はじまりの季節
学園を旅立つ日ですら変わらない関係のままわたし達は別れた。在り来りな挨拶だった。
「卒業おめでとう。元気でね」
「お前もな。まあお前が元気じゃない日なんて学園生活で無かったけどな」
「あったわよ!鉢屋もその憎たらしい性格を直さないと就職先のお城でイジメられるわよ」
「その時は何倍にもして返してやるから良いのさ」
「本当呆れるわ」
こんなやり取りも今日で終わり。悲しいと言えば目の前の男は馬鹿にするだろうから絶対に言わない。そんな意地っ張りな性格だからわたし達の関係も変わらない。変わりたいのか?それすら疑問を抱くほどわたしの心はまだ子供で、それでいて死と近いこの仕事に、関係が変わっても意味が無いと自分でも呆れるほど成熟した思考を持っていた。
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それから時間は流れるように過ぎていった。四季は何度も入れ替わり学園を卒業してから何度目の春が来ただろうか。
わたしは卒業してすぐにくノ一をやめ、今では町の商家で売り子をしている。今日もいつも通り売り子の仕事を終えた後、店の前の道端で大量に散った桜の花びらを箒で掃いていた。
桜の花びらを見て思い出すのは、あの憎たらしい性格の男。出会い方すらロマンチックとは程遠い。桜の花びらを髪に纏わせた男は私を見るなりこう言った。
「お前、男装が似合いそうだな。女装実習があるんだ、ペアになってくれ」
淡々と話し出す男は多分本当に悪気はなかったのだろう。しかし配慮に欠けた発言と、隣に居たくのたまではなくひと目見てこちらを選んだことに腹が立ち、頬を一発引っ叩いてしまった。そんな最悪な出会いを果たしたが、後日男がしょげた表情で謝ってきたものだから(後に聞けば鉢屋と同室の不破が何か手解きをしたらしい)笑ってしまってそれからは友達になった。
鉢屋と話すようになってからは彼の印象は変わった。初めこそ悪戯好きで迷惑なヤツだと思っていたが意外と優しい一面もあり、時々後輩の面倒を見てあげている所も頼りがいのある人物なのだと思った。それからだった。彼を知っていくうちにわたしの中で何かが芽ばえ始めたのは。
鉢屋を見つければ目で追い掛けてしまうし、視線が合えば胸が大きく高鳴ってしまう。自覚せずにはいられない恋心に私は戸惑った。しかし卒業する最後の日まで、この気持ちは胸の奥に仕舞い込んだ。彼にとって迷惑でしかない恋心。行き場のないこの気持ちは今も伝えられないまま胸の中で眠っている。
桜を見ると、そんな懐かしくもほろ苦い記憶を思い出す。小さく胸が痛んだ。あの時告白していれば関係は変わっていたのだろうか?良い方向に進んだのだろうか。
しかし考えたってもう遅い。あの時の自分にそんな勇気はなかっただろうし、鉢屋もそんな気はなかっただろう。目指す先は一流の忍びになることで、結婚とか安定とかそういうものを望んでいるようには見えなかった。目を見れば分かった。殆どの卒業生がこれから忍びとして、成長する意欲に溢れた野心的な瞳を輝かせていたから。
「元気かな‥?」
なんて呟きをいつも桜の花びらと共に風に乗せて運んで貰っている。勿論、返事なんかない。この春だって、その先の季節だってきっと来ないだろう。
そう、思っていた。
「元気だよ」
わたしの言葉に答えるように背中から声が聞こえた。聞き覚えのある声‥分からないわけがなかった。それはわたしがずっと、待ち望んでいた声だったから。
「‥っ」
胸が詰まって、声が出なかった。それでも熱くなる目頭を何とか抑えて振り返れば、学園にいた頃と同じ姿で彼はこちらを見つめていた。
何もかもがあの時と変わっていなかった。
「‥」
「おいおい、無視かよ」
「‥元気そうだね、鉢屋」
「まあな」
「まだ不破の変装しているの?」
「この姿が一番落ち着くんだよ。もちろん雷蔵には許可を貰っているから安心しろ」
「安心って‥自分の格好に許可がいるっていうのも変な話よね」
「そうだな」
学園に居た頃と変わらない距離間。わたしは胸がむず痒くなった。浮足立っているとも言える。頬は赤くなっていないだろうか‥いつもより丁寧にお化粧してくれば良かった‥思考が糸のようにあらゆる方向に行っては絡まって解けなくなる。
固まっているわたしを不審に思ったのか、彼はこちらに近づいて顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「え‥?ああ、うん」
「お前、くノ一辞めたんだな」
「うん。わたしには向いてなかったよ」
「‥そうか」
「鉢屋は?どう、エリート忍者としてバンバン売れちゃったりしてるの?」
空気を変えるように笑えば鉢屋はそれを察して同じように微笑んだ。
昔からの意地の悪い笑みは健在だがやはり少しだけ雰囲気は違っていた。子供のような可愛さが抜け落ち、柔らかく落ち着いた雰囲気が時の流れと彼の成長を感じさせた。
「まあまあだよ」
「謙遜できるようになってる‥」
「おいどういう意味だ」
「あはは、元気そうで良かった」
揶揄うとジロリと睨まれた。
ずっと思い続けていた相手が今、わたしの目の前に居る。話したいことなんて季節を重ねる度に増えていたのに、いざ会うと言葉なんてものは全く出て来ない。
「じゃあ‥元気でね」
わたしは箒を持って逃げるように横を通り過ぎた。
彼への思いは卒業してからも尚大きくなっていたのに、これで本当にもう会えないかもしれないのに‥わたしはまた逃げてしまう。拒絶されるのが怖いとか嫌われるのが怖いとか、彼の事を考える度に好きになっていき、もういっそこの気持ちから逃げ出してしまいたかった。
「‥え?」
すると通り過ぎる刹那に、鉢屋はこちらの手を掴んで引っ張った。
身体が急に後ろへと傾く。ふわりと風に乗った桜の花びらが目の先に映り、出会った頃の記憶を思い出した。ロマンチックとは無縁の最低な出会い。そんな出会いですら愛おしかった日々が彼との再会によってまた別の色へと変わっていく。この手に捕まえられていたい、とそう思った。
「私と一緒に来てくれ」
「‥えっと‥それはどういう‥」
「そうだな‥、私の嫁になって欲しい」
「は‥?え‥何で」
「お前のことが好きだった、卒業する前からな‥でも卒業してこれからって時に恋なんてしている暇はなかった」
「‥」
「だからこの気持ちは忘れようとしたんだ。忍びとして生きていけるなら後悔は無い‥そう思っていた。けど違った」
鉢屋はわたしを抱き締めながら一つ一つ噛み締めるように話した。まるで苦い日々を思い出しているかのように。わたしは頷きながら黙って話を聞いていた。温かい胸の中‥そういえば鉢屋の体温に触れたのは今日が初めてだった。
「お前のことが忘れられなかった。それから自分が何に後悔しているのか気がついた」
「後悔‥」
「お前のことをもう手放したくない」
身体を離してこちらを見つめる鉢屋の目は真剣で、あの日見た野心に溢れた輝きは無かった。その代わり温かい光を見つけ出したように、優しく包み込むような色へと変わっていた。
もう、気持ちを抑え込む必要はなかった。
「うん‥わたしも三郎のことが好き」
「ん‥えっ‥?」
「自分から嫁に来いって言ったんじゃない‥?」
「いやあの‥思っていたより‥だな‥」
「何?」
「もしかしてずっと私に会いたかったのか?」
「‥そんなわけないでしょ。自惚れないで」
「急に冷たいな」
「あはは、待ってたって言ったら笑う‥?」
「‥いや‥待っていないと言われた方が笑っていたな」
「ふふっ鉢屋はそうだね。変わらなくて良かった」
「ああ。そうだな」
季節を繰り返す度に心は何度も移り変わる。それでも変わらないものが自分の好きなもので大切にしなければいけないもの。それに気付けたのならば手放してはいけない。
彼をギュッと抱き締めると頭上で苦しそうな声を溢したが聞こえないふりをした。
終