3 - トールズ
お名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ゆっ、ユーシス君!すすす、好きです!」
「そうか。悪いが応えられない。」
「そ……っか……」
今週入って2回目だ。
アリアは木の上に腰掛け、そんな青春の1ページを遠目に眺めていた。といっても甘酸っぱさなど感じる余裕もなくずたずたに破り捨てられてしまった1ページであるが。
消沈して去って行く女生徒の姿を見ながら、アリアは本当に淡白な男だとユーシスを思う。寄せられた好意に喜びや優越感を感じないのだろうか。彼にとっては当たり前に寄せられる感情すぎて逆に煩わしさを感じるのだろうか。アリアには分からなかった。
私だったら嬉しいのに、イケメンの考えることはわからん。と同じく去って行くユーシスを追いかけながら皮肉に思う。
「ユーシス」
「ああ、お前か」
合流するのに声をかけると、いつもと変わらぬ涼しい顔で振り返り、そして何事もなくスタスタと歩みを進めて行く。とても告白を受けた後の人とは到底思えぬ様子にアリアは面食らう。そして馬の世話をしにグラウンドへと向かい、こちらに一瞥もくれずに厩舎に入って行く様子にアリアは女生徒達はこの男の一体どこに惹かれているのか全く理解ができなかった。
結局顔なのか、と世の中の世知辛さに勝手に辟易しながらグラウンドの隅に腰掛ける。どこかに行こうかとも思ったが、確か今日は世話だけと言っていたので彼が寮に帰ってからでも良いだろうとグラウンドを見回した。
ラクロス部が体力作りに励んでいる。部屋でも簡単にできそうなトレーニングでアリアも参考にしようとじっと観察しているとふと金髪の少女が振り返る。そしてアリアと目が合うと嬉しそうに笑みを浮かべて手を振ってくれるのにアリアもつい口元を緩ませながら手を振り返した。
アリサだ。何かとよくしてくれるクラスメイト。
明るく愛想が良く面倒見の良い、芯のある子だ。RF社の一人娘のようで経営面や技術知識面でも優秀。弓の名手でもある。初めの方はお節介だと思ったが、今となってはとても良い友人だと彼女を好いている。アリアはそんな友人を思いながら、同じ金髪でも自分の雇い主とはこうも違うものかと不思議に思う。
すると厩舎の扉が開きユーシスが自分の馬を連れてグラウンドに出てくる。
あの容姿で白馬とな。
狙ってやってるのかと乾いた笑いが漏れる。それでも気障ったらしくないのは彼が本当に身分のある貴族だからなのか。あの一角だけ御伽噺の世界だと言っても信じてしまうほどに様になり過ぎていてアリアは素直に感心してしまうのである。
「……顔だけは完璧なんだけどな…」
ついぽそりと溢してしまうと、ユーシスが馬を引いて近づいてくるのにアリアは聞こえてしまったのかとドキリとして背筋を正した。
「…触ってみるか?」
「……へ」
「公爵家に仕えるのであれば、多少扱いに慣れていた方が良い」
よかった聞こえていなかったようだとアリアは胸を撫で下ろし、ユーシスの学院での愛馬と向き合う。
正直生き物はあまり得意ではなく大きな体躯の迫力に圧倒されかけるが、「優しく触れるだけで良い」とユーシスに腕を引かれ触れた馬の毛並みがさわさわと手のひらに刺激を与える。
「わ、わあ」
触り慣れぬ感触と生き物の温かみについ声を漏らすと、馬が円な瞳で見つめてきてアリアの口元につい笑みが浮かぶ。なかなかどうして愛らしい生き物である。つやつやな毛並みはきっとユーシスの丁寧な手入れによるものなのだろう。
「馬と触れ合うのは初めてか?」
「う、うん…!すごいね、かわいいわ」
「そうだろう。」
ユーシスが自慢げに笑みを浮かべるのに、好きなことには素直なのだなとアリアは控え目に馬を撫でながら思うのだった。
そのあとは馬を厩舎に戻しに行ったユーシスを待っていると、ポーラという馬術部の女生徒を新入部員だとぬか喜びさせてしまったりしたが、帰り道も特に変わりなく普段通りつつ無く1日を終えたのだった。
翌日の昼休み、購買に行くと言うと珍しく一緒に行くというユーシスを連れ立ち学生会館へ向かっていた。
昼休みということで教室も廊下も程よく賑わい、購買が並んでなければ良いけれどとアリアが階段を降りかけると、ユーシスを呼び止める声がして2人はふと足を止めた。
「ユーシス君、お時間少しもらえますか?」
白色の制服を着た女生徒。優雅な出立ちはお嬢様を思わせ、アリアは立っているだけで清楚な愛らしさを振り撒く彼女をすごいと思ったのだった。しかし、後ろに2人控えている取り巻きと思われる女生徒達がいかにもという感じで彼女の品を下げているとも思わせた。
「…いや、断る」
「えっ」
何故かアリアが声を上げてしまい、その場の全員の視線が集まる。ユーシスが盛大にため息を吐いて「お前は黙っていろ」と視線で釘を刺されるのにアリアは素直に口を噤むのであった。
「見ての通り連れがいるのでな。日を改めてくれ」
「あら、お連れ様はお優しくも許可してくれそうですが…」
「貴女転校生よね、私たちと少し話さない?」
アリアが呆然としている間にアリアとユーシスの間に取り巻き2人が割って入り、アリアは取り巻きに隔離されてしまう。
ユーシスの反感の声が聞こえたが、ぴーちくぱーちく話しかけてくる取り巻きに圧倒されているうちに結局お嬢様生徒はユーシスを連れ出すのに成功したらしく、2人の姿が消えていることにアリアは驚いてしまうのだった。
まあ、きっと告白だろうから大事はないだろうが、あとで護衛のくせにと小言を言われると思うとうんざりとしてくる。
「あんた、ユーシス様のなんなの?」
さっきまでの甲高いぶりっ子声はどこにいったのやら、低く苛立ちを隠さない声で話しかけられるのにアリアは耳を疑った。
「ユーシス様にまとわりついて何様?あんたなんて不釣り合いよ」
「ちょっと可愛いからって調子乗って!エミ様の方が何千倍も可憐なんだから!」
今度はきゃんきゃんと人を罵ってくるのにアリアはその変わり身の速さについていけなかった。
別にユーシスの何でもないし、そのエミというお嬢様生徒の方が何千倍も可憐なのはアリアも同意である。何も争うことはないのに、何故文句を言われているのか。
「わたし…別にユーシスのなんでもないわ」
「ま!呼び捨てなんかにして!生意気!」
めんどくさ、と顔を顰めてしまうと、それにも気に食わないのか取り巻き2人も顔を歪めるのに、アリアは逃げてしまおうかと考え始めるとパタパタと可憐な足音が聞こえて、ハンカチで目元を押さえたエミが駆け降りてくる。
「エミ様!」
取り巻き達が彼女に駆け寄り肩を支える。
エミの涙の溜まるサファイアのような美しい瞳にキッと鋭く睨まれたアリアは内心「知らんがな」と呆れ返る。
「貴女、覚えておきなさい」
悪役よろしく捨て台詞を吐いて走り去って行くエミ達の背中を見送りながら、階段を降りてきたユーシスを振り返る。
「待たせたな、行くか」
何事もなかったかのようにそのまま階段を降りて行くユーシスにアリアは流石に声を上げた。
「そ、それだけ?!」
「…何がだ」
「いやいや、私、あの子達にすっごく敵視されてるのだけど!」
「そんなことは俺は知らん。」
たしかに!そうだけど!とアリアは叫び出したくて堪らなかったが、スタスタと先を行ってしまうユーシスを慌てて追いかける。
「最近、告白多くない?」
「正直迷惑な話だ」
「なんと……」
なんて贅沢な男だろうか。まあ、中途半端な態度を取ったり、複数人と遊んだりと不誠実なことはしていないようなのでその点はいいのだが、一縷の望み無く玉砕させてしまうとは女泣かせなやつである。
「特定の人作っちゃえばいいじゃない」
「不必要だ。第一お前がしっかりしていれば良いだけの話だ。」
「ええ?んな無茶な…」
しっかりとは一体。
告白を未然に阻止しろということか?それとも、ユーシスの連れ出しをアリアからお断りすると言えことだろうか。それとも…
口元に指を添え悶々と考えていると、頬をぶにっと摘まれ、鈍い痛みに驚き視線を上げると呆れたような笑みのユーシスと視線が合う。
「はにっ…?!」
「阿呆、冗談を真剣に考えるな」
「冗談だったの…?」
「それはそうだろう。俺のことをお前に責任を取らせるつもりはない。」
全く分かりにくい冗談である。摘まれた頬を摩りながらユーシスを睨みつけると全く意に介してないようで、こちらを見もしない様子にアリアはだんだんと疲れてくる。
そうこうしているうちに学生会館に付き、混雑した中を進み購買を目指す。数人並んでいるだけですぐに買えそうだと安心していると、学食の方の看板が目に止まる。
「日替わりがあるのね」
その週の各曜日の日替わりが表になっているのを眺めていると、2日後の日替わりがナポリタンなことにアリアは胸を躍らせた。
「ナポリタン……」
「……」
アリサかミリアムを誘って明後日は学食にしようかと考えているうちにアリア達の順番が来た。
「何買いに来たの?」
「……」
ユーシスを見上げ問いかけると、ユーシスは購買のラインナップを見回して買うものを探しているようだった。なんでこの人ついて来たんだろうとアリアは疑問に思いながらも自分のお昼ご飯のメロンパンを選ぶと、ユーシスはサンドウィッチをチョイスしたようだった。
「あ、ベンチ空いてる!ここで食べない?」
「フン、お前がしたいようにすればいい」
ちょうど中庭のベンチが一つだけ空いていて、アリアは小走りで席を確保する。ようやく腰を落ち着けご飯にありつけると腰掛けふうと一息ついた。隣にユーシスが腰掛け、こんなところで2人で食事しているところを見られたらまたユーシスのファン達に騒がれてしまうな、と気まずく思いながらもまあいいかとメロンパンの袋を上げた。
「あー!アリア!ユーシスー!」
後ろの方から賑やかな声が聞こえて来てアリアは食べ付いたメロンパンを咽そうになる。なんとか飲み込み息を整えると、首にまとわりついてきた元気な少女、ミリアムを笑顔で振り返った。
「ミーちゃん」
「あ!メロンパン!ひとくちひとくちー!」
「うん、どうぞ、美味しいよ」
たいそう大きな一口であーんと齧り付くミリアムの無邪気さにほのぼのとしながら、ミリアムの手を引き自分とユーシスの間に座らせる。
「ご飯食べたの?」
「うん!おにぎり!ユーシスはサンドウィッチ?」
「やらんぞ」
「ちぇー」
口を尖らせるミリアムを見つめていると、その視線に気がついたミリアムがにこーっと太陽のような笑みを向けてくる。
ミリアムを見ているとこの世の全ての鬱憤がなかったかのように素敵な気持ちになるとアリアは思っていて、つい緩んだ笑みで「ミーちゃんかわいい」と漏らすと、ミリアムが抱きついてくる。
「アリアもかわいいよ!だいすき!」
「ふふ、私も好きよ」
ミリアムを抱きしめ返して2人で笑い合っていると、ユーシスが呆れた視線を向けてくるがそんなのは全く気にならないくらいに、アリアの先ほどまでの珍事でささくれた心が浄化されていっていた。
「俺は戻るぞ」
相変わらず淡白な態度で足早に1人戻ってしまうユーシスにミリアムと2人で顔を見合わせてしまうと程なくして予鈴が鳴り響く。2人で小走りで教室に戻りながら、ユーシスは予鈴が近いことを分かっていたのだろうとアリアは気がついた。
一言「予鈴だ」と教えてくれれば良いものの、言葉少なに会話を終わらせてしまうユーシスをアリアは冷たいと思ったのだった。
翌日は平凡な1日が過ぎ、その次の日もいつも通りに午前中の授業を終え、相変わらずわからないところの多い数学やら導力学やらに辟易しながらもようやく迎えた昼休みにアリアはふうと大きく息を吐いた。今日のお昼ご飯はどうしようと、教材をしまっていると徐にユーシスが近づいて来てアリアを見下ろした。
「ん?」
「行くんだろう?」
「えと……どこに?」
「……」
ユーシスはむすっと顔を顰めた。
どこか行く約束をしていただろうか。それとも何か予定を共有されていただろうか。アリアは脳みそをフル回転させて考えたが、思い当たることが無く首を傾げてしまう。
「学食。いいならいいんだが。」
「学食…あっ!」
そうだナポリタンだ!
なんて重要なことを忘れていたのだろうか!
「わあ!そうだった!行きましょう!」
「フン」
嬉々として立ち上がり早速食堂へと向かう。
忘れていたのか、とありありと呆れるユーシスの視線など全く気にならないほどアリアは久々のナポリタンに浮き足立っていた。
「そんなに楽しみなのか」
「ええ、とっても久しぶりだもの」
「それなのに忘れていたとは」
「う…それは……」
「俺に感謝するといい」
確かにユーシスが覚えていたというか、そもそも購買に行ったあの日アリアがナポリタンに惹かれていたことに気がついていたこと自体驚きであり、言い方はともかく感謝しなければいけないのは本当である。普段は冷たく無愛想であるのに妙なところで優しく、未だ完全には掴めない男だと少し先を歩くユーシスの背中を見ながら思う。
階段を降り始めたところで、ふと、迫り来る気配と鈍い敵意を感じアリアは一歩引き、身体を横に逸らした。
すると「あっ!」という短い悲鳴が聞こえ、アリアの目の前を女生徒が過り、彼女の突き出した腕が前を歩くユーシスの背中を勢いよく押した。
「ッ?!」
突然の後ろからの衝撃でユーシスの身体がなんの抵抗も無く突き落とされるのにアリアは考えるよりも先に身体が動いていた。ユーシスの前に身体を滑り込ませ、落下の衝撃から彼を守るように頭を胸に抱き込む。そしてアリアは背中に来るであろう衝撃に身を備え身を固くし、目をギュッと瞑った。
「っう!」
「くっ!」
アリアは呼吸が一瞬止まるほどの衝撃に身体を震わせた。そして何段か階段を滑り落ち擦れる背中に痛みが走る。落下するだけでも痛いのに、男の子の身体の下敷きになったのだから尚更だ。つい弱音を吐きそうになるのをグッと堪え、頭を打たなかったし、階段の段数が低かったおかげで大した怪我も無さそうなのが幸運だったと思うようにした。
「だ……大丈夫…?ユーシス…」
「そ、それはこっちのセリフだ!!」
身体を起こし、髪を乱したユーシスが怒るのにアリアは珍しい姿だと場違いにも貴重なものを見た気分になる。
「お前は!なんて無茶を!」
「…?とにかく、無事でよかった…いてて…」
背中には絶対に大あざができているだろうと思うとアリアはげんなりとした。肘も擦りむけ、シャワーが染みそうだと悲しくなる。
「とにかく医務室に、しかし一体何が…」
「ユーシス!アリア!大丈夫か?!」
「リィン…もしやその女子は」
駆けつけて来たリィンの横には顔を青ざめさせた白い制服の女生徒が俯いていた。アリアは彼女の顔に見覚えがあった。つい先ほど一瞬目の前を過ぎった女子だ。そしてその女子は先日ユーシスに告白したお嬢様生徒の取り巻きの1人だったと思い出す。感じた鈍い敵意はアリアに向けられたものだったので、本来彼女が突き落としたかったのはアリアだったのだと気がついた。つまり、ユーシスは不運にもとばっちりを喰らったわけである。
「リィン、その女には然るべき罰を。俺はアリアを医務室に連れていく」
「…ああ、承知した。俺が目撃もしているから証人も問題ないだろう。アリアは頼んだ」
全てを察した様子のユーシスが低く言う。リィンはほんの僅かに驚いた表情を見せたがすぐに真剣な面持ちで頷くと、突き落とした犯人を連れていく。恐らく生徒会に委ねるのだろう。
アリアに向き直ったユーシスは依然怒った表情をしていたが、アリアの身体を支える手つきは優しく、まるで壊れ物を扱うようだとアリアは思った。
「ッ…」
「すまない、痛むか?」
「んーん!全然!」
ユーシスの手が背中に触れて走る痛みに反応してしまうとユーシスが心配そうに顔を覗き込んでくる。巻き込まれたのはユーシスの方なのに気を遣われるのが居心地が悪く、アリアは努めて平気そうに振る舞った。ニコと笑いかけると安心したように眉間の皺が減る。護衛としての責務を果たしただけなのにユーシスは何を気にしているのだろうかとアリアは疑問だった。
「わたし!1人で行けるからユーシスはお昼ご飯食べて来なよ!というか、そんなに痛くないし」
正直医務室に行くのも億劫だし、護衛の結果の負傷を護衛対象に介抱されるのもなんだか不名誉な気がして、アリアはユーシスの付き添いを断った。
怪訝そうな顔をするユーシスの背中を「途中でお腹空いちゃうよ!」と押し、昼食へ向かうよう促す。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ、私受け身を取るのは上手なの」
咄嗟すぎて受け身なんて取ってないに等しかったが、骨が折れたり何処かが切れて血が出たりということは全くないので大丈夫と言っても差し支えないだろう。もう一度「ね?」と笑いかけると渋々といったように承諾して「ではリィンと合流する」と言って去っていくのにアリアは胸を撫で下ろした。
適当に人目を避けて旧校舎の方へと移動する。誰もいないことを確認してベンチに腰掛け、はぁと大きなため息を吐いたがそれだけのことで痛む背中に舌打ちを漏らす。
“あの時”の方がよっぽど痛かったので、こんな痛みなんてことないのだ。そして、クロスベルで戦っている仲間たちの方がよっぽど大変でつらいだろうから、弱音など吐いている場合ではない。医務室など以ての外だ。どうせ行ったところで軟膏程度しかもらえず心配の言葉を掛けられるのみだろう。そんなものはアリアにとっては必要のないものだった。
ユーシスには悪いが行ったということにさせてもらおう。
それでも今すぐに動くには難しいほどに背中は痛み、アリアは昼食を断念するのであった。
その後加害生徒は生徒会に連れて行かれ事情聴取が行われたが、指示されたと言い張っており当然該当の生徒にも事情を聞くが、知らぬ存ぜぬでむしろその加害生徒に名誉毀損だと苦言を呈しているようだった。
「アリア、その後怪我の方は大事ないか?」
「え?ええ、なんてことないわ」
そうユーシスに問いかけられ、アリアは咄嗟に嘘をついた。
医務室には当然行かなかったし、軟膏は市販で手に入れたが背中だと自分で塗りにくく、鎮痛剤を飲むだけで対処していたからだ。
激しく動いたり強く触れたりすれば確かに痛いが、それだけのことなのでアリアは特段気にしていなかったので、なんてことないというのは嘘ではないのかもしれないと笑顔を浮かべながら思った。
「それならよかったが、あの時は言い損ねたがあまり無茶はするんじゃない」
「え?」
ユーシスの言葉が予想外でアリアは素っ頓狂な声を上げてしまう。
無茶?無茶などしていない。
仕事を全うするには必要な事だったのだ。
自分を心配するユーシスの瞳と目が合いアリアは首を傾げた。ユーシスは何を心配しているのだろうか。アリアはユーシスの護衛、身体を張って守る事は当たり前のことなのだ。
「どうして?」
「どうしてって…」
「私は貴方の護衛よ、当然の行動だわ」
ユーシスは面食らった顔をして黙り込んでしまい、暫くの考慮のあと深いため息と共に「そうか」と呟くのにアリアはもっと深く首を傾げてしまう。
むしろユーシスはとばっちりで危険に晒されたのだからアリアは叱られても仕方がないと思っていた。
「むしろユーシスは怒ってないの?」
「怒る…何故俺が怒る必要が…」
「あの女の子は私を突き落とそうとしたのに、私が避けたせいで貴方に危害が…」
「……。」
再びユーシスがむすっと黙り込んでしまうのにアリアは困惑して眉を寄せた。そうしているうちに教官が入ってきて始業のチャイムが鳴りこの話は有耶無耶なまま終わりを迎えたのだった。
「そうか。悪いが応えられない。」
「そ……っか……」
今週入って2回目だ。
アリアは木の上に腰掛け、そんな青春の1ページを遠目に眺めていた。といっても甘酸っぱさなど感じる余裕もなくずたずたに破り捨てられてしまった1ページであるが。
消沈して去って行く女生徒の姿を見ながら、アリアは本当に淡白な男だとユーシスを思う。寄せられた好意に喜びや優越感を感じないのだろうか。彼にとっては当たり前に寄せられる感情すぎて逆に煩わしさを感じるのだろうか。アリアには分からなかった。
私だったら嬉しいのに、イケメンの考えることはわからん。と同じく去って行くユーシスを追いかけながら皮肉に思う。
「ユーシス」
「ああ、お前か」
合流するのに声をかけると、いつもと変わらぬ涼しい顔で振り返り、そして何事もなくスタスタと歩みを進めて行く。とても告白を受けた後の人とは到底思えぬ様子にアリアは面食らう。そして馬の世話をしにグラウンドへと向かい、こちらに一瞥もくれずに厩舎に入って行く様子にアリアは女生徒達はこの男の一体どこに惹かれているのか全く理解ができなかった。
結局顔なのか、と世の中の世知辛さに勝手に辟易しながらグラウンドの隅に腰掛ける。どこかに行こうかとも思ったが、確か今日は世話だけと言っていたので彼が寮に帰ってからでも良いだろうとグラウンドを見回した。
ラクロス部が体力作りに励んでいる。部屋でも簡単にできそうなトレーニングでアリアも参考にしようとじっと観察しているとふと金髪の少女が振り返る。そしてアリアと目が合うと嬉しそうに笑みを浮かべて手を振ってくれるのにアリアもつい口元を緩ませながら手を振り返した。
アリサだ。何かとよくしてくれるクラスメイト。
明るく愛想が良く面倒見の良い、芯のある子だ。RF社の一人娘のようで経営面や技術知識面でも優秀。弓の名手でもある。初めの方はお節介だと思ったが、今となってはとても良い友人だと彼女を好いている。アリアはそんな友人を思いながら、同じ金髪でも自分の雇い主とはこうも違うものかと不思議に思う。
すると厩舎の扉が開きユーシスが自分の馬を連れてグラウンドに出てくる。
あの容姿で白馬とな。
狙ってやってるのかと乾いた笑いが漏れる。それでも気障ったらしくないのは彼が本当に身分のある貴族だからなのか。あの一角だけ御伽噺の世界だと言っても信じてしまうほどに様になり過ぎていてアリアは素直に感心してしまうのである。
「……顔だけは完璧なんだけどな…」
ついぽそりと溢してしまうと、ユーシスが馬を引いて近づいてくるのにアリアは聞こえてしまったのかとドキリとして背筋を正した。
「…触ってみるか?」
「……へ」
「公爵家に仕えるのであれば、多少扱いに慣れていた方が良い」
よかった聞こえていなかったようだとアリアは胸を撫で下ろし、ユーシスの学院での愛馬と向き合う。
正直生き物はあまり得意ではなく大きな体躯の迫力に圧倒されかけるが、「優しく触れるだけで良い」とユーシスに腕を引かれ触れた馬の毛並みがさわさわと手のひらに刺激を与える。
「わ、わあ」
触り慣れぬ感触と生き物の温かみについ声を漏らすと、馬が円な瞳で見つめてきてアリアの口元につい笑みが浮かぶ。なかなかどうして愛らしい生き物である。つやつやな毛並みはきっとユーシスの丁寧な手入れによるものなのだろう。
「馬と触れ合うのは初めてか?」
「う、うん…!すごいね、かわいいわ」
「そうだろう。」
ユーシスが自慢げに笑みを浮かべるのに、好きなことには素直なのだなとアリアは控え目に馬を撫でながら思うのだった。
そのあとは馬を厩舎に戻しに行ったユーシスを待っていると、ポーラという馬術部の女生徒を新入部員だとぬか喜びさせてしまったりしたが、帰り道も特に変わりなく普段通りつつ無く1日を終えたのだった。
翌日の昼休み、購買に行くと言うと珍しく一緒に行くというユーシスを連れ立ち学生会館へ向かっていた。
昼休みということで教室も廊下も程よく賑わい、購買が並んでなければ良いけれどとアリアが階段を降りかけると、ユーシスを呼び止める声がして2人はふと足を止めた。
「ユーシス君、お時間少しもらえますか?」
白色の制服を着た女生徒。優雅な出立ちはお嬢様を思わせ、アリアは立っているだけで清楚な愛らしさを振り撒く彼女をすごいと思ったのだった。しかし、後ろに2人控えている取り巻きと思われる女生徒達がいかにもという感じで彼女の品を下げているとも思わせた。
「…いや、断る」
「えっ」
何故かアリアが声を上げてしまい、その場の全員の視線が集まる。ユーシスが盛大にため息を吐いて「お前は黙っていろ」と視線で釘を刺されるのにアリアは素直に口を噤むのであった。
「見ての通り連れがいるのでな。日を改めてくれ」
「あら、お連れ様はお優しくも許可してくれそうですが…」
「貴女転校生よね、私たちと少し話さない?」
アリアが呆然としている間にアリアとユーシスの間に取り巻き2人が割って入り、アリアは取り巻きに隔離されてしまう。
ユーシスの反感の声が聞こえたが、ぴーちくぱーちく話しかけてくる取り巻きに圧倒されているうちに結局お嬢様生徒はユーシスを連れ出すのに成功したらしく、2人の姿が消えていることにアリアは驚いてしまうのだった。
まあ、きっと告白だろうから大事はないだろうが、あとで護衛のくせにと小言を言われると思うとうんざりとしてくる。
「あんた、ユーシス様のなんなの?」
さっきまでの甲高いぶりっ子声はどこにいったのやら、低く苛立ちを隠さない声で話しかけられるのにアリアは耳を疑った。
「ユーシス様にまとわりついて何様?あんたなんて不釣り合いよ」
「ちょっと可愛いからって調子乗って!エミ様の方が何千倍も可憐なんだから!」
今度はきゃんきゃんと人を罵ってくるのにアリアはその変わり身の速さについていけなかった。
別にユーシスの何でもないし、そのエミというお嬢様生徒の方が何千倍も可憐なのはアリアも同意である。何も争うことはないのに、何故文句を言われているのか。
「わたし…別にユーシスのなんでもないわ」
「ま!呼び捨てなんかにして!生意気!」
めんどくさ、と顔を顰めてしまうと、それにも気に食わないのか取り巻き2人も顔を歪めるのに、アリアは逃げてしまおうかと考え始めるとパタパタと可憐な足音が聞こえて、ハンカチで目元を押さえたエミが駆け降りてくる。
「エミ様!」
取り巻き達が彼女に駆け寄り肩を支える。
エミの涙の溜まるサファイアのような美しい瞳にキッと鋭く睨まれたアリアは内心「知らんがな」と呆れ返る。
「貴女、覚えておきなさい」
悪役よろしく捨て台詞を吐いて走り去って行くエミ達の背中を見送りながら、階段を降りてきたユーシスを振り返る。
「待たせたな、行くか」
何事もなかったかのようにそのまま階段を降りて行くユーシスにアリアは流石に声を上げた。
「そ、それだけ?!」
「…何がだ」
「いやいや、私、あの子達にすっごく敵視されてるのだけど!」
「そんなことは俺は知らん。」
たしかに!そうだけど!とアリアは叫び出したくて堪らなかったが、スタスタと先を行ってしまうユーシスを慌てて追いかける。
「最近、告白多くない?」
「正直迷惑な話だ」
「なんと……」
なんて贅沢な男だろうか。まあ、中途半端な態度を取ったり、複数人と遊んだりと不誠実なことはしていないようなのでその点はいいのだが、一縷の望み無く玉砕させてしまうとは女泣かせなやつである。
「特定の人作っちゃえばいいじゃない」
「不必要だ。第一お前がしっかりしていれば良いだけの話だ。」
「ええ?んな無茶な…」
しっかりとは一体。
告白を未然に阻止しろということか?それとも、ユーシスの連れ出しをアリアからお断りすると言えことだろうか。それとも…
口元に指を添え悶々と考えていると、頬をぶにっと摘まれ、鈍い痛みに驚き視線を上げると呆れたような笑みのユーシスと視線が合う。
「はにっ…?!」
「阿呆、冗談を真剣に考えるな」
「冗談だったの…?」
「それはそうだろう。俺のことをお前に責任を取らせるつもりはない。」
全く分かりにくい冗談である。摘まれた頬を摩りながらユーシスを睨みつけると全く意に介してないようで、こちらを見もしない様子にアリアはだんだんと疲れてくる。
そうこうしているうちに学生会館に付き、混雑した中を進み購買を目指す。数人並んでいるだけですぐに買えそうだと安心していると、学食の方の看板が目に止まる。
「日替わりがあるのね」
その週の各曜日の日替わりが表になっているのを眺めていると、2日後の日替わりがナポリタンなことにアリアは胸を躍らせた。
「ナポリタン……」
「……」
アリサかミリアムを誘って明後日は学食にしようかと考えているうちにアリア達の順番が来た。
「何買いに来たの?」
「……」
ユーシスを見上げ問いかけると、ユーシスは購買のラインナップを見回して買うものを探しているようだった。なんでこの人ついて来たんだろうとアリアは疑問に思いながらも自分のお昼ご飯のメロンパンを選ぶと、ユーシスはサンドウィッチをチョイスしたようだった。
「あ、ベンチ空いてる!ここで食べない?」
「フン、お前がしたいようにすればいい」
ちょうど中庭のベンチが一つだけ空いていて、アリアは小走りで席を確保する。ようやく腰を落ち着けご飯にありつけると腰掛けふうと一息ついた。隣にユーシスが腰掛け、こんなところで2人で食事しているところを見られたらまたユーシスのファン達に騒がれてしまうな、と気まずく思いながらもまあいいかとメロンパンの袋を上げた。
「あー!アリア!ユーシスー!」
後ろの方から賑やかな声が聞こえて来てアリアは食べ付いたメロンパンを咽そうになる。なんとか飲み込み息を整えると、首にまとわりついてきた元気な少女、ミリアムを笑顔で振り返った。
「ミーちゃん」
「あ!メロンパン!ひとくちひとくちー!」
「うん、どうぞ、美味しいよ」
たいそう大きな一口であーんと齧り付くミリアムの無邪気さにほのぼのとしながら、ミリアムの手を引き自分とユーシスの間に座らせる。
「ご飯食べたの?」
「うん!おにぎり!ユーシスはサンドウィッチ?」
「やらんぞ」
「ちぇー」
口を尖らせるミリアムを見つめていると、その視線に気がついたミリアムがにこーっと太陽のような笑みを向けてくる。
ミリアムを見ているとこの世の全ての鬱憤がなかったかのように素敵な気持ちになるとアリアは思っていて、つい緩んだ笑みで「ミーちゃんかわいい」と漏らすと、ミリアムが抱きついてくる。
「アリアもかわいいよ!だいすき!」
「ふふ、私も好きよ」
ミリアムを抱きしめ返して2人で笑い合っていると、ユーシスが呆れた視線を向けてくるがそんなのは全く気にならないくらいに、アリアの先ほどまでの珍事でささくれた心が浄化されていっていた。
「俺は戻るぞ」
相変わらず淡白な態度で足早に1人戻ってしまうユーシスにミリアムと2人で顔を見合わせてしまうと程なくして予鈴が鳴り響く。2人で小走りで教室に戻りながら、ユーシスは予鈴が近いことを分かっていたのだろうとアリアは気がついた。
一言「予鈴だ」と教えてくれれば良いものの、言葉少なに会話を終わらせてしまうユーシスをアリアは冷たいと思ったのだった。
翌日は平凡な1日が過ぎ、その次の日もいつも通りに午前中の授業を終え、相変わらずわからないところの多い数学やら導力学やらに辟易しながらもようやく迎えた昼休みにアリアはふうと大きく息を吐いた。今日のお昼ご飯はどうしようと、教材をしまっていると徐にユーシスが近づいて来てアリアを見下ろした。
「ん?」
「行くんだろう?」
「えと……どこに?」
「……」
ユーシスはむすっと顔を顰めた。
どこか行く約束をしていただろうか。それとも何か予定を共有されていただろうか。アリアは脳みそをフル回転させて考えたが、思い当たることが無く首を傾げてしまう。
「学食。いいならいいんだが。」
「学食…あっ!」
そうだナポリタンだ!
なんて重要なことを忘れていたのだろうか!
「わあ!そうだった!行きましょう!」
「フン」
嬉々として立ち上がり早速食堂へと向かう。
忘れていたのか、とありありと呆れるユーシスの視線など全く気にならないほどアリアは久々のナポリタンに浮き足立っていた。
「そんなに楽しみなのか」
「ええ、とっても久しぶりだもの」
「それなのに忘れていたとは」
「う…それは……」
「俺に感謝するといい」
確かにユーシスが覚えていたというか、そもそも購買に行ったあの日アリアがナポリタンに惹かれていたことに気がついていたこと自体驚きであり、言い方はともかく感謝しなければいけないのは本当である。普段は冷たく無愛想であるのに妙なところで優しく、未だ完全には掴めない男だと少し先を歩くユーシスの背中を見ながら思う。
階段を降り始めたところで、ふと、迫り来る気配と鈍い敵意を感じアリアは一歩引き、身体を横に逸らした。
すると「あっ!」という短い悲鳴が聞こえ、アリアの目の前を女生徒が過り、彼女の突き出した腕が前を歩くユーシスの背中を勢いよく押した。
「ッ?!」
突然の後ろからの衝撃でユーシスの身体がなんの抵抗も無く突き落とされるのにアリアは考えるよりも先に身体が動いていた。ユーシスの前に身体を滑り込ませ、落下の衝撃から彼を守るように頭を胸に抱き込む。そしてアリアは背中に来るであろう衝撃に身を備え身を固くし、目をギュッと瞑った。
「っう!」
「くっ!」
アリアは呼吸が一瞬止まるほどの衝撃に身体を震わせた。そして何段か階段を滑り落ち擦れる背中に痛みが走る。落下するだけでも痛いのに、男の子の身体の下敷きになったのだから尚更だ。つい弱音を吐きそうになるのをグッと堪え、頭を打たなかったし、階段の段数が低かったおかげで大した怪我も無さそうなのが幸運だったと思うようにした。
「だ……大丈夫…?ユーシス…」
「そ、それはこっちのセリフだ!!」
身体を起こし、髪を乱したユーシスが怒るのにアリアは珍しい姿だと場違いにも貴重なものを見た気分になる。
「お前は!なんて無茶を!」
「…?とにかく、無事でよかった…いてて…」
背中には絶対に大あざができているだろうと思うとアリアはげんなりとした。肘も擦りむけ、シャワーが染みそうだと悲しくなる。
「とにかく医務室に、しかし一体何が…」
「ユーシス!アリア!大丈夫か?!」
「リィン…もしやその女子は」
駆けつけて来たリィンの横には顔を青ざめさせた白い制服の女生徒が俯いていた。アリアは彼女の顔に見覚えがあった。つい先ほど一瞬目の前を過ぎった女子だ。そしてその女子は先日ユーシスに告白したお嬢様生徒の取り巻きの1人だったと思い出す。感じた鈍い敵意はアリアに向けられたものだったので、本来彼女が突き落としたかったのはアリアだったのだと気がついた。つまり、ユーシスは不運にもとばっちりを喰らったわけである。
「リィン、その女には然るべき罰を。俺はアリアを医務室に連れていく」
「…ああ、承知した。俺が目撃もしているから証人も問題ないだろう。アリアは頼んだ」
全てを察した様子のユーシスが低く言う。リィンはほんの僅かに驚いた表情を見せたがすぐに真剣な面持ちで頷くと、突き落とした犯人を連れていく。恐らく生徒会に委ねるのだろう。
アリアに向き直ったユーシスは依然怒った表情をしていたが、アリアの身体を支える手つきは優しく、まるで壊れ物を扱うようだとアリアは思った。
「ッ…」
「すまない、痛むか?」
「んーん!全然!」
ユーシスの手が背中に触れて走る痛みに反応してしまうとユーシスが心配そうに顔を覗き込んでくる。巻き込まれたのはユーシスの方なのに気を遣われるのが居心地が悪く、アリアは努めて平気そうに振る舞った。ニコと笑いかけると安心したように眉間の皺が減る。護衛としての責務を果たしただけなのにユーシスは何を気にしているのだろうかとアリアは疑問だった。
「わたし!1人で行けるからユーシスはお昼ご飯食べて来なよ!というか、そんなに痛くないし」
正直医務室に行くのも億劫だし、護衛の結果の負傷を護衛対象に介抱されるのもなんだか不名誉な気がして、アリアはユーシスの付き添いを断った。
怪訝そうな顔をするユーシスの背中を「途中でお腹空いちゃうよ!」と押し、昼食へ向かうよう促す。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ、私受け身を取るのは上手なの」
咄嗟すぎて受け身なんて取ってないに等しかったが、骨が折れたり何処かが切れて血が出たりということは全くないので大丈夫と言っても差し支えないだろう。もう一度「ね?」と笑いかけると渋々といったように承諾して「ではリィンと合流する」と言って去っていくのにアリアは胸を撫で下ろした。
適当に人目を避けて旧校舎の方へと移動する。誰もいないことを確認してベンチに腰掛け、はぁと大きなため息を吐いたがそれだけのことで痛む背中に舌打ちを漏らす。
“あの時”の方がよっぽど痛かったので、こんな痛みなんてことないのだ。そして、クロスベルで戦っている仲間たちの方がよっぽど大変でつらいだろうから、弱音など吐いている場合ではない。医務室など以ての外だ。どうせ行ったところで軟膏程度しかもらえず心配の言葉を掛けられるのみだろう。そんなものはアリアにとっては必要のないものだった。
ユーシスには悪いが行ったということにさせてもらおう。
それでも今すぐに動くには難しいほどに背中は痛み、アリアは昼食を断念するのであった。
その後加害生徒は生徒会に連れて行かれ事情聴取が行われたが、指示されたと言い張っており当然該当の生徒にも事情を聞くが、知らぬ存ぜぬでむしろその加害生徒に名誉毀損だと苦言を呈しているようだった。
「アリア、その後怪我の方は大事ないか?」
「え?ええ、なんてことないわ」
そうユーシスに問いかけられ、アリアは咄嗟に嘘をついた。
医務室には当然行かなかったし、軟膏は市販で手に入れたが背中だと自分で塗りにくく、鎮痛剤を飲むだけで対処していたからだ。
激しく動いたり強く触れたりすれば確かに痛いが、それだけのことなのでアリアは特段気にしていなかったので、なんてことないというのは嘘ではないのかもしれないと笑顔を浮かべながら思った。
「それならよかったが、あの時は言い損ねたがあまり無茶はするんじゃない」
「え?」
ユーシスの言葉が予想外でアリアは素っ頓狂な声を上げてしまう。
無茶?無茶などしていない。
仕事を全うするには必要な事だったのだ。
自分を心配するユーシスの瞳と目が合いアリアは首を傾げた。ユーシスは何を心配しているのだろうか。アリアはユーシスの護衛、身体を張って守る事は当たり前のことなのだ。
「どうして?」
「どうしてって…」
「私は貴方の護衛よ、当然の行動だわ」
ユーシスは面食らった顔をして黙り込んでしまい、暫くの考慮のあと深いため息と共に「そうか」と呟くのにアリアはもっと深く首を傾げてしまう。
むしろユーシスはとばっちりで危険に晒されたのだからアリアは叱られても仕方がないと思っていた。
「むしろユーシスは怒ってないの?」
「怒る…何故俺が怒る必要が…」
「あの女の子は私を突き落とそうとしたのに、私が避けたせいで貴方に危害が…」
「……。」
再びユーシスがむすっと黙り込んでしまうのにアリアは困惑して眉を寄せた。そうしているうちに教官が入ってきて始業のチャイムが鳴りこの話は有耶無耶なまま終わりを迎えたのだった。