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マンションクライシス

いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。人間を捨てる代わりに恋人を救うという契約は、ただ人間ではなくなった自分が残っただけで、彼女のわずかな延命だけで、終わってしまった。恋人の墓を眺めながら、どうして救えなかったのかを問う。しかし、そんなの答えなんてどこにもない。残された人間ではなくなった身を持って、青年は世闇に消えていく。

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青年は困惑していた。

雨が降りしきる夜。大学の帰り道。いつものように神薙探偵事務所への道のりを歩いていた青年こと遠野庵は、倒れている男性を発見した。目立った外傷はなかったが、声をかけても無反応。長い銀髪が美しい、どこが浮世離れしたその美貌の持ち主は、気を失っているようだった。庵は青年から人ではない何かであることを感じとったが、放置しておけず事務所まで背負って来てしまった。

「まだ目が覚めないのか…。」

事務所に到着してからもう2時間ほど経過していたが、青年が目覚める様子はない。

「刹那さん、寝てていいですよ。もうすっかり深夜です。」

「一人で大丈夫か?」

「何かあったら呼びますから。」

刹那も同じように青年から何かを感じ取っていて、一人で大丈夫か心配してくれているようだった。何かあったら必ず呼ぶ。その約束で、庵が一人で見守ることなった。

(この人、本当に綺麗だなあ…)

長く艶やかな銀髪、陶器のように白い肌、伏せられた目の長いまつ毛、形の良い唇。思わず見惚れてしまう。そう思って、顔を近づけた時だった。

突然目をガバリと開けたその人は、起き上がって、庵の腕を掴む。びっくりするほど力強く引っ張られて、思わず体勢を崩すと先ほどまで青年が寝ていたソファに押し倒された。え、え、何ごとなのと思っていると、その人が顔を近づけて突然庵の額に口付けた。なんてこった。ここは抵抗してはいけない気がしてとりあえず大人しくしていると、体から何かが抜けていく感覚がした。

「突然、すまない。余裕がなかった。」

初めて青年の声を聞いた。

「ちょっとびっくりしましたけど…大丈夫です。」(大丈夫じゃないけど)

「君から闇を吸い上げた。ただ、それだけだ。」

闇を?ああ、そういうことか。と庵は納得する。先日の事件のせいで、自分の中の闇なんて嫌という程実感している。それを吸い上げたから変な感覚がしたのか、と合点した。

「世話になったな、俺はもう行く。」

青年はもう用はないと立ち去ろうと立ち上がる。しかしちょっとフラフラとしていて、その足取りは心元なかった。

「待ってください。まだふらふらしてるじゃないですか…ここで休んでいってください。」

そう庵が引き止めると、青年は応じてくれた。

青年が九重夜霧という名前があること、魔術士であること、今は闇を吸わなくては生きていけない事、あまり詳しくは聞けなかったが、ある程度の事情は説明してくれた。

まだ回復し切っていないので、しばらく事務所に居て良い許可を刹那からとり、夜霧はしばらくここで生活することになった。


「庵、頼みたい仕事がある。」

あんな事があった翌日、神薙探偵事務所。
神薙刹那は遠野庵に仕事の依頼をした。行方不明事件の事前調査だった。とあるマンションにて、行った人が帰って来ないという事件が発生しているらしい。有名な心霊スポットで、捜索願いが後を絶たないらしい。そこがどんな様子なのか、事前調査を依頼されたのであった。

(えっと…あ、此処か。)

もらった地図を頼りに現場までやってきた。パッと見は何ともないようなマンションに見えた。作りも新しそうだったが、どこか寂しい空気を漂わせていた。今はもう無人らしい。目的の部屋は101号室。一階の端の部屋のようだった。

(あれ、開いてる…?)

目的の部屋に近づくと、何故か部屋の扉が開いていた。微妙な隙間だった。何故開いているのか、危険は承知で近づいてみる。まあ危険があれば逃げれば良い。そう思って近づくとー

「うわ?!」

扉の隙間から突然黒い腕が伸びてきて、扉の内側へ信じられない力で引っ張られた。黒い闇の中へ、引き込まれる感覚があって、意識が無くなった。

「目が覚めたか。」

え、なんで耳慣れない声がするの?
そう思って重く閉じた目を開く。庵が目覚めたのは見知らぬ部屋だった。天井には蛍光ランプだけ。上半身だけ起こすと、簡素なテーブルと椅子。そして、部屋の隅に佇む青年、九重夜霧が目に入った。

「え、夜霧さんなんでここに?!」

「お前の影に入ってついて来た。許可はとってある。」

「影に入ってきたって…そんな無茶苦茶な…。」

神都になんて住んでいたら不思議な事なんてよく起こる。今更驚いてもいられまいとは思ったが、思ったままを口にしてしまった。本当に人間離れしているんだなあと実感してしまう。

「えっと…とりあえず出口を探しますか…。」

そう言って庵はあたりを見回してみる。
部屋に強引に引き込まれたのでとりあえず出なくては。はからずも中を探索できるのは不幸中の幸いか。ここは小部屋か何かのようだ、本棚と、机と椅子しかない。古めかしい電球のランプが、天井から吊り下げられている。

「この部屋には何もなさそうですね。」

「ざっと探して見たがこの部屋に変なものはなかったな。」

「ですよねー…」

そう簡単に重要なものが見つかるとは考えづらい。とにかくここから出てみることにした。

部屋の唯一のドアは意外にも簡単に開いた。キーとちょっと古びた音がして開いたドア。出た空間にあったのは、殺風景な部屋と、二つのドアだった。

片方は白くペンキで塗られた外国風のドア。もう片方は全体的に黒く金属で装飾がなされた重苦しいドアだった。夜霧は両方のドアに近づいて、それぞれ耳を当てて中の様子を伺った。

「黒い方からは何かの気配を感じるな。わずかに音が聞こえた。」

「なんと…じゃあとりあえず白い方に入ってみます?」

「それしかないだろうな。」

相談の上、とりあえず白い方の扉を開けてみる。部屋の中に入ると、キッチンのような空間が広がっていた。妙に生活感があるそのキッチン。作りかけの料理があって、しかし腐っている様子などはない。いい匂いのするスープが鍋の中で煮込まれていた。

「美味しそうですけど、絶対食べない方がいいですよね。」

「毒味してみるか?」

「え????」

そう言ったかと思えば、なんと夜霧はそのスープをスプーンですくって飲んだ。何してるの?!とびっくりしたが当の本人はあっけらかんとしている。何かあったらどうするんだとか、毒でも入ってたらどうするだとか、色々言いたかったが、とりあえず言葉を飲み込んだ。

「大丈夫ですか?!」

「大丈夫だ。俺に毒は効かん。」

「あ、そう、なんですね…」

どこまで人間離れしているのだろうか。見た目が人間そのものなだけに違和感を覚えてしまう。上司に当たる刹那も人間離れしているが、それとは別種のものがあった。人間のようで人間ではないというのは承知の上だが、それでも見た目がそうである以上、一応人間としての部分もあるのだろう。

「あれ、この包丁…」

血みたいなのがついてる?そう言おうとして、無意識に包丁に手が伸びる。なんだか吸い込まれるような感覚がする。おかしい。そう思ったのも束の間、庵は無意識に包丁を首にあてがっていた。夜霧は冷静に対処して庵の手から包丁を叩き落とした。

「あ、あれ…?俺今何を…?」

「危ないところだった。」

「すいません…。」

床に落ちた包丁をみてなんとなく状況を理解する。ああ、またやってしまった。過去にも、無意識に引き寄せられるように自殺紛いのことをしてしまったことを思い出した。その時に刹那にひどく心配されたものだ。

「えっと、気を取り直して…あれ。なんだろうこれ。」

キッチン部屋の中央に配置されているテーブルに、なぜか本が置かれていた。それは薄い桃色の装丁で、ダイアリーと英語で記載されていた。

「失礼しまーす…。」

一応そう言って日記を開いてみることにする。


『○月○日
閉じ込めれた。なんで、どうやって、何も分からない。助けがくるのを待つしかないのだろうか。お願い、誰か気がついて。』

『○月○日
助けがこない。もう望み薄なのだろうか。日にち感覚が怪しくなってきた。』

『○月○日
お腹がすいた。温かいものが食べたい。もうどれくらい食べていなだろうか。』

『○月○日
オナカスイタ 何か、タベタイ』

日記はここで終わっている。

夜霧にも内容を共有して、ここを出るヒントになるかもしれないと、二人は同じことを考えた。

「きっと、何かを満足させないといけないわけですよね。」

「そうだろうな。」

「隣の部屋、行ってみますか。」

二人はキッチン部屋を出て、隣の黒い重苦しい扉を開けてみることにした。注意深く、慎重に。重い。なんとかこじ開けると、そこにはー

「危ない!」

夜霧は素早く庵の腕を引っ張って庵を部屋の中から出した。目に入ったのは部屋の奥にあったあのマンションの扉と、黒い鱗に覆われた巨体のワニに似た怪物だった。

「何度もありがとうございます。」

「何かいるのは分かっていたからな、警戒出来ていて良かった。」

「あれを満足させれば、出られそうですね。」

「そういうことなんだろうな、さて、どうしたものか…。」

「夜霧さん、優しいですね。」

庵はポツリとこぼした。

「何故そう思う?」

「あの怪物に俺を食べさせたら、自分だけ脱出するとか出来たかもしれないのに…それをしなかったのは、夜霧さんが優しい証拠です。」

「……買いかぶりすぎだ。」

「それでも、です。」

庵は夜霧に頬笑みかけるように言った。実際、夜霧は優しい。心配してここまでついてきてくれのもそうだし。さっきの行動もそうだ。自分だけのことを考えず、他者のことを考えてくれている。不器用だが、優しい証拠だった。

「俺に考えがあります。協力してくれますか。」

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怪物の部屋。
堅牢な扉を守る怪物がいる部屋だ。
再び二人はここを訪れた。二人は目を合わせて、こくりと頷く。

獲物を見つけた怪物はのそのそとそちらに向かってゆく。移動が遅いのは幸いであった。明かりの下に来た時、影ができる。その瞬間であった。闇が蠢き、手のようなものが幾重にも連なって出現する。夜霧の力だ。それは怪物にまとわりつき、信じられない力で怪物を締め付ける。苦しそうに踠く怪物を後目に、庵はそっと怪物に近寄った。

「もう、楽になっていいんだよ。」

そっと怪物の額に手を置く。

『ー彷徨いし者よ、導を辿り、円環へと帰れー』

怪物が光に包まれる。さっきまで部屋の充満していた不浄が、清らかになってゆく。怪物も、どこか安心したように目を瞑り、静かに消えていく。

「浄化、完了しました。ぶっつけ本番でしたけど、なんとか出来ましたね。」

「よくやった。」

夜霧が庵の頭をポンとした。
緊張に糸が途切れたのか、庵がちょっとフラッとする。

「あ、あれ…?」

「大丈夫か?」

倒れていく。

夜霧さんが受け止めてくれた

それを感じだがら、庵は倒れて、意識を失った。

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(あれ、ここどこ…?)

さっきまでいた部屋とは天井が違う気がした。しかし、ここが見慣れた自室であるとすぐに気がつく。

(あ、俺…気を失って…)

「目が覚めたか?」

耳慣れた声がする。
ベッドの横で椅子に座っていたのは、心配そうな顔した刹那だった。

「…あのマンション、どうなったんですか?」

「お前の浄化のおかげでまともなマンションに戻ったようだ。もう心霊スポットとして語られることはないだろう。」

「良かったです。あの、夜霧さんは?」

「ずっと心配していた。話をするといい。」

そう言って刹那は席を外した。入れ替わりで夜霧が部屋の入ってきた。とても心配そうな面持ちで、意外と顔に出るんだな、と庵は思った。

「夜霧さん、色々ありがとうございました。」

一人だったら、きっとあそこまで出来なかった。無事に脱出できていたかも分からない。もしかしたら、あの怪物に喰われて終了か、異変を察知した刹那の動きを待たなくてはならなかったかもしれない。本当に感謝していた。

「夜霧さん、折いってお願いがあります。」

「なんだ。」

「俺と、バディを組んでくれませんか。」

庵は夜霧の目をまっすぐ見て言った。

「俺には、戦う力がありません。夜霧さんとバディということになれば、それも補て、やれる事の幅が広がるかなって。」

「なるほど…俺で、いいのか。」

「でいい、じゃなくて夜霧さんだからお願いしたいんです。」

「分かった。」

こうして夜霧は探偵事務所の一員となり、庵の剣となった。


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夜霧は、庵と恋人を重ね合わせていた。
優しい。同じことを言ってくれていた。恋人も、夜霧は優しいとよく言ってくれていたのだ。そう言ってくれる人は少ない。大抵は怖がられる。忌み嫌われることの方が多かった。それでも信じてくれる人が、また見つかった。今度こそ、守り切って見せる。夜霧はそう思っていた。
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