3 - トールズ
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視線を感じる。
アリアは学院内を歩きながらそう思った。
ここ数日不特定多数の人間、それも男子生徒からの視線をよく感じており、アリアは非常に居心地が悪かった。
その視線は決して悪い物ではなく、好奇の視線に近いように思えたが、アリアはなんの心当たりもないままにその視線に晒されて辟易してきていたのだった。
「いったい何なの……?」
「お前が変なことしたんじゃねぇの?」
「してないよ…静かに過ごしてきたもの」
放課後の教室、クロウと雑談しながらアリアは頭を抱えた。目立たずに生きていきたいのに、理由のわからない注目を浴びてしまうのは不本意極まりないのであった。
「クロウはなにか知らないの?顔広いじゃない」
「近頃はⅦ組に入り浸ってるからなー」
「そう…」
「つっても心当たりがないわけじゃねえ、クロウ君に任せておきな」
そう一つウインクをしてクロウが豪快にアリアの頭を撫でる。グラグラと揺れる視界と乱れる髪にアリアは眉を吊り上げたが、助けてくれると言うならそれに勝ることはないと大人しく撫でられることにする。
「何かわかったら教えるからよ」
「ありがとう…とっても助かる」
「おう、貸し1な。」
今度こそアリアが顔を顰めるのにクロウは面白おかしそうに笑って「じゃあな、気をつけて帰れよ」と席を立ち教室を出て行ってしまう。シンとした教室に1人取り残されてっきりクロウと遊ぶと思っていたアリアは少し残念に思いながらも、特別することもないので図書室で勉強するユーシスを待とうと同じく教室を後にする。
人の少なくなった放課後の校舎でさらに人目に付かぬよう気配を殺し外に出る。そのまま足早に図書館前へと移動し案外人通りが少なさそうなのでそばの花壇の縁へと腰を下ろし落ち着いたアリア。中に入るより外の方がいいだろうと思い、手持ち無沙汰なので仕方なしに参考書を開くことにする。
実のところアリアは毎日の授業に息切れしながらついて行っているのだった。日曜学校など通ったことのないアリアはあまりにも基礎学力が低く、理解できないところがほとんどだったが作り上げて行っているイメージ像が壊れないようにと澄ました顔で授業を乗り越え、空いた時間で足りない学力を埋めようと必死になっていた。
特務支援課ではエリィに勉強を見てもらっていて全くのゼロと言うわけではないが、ちょっとした事を教えてもらった程度で高等教育についていくにはまだまだ足りない。
公爵家でそれなりに知識を詰め込んだつもりでいたが、あれはエレボニア帝国という国に対する基本知識で、役に立つのはせいぜい歴史や経済の授業にだけである。
兎にも角にも昨日の授業で絶望したのである。
数学が本当にわからないということを。
授業中は解答に当てられないよう必死に女神に祈りを捧げ、とにかく基本がわからないことにはどうにもならないと、何故か公爵家から持ってきた荷物に入っていた中等教育の教材を引っ張り出して今日は持参した次第である。
そこまで見越しているなら公爵家で教えて欲しかったとアリアは数字の羅列を見ながらルーファスを呪い、一問ずつ理解しながらノートに問題を解いていった。
自動で計算してくれる導力ツールだってあるのに何故自分で計算する必要があるのかと不服に思っていると図書館から人が出てくる気配がして顔を上げると仏頂面の金髪の男子生徒が見えてアリアは慌てて教材を鞄に捩じ込んだ。
教材の角が飛び出たアリアの鞄に訝しみの視線を送ったユーシス。ここで隠すようにしまうのも逆に怪しまれると思いアリアは何事もなかったようにニコリと笑顔を浮かべた。
「こんなところで待っていたのか」
「ええ。邪魔しちゃ悪いかと思って」
「フン、いい心掛けだな」
腕を組み尊大な態度のユーシスにアリアは笑顔が引き攣りそうになりながらも、帰ればシャロンの美味しいご飯が待っていると別のことを考えてやり過ごそうとした。
「あっ、あの、ラプランカさん」
上擦った男性の声に呼び掛けられアリアは振り返った。見れば緑の制服を着た男子生徒が少し頬を紅潮させそこに立っているのに首を傾げる。
「はぁい?」
「少しいいですか…?!」
呼び出されるとはいったい何事なのだろうか、アリアは不思議に思いながらユーシスと顔を見合わせ、少し不機嫌そうなユーシスが顎で行ってこいと合図するのに男子生徒の後をついてくのであった。
校舎中庭のうち角辺り。夕暮れ時の薄暗いそこで男子生徒は緊張した面持ちでアリアを振り返った。
アリアはその瞬間に悟る。
あ、こりゃ告白だ。
思った通り男子生徒は相変わらず上擦った、それでも真っ直ぐな声でアリアに言い放つ。
「ラプランカさん、好きです。君の笑顔が近くで見たいんです。僕と付き合ってください!」
こんな王道な告白、されたことが初めてなアリアは嬉しさと驚きと、学生という青春を味わっていた。しかし、それと同時に薄気味の悪さも感じていた。アリアは彼を知らない。けれど彼はアリアを好きだと言う。一方的に知られ好意を持たれていることにアリアはどうにも具合の悪さを感じるのだった。好奇な視線を寄せられる居心地の悪さに近い。
「ええっと…ありがとう、気持ちは嬉しいです。けれど私、貴方を知らないの、ごめんなさい。」
「そうだった!僕1年Ⅴ組のクリスっていいます。是非お友達からでも…!」
そう言って差し出された手にアリアは悩んだ。
無碍にするのも気が引けるし、お友達という響きには正直惹かれる。ほんの少しだけ悩んだ結果アリアはクリスの手を取った。
「じゃあ…お友達から……よろしくね、クリスくん」
「う、うん…!アリアちゃんって呼んでもいい?!」
「ええ、もちろん」
ニコリと笑うと頬を染め心底嬉しそうな顔をするクリスにやはり向けられる好意に悪い気はしないアリア。
「今度お昼ご飯一緒に食べよう!」
「ええ、そうね」
学食のまた違った楽しみ方を教えてもらえるかもしれないと、アリアは学院生活をより良いものにできることをクリスに期待して前向きな返事をするとそれにもクリスは無上の喜びといった笑みをこぼす。なんだかあまり色恋的なことを期待されても困るな、と思いながらもアリアはクリスに別れを告げ図書館前に足早に戻った。
きっとユーシスは先に帰っただろう。彼はおそらくそういう人間だ。元いた場所には自分の荷物だけポツンと取り残されている情景を想像しながら戻ると、意外にも花壇に腰掛けたユーシスの姿が見えアリアはわずかに目を見張ってしまう。本を手に持っているので読書をしながら待っていてくれたようだ。
「待っててくれたの……えっ?!」
アリアは驚愕した。いや、大いに焦った。
ユーシスが手にした本は見慣れた教材で、つい先ほどまでアリアが読んでいた中等数学の教材だったことに目を見開き慌てて教材を取り返そうと手を伸ばした。が、その手は空を切ることになりユーシスのアクアマリンの瞳と視線が絡み合う。その視線に少し小馬鹿にされているような気がした。
「やっ…!なっ、なん、で!」
「意外だな。毎日涼しい顔をしているのは演技だったか」
一番バレたくない人にバレてしまった。
ユーシスの手が教材をひらひらと見せつけてきて、アリアの頬にブワッと熱が差した。悔しくてつい感情的な涙が出そうになるのを必死に堪える。それを見たユーシスが驚いた顔をして気まずそうに咳払いをすると教材をアリアに手渡した。
「揶揄う意図はない。出来ないのなら努力するのは当たり前のことだ。」
「で、でも幻滅したでしょう…?!」
「…意外だ、と言っただけだ。」
それでもアリアは恥ずかしくて悔しくて堪らなくて、教材を今度こそしっかりと鞄に捩じ込むとさっさと寮へと帰ろうとユーシスに背を向けた。
「私、こう言った勉強するのって初めてで…けれど貴方の護衛には支障は来さないわ」
もうこれからは以前のように姿を隠して護衛しようとアリアは勝手に気まずさを感じて今日ももうユーシスの前から消えようとした。
「待て待て。勝手に帰るつもりか?」
「うぅ…うう……!」
アリアの様子を察したユーシスに手を掴まれ、アリアは反射的に振り返ると同時にボロっと涙が溢れ出てしまい、アリアもユーシスもぎょっとする
「何故泣く?!」
「もう、放っておいて……!」
勝手に涙が溢れた事により情けなさまで追加されてアリアはもう部屋に閉じこもってしばらく誰とも会いたくない気分だった。ユーシスは気まずそうに視線を逸らすとハンカチを控えめに差し出してくる。
「……そのくらい俺が教えてやってもいい」
「…へ……?」
気遣いなのか哀れみなのかユーシスは申し訳なさそうな顔をして講師をしてもいいと言う。予想外の提案にアリアがポカンとしていると頬に雑にハンカチが押しつけられユーシスが涙を拭ってくる。
「だから、こんな事で泣くんじゃない」
そんなふうに優しくされたら。
アリアは知らず知らずのうちにいっぱいいっぱいになっていたようで、ユーシスの小さな優しさに心が揺らぎ涙が出てきてしまう。
こんなに弱くてはいけないのに。
クロスベルのみんなの方がつらいのに、こんなこともやり切ることのできない自分が情けなくて、ユーシスのハンカチを借りて、少しだけ感情に任せた涙を流してしまう。
「…もう遅い。早く気を落ち着かせるんだ。」
気まずそうな顔をしたユーシスが花壇に再び腰を下ろし小さく息を吐く。どうやらアリアが落ち着くのを待ってくれるようだ。これまた意外だと思っているうちにアリアの涙もだんだんと収まってきて呼吸も整ってくる。それにしても、この絵面はユーシスに告白して振られて泣く女みたいだなと冷静になった頭で思う。人通りが無く誰にも目撃されていないことが不幸中の幸いである。
「日曜学校に通ってこなかったのか?」
ユーシスの問いかけ。
これから教えてもらうのであればある程度情報は開示しておかないと失礼になるだろうと考え、アリアは言葉を選びながら答える。
「ええ、通う環境になかったわ」
「ということは…お前の両親は…?」
「両親?いないわ」
そんなの居たこともない、と追加で付け足したかったがあまり話を広げすぎない方がいいだろう。
「私は…すぐに…仕事をしていたの」
「仕事だと?」
「生きるためには仕事しなくちゃだったの、もうこの話は終わり。私のこと聞いても楽しくもなんともないよ」
ユーシスの哀れむような視線にアリアは居心地が悪くなり、立ち上がると「帰ろう」とバッグを持ち上げた。授業の教材とルーファスが用意してくれた中等教材とでかなりの重みのあるバッグがアリアの肩に食い込み早くも疲弊してしまいそうだった。
寮へ帰る最中、重苦しい沈黙をユーシスが破る。
「ところでさっきの男はなんだったんだ?」
「さっきの…?…ああ」
告白なんかよりユーシスに自分の低学力が露呈したことの方が衝撃的すぎてアリアの頭からはすっかりクリスのことは消え失せていた。
「告白されたの」
「こくっ…そうか」
ユーシスが一瞬素っ頓狂な声を出すのにアリアはそちらに視線を向けるがいつも通りの澄ました顔のユーシスで聞き間違いかと首を傾げる。
「知らない人から告白されるなんて初めて、貴方は多そうね」
「…否定はしない」
「特定の人はいるの?」
「いや、そんなものは必要ない」
ぶっきらぼうに言い放つユーシス。
まあ、帝国きっての大貴族アルバレア公爵家の次男だ、家柄もあるだろうし然るべき時期に婚約者なるものを誂われるのだろう。しかし、逆に言うとそれまでは選び放題遊び放題だというのに、そうしないとは品行方正であるのか潔癖であるのかと考え、普通に家名を蔑めない為かと自問自答する。
「そういうお前はどうなんだ、告白は受けたのか」
「ええ?受けるわけないじゃない。恋人もいないよ」
「…そうか、まあ色恋に現を抜かされても困るがな」
「ご心配なく。そもそも私と付き合いたいなんて物好きなかなか居ないわ」
鼻で笑うとユーシスが怪訝丸出しの視線を向けてくるのにアリアは眉を寄せる。
「何?」
「いや…自覚がないと言うのも問題だな」
「どういうこと?」
「気にするな、ほらついたぞ」
そう言いユーシスが寮の扉を開けてくれるのに自分にも紳士でいてくれるのに少し驚く。今日は彼に対して意外だと思うことが多いなと思いながら礼を言い中に入る。シャロンに出迎えられながらまずは荷物を置こうと階段に差し掛かるが荷物の重さにうんざりとしてしまう。
「貸せ。お前に合わせていると時間がかかりすぎる」
そう言ったユーシスは鞄を引ったくりずんずんと階段を登っていく。今日一番の予想外の出来事にアリアは反応が遅れ慌ててユーシスの後を追いかける。男子部屋のある2階までかと思いきや3階まで、しかもアリアの部屋まで運んでくれるユーシス。明日は槍でも降ってくるかもしれないとアリアは恐ろしく思いながらもユーシスから鞄を受け取り「ありがとう」と微笑む。
「フン、夕食に遅れないためだ。荷物を置いたら早く降りてくるがいい」
つんけんどんな態度だが表情がいつもより柔らかいので満更でも無いようだ。勉強を見てくれると言ったり荷物を持ってくれたりと今日は新たなユーシスの一面を見れてアリアはなんだか胸がいっぱいだった。
正直学力が低いことを知られたのは誤算過ぎたが、知られてしまったのなら仕方がないと気持ちを切り替えていく。
どれもこれも彼との距離が縮まった結果だ。
この距離の近さが仕事の遂行のし易さにも繋がるだろうと考えアリアは荷物を置いて軽く身なりを整えると夕食を食べに階下へと降りていく。
それから隙間時間を使いながらユーシスに勉強を教わり平穏な日々を過ごしていたかと思ったが、結局男子生徒から寄せられる奇怪な視線は和らぐことなくアリアに降り注いだ。
クロウは裏で何やら動いてくれているようで共に過ごす時間が短くなり、代わりにアリアはユーシスといる時間が増えていった。大抵は放課後図書館の2階の端の方の自習スペースでユーシスに勉強を教わっていた。
ここなら変な視線に苛まれることもないし、自分の低学力が他に明るみになることもないだろうと、アリアは居心地の良さを感じているほどであった。
「その問題はこれの応用だ」
「じゃあこういうこと…?」
「ああ、そうなる。理解が早いな」
ユーシスに褒められたことが素直に嬉しく笑みを浮かべるとユーシスも若干口元を緩める。
「やっぱり教えてくれる人がいると分かりやすいね」
「この俺が教えているんだ、当たり前だろう」
「ハハ、そうね」
アリアは乾いた笑いを浮かべたが、実際確かにユーシスの言う通り彼の教え方は的確で説明もわかりやすく、問題を解く順番だったりもかなり考えて指導してくれる。また、彼が用意してくれたらしい追加の教材もとても有り難かった。
ああ見えて彼はとても面倒見が良いのだろう。ミリアムをはじめとした子供達に懐かれているのにも納得ができる。彼女らは幼い本能的にユーシスの包容力に引き付けられているのかもしれない。
ルーファスも面倒見が良いので兄弟揃ってそうなのだろう、と考えながらアリアは長時間の勉強で強張った身体をほぐす為にググッと伸びをした。するとユーシスがテキストの問題の幾つかに印を付け席を立ち上がった。
「俺は少し馬の世話をしてくる。今つけた問題を俺が戻ってくるまでに解いておくように。」
「はあい」
ユーシスがデスク下の荷物棚から鞄を引き抜くと封筒が一枚落ちるのにアリアは気がついた、しかしユーシスは気がついた様子はなくそのまま立ち去ろうとするのを慌てて呼び止め封筒を手渡す。
「ユーシス、落ちたよ」
「…む、すまない」
ユーシスは不思議そうな顔をしながらも封筒を受け取り、今度こそ図書館を出ていく。
さて。
アリアはテキストに改めて向き合った。印の付けられた問題は10以上ある。一体どんなもんでユーシスが帰ってくるかはわからないが、急いで取り掛からないと間に合わないだろう数の問題だ。
ユーシスのスパルタ教育に引き攣りながらも、アリアは受けて立ってやると意気込みペンを握った。