記憶は続く【兵助】
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『貴方は前世を信じますか?』
朝ご飯を食べていたところにそんな奇怪じみた言葉が流れた。白ご飯を咀嚼しながらチャンネルを変える。
そんなの答えはノーだ。
薄く膜のかかった記憶はただの幻想‥夢なのだ。聞いたことのある声、見たことのある場所はただの思い違い。
そう思いだしたのはいつからだっただろうか?
信じても期待した答えはなかった。時々夢で思い出す声音は低くて柔らかくて温かい。聞いたことあるはずの声なのに夢以外で聞いたことはなかった。
初めて見る景色なのに初めてじゃないと感じることもあった。コンクリートと街路樹とビルの風景から、土と雑木林がフラッシュバックした。その時はうっすらと土の匂いや湿った空気感さえ感じられた。
夢を見ているようだった。だってそれらには確固とした真実が無いのだ。
答えがない‥だから前世なんて信じない。
「早く食べないと学校遅刻するよ」
キッチンから母親の声が飛んできた。忙しなく動き回っている母は様々な家事を同時進行させている。慌ただしい朝はいつものことだ。
「ご馳走さまでした」
最後に取っておいた卵焼きを口に放り込むと、食器を洗い場に運んだ。それからソファの上に置いていた鞄を手に取ると玄関へ行き指定の靴を履く。
「行ってきます」と言って玄関を開ければリビングから「行ってらっしゃい」と返された。
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いつも通りの朝なのに今日はどこか違う。胸がモヤモヤするのだ。多分朝から前世というワードを聞いてしまったせいだ。
私はこの言葉が嫌いだった。
答えのない記憶が何度も浮かべばイライラするのは当然だろう。
「今日の1限目は‥」
そんなモヤモヤを忘れるためにも今日の授業でも思い出すことにした。1〜4限目まで思い出したところで曲がり角を曲がる。
すると真正面から勢い良く自転車が突っ込んで来た。キュキュッキュッ!!!と自転車のブレーキが強くかかる音が鳴り響き私は恐怖で目を瞑った。
「すみません!あの大丈夫‥?」
そんな声が聞こえたので私はゆっくりと目を開けた。自転車は見事にギリギリを逸れ、少し通り過ぎた所に止まっていた。
自転車から降りた男の子はこちらを見ると申し訳なさそうな顔で謝った。
「‥大丈夫です」
「本当に‥?少しでも怪我とかしてたら言って、あ、かすり傷とか‥」
「いえ。本当にないです」
「そ、そう‥?良かったぁ」
黒髪とは正反対の真っ白な制服を着た男の子はほっと胸を撫で下ろした。
私の高校とは違う制服だ。白いブレザーの下からは紺色のネクタイがきっちり結んである。
「良くはないけど‥」
「あっ、ごめん。不謹慎だよね‥俺が悪かったのに」
歳は同じくらいのようだった。目の前の男は優しすぎるがあまり年上には見えない。頼りなさげな表情にこちらはふぅと息を吐いた。
「では」
「あ!ちょっと待ってくれ」
「何ですか?」
「君、前に俺と会ったことある‥?」
「何それ」
前世、という言葉が頭を過ぎる。朝から見たテレビのせいだ。
私は彼の質問に首を振った。
「無い」
「だ、だよね‥」
「何でそんなこと聞くの?」
「なんかそんな気がしたんだ。懐かしい感じ?」
「朝から変なテレビでも見たんじゃないの?」
それは自分であるが。私の言葉に男は頭を悩ませた。
「名前聞いてもいいかな‥?」
「‥ みょうじなまえ」
「みょうじ、か‥うーん‥やっぱり会ったことないかも」
「だからそんなことあるわ‥け‥‥」
彼の言葉に笑って言い返そうとした所で急に言葉が詰まった。どこかで聞いたことのある声だったからだ。
名前を呼ばれた響きが頭の中で何度も繰り返され思考が夢の記憶を思い出させた。
そう、ずっとこの声で名前を呼ばれていたのだ。
「どうしたの?」
急に黙り込んだ私を不審に思ったのか黒髪の男がこちらの顔をのぞき込んだ。驚いて勢い良く顔を背ける。
「そんなに嫌がらなくても‥」
「嫌がったわけではなくて‥あの」
「何?」
「もう1回呼んで貰っても良いかな‥」
「何を?」
「名前‥」
「名前?えっと‥ みょうじ‥さん?」
疑問を含んだ音はさておきやはりこの声は知っていた。名前を呼ばれるのだ、みょうじと。
夢の中ではずっとこう囁かれていた。
『またって‥みょうじそんな目で見るなよ‥好きなんだからしょうがないだろ?』
『 みょうじのことも好きだよ』
この言葉が脳内でエコーされる。
「好きだよ」が無限ループで頭の中を巡り巡っていく。
低くて柔らかくて温かい声。今目の前に居る男と同じ。
それと同時に薄く張られていた膜がビリビリと破けていくのを感じた。脳内に浮かぶ目の前の男の顔がこちらを優しい瞳で見つめている。
彼は私の名前を愛おしそうに呼ぶのだった。
「う、うわああああぁぁぁぁぁ!!!!!???」
「何だ何だ!?どうしたんだ急に‥!?」
張られた膜は破けて、鮮明に色がつく。
答えのない夢が嫌いだった。しかし幻想だと思っていたことが今現実に変わってきている。
私はこの男を知っている。
「私‥私は‥」
「うん?」
「君を知ってる」
「ほ、本当!?でもいつ会ったかな‥思い出せない」
「忍者のいる時代」
「忍者?うーん駄目だ‥俺君の事も思い出せないんだ」
その言葉に鳩が豆鉄砲を食らったかのように驚いた。
思わず彼を凝視する。あんなに自分から「昔会ったことあるよね?」なんてアホなことを言い出しておきながら自分は忘れてるのか‥!なんて男だ。
「完全に思い出したわ‥久々知兵助くん」
「何で俺の名前を?まだ教えてないけど‥」
「自分から会ったことあるよね?とか何とか言いながら久々知くんは思い出せないのねえ」
「お、怒ってる‥?何で‥?」
「私の脳内ではずっと久々知くんの声が流れてるんだよ‥!」
「俺の声?」
「好きだよ‥って」
「え、えええぇぇぇぇ!?!?!?」
先程の私と同じように声を上げて彼は驚いた。それに加えて頬がやや紅潮している。
「何で俺が君のこと‥好きって‥」
「それだけじゃない」
「え?」
「豆腐が好きだとも言ってる」
「と、豆腐?今も好きだけど‥」
「く‥久々知くん‥今も豆腐好きなの?」
「うん!」
「ッ本当にこの豆腐馬鹿がぁぁぁ!!!!!!!!!」
相変わらずの豆腐好きに安心する‥訳なかった。寧ろ今も豆腐が好きなのかと絶望していた。
昔も彼は豆腐が大好きだった。それは時折デートの約束もすっぽかすくらいに。
彼女より豆腐の方が好きなのではないかとあの時は迷わずに疑った。そして迷わずに豆腐の方が好きなんだろうと思った。あの時は拗ねて数日間は話さなかったな。
久々知くんは初めこそ驚いた表情だったが今は無言で自分の足元を見つめていた。
プルプルと震える肩をじっと見つめる。何かを思い出したようなそんな雰囲気だった。
「思い出したぞ‥」
「何?」
「思い出したんだ!!みょうじの豆腐馬鹿の一言でな!!」
「え‥?」
「喧嘩した時にいつもお前に言われたよ‥今俺の頭の中ではみょうじの豆腐馬鹿の一言が永遠再生されている」
「それは良かった!」
「良くない!!」
久々知くんは怒ったように睨んだ。
「仮にも俺達付き合ってたんだぞ‥!?豆腐馬鹿の一言で昔を思い出すなんて悲劇過ぎるよ!!」
「まあ‥確かにそうかも」
「相変わらず冷たいなお前は!」
「うん変わらずこの性格だよ」
「笑顔で言うな!」
久々‥いや何百年越しの再会であるが距離感は昔と全く変わらなかった。
久々知くんは相変わらず美形だし彼の着ている制服は名門である超難関高校の制服だ。今でも成績は優秀のようだ。
「じゃあ私は学校に遅れるからここで」
「え!?もう行くのか?」
「久々知くんも遅れるよバイバイ」
「もしかして‥今彼氏が居るとか‥」
「はぁ‥?何でそんなこと聞くのよ」
「だって俺達付き合ってたんだぞ‥ってそんなのここではもう事項か‥」
「事項かどうかは知らないけど」
一度学校の方へ進めた足を止めた。
確かにあの頃は彼の事が好きだった。そしてこうして出会えた今も思い出せて良かったと思った。でも今も彼が好きなのかと聞かれたら疑問の芽が顔を出していた。だってもう豆腐には振り回されたくない。
「好きだ」
「は‥?」
「みょうじが好きだ!だから付き合ってくれ」
「え、ええぇぇぇ!?」
「驚き過ぎだろ」
「だ、だって‥あの‥あっ‥」
「何?」
「後ろに見覚えのある4人が‥」
「げっ‥!」
少し離れているがこちらを見る影が4人‥久々知くんの背中から覗いていた。
私の声に反応した久々知くんがゆっくりと怯えるように後ろを振り向く。彼らは目が合うとニタリと気味の悪い笑みをこぼした。4人とも似たりよったりの表情だ。
さてどうやら私はここで逃げた方が良さそうだ。
「あっ‥遅刻しちゃう!またね久々知くん!」
「あ!!おい!!待て みょうじ‥!」
逃げるこちらを彼は追って来なかった。同じく学校に遅刻するのは避けたいのだろう。
4人に見つかった久々知くんに無念‥とだけ祈って私は通学路を走った。清々しい気分だった。いつもならば特に何も思わない学校までの街並みがキラキラと輝いて見える。
ふと風がほのかに懐かしい匂いを運んできた。
土と火薬と大豆の独特な匂い。
その匂いのする制服の横で私は照れた笑顔を向けていた。
懐かしい記憶が脳裏に浮かぶと、私はそれをゆっくりと胸に溶かした。
fin.