閃の軌跡【後】
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ある昼下がりのオルキスタワー
「これから5分間のことは忘れること。いいかな。」
「え、と…?」
「賢い君ならわかるはずだ」
いつもより僅かに低い声音でルーファスが言う。
ルーファスにしては珍しく要領を得ず、アリアは戸惑いつつも上司命令なので首を縦に振った。
その様子を見てルーファスは頭を押さえ長いため息を吐くとアリアを招き寄せる。
ますます緊迫する空気にアリアは身を固くして慎重に一歩ずつ歩みを進める。ルーファスの気鬱な雰囲気をあからさまに感じることなど殆どないため、何か悪いことをしてしまったのかと心当たりが全くないのにも関わらずアリアの心臓はバクバクと脈打ち、指先が冷えていく心地だった。
「何をしている。早く。」
「ご、ごめんなさい」
鋭い催促に泣き出しそうになりながら足を早めると、腕を引かれルーファスの膝の上に強引に座らせられた。
(ん?!)
アリアが状況を掴めないでいるのをそのままにルーファスはアリアの首元で大きく息を吸ったかと思うと、そのまま資料を手に取り目を通し始めた。
「は、あ、え…え?」
「静かに。」
「は、はぃ…」
自分の頭越しに資料を読み込むルーファスにアリアは世界がどうにかなってしまう予兆なのかと思っていた。
今日は隕石が降ってくるんだ、などと悲観していると背中に密着するルーファスの身体が熱を帯びていることに気がついた。ルーファスの平熱など知らないが、感じる温度は健康体のそれではないのは明らかだった。
冷静に様子を窺うと頭上で繰り返される呼吸は普段よりも多く、吐息も熱を帯びている様だった。
――この人具合悪いのか。
アリアは静かに悟ったが、それが分かったところで今の状況に説明がつくわけではなく、再び混乱が渦巻く。
忘れろといったのはこの状態の5分間のことなのだろう、しかし訳がわからなさすぎて忘れるなど到底不可能だと思った。
「この資料は30分後の会談で必要になる。内容と対策を頭に叩き込まなくてはいけなくてね。」
「そ、そうなんですね…」
資料はアリアの眼前で持たれているので、当然内容は丸見えだったがアリアの頭にはまるで入ってこなかった。
「ちょうど君がいてよかった」
少しだけ振り返り見上げたアクアマリンはいつもより充血し苦しそうに歪んでいた。しかし、その瞳孔は忙しなく文字を追い左右に動いているのをアリアは呆然と見ていた。
大丈夫ですか
の一文字目の音を発し掛けて、ルーファスの視線が一瞬文字から外れアリアを写すのに口を噤んだ。無言で、流れる様に言葉を制されたのだ。まるでアリアが何を言おうとしたのか分かっていたかの様に。
再び文字を追うアクアマリンを窺い見ながら、慰めや労りなど不要だということを感じ取った。では、彼が求めているのは“許容”か“平常”か“忘却”か。恐らくそのどれもだろうとアリアは密かに納得する。
「…珍しいですね、貴方が直前に急ぐなんて」
「あちらの遣り口だ。ギリギリに重要な案件の会談を持ち掛ける。こちらのボロを期待しているのだろう。」
いつもより少し早口な上司の胸に身体を預け、頭を寄せる。
トクリトクリと聞こえる鼓動に、当たり前のことなのにルーファスが生きていることを実感するアリア。
不思議な心地に目を瞑り、その音に耳を寄せる。
頭に重みが掛かり、ルーファスの息遣いをより近くに感じる。胸の何処か奥の辺りがジリジリと焦がれる思いがしたが、これはきっと背中から伝わる熱のせいなのだとアリアは自分に静かに言い聞かせた。
壁掛けの導力時計の長針が一つ進むのとルーファスが資料を読み終えるのはほとんど同時だった。
資料が置かれ、もう一度だけ首元で大きく息が吸われると、アリアの身体はきっかり5分後に解放されるのであった。
「忘れること、いいね。」
アリアは無言で頷いた。
いつもの質問返しでの憎まれ口も今日は控えておく。
足早に部屋を出て行こうとするルーファスの背中を見つめながら、アリアはこれは確かに覚えていていいことではないと思っていた。
「…」
「車を出させる。今日は帰るといい。」
「はい。わかりました。」
振り返らない背中は遠ざかり、パタリと扉が閉まる。
自分も帰り支度をしようと荷物をまとめ、アリアはコートを羽織った。
結局隕石は降ってこないし世界もどうにもならなかった。
けれど、先ほどの5分間は確かに存在していた。未だにルーファスの熱が背中に内包されている気さえした。
しかしその意味を、理由をアリアは汲み取るべきではない。ましてや心を委ねるだなんて。
手配された導力車の窓から見える空は、上司の瞳のように澄んだ水色をしていて一安心する。
きっとあの5分間を忘れなければ隕石が降ってきて、あの5分間の意味を理解した瞬間世界がどうにかなってしまうのだろう。
世界が終わらないように。
アリアは記憶にそっと蓋をする。
「これから5分間のことは忘れること。いいかな。」
「え、と…?」
「賢い君ならわかるはずだ」
いつもより僅かに低い声音でルーファスが言う。
ルーファスにしては珍しく要領を得ず、アリアは戸惑いつつも上司命令なので首を縦に振った。
その様子を見てルーファスは頭を押さえ長いため息を吐くとアリアを招き寄せる。
ますます緊迫する空気にアリアは身を固くして慎重に一歩ずつ歩みを進める。ルーファスの気鬱な雰囲気をあからさまに感じることなど殆どないため、何か悪いことをしてしまったのかと心当たりが全くないのにも関わらずアリアの心臓はバクバクと脈打ち、指先が冷えていく心地だった。
「何をしている。早く。」
「ご、ごめんなさい」
鋭い催促に泣き出しそうになりながら足を早めると、腕を引かれルーファスの膝の上に強引に座らせられた。
(ん?!)
アリアが状況を掴めないでいるのをそのままにルーファスはアリアの首元で大きく息を吸ったかと思うと、そのまま資料を手に取り目を通し始めた。
「は、あ、え…え?」
「静かに。」
「は、はぃ…」
自分の頭越しに資料を読み込むルーファスにアリアは世界がどうにかなってしまう予兆なのかと思っていた。
今日は隕石が降ってくるんだ、などと悲観していると背中に密着するルーファスの身体が熱を帯びていることに気がついた。ルーファスの平熱など知らないが、感じる温度は健康体のそれではないのは明らかだった。
冷静に様子を窺うと頭上で繰り返される呼吸は普段よりも多く、吐息も熱を帯びている様だった。
――この人具合悪いのか。
アリアは静かに悟ったが、それが分かったところで今の状況に説明がつくわけではなく、再び混乱が渦巻く。
忘れろといったのはこの状態の5分間のことなのだろう、しかし訳がわからなさすぎて忘れるなど到底不可能だと思った。
「この資料は30分後の会談で必要になる。内容と対策を頭に叩き込まなくてはいけなくてね。」
「そ、そうなんですね…」
資料はアリアの眼前で持たれているので、当然内容は丸見えだったがアリアの頭にはまるで入ってこなかった。
「ちょうど君がいてよかった」
少しだけ振り返り見上げたアクアマリンはいつもより充血し苦しそうに歪んでいた。しかし、その瞳孔は忙しなく文字を追い左右に動いているのをアリアは呆然と見ていた。
大丈夫ですか
の一文字目の音を発し掛けて、ルーファスの視線が一瞬文字から外れアリアを写すのに口を噤んだ。無言で、流れる様に言葉を制されたのだ。まるでアリアが何を言おうとしたのか分かっていたかの様に。
再び文字を追うアクアマリンを窺い見ながら、慰めや労りなど不要だということを感じ取った。では、彼が求めているのは“許容”か“平常”か“忘却”か。恐らくそのどれもだろうとアリアは密かに納得する。
「…珍しいですね、貴方が直前に急ぐなんて」
「あちらの遣り口だ。ギリギリに重要な案件の会談を持ち掛ける。こちらのボロを期待しているのだろう。」
いつもより少し早口な上司の胸に身体を預け、頭を寄せる。
トクリトクリと聞こえる鼓動に、当たり前のことなのにルーファスが生きていることを実感するアリア。
不思議な心地に目を瞑り、その音に耳を寄せる。
頭に重みが掛かり、ルーファスの息遣いをより近くに感じる。胸の何処か奥の辺りがジリジリと焦がれる思いがしたが、これはきっと背中から伝わる熱のせいなのだとアリアは自分に静かに言い聞かせた。
壁掛けの導力時計の長針が一つ進むのとルーファスが資料を読み終えるのはほとんど同時だった。
資料が置かれ、もう一度だけ首元で大きく息が吸われると、アリアの身体はきっかり5分後に解放されるのであった。
「忘れること、いいね。」
アリアは無言で頷いた。
いつもの質問返しでの憎まれ口も今日は控えておく。
足早に部屋を出て行こうとするルーファスの背中を見つめながら、アリアはこれは確かに覚えていていいことではないと思っていた。
「…」
「車を出させる。今日は帰るといい。」
「はい。わかりました。」
振り返らない背中は遠ざかり、パタリと扉が閉まる。
自分も帰り支度をしようと荷物をまとめ、アリアはコートを羽織った。
結局隕石は降ってこないし世界もどうにもならなかった。
けれど、先ほどの5分間は確かに存在していた。未だにルーファスの熱が背中に内包されている気さえした。
しかしその意味を、理由をアリアは汲み取るべきではない。ましてや心を委ねるだなんて。
手配された導力車の窓から見える空は、上司の瞳のように澄んだ水色をしていて一安心する。
きっとあの5分間を忘れなければ隕石が降ってきて、あの5分間の意味を理解した瞬間世界がどうにかなってしまうのだろう。
世界が終わらないように。
アリアは記憶にそっと蓋をする。
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