閃の軌跡【後】
お名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ユーシス、はいるよ……って、あれ?」
ノックの返事がなく、仕方なく部屋を覗くと部屋の主人は留守のようだった。そういえば出掛ける用事があるとか言っていたような気もすると、アリアは記憶を掘り起こしながら部屋を後にし廊下を戻る。
まあそんなに急ぎの用ではないし、と気軽に考えながら中庭の渡り廊下に差し掛かったところで掃除の手を止めたメイドがおしゃべりに興じているようで話し声が聞こえてくる。
「えーっ、じゃあ今帝都の高級ホテルで?」
「らしいよ、貴族の懇親会という名のお見合いだって」
「ひえー、ユーシス様大人気だろうね」
ひそひそ声だったが、近くを通れば内容がしっかりと聞こえてきてユーシスの名前に思わずアリアは足を止めた。
「ね、アルバレア公爵家なのはもちろん、イケメンだしね」
「でも、アリア様とはどうするんだろ?お似合いなのに」
「貴族だからねえ、家柄とかも重要なんでしょう」
「えー!じゃあ今日のお見合いでもしかしてってことも?」
「素敵な出会いがあれば可能性はあるよね」
メイドが知っていて自分の知らないユーシスのお見合いパーティーにアリアはドキドキと動悸がし、口の中がカラカラに乾いた。
――家柄
ずっと考えないようにしていた自分とユーシスの確実な隔たりだった。アリアがなにをどうしても得ることのできないもの。家柄、血筋。きちんとした手順で生を受けたわけではないアリアにはあるはずのないものだった。
ユーシスは家柄など関係ないと言いアリアと交際をしてくれている。しかし聞く話、今日ユーシスはアリアに隠すようにお見合いパーティへ出席している。
彼のこの行動の意味はひとつだ。
やはりアリアではユーシスの恋人足り得ないということだ。
アリアは立ち尽くしたまま身体を動かせないでいた。胸がジクジクと痛み、頭はぼんやりとし自分ではだめなんだという事実だけがぐるぐると渦巻いた。
別れを告げられ、何処かの貴族の令嬢がユーシスの恋人、正妻として城館にやってくるのを迎える日が来るのか。自分は補佐、いや使用人として公爵家にそれを見届け勤め続けられるだろうか。
アリアは緊張と重圧で吐き気がしてきた。
メイドたちがおしゃべりを止め仕事に戻っていくのにアリアは慌ててフラフラとその場を後にする。
とにかく気持ちを整理しないと。
幸せにうつつを抜かして、覆り様のない事実への気持ちの準備をしてこなかった自分が悪いのだ。とにかく今後について考えなければとアリアは一人になれる場所へと姿を消す。
◆
「……アリアは?遅いな、呼んだのか?」
夕食の時間になっても席に現れないアリアにユーシスは眉を顰め専属侍女のリロに視線を向ける。彼女が時間を守らないことなど滅多にないので何かあったのかと若干焦りの気持ちを感じつつ。
「それがお部屋にも楽器室にもお姿がないのです。」
「外出の報告は?」
「いいえ、ありません」
ユーシスは自分のARCUSⅡを開いてメールを確認するが、こちらにも特にアリアからの連絡はないようだった。
無報告での外出も滅多にないことなので、城館にいるのか、なにか不測の事態が起こったかのどちらかなのだろう。
「ふむ…」
あとは使用人が入ることが制限されているあの東屋か。ひとまず東屋の様子を見に行こうと腰を浮かしかけると控えめなノックの音と共に薄桃が入室してきた。
「あ…遅くなってごめんなさい」
薄く笑ったアリア。目が赤く泣いたことを窺わせた。
「……なにがあった?」
「ごめんなさい、少し本に没頭し過ぎてしまったみたい」
リロの引いた椅子に座り、アリアは小さな声で呟いた。視線の合わない様子にユーシスは怪訝に思いながらも席についたのならば一先ず良いだろうと、少し遅れた夕食を始める。
仕事のことや庭の花、他愛もない話を交わしていたが、アリアのいつもより覇気のない声色と合わない視線にユーシスはやはりアリアの様子がおかしいと思っていた。
そして、半分以上食事が残っているのにも関わらず手が止まり、やがてフォークが置かれた。
「ごめんなさい、お夜食にでも出してもらえるかしら」
「アリア?具合が悪いのか?」
「少しだけ……先に戻るね、ごめんなさい。」
アリアはユーシスに薄く笑いかけるとリロに付き添われ部屋を出ていってしまう。ずっと謝ってばかりのアリアは一体何に対して申し訳なく思っているのか。再び空席となった向かいの席にため息を漏らす。彼女が謝罪の言葉を多く口にするときは大抵思い悩んでいる時だとユーシスは思っていた。
先ほど帝都でリィンと選んだ茶葉とクッキーを持って部屋を訪ねることにしよう。アリアが何に悩んでいるのか聞きに行き少しでも支えになれれば良いと、ユーシスは夕食を食べる手を進める。
――
ユーシスは廊下を歩きながら、昼間の懇親会はやはり面倒なことこの上なかったと振り返る。今回はリィンの助太刀により事なきを得たが、注目が分散されても目敏い者は一定数存在する。アルバレアの家名に執着する貴族、容姿に惹かれる令嬢、近寄ってくる輩は様々だが目的が何であれ、ユーシスにとって必要でない上に興味のないものを適度にあしらうのは非常に面倒な事である。その辺りのあしらい方は兄が長けているので教授願いたいが、そんな間柄でもなくなってしまった。
次回からどうするか、また適当な理由をつけて欠席し続けるか。やはりリィンの言う通りアリアとの関係を公にするべきか。しかしそうすると彼女の将来を決定づけてしまう大きな発表になってしまう。
ユーシスは頭を悩ませた。
また、アリアに断りも無しにそういったパーティに参列するのも罪悪感がすごいわけで。こうして彼女は知らないのに償いの気持ちで手土産まで用意してしまう仕末である。
手元の包みに視線を下す。
先日アリアがレミフェリアに本店を構えるお菓子店がヘイムダルに進出してくると楽しげに話していた店のクッキーだ。これを渡した時の彼女の笑顔を想像するとユーシスは自然と笑みが浮かぶ。まあ、彼女の喜ぶ顔が見られるのであれば、今日の懇親会も全くの無駄ではなかったとユーシスは前向きに思うのだった。
アリアの部屋につき、ノックを数回。流石に先ほど調子が悪そうだったので勝手に入ったりはしない。
「……だあれ?」
少しの間とか細い声。心なしか震えていてユーシスは不安になる。
「アリア、俺だ。少しいいだろうか」
中から焦った声が聞こえ少しすると扉が開いた。
「どうしたの?ユーシス」
そう笑ったアリアの目元は赤く腫れていた。
「……具合は、大丈夫なのか」
「え?あ、うん、大丈夫だよ、ごめんなさい」
「少し話せないだろうか」
「えっと…心配してくれたの?ごめんなさい、もう大丈夫だよ」
部屋に入れてくれる様子もなく、明らかに無理をしているアリアにユーシスはだんだんと焦りを覚える。
「アリアにこれを」
包みを差し出すと酷く動揺したようにピンクダイヤが揺れた。アリアの手は包みを受け取るか迷っていたようだが、少しの間を置き受け取ると眉を寄せ笑った。
「これ、この間話した……覚えててくれてありがとう…でも、こんなこと簡単にしちゃだめだよ」
「……どういうことだ?」
ユーシスはアリアの言っている意味が理解できなかった。これまでに何度もアリアの笑顔が見たくて菓子を土産にしてきた。それにこんなことをユーシスがするのはアリアただ一人にだけだ。それをなぜ窘めるような口振りで言及するのか全くの不可解だった。
「それと、夜遅くにこんなふうに女の子の部屋を訪れてもだめよ。」
突然の恋人になる前のお姉ちゃん然としたアリアの雰囲気にユーシスはいよいよ眉を顰めた。ユーシスが訪ねる女子の部屋などアリアの部屋しかないし、たとえ他に選択肢があったとしてもユーシスが用があるのはアリアだけだ。
「…これを受け取らないのは、流石に失礼ね。ありがとう。けど…私にこういった気遣いはもうしなくていいからね。」
困ったように笑ったアリアの笑顔を最後に扉が閉められ、ユーシスは廊下に取り残された。
まるで同級生に戻ってしまったかのような振る舞い。悩みを聞くどころか話さえもさせてもらえず、何故か軽率な振る舞いだと窘められた。
おかしい、何かがおかしい。
自分とアリアは恋人なはず。アリアの言い分ではまるで恋人関係が解消されてしまったみたいな感じだ。しかし、ユーシスはそうしたつもりもなければ、今後そうする予定も全くない。
暗い廊下を納得できない思いで戻りながらユーシスは何か怒らせるようなことをしてしまったのか考えたが、思い当たるのは黙って出席した懇親会くらいのものだった。しかし、これはアリアが知るはずのない事だ。では一体なぜ様子がおかしいのか、答えが出ないままに自室につく。明日の朝食の席で本人に直接聞くのが早いだろう。そう考え、ユーシスはデスクに座り残した仕事を片付けに取り掛かった。
しかし、翌日朝食の席にも、夕食の席にもアリアは姿を現さなかった。仕事が忙しいという理由。リロが少し冷たい視線でそう言うのにユーシスは頭を悩ませた。
そんな日が2日ほど続き、確かにアリアは忙しくしているようだった。その証拠にユーシスの仕事が見るからに減ったからだ。午後のティータイムを楽しむ余裕すらできてしまった。
明らかに仕事の配分とペースがおかしい。アリアは休む間もなく仕事をしていると言うのか。しかも必要以上にだ。
仕事を割り振っているアルノーを問いただしても、涼しい表情ではぐらかされてしまった。あの狸執事はどういう訳かアリアの肩を持つようだった。
アリアに逢おうにも彼女が自室にいるタイミングとどうにも合わず、ユーシスはたまに東屋を覗きに行く以外には部屋でアリアが報告に来るのを待つのが最善だと思い、いつもより薄い資料を丁寧に読み込むのであった。
やがて控えめなノックの音。アリアのノックにユーシスははやる気持ちを抑え、努めていつも通りに返事をする。
「ユーシス、何個か報告が…」
デスクに近づいてきたアリアは疲れた顔をし、隈が少し目立つようだった。やはり、ちゃんと休んでいないのだろう。報告を聞いたら仕事を奪い取ってでもなんとか休ませないといけないと、ユーシスはアリアの報告に耳を傾けた。
「ケルディックの河川汚染の件は一度行ってみないといけないから…今度外出の申請を出すね。」
「ああ、それは俺も同行しよう」
「え?いいよ、一人で十分よ」
一度合った視線はすぐに逸らされ、手元の資料が最後の一枚をめくった。
「これで以上かな。また何かあったら報告するね。」
淡々と言ったアリアは薄桃の髪を翻し部屋を出て行こうとする。ユーシスは慌てて立ち上がりアリアの手を掴んだ。
「ま、待ってくれ、アリア」
「ユーシス?どうしたの?」
「仕事をしすぎだ、休んだほうがいい。これは俺が引き継ぐ」
アリアの手から資料を取り上げ、ソファに座らせようと手を引くがアリアが動くことはなかった。
「大丈夫だよ。これくらいで丁度いいの。だから返して」
手が催促するように差し出される。
アリアの丁度良さなど知らないが、今の彼女の状態を見てとても適切だとはユーシスは思えなかった。やはりアリアは何かを隠しているのだと色濃く思わせた。
「……俺を、避けているのか?」
ふと頭に浮かんだ疑問だった。
ユーシスを避けるために仕事に没頭している。理由はわからないが、今の状況の説明としては悲しいが一番しっくりくる。アリアの眉がグッと寄り、少し狼狽えているようだった。
「……そ、う、そうね。避けていたのかもしれない。ごめんなさい。」
「何故……気に障るようなことをしてしまったか…?」
「いや、違うの、怒ってなんかない。ただ一人になりたくて…」
肩を落としだんだんと小さくなるアリアの声にユーシスは堪らず身体を抱き寄せた。
「俺はそろそろお前との時間が欲しいんだが…話を聞かせてはくれないだろうか」
アリアは驚いたように息を呑み、ユーシスの肩を押し身体を離した。
「…どうして?」
「え?」
「どうしてなのかなって…それに、この間も言ったけど、簡単にこんなことしちゃだめだよ。」
アリアがどうしてと聞く理由もわからないし、またアリアへの行為を窘められるのも相変わらず意味がわからなかった。ショックのあまり掛ける言葉が見つからないでいる間にアリアはユーシスの手から資料を奪い部屋を出ていってしまう。ユーシスは慌ててその後を追ったが、あっという間に薄桃の姿は消えどこに行ったのかわからなくなってしまった。
しかし、やはりアリアとユーシスの間に何か大きな認識の差があるように思えて、兎にも角にもアリアが何を考え何を思い込んでいるのか聴かない限りは何も始まりも終わりもしないのだと、ユーシスは足早にアリアの自室へと向かう。
案の定部屋には戻っておらずため息を吐くが、次は楽器室だとそちらに足を運ぶ。しかし、そちらも成果はなく、次は東屋だと中庭へ急ぐ。
曲がりくねった庭園の道をゆき、何本ものアーチを超えた先。ユーシスとアリア、二人だけの秘密の東屋。
そこに薄桃はいた。
ベンチに顔を伏せて、地面に座り込んでいた。
小刻みに揺れる肩に、小さく漏れる嗚咽。やはりアリアは泣いていた。夕食に遅れた日も、夜部屋を訪ねた時もアリアは何か思い悩み一人で泣いていたのだとユーシスは確信した。
「アリア……」
「ッ…! あ、あれ、ユーシス……なんで…」
驚いて顔を上げたアリアの顔は涙で濡れ、瞳は赤く充血していた。慌てて袖で涙を拭い笑顔を見せるアリア。強く擦ったせいで赤く腫れ痛々しく、ユーシスの胸は張り裂けるようだった。
「あ、ああ…ここにも私はもう…来ないほうがいいよね、ごめんなさい。」
あんなに二人の秘密だと嬉しそうにしていたアリアがそう言うのにユーシスはどうして!と叫びたかったが、またどこかに逃げてしまいそうなアリアを引き止めるのに必死になった。
「アリア、待ってくれ!何か思い違いをしている。一度ちゃんと話し合おう。」
「思い違い…?そんな、わたし、ちゃんと気持ちの整理してるよ……?」
「気持ちの整理だと?そんなものしないでくれ、俺と別れるのか…?」
「私と別れたいのはユーシスでしょう?」
至極真剣な表情のアリアにユーシスは衝撃を受ける。
何がどうなればそんな勘違いが生まれるのかわからなかったが、天地がひっくり返ってもユーシスがアリアと別れたいと思うはずないのだ。
「だって、私は貴族でもなんでもないし…ユーシスには相応しくない。だから、お見合いに行ったのでしょう?」
アリアの言葉にユーシスは血の気が引き、喉が引き攣った。
まさかアリアに知られていたとは。
そして、それが原因でここまですれ違いアリアを傷つけてしまっていたとは。アリアはユーシスが自分と別れると強く思い込み、無理やり自分を納得させ、ユーシスへの気持ちを整理していたようだった。
それならば、アリアの窘めるような発言にも納得がいく。これから違う令嬢と恋仲になるのであれば、確かにアリアへのそういった行為や気遣いは控えなければいけない。アリアはそれを窘めたのだ。お姉さん然とした雰囲気に戻ったのも、彼女なりにもとの関係に戻ろうと努力したのだろう。
「ど、どこでそれを…」
「メイドが話しているのを聞いたの。内緒で行ったのはそういうことなんでしょう?ちゃんと対応するから…今は…まだ難しいから、放っておいて」
俯いてしまい髪で表情は見えなかったが、間違いなくアリアは今にも泣いてしまいそうな顔をしているのだろう。
しかし、ユーシスは疑問だった。
今回の件は、お見合いに行ったと言う事象以外何も真実ではないので全てアリアの思い違いなのだが、アリアは何故怒らず文句の一つも言わずに、当たり前かのようにユーシスの選択を受け入れようとしているのだろうか。
「怒って……いないのか…?アリアはそれでいいのか?」
「…? だって、当然でしょう?なにもない私を選ぶはずないもの。それくらいわかるよ」
「な……」
皮肉でもなんでもない様子のアリアの声音にユーシスは絶句した。それは信頼のなさなのか自信のなさなのか。とにかくユーシスは自分のアリアに対する気持ちがいっ時の感情のように思われているのが耐え難い真実だった。
ユーシスはどうしようもないくらいアリアを好いているし、残りの人生アリア以外と添い遂げるつもりは毛頭ないくらいにアリアとの将来を考えていた。
「だから、私が泣いたって嫌って言ったって、あなたを困らせてしまうだけだから。そんなことしたくない。」
恋人になりやっとアリアが自分に甘えてくれるようになったのをユーシスは心から嬉しいと思っていたのに、これではまた逆戻りだ。全て隠して取り繕って、なんでもない、と心を殺す帝国に来たばかりの頃のアリアと同じではないか。
ユーシスは眩暈がしながらも、アリアの手を引きベンチへ誘う。
「待ってくれ、アリア…アリア。何から話すべきか…いいから座ってくれ。」
「……なにを話すと言うの」
「いいから、聞いてくれ!頼む……」
こう言う時の彼女の頑固さには困ったものだとユーシスはため息を吐く。少し強い語気にはなってしまったが、アリアは驚いたようにユーシスの隣に腰掛けた。
「まず、すまない。その見合いというか、懇親会に行ったのは本当だ。」
握ったアリアの手が強張ったのを感じ、強く握り直す。
「しかし、言葉の通りの意味で行ったわけではない!ずっと断り続けて来たんだが、今回は流石に体裁を考えると欠席というわけにもいかず…止むを得ず今日は出席してきたんだ」
そう弁明したユーシスの瞳をアリアは不安げに見つめていた。今の説明ではまだ信じていない様子にユーシスはどうにか勘違いが解けますようにと願いながらアリアの瞳を見つめ返した
「だから、見合いなどしていないし、そのつもりも全くない。そういった話を避けるためにも実はリィンに面倒を掛けて共に出席してもらいもしたんだ。」
「リィンと…?」
「ああ、ほとんど利用に近いが《灰色の騎士》が居れば、俺への注目が和らぐかと思ってな」
アリアの視線が忙しなく動き、明らかに戸惑っているようだった。自分が懸命に折り合いをつけた気持ちと、真実との間で混乱しているのかもしれないとユーシスは思った。
「確かに何人からか声は掛かったが全て話を聞くまでもなく断ってきた。それはアリア、お前がいるからだ。」
「うそ…」
「嘘なんかではない。信じてくれ。」
「でも、私、血筋とか家柄とか…何もない。いずれ貴方の枷になる日が来る。」
――家柄、血筋
ユーシスは関係ないと一度改めた認識だと思っていたが、アリアにとってはいまだに根深く深刻な問題のようだった。
もしかしたら、ユーシスの知らないところでアリアは後ろ指を指されているのかもしれない。そう思うとユーシスは悔しくて堪らなかったが、これからはそんな風評から守ってあげれば良いし、何度でも彼女の認識が変わるまで伝え続ければ良いと思うのだった。
「俺は世間がどう思おうと、アリア、お前が好きだ。家柄なんて関係ない。お前がどこの生まれで、何を持っていようが持ってなかろうがどうでもいい。前にも伝えたんだがな…どうしたら信じてもらえる?」
尚も思い詰めた表情のアリアの頬を撫でるとピンクダイヤがユーシスを見た。だんだんとピンクダイヤが滲み歪むのにユーシスは堪らずアリアを抱きしめた。静かに声を押し殺し泣くアリア。ユーシスは背中を撫でながら、もっと声を出して泣いても良いのにと、自分を抑え込むアリアに胸が苦しくなるのだった。
「…こわ、くて……」
やがてアリアが小さく呟いた。
「怖い?」
「突然……捨てられるのは……とても怖い…だから…先に心の準備が必要なの……」
「突然捨てたりなどするはずない。というか、捨てるなんて言い方やめてくれ。何故一方的なんだ…」
アリアが消え入りそうな声でごめんなさいと謝るのに、ユーシスはそう思わせているのは自分かと発言を後悔した。
「すまない、不安にさせたのは俺だな。しかし、アリアもそんなに自分を卑下しないでくれ…あと1人で思い込まないで何でも思った事は言ってくれ。」
「…ユーシスに迷惑かけたくない……嫌われたくない……」
「嫌うわけないだろう。アリア…俺は…アリアに俺がアリア以外を想うと思われていることがとても…つらい」
アリアを強く抱きしめてユーシスは呟いた。
そんな簡単なことではユーシスの気持ちは揺らがないし、アリアとの関係を無しにしてしまおうだなんて思うはずがないのだった。ユーシスにはアリア以外考えられないのに、アリア自身にそれが伝わっていないことが悔しくて堪らなかった。
「どうしたら俺の気持ちがお前に伝わるのだろうな。こんなに想っているのに。そんなに自信がないのか?」
身体を離し、アリアの頬を包み込んで問う。
涙をたくさん溜めたピンクダイヤをユーシスは申し訳なく、そして愛おしく思い、額に唇を落とす。
「伝わっているの……ユーシスの気持ち……すごく幸せなの……だから…突然なくなったらわたし……死んでしまいそうで……」
「それで俺がいなくなると思い込んで心の準備をしていたのか?」
小さく頷いたアリアの瞳から溜まった涙が一気に溢れ流れた。
なんともまあ独りよがりで早とちりなことだとユーシスは思った。そこまでユーシスのことを好いてくれているのであれば泣いて縋って欲しいと思ったが、それができないのがアリアなのだろう。そして傷つくのを恐れて悪い想定で思い込み、自分を納得させる。ユーシスからしたら勝手な思い込みで踏ん切りをつけられかけてしまい、たまったもんじゃないとため息を吐きそうになるのを慌てて飲み込む。
「アリアはどうしたいんだ?」
ユーシスは聞きたかった。無理やり納得させ抑え込んだアリアの本音を。他でもないアリア自身の口から。
私なんか、と自分を卑下する言葉ではなくアリアがどうしたいのか、どうしてほしいのかをユーシスは聞きたかった。そうすればユーシスは全力でそれに応えようと思うのだ。
「ユーシスと……一緒にいたい…他の人のところ、いっちゃ……やだぁ…」
「よく言えたな」
頭を撫で笑いかけると、アリアは堰を切ったように声を上げて泣き始める。ようやく感情を露わにしたアリアの震え泣く身体をユーシスは大切に大切に抱きしめる。
「何処にもいかないから安心するといい」
「ほんと…?」
「ああ、嘘は言わない」
「ずっと?」
「ずっとだ。お前のそばにずっと。」
ユーシスを見上げじっと見つめるピンクダイヤにユーシスは微笑みかけ、その目元に唇を落とす。少しずつ綻びキラキラと光を取り戻す瞳にユーシスは胸を撫で下ろした。
「ユーシス…すき」
「俺もアリアが好きだ。」
「ごめんなさい…勝手に勘違いして……」
「いいんだ。俺もすまなかった。黙って不安にさせることをしてしまって。」
ふるふると首を振ったアリアの手がユーシスの胸元を握り目を瞑った。
ユーシスは世界一愛らしいおねだりだと思いながら、そっと唇を重ね愛を伝えるのであった。
ノックの返事がなく、仕方なく部屋を覗くと部屋の主人は留守のようだった。そういえば出掛ける用事があるとか言っていたような気もすると、アリアは記憶を掘り起こしながら部屋を後にし廊下を戻る。
まあそんなに急ぎの用ではないし、と気軽に考えながら中庭の渡り廊下に差し掛かったところで掃除の手を止めたメイドがおしゃべりに興じているようで話し声が聞こえてくる。
「えーっ、じゃあ今帝都の高級ホテルで?」
「らしいよ、貴族の懇親会という名のお見合いだって」
「ひえー、ユーシス様大人気だろうね」
ひそひそ声だったが、近くを通れば内容がしっかりと聞こえてきてユーシスの名前に思わずアリアは足を止めた。
「ね、アルバレア公爵家なのはもちろん、イケメンだしね」
「でも、アリア様とはどうするんだろ?お似合いなのに」
「貴族だからねえ、家柄とかも重要なんでしょう」
「えー!じゃあ今日のお見合いでもしかしてってことも?」
「素敵な出会いがあれば可能性はあるよね」
メイドが知っていて自分の知らないユーシスのお見合いパーティーにアリアはドキドキと動悸がし、口の中がカラカラに乾いた。
――家柄
ずっと考えないようにしていた自分とユーシスの確実な隔たりだった。アリアがなにをどうしても得ることのできないもの。家柄、血筋。きちんとした手順で生を受けたわけではないアリアにはあるはずのないものだった。
ユーシスは家柄など関係ないと言いアリアと交際をしてくれている。しかし聞く話、今日ユーシスはアリアに隠すようにお見合いパーティへ出席している。
彼のこの行動の意味はひとつだ。
やはりアリアではユーシスの恋人足り得ないということだ。
アリアは立ち尽くしたまま身体を動かせないでいた。胸がジクジクと痛み、頭はぼんやりとし自分ではだめなんだという事実だけがぐるぐると渦巻いた。
別れを告げられ、何処かの貴族の令嬢がユーシスの恋人、正妻として城館にやってくるのを迎える日が来るのか。自分は補佐、いや使用人として公爵家にそれを見届け勤め続けられるだろうか。
アリアは緊張と重圧で吐き気がしてきた。
メイドたちがおしゃべりを止め仕事に戻っていくのにアリアは慌ててフラフラとその場を後にする。
とにかく気持ちを整理しないと。
幸せにうつつを抜かして、覆り様のない事実への気持ちの準備をしてこなかった自分が悪いのだ。とにかく今後について考えなければとアリアは一人になれる場所へと姿を消す。
◆
「……アリアは?遅いな、呼んだのか?」
夕食の時間になっても席に現れないアリアにユーシスは眉を顰め専属侍女のリロに視線を向ける。彼女が時間を守らないことなど滅多にないので何かあったのかと若干焦りの気持ちを感じつつ。
「それがお部屋にも楽器室にもお姿がないのです。」
「外出の報告は?」
「いいえ、ありません」
ユーシスは自分のARCUSⅡを開いてメールを確認するが、こちらにも特にアリアからの連絡はないようだった。
無報告での外出も滅多にないことなので、城館にいるのか、なにか不測の事態が起こったかのどちらかなのだろう。
「ふむ…」
あとは使用人が入ることが制限されているあの東屋か。ひとまず東屋の様子を見に行こうと腰を浮かしかけると控えめなノックの音と共に薄桃が入室してきた。
「あ…遅くなってごめんなさい」
薄く笑ったアリア。目が赤く泣いたことを窺わせた。
「……なにがあった?」
「ごめんなさい、少し本に没頭し過ぎてしまったみたい」
リロの引いた椅子に座り、アリアは小さな声で呟いた。視線の合わない様子にユーシスは怪訝に思いながらも席についたのならば一先ず良いだろうと、少し遅れた夕食を始める。
仕事のことや庭の花、他愛もない話を交わしていたが、アリアのいつもより覇気のない声色と合わない視線にユーシスはやはりアリアの様子がおかしいと思っていた。
そして、半分以上食事が残っているのにも関わらず手が止まり、やがてフォークが置かれた。
「ごめんなさい、お夜食にでも出してもらえるかしら」
「アリア?具合が悪いのか?」
「少しだけ……先に戻るね、ごめんなさい。」
アリアはユーシスに薄く笑いかけるとリロに付き添われ部屋を出ていってしまう。ずっと謝ってばかりのアリアは一体何に対して申し訳なく思っているのか。再び空席となった向かいの席にため息を漏らす。彼女が謝罪の言葉を多く口にするときは大抵思い悩んでいる時だとユーシスは思っていた。
先ほど帝都でリィンと選んだ茶葉とクッキーを持って部屋を訪ねることにしよう。アリアが何に悩んでいるのか聞きに行き少しでも支えになれれば良いと、ユーシスは夕食を食べる手を進める。
――
ユーシスは廊下を歩きながら、昼間の懇親会はやはり面倒なことこの上なかったと振り返る。今回はリィンの助太刀により事なきを得たが、注目が分散されても目敏い者は一定数存在する。アルバレアの家名に執着する貴族、容姿に惹かれる令嬢、近寄ってくる輩は様々だが目的が何であれ、ユーシスにとって必要でない上に興味のないものを適度にあしらうのは非常に面倒な事である。その辺りのあしらい方は兄が長けているので教授願いたいが、そんな間柄でもなくなってしまった。
次回からどうするか、また適当な理由をつけて欠席し続けるか。やはりリィンの言う通りアリアとの関係を公にするべきか。しかしそうすると彼女の将来を決定づけてしまう大きな発表になってしまう。
ユーシスは頭を悩ませた。
また、アリアに断りも無しにそういったパーティに参列するのも罪悪感がすごいわけで。こうして彼女は知らないのに償いの気持ちで手土産まで用意してしまう仕末である。
手元の包みに視線を下す。
先日アリアがレミフェリアに本店を構えるお菓子店がヘイムダルに進出してくると楽しげに話していた店のクッキーだ。これを渡した時の彼女の笑顔を想像するとユーシスは自然と笑みが浮かぶ。まあ、彼女の喜ぶ顔が見られるのであれば、今日の懇親会も全くの無駄ではなかったとユーシスは前向きに思うのだった。
アリアの部屋につき、ノックを数回。流石に先ほど調子が悪そうだったので勝手に入ったりはしない。
「……だあれ?」
少しの間とか細い声。心なしか震えていてユーシスは不安になる。
「アリア、俺だ。少しいいだろうか」
中から焦った声が聞こえ少しすると扉が開いた。
「どうしたの?ユーシス」
そう笑ったアリアの目元は赤く腫れていた。
「……具合は、大丈夫なのか」
「え?あ、うん、大丈夫だよ、ごめんなさい」
「少し話せないだろうか」
「えっと…心配してくれたの?ごめんなさい、もう大丈夫だよ」
部屋に入れてくれる様子もなく、明らかに無理をしているアリアにユーシスはだんだんと焦りを覚える。
「アリアにこれを」
包みを差し出すと酷く動揺したようにピンクダイヤが揺れた。アリアの手は包みを受け取るか迷っていたようだが、少しの間を置き受け取ると眉を寄せ笑った。
「これ、この間話した……覚えててくれてありがとう…でも、こんなこと簡単にしちゃだめだよ」
「……どういうことだ?」
ユーシスはアリアの言っている意味が理解できなかった。これまでに何度もアリアの笑顔が見たくて菓子を土産にしてきた。それにこんなことをユーシスがするのはアリアただ一人にだけだ。それをなぜ窘めるような口振りで言及するのか全くの不可解だった。
「それと、夜遅くにこんなふうに女の子の部屋を訪れてもだめよ。」
突然の恋人になる前のお姉ちゃん然としたアリアの雰囲気にユーシスはいよいよ眉を顰めた。ユーシスが訪ねる女子の部屋などアリアの部屋しかないし、たとえ他に選択肢があったとしてもユーシスが用があるのはアリアだけだ。
「…これを受け取らないのは、流石に失礼ね。ありがとう。けど…私にこういった気遣いはもうしなくていいからね。」
困ったように笑ったアリアの笑顔を最後に扉が閉められ、ユーシスは廊下に取り残された。
まるで同級生に戻ってしまったかのような振る舞い。悩みを聞くどころか話さえもさせてもらえず、何故か軽率な振る舞いだと窘められた。
おかしい、何かがおかしい。
自分とアリアは恋人なはず。アリアの言い分ではまるで恋人関係が解消されてしまったみたいな感じだ。しかし、ユーシスはそうしたつもりもなければ、今後そうする予定も全くない。
暗い廊下を納得できない思いで戻りながらユーシスは何か怒らせるようなことをしてしまったのか考えたが、思い当たるのは黙って出席した懇親会くらいのものだった。しかし、これはアリアが知るはずのない事だ。では一体なぜ様子がおかしいのか、答えが出ないままに自室につく。明日の朝食の席で本人に直接聞くのが早いだろう。そう考え、ユーシスはデスクに座り残した仕事を片付けに取り掛かった。
しかし、翌日朝食の席にも、夕食の席にもアリアは姿を現さなかった。仕事が忙しいという理由。リロが少し冷たい視線でそう言うのにユーシスは頭を悩ませた。
そんな日が2日ほど続き、確かにアリアは忙しくしているようだった。その証拠にユーシスの仕事が見るからに減ったからだ。午後のティータイムを楽しむ余裕すらできてしまった。
明らかに仕事の配分とペースがおかしい。アリアは休む間もなく仕事をしていると言うのか。しかも必要以上にだ。
仕事を割り振っているアルノーを問いただしても、涼しい表情ではぐらかされてしまった。あの狸執事はどういう訳かアリアの肩を持つようだった。
アリアに逢おうにも彼女が自室にいるタイミングとどうにも合わず、ユーシスはたまに東屋を覗きに行く以外には部屋でアリアが報告に来るのを待つのが最善だと思い、いつもより薄い資料を丁寧に読み込むのであった。
やがて控えめなノックの音。アリアのノックにユーシスははやる気持ちを抑え、努めていつも通りに返事をする。
「ユーシス、何個か報告が…」
デスクに近づいてきたアリアは疲れた顔をし、隈が少し目立つようだった。やはり、ちゃんと休んでいないのだろう。報告を聞いたら仕事を奪い取ってでもなんとか休ませないといけないと、ユーシスはアリアの報告に耳を傾けた。
「ケルディックの河川汚染の件は一度行ってみないといけないから…今度外出の申請を出すね。」
「ああ、それは俺も同行しよう」
「え?いいよ、一人で十分よ」
一度合った視線はすぐに逸らされ、手元の資料が最後の一枚をめくった。
「これで以上かな。また何かあったら報告するね。」
淡々と言ったアリアは薄桃の髪を翻し部屋を出て行こうとする。ユーシスは慌てて立ち上がりアリアの手を掴んだ。
「ま、待ってくれ、アリア」
「ユーシス?どうしたの?」
「仕事をしすぎだ、休んだほうがいい。これは俺が引き継ぐ」
アリアの手から資料を取り上げ、ソファに座らせようと手を引くがアリアが動くことはなかった。
「大丈夫だよ。これくらいで丁度いいの。だから返して」
手が催促するように差し出される。
アリアの丁度良さなど知らないが、今の彼女の状態を見てとても適切だとはユーシスは思えなかった。やはりアリアは何かを隠しているのだと色濃く思わせた。
「……俺を、避けているのか?」
ふと頭に浮かんだ疑問だった。
ユーシスを避けるために仕事に没頭している。理由はわからないが、今の状況の説明としては悲しいが一番しっくりくる。アリアの眉がグッと寄り、少し狼狽えているようだった。
「……そ、う、そうね。避けていたのかもしれない。ごめんなさい。」
「何故……気に障るようなことをしてしまったか…?」
「いや、違うの、怒ってなんかない。ただ一人になりたくて…」
肩を落としだんだんと小さくなるアリアの声にユーシスは堪らず身体を抱き寄せた。
「俺はそろそろお前との時間が欲しいんだが…話を聞かせてはくれないだろうか」
アリアは驚いたように息を呑み、ユーシスの肩を押し身体を離した。
「…どうして?」
「え?」
「どうしてなのかなって…それに、この間も言ったけど、簡単にこんなことしちゃだめだよ。」
アリアがどうしてと聞く理由もわからないし、またアリアへの行為を窘められるのも相変わらず意味がわからなかった。ショックのあまり掛ける言葉が見つからないでいる間にアリアはユーシスの手から資料を奪い部屋を出ていってしまう。ユーシスは慌ててその後を追ったが、あっという間に薄桃の姿は消えどこに行ったのかわからなくなってしまった。
しかし、やはりアリアとユーシスの間に何か大きな認識の差があるように思えて、兎にも角にもアリアが何を考え何を思い込んでいるのか聴かない限りは何も始まりも終わりもしないのだと、ユーシスは足早にアリアの自室へと向かう。
案の定部屋には戻っておらずため息を吐くが、次は楽器室だとそちらに足を運ぶ。しかし、そちらも成果はなく、次は東屋だと中庭へ急ぐ。
曲がりくねった庭園の道をゆき、何本ものアーチを超えた先。ユーシスとアリア、二人だけの秘密の東屋。
そこに薄桃はいた。
ベンチに顔を伏せて、地面に座り込んでいた。
小刻みに揺れる肩に、小さく漏れる嗚咽。やはりアリアは泣いていた。夕食に遅れた日も、夜部屋を訪ねた時もアリアは何か思い悩み一人で泣いていたのだとユーシスは確信した。
「アリア……」
「ッ…! あ、あれ、ユーシス……なんで…」
驚いて顔を上げたアリアの顔は涙で濡れ、瞳は赤く充血していた。慌てて袖で涙を拭い笑顔を見せるアリア。強く擦ったせいで赤く腫れ痛々しく、ユーシスの胸は張り裂けるようだった。
「あ、ああ…ここにも私はもう…来ないほうがいいよね、ごめんなさい。」
あんなに二人の秘密だと嬉しそうにしていたアリアがそう言うのにユーシスはどうして!と叫びたかったが、またどこかに逃げてしまいそうなアリアを引き止めるのに必死になった。
「アリア、待ってくれ!何か思い違いをしている。一度ちゃんと話し合おう。」
「思い違い…?そんな、わたし、ちゃんと気持ちの整理してるよ……?」
「気持ちの整理だと?そんなものしないでくれ、俺と別れるのか…?」
「私と別れたいのはユーシスでしょう?」
至極真剣な表情のアリアにユーシスは衝撃を受ける。
何がどうなればそんな勘違いが生まれるのかわからなかったが、天地がひっくり返ってもユーシスがアリアと別れたいと思うはずないのだ。
「だって、私は貴族でもなんでもないし…ユーシスには相応しくない。だから、お見合いに行ったのでしょう?」
アリアの言葉にユーシスは血の気が引き、喉が引き攣った。
まさかアリアに知られていたとは。
そして、それが原因でここまですれ違いアリアを傷つけてしまっていたとは。アリアはユーシスが自分と別れると強く思い込み、無理やり自分を納得させ、ユーシスへの気持ちを整理していたようだった。
それならば、アリアの窘めるような発言にも納得がいく。これから違う令嬢と恋仲になるのであれば、確かにアリアへのそういった行為や気遣いは控えなければいけない。アリアはそれを窘めたのだ。お姉さん然とした雰囲気に戻ったのも、彼女なりにもとの関係に戻ろうと努力したのだろう。
「ど、どこでそれを…」
「メイドが話しているのを聞いたの。内緒で行ったのはそういうことなんでしょう?ちゃんと対応するから…今は…まだ難しいから、放っておいて」
俯いてしまい髪で表情は見えなかったが、間違いなくアリアは今にも泣いてしまいそうな顔をしているのだろう。
しかし、ユーシスは疑問だった。
今回の件は、お見合いに行ったと言う事象以外何も真実ではないので全てアリアの思い違いなのだが、アリアは何故怒らず文句の一つも言わずに、当たり前かのようにユーシスの選択を受け入れようとしているのだろうか。
「怒って……いないのか…?アリアはそれでいいのか?」
「…? だって、当然でしょう?なにもない私を選ぶはずないもの。それくらいわかるよ」
「な……」
皮肉でもなんでもない様子のアリアの声音にユーシスは絶句した。それは信頼のなさなのか自信のなさなのか。とにかくユーシスは自分のアリアに対する気持ちがいっ時の感情のように思われているのが耐え難い真実だった。
ユーシスはどうしようもないくらいアリアを好いているし、残りの人生アリア以外と添い遂げるつもりは毛頭ないくらいにアリアとの将来を考えていた。
「だから、私が泣いたって嫌って言ったって、あなたを困らせてしまうだけだから。そんなことしたくない。」
恋人になりやっとアリアが自分に甘えてくれるようになったのをユーシスは心から嬉しいと思っていたのに、これではまた逆戻りだ。全て隠して取り繕って、なんでもない、と心を殺す帝国に来たばかりの頃のアリアと同じではないか。
ユーシスは眩暈がしながらも、アリアの手を引きベンチへ誘う。
「待ってくれ、アリア…アリア。何から話すべきか…いいから座ってくれ。」
「……なにを話すと言うの」
「いいから、聞いてくれ!頼む……」
こう言う時の彼女の頑固さには困ったものだとユーシスはため息を吐く。少し強い語気にはなってしまったが、アリアは驚いたようにユーシスの隣に腰掛けた。
「まず、すまない。その見合いというか、懇親会に行ったのは本当だ。」
握ったアリアの手が強張ったのを感じ、強く握り直す。
「しかし、言葉の通りの意味で行ったわけではない!ずっと断り続けて来たんだが、今回は流石に体裁を考えると欠席というわけにもいかず…止むを得ず今日は出席してきたんだ」
そう弁明したユーシスの瞳をアリアは不安げに見つめていた。今の説明ではまだ信じていない様子にユーシスはどうにか勘違いが解けますようにと願いながらアリアの瞳を見つめ返した
「だから、見合いなどしていないし、そのつもりも全くない。そういった話を避けるためにも実はリィンに面倒を掛けて共に出席してもらいもしたんだ。」
「リィンと…?」
「ああ、ほとんど利用に近いが《灰色の騎士》が居れば、俺への注目が和らぐかと思ってな」
アリアの視線が忙しなく動き、明らかに戸惑っているようだった。自分が懸命に折り合いをつけた気持ちと、真実との間で混乱しているのかもしれないとユーシスは思った。
「確かに何人からか声は掛かったが全て話を聞くまでもなく断ってきた。それはアリア、お前がいるからだ。」
「うそ…」
「嘘なんかではない。信じてくれ。」
「でも、私、血筋とか家柄とか…何もない。いずれ貴方の枷になる日が来る。」
――家柄、血筋
ユーシスは関係ないと一度改めた認識だと思っていたが、アリアにとってはいまだに根深く深刻な問題のようだった。
もしかしたら、ユーシスの知らないところでアリアは後ろ指を指されているのかもしれない。そう思うとユーシスは悔しくて堪らなかったが、これからはそんな風評から守ってあげれば良いし、何度でも彼女の認識が変わるまで伝え続ければ良いと思うのだった。
「俺は世間がどう思おうと、アリア、お前が好きだ。家柄なんて関係ない。お前がどこの生まれで、何を持っていようが持ってなかろうがどうでもいい。前にも伝えたんだがな…どうしたら信じてもらえる?」
尚も思い詰めた表情のアリアの頬を撫でるとピンクダイヤがユーシスを見た。だんだんとピンクダイヤが滲み歪むのにユーシスは堪らずアリアを抱きしめた。静かに声を押し殺し泣くアリア。ユーシスは背中を撫でながら、もっと声を出して泣いても良いのにと、自分を抑え込むアリアに胸が苦しくなるのだった。
「…こわ、くて……」
やがてアリアが小さく呟いた。
「怖い?」
「突然……捨てられるのは……とても怖い…だから…先に心の準備が必要なの……」
「突然捨てたりなどするはずない。というか、捨てるなんて言い方やめてくれ。何故一方的なんだ…」
アリアが消え入りそうな声でごめんなさいと謝るのに、ユーシスはそう思わせているのは自分かと発言を後悔した。
「すまない、不安にさせたのは俺だな。しかし、アリアもそんなに自分を卑下しないでくれ…あと1人で思い込まないで何でも思った事は言ってくれ。」
「…ユーシスに迷惑かけたくない……嫌われたくない……」
「嫌うわけないだろう。アリア…俺は…アリアに俺がアリア以外を想うと思われていることがとても…つらい」
アリアを強く抱きしめてユーシスは呟いた。
そんな簡単なことではユーシスの気持ちは揺らがないし、アリアとの関係を無しにしてしまおうだなんて思うはずがないのだった。ユーシスにはアリア以外考えられないのに、アリア自身にそれが伝わっていないことが悔しくて堪らなかった。
「どうしたら俺の気持ちがお前に伝わるのだろうな。こんなに想っているのに。そんなに自信がないのか?」
身体を離し、アリアの頬を包み込んで問う。
涙をたくさん溜めたピンクダイヤをユーシスは申し訳なく、そして愛おしく思い、額に唇を落とす。
「伝わっているの……ユーシスの気持ち……すごく幸せなの……だから…突然なくなったらわたし……死んでしまいそうで……」
「それで俺がいなくなると思い込んで心の準備をしていたのか?」
小さく頷いたアリアの瞳から溜まった涙が一気に溢れ流れた。
なんともまあ独りよがりで早とちりなことだとユーシスは思った。そこまでユーシスのことを好いてくれているのであれば泣いて縋って欲しいと思ったが、それができないのがアリアなのだろう。そして傷つくのを恐れて悪い想定で思い込み、自分を納得させる。ユーシスからしたら勝手な思い込みで踏ん切りをつけられかけてしまい、たまったもんじゃないとため息を吐きそうになるのを慌てて飲み込む。
「アリアはどうしたいんだ?」
ユーシスは聞きたかった。無理やり納得させ抑え込んだアリアの本音を。他でもないアリア自身の口から。
私なんか、と自分を卑下する言葉ではなくアリアがどうしたいのか、どうしてほしいのかをユーシスは聞きたかった。そうすればユーシスは全力でそれに応えようと思うのだ。
「ユーシスと……一緒にいたい…他の人のところ、いっちゃ……やだぁ…」
「よく言えたな」
頭を撫で笑いかけると、アリアは堰を切ったように声を上げて泣き始める。ようやく感情を露わにしたアリアの震え泣く身体をユーシスは大切に大切に抱きしめる。
「何処にもいかないから安心するといい」
「ほんと…?」
「ああ、嘘は言わない」
「ずっと?」
「ずっとだ。お前のそばにずっと。」
ユーシスを見上げじっと見つめるピンクダイヤにユーシスは微笑みかけ、その目元に唇を落とす。少しずつ綻びキラキラと光を取り戻す瞳にユーシスは胸を撫で下ろした。
「ユーシス…すき」
「俺もアリアが好きだ。」
「ごめんなさい…勝手に勘違いして……」
「いいんだ。俺もすまなかった。黙って不安にさせることをしてしまって。」
ふるふると首を振ったアリアの手がユーシスの胸元を握り目を瞑った。
ユーシスは世界一愛らしいおねだりだと思いながら、そっと唇を重ね愛を伝えるのであった。
1/2ページ