1 - アルバレア邸(全4話)
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さて、アリアが公爵家に仕えるにあたりやらなければいけないことがいくつかある。ルーファスはデスクのメモ帳に箇条書きにしたものを万年筆のペン先で叩きながら確認する。
まず一般教養および帝国の最低知識の履修だ。
彼女に教養や知識がないというわけではないが、地位ある公爵家に仕えるには全く足りない。渡された資料の彼女の経歴に日曜学校に通った形跡は無く、クロスベル警察にも遊撃士の推薦を受けたようで、しかもその推薦人が《風の剣聖》ときた。
そこで次にかの有名な《風の剣聖》に推薦されるほどの彼女の実力を測ることだ。《
次に貴族としての礼節やマナーなどの教育だ。貴族に仕えるからには社交パーティーに同伴する可能性もある。そんな時に挨拶さえもまともにできないようでは彼女にとっても公爵家にとっても恥となる。ルーファスにとっては取るにたらない事柄ではあるが、まだ公爵家長男の皮を脱ぐには早い。
そして一番重要なのは、彼女に何をさせるかだ。
雇用という程を取るには仕事を振る必要性がある。
しかし、まだ彼女については未知数なことが多すぎて流石のルーファスも決めあぐねる。そして彼女が何故ここ帝国に“無理やり”連れてこられたのか、オズボーンがどういう手段を取ったのか。
そもそもルーファスとオズボーンの関係性およびルーファスが《鉄血の子供達》の筆頭であるという事実は秘匿されているはず。それではアリアはなんと言われて公爵家に送り出されたのだろうか。
ルーファスはまだ僅かに表示期間の残っている資料を読み返したが、アリア・ラプランカを部下として送ることと、彼女の簡素すぎる経歴くらいしか記載はなく、なんの手掛かりもない資料にルーファスは乾いた笑いを漏らした。
しかしいつだってきっかけは自分で掴んできた。今回も同じようにすれば良いだけなのだ。ルーファスはARCUSを取り出すと手早くメールを打ち、個人的な部下に諜報を指示する。内容はもちろんアリア・ラプランカの個人情報およびクロスベルでの騒動についてだ。そして自分でも彼女とコンタクトを取りつつ色々なことを決めていかなければいけない。
ひとまず今日は急遽あつらえた部屋で休ませている薄桃色の少女を思う。貴族派の動きもそうだが気にすることが多いとルーファスはつい吐きそうになったため息を呑み込んだ。
何はともあれアリアに教育を施さないといけないのは確かなので次の日から早速講師を誂え授業を受けさせる。
そうしているうちにも少しずつアリア・ラプランカの情報が集まって来て、細々としたことではあるがルーファスは彼女について知っていくのである。
《薄桃の
しかし《風の剣聖》との出会いをきっかけに《薄桃の
《
特務支援課に所属してからはクロスベルの教団事件を解決したり、西ゼムリア大陸通商会議の警備をしたりとを経たその後、クロスベルを襲撃した《赤い星座》と戦いながら住民を守っていたが赤の戦鬼に惨敗し誘拐され今に至るアリア。
それで公爵家に来た時から怪我を負っていたのかと納得する。傷の治り具合からは誘拐からの日が浅いように思えた。
ルーファスは薄桃色の少女のあの暗澹とした瞳を思い返した。圧倒的な力の差を見せつけられた敗北による屈辱なのか、目の前で街が壊されていく絶望なのか。特務支援課の仲間が自分を助けようと奮闘し傷つけられる様を見ているしかなかったという悔恨もあるのだろう。
しかし、その中に確かに滲む決意は一体何からくるのだろうか。無理やり連れ去られた怒りや帰りたいという欲望は彼女の中に存在するのだろうか。
たくさんの情報を整理しながらそんなことを考え過ごす日々の中でルーファスはふと気がついたのである。
アリア・ラプランカの探るような視線。
授業の合間など顔を見にいくと行儀良くしているが、それ以外の時間のこちらの動向を窺う気配。城館の中を秘密裏に調べ始めているという報告もあった。
(そうか、密偵か)
大方オズボーンに貴族派の中心のアルバレア家の監視か密偵を命じられたのだろう。クロスベルの安全を条件に。
なんと姑息だろうかとルーファスは失笑する。
オズボーンにクロスベルを威嚇するつもりはもう無いように思え、それでもアリアに対する脅し文句に使うのは単なる無知な少女に対するはったりである。彼女を公爵家に寄越したのはどちらかといえばルーファスへの試しなのだろう。
アリアを帝国に留まらせ、素性を明るみにし、オズボーンとルーファスの関係を明るみにしない状態でどう活用するか。
よほど彼女の存在が重要と見て、ルーファスは情報収集を彼女の過去の洗い出しから素性に関わるものに切り替えた。アリアを特殊たらしめる要因はなんなのか、まずはそれを知らないことには始まらないのである。
百聞は一見にしかずと言うのでルーファスは直接自分の目で見ようとデスクチェアから腰を上げる。確か今日は連邦軍の詰所の訓練に参加させていたはずだとアルノーに外出の旨を伝え車を用意させる。
詰所に到着すると連邦軍兵士長に恭しく迎えられ、アリアを見に来たと言うとすぐにグラウンドへと案内される。
「背丈に合う服も剣もなくて不格好ですが悪く無い身のこなしですね。むしろあの年齢の女子であれだけ動けるのは脱帽ものです。」
指差された先を見ると確かに訓練服に完全に着られている小柄な少女が身の丈に合わぬ騎士剣を振るっていてルーファスは珍妙な光景だと思ったが、剣に振るわれることなくしっかりとした軌道を描く剣先に関心したのであった。
「何度かやった模擬試合も全て勝利しています。情けない話ですが、これには他兵士たちのいい刺激になったかと。」
「ふむ、そうだな、小娘に負けているようでは怠惰と言わざるを得ない。」
兵士長の表情が曇るが、当然のことを指摘しているのでルーファスは特に気にするでもなく、グラウンドに出ると近くにいた兵士に剣を持ってくるよう指示する。
「ルーファス様?なにを……」
「何、ほんの気まぐれさ」
「あっ……ルーファスさん!」
「順調なようだね」
ルーファスの気配に振り返ったアリアが気を抜いたように柔らかく笑う。この数日で随分気をゆるされたようだ。監視を命じられているとは思えぬ警戒の無さに彼女にスパイは向いていないとルーファスは思うのだった。
やがて兵士が持って来た剣を取り、アリアに挑発の笑みを向ける。
「さあ剣を抜きたまえ。私が直々に稽古をつけてやろう。」
「…え、あ、はい!」
ルーファスが剣を向けるのにアリアは面食らった表情をしたがすぐに真剣な面持ちになると騎士剣を構えた。
振りかぶられた剣を受け流す。思っていたよりも重い一振りにルーファスは笑みを深くする。兵士たちが少女に接待しているかとも思ったがどうやらそうではないらしいアリアの実力に遠慮は不要だと、ルーファスも背筋を正して剣技を放つ。
難なくかわし反撃してくるアリア。競り合いは不利だと分かっているようで、その持ち前の軽い身のこなしで翻弄するような動きに圧倒された兵士もいたのだろう。
しかし、ルーファスもアルバレア公爵家長男として、そして《鉄血の子供達》筆頭として長年鍛錬を積んできた身である。こんなどこの馬の骨ともわからぬ小娘に膝を折ることなどあり得ない。
競り合いに誘導し、ぶつかり合った剣身を絡め取る。「あっ」と少女の気の抜けた声と宙を舞った剣が地面に突き刺さる音がしてルーファスはふっと息を軽く吐く。
「勝負有り、かな。」
「…そのようです」
悔しさを微塵も感じさせないような涼しい顔でアリアは姿勢を直し剣を拾いに行った。
「君の戦い方には流儀はないようだね」
「…生きる術でしたので」
腰鞘に剣を納めたアリアの手が太もものホルスターを撫でた。そこには赤色のナイフが納められており、きっとそれが彼女の得物で、彼女の生きる術だったのだろうとルーファスは思った。
だから、ルーファスは気になってしまったのだった。
「まるで……そう…」
アリアの人生の矜持がいかほどのものなのかを。
「猟兵のようだ」
「――ッ!」
息を呑んだアリアの瞳が大きく見開かれ、鋭い殺気と共に赤い閃光が走るのを剣で受け止める。物凄い早さで飛び掛かってきたアリアのナイフが確実にルーファスの息の根を止めようと殺意剥き出しの力で突き立てられているのにルーファスは満足だった。
「いや、失敬。元警察だったね。」
力を込めてナイフを弾き返すと、ふわりと宙で身体を反転させたアリアが着地するなり地面を蹴って再びルーファスに斬りかかってくるのを難なく相手にしていく。
確かに速い、速いが怒りや焦りは行動を一貫させ易く、それは弱点になる。
「さあ、終わりだ」
アリアが飛び退く隙をつき、魔力の球体で彼女の体を封じる。
「いけない…!」
その結界を解こうとナイフが突き立てられるがそんなものでは当然太刀打ちはできず焦るアリアにルーファスは不敵に笑いかけ、強く拳を握り魔力を込めた。
「その身に刻め、アリア・ラプランカ」
「っぁあ!」
眩い光と共に衝撃波が走り、グラウンドが一瞬静寂に包まれる。球体が解かれ薄桃色の体が地面に伏すのにワッと観衆が湧いた。
手加減をしたつもりだったが気を失ってしまうほどだったかとルーファスはアリアに歩み寄りながら疑問に思ったが、近づくとアリアが身体を起こしルーファスを見上げた。
ルーファスはアリアがあの挑発に対して怒ると思っていた。しかし予想に反してアリアは何も言わず、ピンクダイヤのような瞳に不安一色を写すのみだった。
「…負け、ふふ、負けね」
「……」
アリアの独り言のような呟きに、不安ではなく絶望だったのかもしれないと思った。
「突然すみませんでした…」
「…いや。精進するといい」
ルーファスはそれだけ言い残し背を向けた。
次の日、傷を増やしたアリアが執務室を訪ねてくるのにルーファスは僅かに驚いた。屈辱を感じてしばらく接触してこないだろうと踏んでいたので、早い訪問は予想外だったからだ。
「何か用かね」
「あの、昨日のことなんですが…」
アリアの手が腕の包帯を摩った。
「あの技、どういうものなんですか?どうするのが適切だったのでしょうか。」
「……ふむ?」
伏せていた視線を上げ、真剣な瞳がルーファスをみつめる。そして、一寸の躊躇いもなく頭を下げたアリアの懇願にルーファスは今度こそ驚くのであった。
「ルーファスさん教えてもらえないでしょうか。私は…立ち止まれないのです」
僅かにアリアの声がくぐもりそのまま泣いてしまうかと思われたが「頭を上げなさい」と声をかけると、顔を上げたアリアの表情は相変わらず暗澹とした決意が滲むのみで泣くどころか弱音さえも見せない少女にルーファスは一種の危うさを覚えるであった。
「易々と手の内を明かすほど私も愚かではない。君の手合わせの相手くらいなら手隙の時にでも付き合おう」
「あ……はい、ありがとうございます…!」
「さあ、時間だろう。もういきなさい」
「はい…失礼します」
ぺこりとお辞儀を一つしてアリアは執務室を出ていく。
面倒な約束をしてしまったものだと思ったが、結局アリアの特異性についてはわからない点が多いので情報収集の場が多いに越したことはないと自分を納得させる。それにアリアに恩を売っておくのも悪くないだろう。いつかは自分とオズボーンの関係性を明かすことにもなるだろうし、信頼はないよりあった方が良い。
それにしても彼女には密偵の自覚があるのだろうかと疑問に思うほどのルーファスに素直な様子が面白く、しばらく退屈しなさそうだなと笑みを漏らすのであった。
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8/27 加筆修正