいるようだ。
「今から行動するのは遅いって、分かってるから。……でも、もしチャンスがありそうなら、やってみたい、です。……だから密香に協力してほしいんだ……です」
お願い、と、先程の鬱陶しさはどこに行ったんだ、というくらいの声色で、カーラ・パレットはそう告げる。俺は、黙った。
模試の日時は、2週間後。そしてこの参考書の出来具合。……。
「……苦手分野は把握してるか?」
「……え?」
「まずはそれ関連の問題をひたすら解きまくって、解法パターンを叩き込め。応用を考えるのはその後だ。……つーかまずは、受験科目を教えろ。どの科目に一番力を入れるかで、また勉強法も変わってくるからな」
「……!!」
カーラ・パレットは自身の両頬に手を添え、キラキラと瞳を輝かせている。感動しているのか、なんなのか。……目を合わせていられなくて、俺は目を逸らした。
「ぼさっとすんなよ。2週間で出来ることなんて限られてるんだから、早速今から──」
「ありがとう密香!! 大好き~~~~っ!!!!」
「っ!? ……俺はガキには興味ないんだよ!!!!」
飛びつくように抱き付かれた俺は、思わずそんな悲鳴を上げるのだった。
面倒なことを引き受けてしまった。と改めて思う。どうして俺がこんなことを……。とも。
だけど一度引き受けたからには、最後までしっかりこなすつもりだ。もちろん、やるからには絶対に模試でいい成績を残させる。……こいつが中学に通うことになったら、穴が一つ出来るということになるし、つまり俺の仕事が増えることになるが……だけど、絶対に受からせる。そのつもりで引き受けた。
俺はカーラ・パレットが苦手だと申請した分野、そして俺が問題集を見て正答率が悪かった問題を中心に、彼女に教えていった。あとは、得意分野の応用だな。応用も出来ると、他のやつと差が付きやすい。
もちろんこの俺が優しく教えるわけもなく。厳しく接した。出来なければ出来るまでやらせたし、彼女が泣いていても俺は構わなかった。
……ま、文句の一つも言わずに付いて来たことは、素直に褒めてやってもいい。カーラ・パレットは絶対に解けるまで諦めなかったし、実際にやった分だけ実力をつけていっていた。……もしかしたら本当に、結果に期待してもいいかもしれない。俺の想定以上の結果を。
そうこう頑張っていれば、2週間などあっという間に経った。今日は模試の前日なので、難しいことをやるのではなく……基礎の確認だけに徹した。前日に難しいことをやって、出来ないと焦らせるのは良くないからな。
「……よし、完璧だ。ま、習慣的に復習してれば当たり前か」
「ふふんっ、カーラ、毎日ちゃんと授業以外も勉強してたです」
「何当たり前のことで威張ってんだ」
「密香はもうちょっと褒めてくれてもいいと思うです!!」
カーラ・パレットはそう言って頬を膨らますが、俺は知らん顔を貫いた。誉め言葉は、今は必要ないだろうから言わない。
俺の鳩尾を殴りに掛かるカーラ・パレットを避けていると、コンコン、と扉をノックする音が響く。どうぞ!! とカーラ・パレットが許可を出すと、扉が開かれた。
「ぉっ、お疲れ様ですっ!!」
「よっ、頑張ってんな~」
すると入ってきたのは、尊大智と……相変わらずへらへらと笑っている、青柳泉。その顔を見て、俺は小さく舌打ちをした。そしてなぜかそれに尊大智の方が震えあがっている。お前にしたんじゃない。
「ちょ、人の顔見るなり舌打ちとか酷くない?」
「……お前の顔見てると苛つくんだよ」
「いやマジで酷すぎ」
そう言って泉は笑っている。そんな泉の後ろで、尊大智は何かを机に並べ始めていた。何か、と思ってそれを見ると、そこには4つのティーカップと一つのティーポットが。……紅茶でも淹れてきたのか。
「ぇ、えとっ……ッ、カーラさん、頑張ってるので……紅茶でもどうかな、と……思って……」
「……へぇ、教えてる俺は頑張ってないと?」
「ヒッ!? そ、そういうわけでは……!?」
「別にお前はそんなめちゃくちゃ苦労してる、ってわけでもないだろ。……まっ、功労者ではあると思うけどね」
だからこうして尊も、お前の分のカップも用意してくれてるじゃん? と泉が続ける。俺はふん、と小さく吐き出すだけだった。……相変わらずこいつは、人に甘いな。
ちなみに泉と尊大智には、「カーラ・パレットは今の自分の学力を把握したいから模試を受ける」、という風に説明している。まあ、中学受験の話を省いているだけだ。勉強は海中要塞でやってるわけだし、全部を隠すのは難しいからな。
4人全員で着席し、尊大智が淹れたらしい紅茶を仰ぐ。……少し苦いな、と思ったが、まあ文句をつけるほどではないから、今回は見逃してやろう。
「ところでさ、パレットってどうやって密香から勉強を教えてもらえる流れになったわけ?」
そこでふと、泉がそう問いかける。どうやって? とカーラ・パレットは聞き返し、首を傾げた。
「ほら、密香ってなかなか俺の言うこと聞いてくれないからさー。……まあ俺に限らず、他の人の言うことも、だけど……。だから、パレットのお願いを密香を聞いた、っていうのが意外でさ。……で、どうなの? 密香の弱みとか握った感じ……?」
泉が声をひそめ、カーラ・パレットに問いかける。俺はそんな青髪を、傍にあった教科書を丸め、ぴっぱたいた。
「いったぁ!? 何すんの密香!?」
「くだらねぇこと聞いてんじゃねぇよ。……別に、泣き付かれて面倒だったから引き受けただけだ」
「えっ……つまり俺も泣き付けば、密香が言うこと聞いてくれる……?」
「お前に泣き付かれるとかキモすぎて想像しただけで吐くな」
「お前俺の扱いほんっっっっとに酷いよね!?!?!?!?!? ほんとに泣くよ!?!?!?!?!?」
「勝手に泣いてろ」
俺がため息を吐きながら言うと、ふと笑い声が聞こえる。そちらを見ると、カーラ・パレットと尊大智が、顔を見合わせて小さく笑っていた。それを見て俺は、もう一度ため息を吐くのだった。
交通機関を利用し、模試の会場までやってきた。なんで俺がこいつの送り迎えなんて、と思ったが、一回引き受けたからには最後まで面倒見ろよ、という泉の言葉に、それもそうかと納得した。
「あそこが受け付け場所みたいだな。ほら、受験票出せ」
「……」
「……おい?」
答えがないことを不自然に思い、俺は振り返る。
……するとそこでは、髪も顔も真っ白にした、カーラ・パレットの姿が。いや、髪はもともとか。
「……どうした」
「え、えっと……ちょっと……その、緊張、してきた……です」
俺が問いかけると、カーラ・パレットは正直に答える。確かによく見ると、手も足も小刻みに震えていた。
おいおい、しっかりしろよ。と反射的に言いたくなるところを抑えて。……緊張しているところに追い打ちをかけて、実力を発揮出来なくても困るしな。
「……何が不安だ?」
「……えっと、人、いっぱいいる、から……」
俺は思わず目を見開く。予想に反し、模試に不安を抱いているわけではないらしい。……確かに、周囲にはこいつと同年代と思しき子供が沢山歩いている。
それが、不安なのか。
……まあこいつは学校でいじめられて、そして人格を生み出して……ここまで来たらしいし。そりゃ、人に恐怖心を抱いていても不思議ではない。「湖畔隊」に属している見るからに年上なら、まだ平気かもしれないが……同い年を見ると、直接的にその出来事を連想してしまう、ってことか。
カーラ・パレットは、俯いている。心なしか、その白髪の色がくすんでいっているような気がして。……どういう言葉を掛ければいいか、俺には分からなかった。
こいつは、強い。だから、他のやつなんて怖がる必要、ないだろう。……でも、心が邪魔をする。いくら強くなっても、心が勝てないと言ってしまえば……本当に勝てない。気持ちは分かる。その経験だって、俺にもある。……脳裏に青髪の憎たらしい男の顔を思い浮かべながら、俺はそう思った。
それでも俺たちは、それを乗り越えなければいけない時がある。でなければ、前に進むことなど、出来ないから。
「……大丈夫だろ。お前は強いし、もし何かあっても、お前は自力でどうにか出来る。そうだろ?」
「……」
まあ、何かあることなど滅多にないと思うが。そう思いながら吐き出した言葉には、無言が返ってきた。……ここまでは想定内。
「でも、それでも、お前一人じゃどうにも出来ないことがもしあったら、」
……本当に、らしくない。勉強を教えることを引き受けてしまったことも、こうして目の前の少女を励まそうとしていることも──。
「その時は、俺を呼べ。一人で出来ないなら、俺が助けてやる」
俺のその言葉に、カーラ・パレットは顔を上げた。その7色の瞳は、驚いたように見開かれている。
その瞳に写る俺は、なんとも居心地の悪そうな顔をしていて……少し、笑えて来る。
──それでも、仕方がないのだ。俺は今、あいつの傍にいて……不本意だが、光の側 にいるのだから。
しばらく驚いた様子で固まっていたカーラ・パレットだったが……ぷっ、と、ふとしたタイミングで吹き出した。そのまま大爆笑し始めるので、周囲からの視線が痛い。
俺が黙っていると、カーラ・パレットは目尻に浮かんだ涙を拭ってから告げた。
「くふふっ……密香、合わないこと言ってるです」
「……誰のせいだと」
「分かんないとこあったら、密香呼んでもいいですか?」
「カンニングに付き合わされるのはごめんだな。……お前、そういうことじゃないって分かってて言ってるだろ」
「当たり前だよ、です。……カーラ、頑張ってくるです!!」
「……おう、行ってこい」
そう言うとカーラ・パレットは、バッグから受験票を取り出す。そしてニッと笑うと……俺に抱き着いて来た。
今度は俺が固まっていると、カーラ・パレットは抱き着きながら顔を上げ、告げる。
「……今日までカーラに付き合ってくれてありがとう、密香せんせ!!」
カーラ・パレットはそれで満足したらしく、俺から離れると一目散に駆け出していく。そうして無事に受付まで辿り着いたのを、俺はぼぅっと見ていた。
……なんで抱き付かれたことに、こんなに動揺してるんだ、俺は。別に、人に抱き着かれたことなんて初めてじゃないのに。
……でも、いつもより少し……あたたかかった気がするな。
『ひそか、教えるの上手いね!! まるで、先生みたい……!!』
そして脳裏に懐かしい、純粋な声がよみがえる。思い出すだけで──吐き気がするが。
……でも、何故だろう。今は……前より、嫌な気分にはならない。そう思った。
それから一週間後。カーラ・パレットの模試の結果が届いた。
随分早いな、と思ったが、まあこういうのはコンピューターで処理するらしいし、こんなもんか、と結論付けた。
そんなことはどうでもいい。俺はゆっくりと封筒を開けるカーラ・パレットの隣で、頬杖をついてその結果を待っていた。
中に入っていた、二つに折りたたまれた紙。カーラ・パレットが、それを開くと……。
「……あ……」
悲しそうに、呟く。その声色で、俺は結果を悟った。
カーラ・パレットは俺に紙を渡してくる。それを受け取ると……そこには点数やら、指定した志望校に対し自分がどのようなラインにいるのか、この学力ならどの学校がオススメか……などといったことが書いてあった。
一番の目当てである学校名、その下に書かれているのは……「D判定」。……あまり結果は振るわなかったようだ。
本人に聞いた感じ、それなりの手ごたえは感じていたようだが……それでも、届かなかったか。
隣を見る。カーラ・パレットは、その瞳に7色の涙をじわりと浮かべていた。……悔しいのだろう。まあそうだろうな、あれだけ頑張っていたし。
しかしカーラ・パレットはすぐに目尻に浮かんだ涙を拭うと、俺を見上げてニコッ、と笑う。
「……せっかく教えてもらったのに、いい結果が出せなくてごめんです。……でもこれで諦める理由が出来たから、カーラ、諦めるですよ──」
「別に、ここで終わるわけじゃねぇだろ」
「……えっ?」
悲しみを誤魔化すカーラ・パレットの言葉に被せるように、俺は口を開いた。カーラ・パレットは、不思議そうに首を傾げる。
「この学校に行かなきゃ死ぬ、ってわけじゃないんだろ?」
「そ……それは、そう、だけど……」
「だったら、ランク落として別の学校行ってもいいんじゃねぇか。もし落ちても、中学までは義務教育だから、受験しなくても入れるとこなんて無数にあるし……つーかそもそも、模試の結果がこれだからって、この学校を諦めなくてもいいだろ。D判定なら、まだ入れる可能性は十二分にある。どうしてもこの学校入りたいなら……中学受験でそれは聞いたことねぇけど、留年したっていいだろうし」
俺が矢継ぎ早に告げると、カーラ・パレットはポカンとしていた。まあ、口を挟ませないように言ったからな。
「お前、あんなに頑張ってただろ。それだけ行きたいってことだろ。……なら、ここで終わりにしていいのか?」
「……」
俺の問いかけに、カーラ・パレットは真剣な表情になる。そして、神妙な面付きでしばらく黙った後。
「……密香はどうして、そこまで言ってくれるです?」
「……あ?」
「カーラがどの中学に行こうと、密香には関係ないよね、です。密香はそんなに興味も持たなそうだし……それなのに、そこまで言ってくれる理由が、知りたくて」
「……」
今度黙るのは、こちらの番だった。どうして、か。
「……俺はな、人に自分の人生を左右されるのが、死ぬほど嫌いだ。だから人からの指図は受けない。自分の意思で決めたことだけ、絶対にやり遂げる。それが『そうする』と決めた責任だからだ」
「……」
「お前は、泉とか『湖畔隊』のために、諦めようとしてるんだろ。自分がいなくなれば、そこに穴が出来るから」
こいつは、こいつらは、泉のことが好きだ。恩を感じて、そしてそれを返そうとしている。『湖畔隊』は、孤独だったこいつらの居場所だ。だからこそ、そこの害になりそうなことなど、絶対にしない。
役に立てないのなら、いる意味はない。きっとそう思っている。
「思い上がるなよ。お前がいないところで、どうにだってなる」
「……っ」
「穴なんてないみたいに、ちゃんと埋められる。お前がいれば良かったなんて、言わないし言わせない。……でないと、あいつらはお前のことをちゃんと送り出せねぇだろ」
「……送り出す……?」
「だってそうだろ。あいつらは絶対、お前の決めた道を応援する。だから、お前が決めた道の足枷にならないようにする。……だから穴なんて絶対に作らない。お前がいなくてもやれるって、笑顔で言うだろうよ」
「……」
「つーか、自分たちのせいでお前が道を諦めるとか、絶対にあいつらは嫌がるだろうよ。……特に泉は、お前たちが幸せになるのを……何よりも、願ってるだろうから」
あいつは、今までいくつもの部下の門出を祝ってきた。きっと、ずっと「湖畔隊」にいてほしかっただろう。想像に難くない。
それでも、ちゃんと送り出した。……それは、あいつらの幸せを、誰よりも願っていたから。
……自分のことにももっと目を向けろ、と俺は思うけどな。
「人のことなんて考えるな。お前の人生なんだから、お前がしたいことをやれ。お前が決めろ。……カーラ・パレット、お前はこれから、どうしたい」
俺が尋ねると、カーラ・パレットは俯く。しかしやがて、顔を上げて。……7色の瞳を瞬かせながら、真っ直ぐに俺を見つめて。
口を、開く。
その部屋の扉を隔てた向こう側。そこで泉は、全ての話を聞いていた。
というかもともと、全部知っていた。密香は一応隠していたが、カーラが分かりやすかったのだ。……でも、知らないふりを続けていた。
でも、これからは──。
「……頑張れよ、パレット」
小さく呟く。この件は、密香に任せて正解だったな、と思いながら。
【終】
いつもなら煙草を吸ったり、酒を飲んだり、適当な女と会ったりするが……今はどれも気が乗らない。だから何をして暇を潰すか、と考え、こうして歩き回っていたのだ。
医務室が目に入り、仮眠でも取るか、とそちらに足を向けようとした瞬間。
「……ん~~~~……」
誰かの呻き声のようなものが、耳に入った。聞こえたのは、医務室の向かい側の部屋。……あそこは小さな会議室だが……誰かいるのか?
何か悩んでいるような声だったので、俺はその部屋を覗いてみることにした。まあ、どうせ暇だし。……「湖畔隊」のやつらをサポートするのが、今の俺の役目だ。
静かに足を踏み入れると……目に入るのは、美しい白髪。机の上にべたーっと広げられていた。その髪の持ち主が机に突っ伏しているらしい。
「……何してるんだお前」
「……あ、
俺が声を掛けると、その白髪の持ち主は勢い良く顔を上げる。そして俺のことを振り返ると、俺の名を呼んだ。……カーラ・パレット。12歳の少女だ。だが間違いなく、「湖畔隊」に所属する警察である。……毎度思うが、俺の方が年上なんだけどな……まあ、敬語もまともに使えてないお子様に言っても仕方がないか。
「ちょっと悩んでたの、ですよ」
「……何に?」
「勉強!!」
カーラ・パレットは意気揚々と答える。……しかしすぐに困ったように眉をひそめた。その言葉の通り、困っているらしい。
だが俺は首を傾げる。こいつは確か、通信教育で勉強をしている。だけどこいつは特別頭が悪いわけではないはずだし、普通の授業なら問題なく付いて行ける程度の学力はあるはずだ。……なのに、一体何に悩んでるんだ?
そう考えていた俺だったが、カーラ・パレットは何を思ったのか……ぱっ、と、急に表情を明るくする。なんだ、と思っていると、カーラ・パレットは勢い良く椅子から立ち上がると……俺の手を握った。
「……なんだよ」
「密香!! ……カーラに勉強を教えて!! です!!」
いや、嫌だけど。深く聞くより先に、俺はそう答えていた。
「えっ、なんでです!?」
「いやなんで教えてもらえると思ってんだ……面倒だからだよ、普通に」
「そんなぁ……そんなこと言わないで!! 困ってるカーラを助けてですよ~!!」
「抱き付くな鬱陶しい!!」
カーラ・パレットは俺に泣き付いて来ていた。腰に抱き着かれたので、俺はそれを引き剥がそうと必死になるが……いやこいつ無駄に力強いな。その力、どうせなら任務の時に発揮しろよ。俺を拘束するのに使うな。
「
「大智は……ちょっとあんまり勉強できないから、アテに出来ないです」
「お前って割とバッサリ行くよな」
「それに比べて密香は頭いいでしょ、です!! だってあの明け星学園の卒業生でしょ!? です!!」
「正確に言うと退学してるから卒業はしてねぇけどな……」
「細かいことはいいの、ですっ!! ……密香、お願い!! おねがーーーーい!!!!」
「あーーーーもーーーーうっせぇな分かったよ!! ……何教えればいいんだ?」
遂に首にまでよじ登られそうになったので、俺はそのお願いを聞き入れることにした。このまま断り続ける方が面倒なことになる、と判断したのである。
するとカーラ・パレットはその7色の瞳を輝かせ、やったーーーー!!!! と叫んだ。うるさい。
「えっとね、あのねあのね!!」
「いやこの体制で説明始めようとするな。重いから降りろ」
首に抱き着かれたまま話を始めようとしたので、降りるよう促す。カーラ・パレットはそんなに重くないと思うですけど、と首を傾げてから、ひらりと床に舞い降りた。
そして机に戻ると、何かを俺に差し出してくる。受け取ると……それは、参考書だった。しかも、それなりに有名な中学の入試の、過去問集。
「……お前、この中学行きたいのか?」
「うん、行けたらいいなって、考えてるです」
カーラ・パレットは満面の笑みで頷く。そして俺は悟った。長丁場になりそうなことを引き受けてしまった、と。
詳しく話を聞くと、「湖畔隊」に来てからある程度学校への抵抗感がなくなってきた。学校に通ってみて、ちゃんと友達とかも作って、ちゃんと卒業してみたい。どうせならいい環境で沢山勉強をしたいから、受験校をいくつかピックアップして、最終的にここを選んだ、だそうだ。
確かに、こいつは12歳。世間では小学6年生だ。……受験に踏み出すには遅すぎないか? とも思うが、まあ本人にやる気がありそうなのは確かだ。
軽く参考書にも目を通したが、少なくとも一回はやり終えているようだ。正答率も悪くはない。行動は遅いが、始めたら早いタイプ……というか、自頭の良さが助けてるんだろうな。
「……
「隊長には……その、まだ……」
「……もし受かったら、仕事にも支障が出るだろ。報連相はちゃんとしとけ」
「それはそう、だけど……その、まずは模試を受けようと思ってるんだ、ます」
「模試?」
繰り返すと、カーラ・パレットは頷く。そして机の上に伏せられていた紙を差し出して。……それを見ると、まあ全国的に行われている模試のお知らせだった。自分の学力がどの学校のレベルか、ということが分かるらしい。
「それで、カーラの実力を確かめようと思ってて……あんまり受かりそうじゃなかったら、諦めようと思ってる、です」
「……だからまだ言ってない、ってことか」
カーラ・パレットは頷く。ちゃんと考えてはいるようだ。
「今から行動するのは遅いって、分かってるから。……でも、もしチャンスがありそうなら、やってみたい、です。……だから密香に協力してほしいんだ……です」
お願い、と、先程の鬱陶しさはどこに行ったんだ、というくらいの声色で、カーラ・パレットはそう告げる。俺は、黙った。
模試の日時は、2週間後。そしてこの参考書の出来具合。……。
「……苦手分野は把握してるか?」
「……え?」
「まずはそれ関連の問題をひたすら解きまくって、解法パターンを叩き込め。応用を考えるのはその後だ。……つーかまずは、受験科目を教えろ。どの科目に一番力を入れるかで、また勉強法も変わってくるからな」
「……!!」
カーラ・パレットは自身の両頬に手を添え、キラキラと瞳を輝かせている。感動しているのか、なんなのか。……目を合わせていられなくて、俺は目を逸らした。
「ぼさっとすんなよ。2週間で出来ることなんて限られてるんだから、早速今から──」
「ありがとう密香!! 大好き~~~~っ!!!!」
「っ!? ……俺はガキには興味ないんだよ!!!!」
飛びつくように抱き付かれた俺は、思わずそんな悲鳴を上げるのだった。
面倒なことを引き受けてしまった。と改めて思う。どうして俺がこんなことを……。とも。
だけど一度引き受けたからには、最後までしっかりこなすつもりだ。もちろん、やるからには絶対に模試でいい成績を残させる。……こいつが中学に通うことになったら、穴が一つ出来るということになるし、つまり俺の仕事が増えることになるが……だけど、絶対に受からせる。そのつもりで引き受けた。
俺はカーラ・パレットが苦手だと申請した分野、そして俺が問題集を見て正答率が悪かった問題を中心に、彼女に教えていった。あとは、得意分野の応用だな。応用も出来ると、他のやつと差が付きやすい。
もちろんこの俺が優しく教えるわけもなく。厳しく接した。出来なければ出来るまでやらせたし、彼女が泣いていても俺は構わなかった。
……ま、文句の一つも言わずに付いて来たことは、素直に褒めてやってもいい。カーラ・パレットは絶対に解けるまで諦めなかったし、実際にやった分だけ実力をつけていっていた。……もしかしたら本当に、結果に期待してもいいかもしれない。俺の想定以上の結果を。
そうこう頑張っていれば、2週間などあっという間に経った。今日は模試の前日なので、難しいことをやるのではなく……基礎の確認だけに徹した。前日に難しいことをやって、出来ないと焦らせるのは良くないからな。
「……よし、完璧だ。ま、習慣的に復習してれば当たり前か」
「ふふんっ、カーラ、毎日ちゃんと授業以外も勉強してたです」
「何当たり前のことで威張ってんだ」
「密香はもうちょっと褒めてくれてもいいと思うです!!」
カーラ・パレットはそう言って頬を膨らますが、俺は知らん顔を貫いた。誉め言葉は、今は必要ないだろうから言わない。
俺の鳩尾を殴りに掛かるカーラ・パレットを避けていると、コンコン、と扉をノックする音が響く。どうぞ!! とカーラ・パレットが許可を出すと、扉が開かれた。
「ぉっ、お疲れ様ですっ!!」
「よっ、頑張ってんな~」
すると入ってきたのは、尊大智と……相変わらずへらへらと笑っている、青柳泉。その顔を見て、俺は小さく舌打ちをした。そしてなぜかそれに尊大智の方が震えあがっている。お前にしたんじゃない。
「ちょ、人の顔見るなり舌打ちとか酷くない?」
「……お前の顔見てると苛つくんだよ」
「いやマジで酷すぎ」
そう言って泉は笑っている。そんな泉の後ろで、尊大智は何かを机に並べ始めていた。何か、と思ってそれを見ると、そこには4つのティーカップと一つのティーポットが。……紅茶でも淹れてきたのか。
「ぇ、えとっ……ッ、カーラさん、頑張ってるので……紅茶でもどうかな、と……思って……」
「……へぇ、教えてる俺は頑張ってないと?」
「ヒッ!? そ、そういうわけでは……!?」
「別にお前はそんなめちゃくちゃ苦労してる、ってわけでもないだろ。……まっ、功労者ではあると思うけどね」
だからこうして尊も、お前の分のカップも用意してくれてるじゃん? と泉が続ける。俺はふん、と小さく吐き出すだけだった。……相変わらずこいつは、人に甘いな。
ちなみに泉と尊大智には、「カーラ・パレットは今の自分の学力を把握したいから模試を受ける」、という風に説明している。まあ、中学受験の話を省いているだけだ。勉強は海中要塞でやってるわけだし、全部を隠すのは難しいからな。
4人全員で着席し、尊大智が淹れたらしい紅茶を仰ぐ。……少し苦いな、と思ったが、まあ文句をつけるほどではないから、今回は見逃してやろう。
「ところでさ、パレットってどうやって密香から勉強を教えてもらえる流れになったわけ?」
そこでふと、泉がそう問いかける。どうやって? とカーラ・パレットは聞き返し、首を傾げた。
「ほら、密香ってなかなか俺の言うこと聞いてくれないからさー。……まあ俺に限らず、他の人の言うことも、だけど……。だから、パレットのお願いを密香を聞いた、っていうのが意外でさ。……で、どうなの? 密香の弱みとか握った感じ……?」
泉が声をひそめ、カーラ・パレットに問いかける。俺はそんな青髪を、傍にあった教科書を丸め、ぴっぱたいた。
「いったぁ!? 何すんの密香!?」
「くだらねぇこと聞いてんじゃねぇよ。……別に、泣き付かれて面倒だったから引き受けただけだ」
「えっ……つまり俺も泣き付けば、密香が言うこと聞いてくれる……?」
「お前に泣き付かれるとかキモすぎて想像しただけで吐くな」
「お前俺の扱いほんっっっっとに酷いよね!?!?!?!?!? ほんとに泣くよ!?!?!?!?!?」
「勝手に泣いてろ」
俺がため息を吐きながら言うと、ふと笑い声が聞こえる。そちらを見ると、カーラ・パレットと尊大智が、顔を見合わせて小さく笑っていた。それを見て俺は、もう一度ため息を吐くのだった。
交通機関を利用し、模試の会場までやってきた。なんで俺がこいつの送り迎えなんて、と思ったが、一回引き受けたからには最後まで面倒見ろよ、という泉の言葉に、それもそうかと納得した。
「あそこが受け付け場所みたいだな。ほら、受験票出せ」
「……」
「……おい?」
答えがないことを不自然に思い、俺は振り返る。
……するとそこでは、髪も顔も真っ白にした、カーラ・パレットの姿が。いや、髪はもともとか。
「……どうした」
「え、えっと……ちょっと……その、緊張、してきた……です」
俺が問いかけると、カーラ・パレットは正直に答える。確かによく見ると、手も足も小刻みに震えていた。
おいおい、しっかりしろよ。と反射的に言いたくなるところを抑えて。……緊張しているところに追い打ちをかけて、実力を発揮出来なくても困るしな。
「……何が不安だ?」
「……えっと、人、いっぱいいる、から……」
俺は思わず目を見開く。予想に反し、模試に不安を抱いているわけではないらしい。……確かに、周囲にはこいつと同年代と思しき子供が沢山歩いている。
それが、不安なのか。
……まあこいつは学校でいじめられて、そして人格を生み出して……ここまで来たらしいし。そりゃ、人に恐怖心を抱いていても不思議ではない。「湖畔隊」に属している見るからに年上なら、まだ平気かもしれないが……同い年を見ると、直接的にその出来事を連想してしまう、ってことか。
カーラ・パレットは、俯いている。心なしか、その白髪の色がくすんでいっているような気がして。……どういう言葉を掛ければいいか、俺には分からなかった。
こいつは、強い。だから、他のやつなんて怖がる必要、ないだろう。……でも、心が邪魔をする。いくら強くなっても、心が勝てないと言ってしまえば……本当に勝てない。気持ちは分かる。その経験だって、俺にもある。……脳裏に青髪の憎たらしい男の顔を思い浮かべながら、俺はそう思った。
それでも俺たちは、それを乗り越えなければいけない時がある。でなければ、前に進むことなど、出来ないから。
「……大丈夫だろ。お前は強いし、もし何かあっても、お前は自力でどうにか出来る。そうだろ?」
「……」
まあ、何かあることなど滅多にないと思うが。そう思いながら吐き出した言葉には、無言が返ってきた。……ここまでは想定内。
「でも、それでも、お前一人じゃどうにも出来ないことがもしあったら、」
……本当に、らしくない。勉強を教えることを引き受けてしまったことも、こうして目の前の少女を励まそうとしていることも──。
「その時は、俺を呼べ。一人で出来ないなら、俺が助けてやる」
俺のその言葉に、カーラ・パレットは顔を上げた。その7色の瞳は、驚いたように見開かれている。
その瞳に写る俺は、なんとも居心地の悪そうな顔をしていて……少し、笑えて来る。
──それでも、仕方がないのだ。俺は今、あいつの傍にいて……不本意だが、光の
しばらく驚いた様子で固まっていたカーラ・パレットだったが……ぷっ、と、ふとしたタイミングで吹き出した。そのまま大爆笑し始めるので、周囲からの視線が痛い。
俺が黙っていると、カーラ・パレットは目尻に浮かんだ涙を拭ってから告げた。
「くふふっ……密香、合わないこと言ってるです」
「……誰のせいだと」
「分かんないとこあったら、密香呼んでもいいですか?」
「カンニングに付き合わされるのはごめんだな。……お前、そういうことじゃないって分かってて言ってるだろ」
「当たり前だよ、です。……カーラ、頑張ってくるです!!」
「……おう、行ってこい」
そう言うとカーラ・パレットは、バッグから受験票を取り出す。そしてニッと笑うと……俺に抱き着いて来た。
今度は俺が固まっていると、カーラ・パレットは抱き着きながら顔を上げ、告げる。
「……今日までカーラに付き合ってくれてありがとう、密香せんせ!!」
カーラ・パレットはそれで満足したらしく、俺から離れると一目散に駆け出していく。そうして無事に受付まで辿り着いたのを、俺はぼぅっと見ていた。
……なんで抱き付かれたことに、こんなに動揺してるんだ、俺は。別に、人に抱き着かれたことなんて初めてじゃないのに。
……でも、いつもより少し……あたたかかった気がするな。
『ひそか、教えるの上手いね!! まるで、先生みたい……!!』
そして脳裏に懐かしい、純粋な声がよみがえる。思い出すだけで──吐き気がするが。
……でも、何故だろう。今は……前より、嫌な気分にはならない。そう思った。
それから一週間後。カーラ・パレットの模試の結果が届いた。
随分早いな、と思ったが、まあこういうのはコンピューターで処理するらしいし、こんなもんか、と結論付けた。
そんなことはどうでもいい。俺はゆっくりと封筒を開けるカーラ・パレットの隣で、頬杖をついてその結果を待っていた。
中に入っていた、二つに折りたたまれた紙。カーラ・パレットが、それを開くと……。
「……あ……」
悲しそうに、呟く。その声色で、俺は結果を悟った。
カーラ・パレットは俺に紙を渡してくる。それを受け取ると……そこには点数やら、指定した志望校に対し自分がどのようなラインにいるのか、この学力ならどの学校がオススメか……などといったことが書いてあった。
一番の目当てである学校名、その下に書かれているのは……「D判定」。……あまり結果は振るわなかったようだ。
本人に聞いた感じ、それなりの手ごたえは感じていたようだが……それでも、届かなかったか。
隣を見る。カーラ・パレットは、その瞳に7色の涙をじわりと浮かべていた。……悔しいのだろう。まあそうだろうな、あれだけ頑張っていたし。
しかしカーラ・パレットはすぐに目尻に浮かんだ涙を拭うと、俺を見上げてニコッ、と笑う。
「……せっかく教えてもらったのに、いい結果が出せなくてごめんです。……でもこれで諦める理由が出来たから、カーラ、諦めるですよ──」
「別に、ここで終わるわけじゃねぇだろ」
「……えっ?」
悲しみを誤魔化すカーラ・パレットの言葉に被せるように、俺は口を開いた。カーラ・パレットは、不思議そうに首を傾げる。
「この学校に行かなきゃ死ぬ、ってわけじゃないんだろ?」
「そ……それは、そう、だけど……」
「だったら、ランク落として別の学校行ってもいいんじゃねぇか。もし落ちても、中学までは義務教育だから、受験しなくても入れるとこなんて無数にあるし……つーかそもそも、模試の結果がこれだからって、この学校を諦めなくてもいいだろ。D判定なら、まだ入れる可能性は十二分にある。どうしてもこの学校入りたいなら……中学受験でそれは聞いたことねぇけど、留年したっていいだろうし」
俺が矢継ぎ早に告げると、カーラ・パレットはポカンとしていた。まあ、口を挟ませないように言ったからな。
「お前、あんなに頑張ってただろ。それだけ行きたいってことだろ。……なら、ここで終わりにしていいのか?」
「……」
俺の問いかけに、カーラ・パレットは真剣な表情になる。そして、神妙な面付きでしばらく黙った後。
「……密香はどうして、そこまで言ってくれるです?」
「……あ?」
「カーラがどの中学に行こうと、密香には関係ないよね、です。密香はそんなに興味も持たなそうだし……それなのに、そこまで言ってくれる理由が、知りたくて」
「……」
今度黙るのは、こちらの番だった。どうして、か。
「……俺はな、人に自分の人生を左右されるのが、死ぬほど嫌いだ。だから人からの指図は受けない。自分の意思で決めたことだけ、絶対にやり遂げる。それが『そうする』と決めた責任だからだ」
「……」
「お前は、泉とか『湖畔隊』のために、諦めようとしてるんだろ。自分がいなくなれば、そこに穴が出来るから」
こいつは、こいつらは、泉のことが好きだ。恩を感じて、そしてそれを返そうとしている。『湖畔隊』は、孤独だったこいつらの居場所だ。だからこそ、そこの害になりそうなことなど、絶対にしない。
役に立てないのなら、いる意味はない。きっとそう思っている。
「思い上がるなよ。お前がいないところで、どうにだってなる」
「……っ」
「穴なんてないみたいに、ちゃんと埋められる。お前がいれば良かったなんて、言わないし言わせない。……でないと、あいつらはお前のことをちゃんと送り出せねぇだろ」
「……送り出す……?」
「だってそうだろ。あいつらは絶対、お前の決めた道を応援する。だから、お前が決めた道の足枷にならないようにする。……だから穴なんて絶対に作らない。お前がいなくてもやれるって、笑顔で言うだろうよ」
「……」
「つーか、自分たちのせいでお前が道を諦めるとか、絶対にあいつらは嫌がるだろうよ。……特に泉は、お前たちが幸せになるのを……何よりも、願ってるだろうから」
あいつは、今までいくつもの部下の門出を祝ってきた。きっと、ずっと「湖畔隊」にいてほしかっただろう。想像に難くない。
それでも、ちゃんと送り出した。……それは、あいつらの幸せを、誰よりも願っていたから。
……自分のことにももっと目を向けろ、と俺は思うけどな。
「人のことなんて考えるな。お前の人生なんだから、お前がしたいことをやれ。お前が決めろ。……カーラ・パレット、お前はこれから、どうしたい」
俺が尋ねると、カーラ・パレットは俯く。しかしやがて、顔を上げて。……7色の瞳を瞬かせながら、真っ直ぐに俺を見つめて。
口を、開く。
その部屋の扉を隔てた向こう側。そこで泉は、全ての話を聞いていた。
というかもともと、全部知っていた。密香は一応隠していたが、カーラが分かりやすかったのだ。……でも、知らないふりを続けていた。
でも、これからは──。
「……頑張れよ、パレット」
小さく呟く。この件は、密香に任せて正解だったな、と思いながら。
【終】