吸死

雨がしとしとと降りしきる夜のことであった。雨の日は吸血鬼の馬鹿騒ぎも大人しいため、ロナルドはそろそろ〆切が怪しくなり始めた原稿に向かっていた。そんな家主の作業進捗に構わず、ドラルクともう一人、遊びに来た竜の血族の女吸血鬼はゲームに勤しんでいる。今はドラルクではなく、客人の方がコントローラーを握っていた。ゲームハードはドラルクのものであるが、ソフトは彼女が持ち込んだものである。
「相変わらず君はへたくそだなあ。だから本体を買って練習しろと言っているのに」
「ドラルクとは違ってそこまで真面目にゲームしてないんだよね」
画面の中では小さい緑の小人が何やら塊を転がして、猫だのバケツだのを手あたり次第にその塊へ吸い込んでいた。そのたびに上がるスポポポポという間の抜けた音にロナルドのなけなしの集中は損なわれていく。しかし、客人が女性であることと毎回渡される高いハムの存在がロナルドに文句をつけにくくさせている。
並んでソファに座っている竜の一族たちは、モニターを注視しながら頭を使わない会話を繰り広げていた。
「道に落ちてるたこ焼きとかって食べる気しなくない?」
「そこの食欲大魔神なら食べるんじゃないか?」
「まじ?人間怖」
「なんか言ったか!?」
ロナルドの怒鳴り声で死んだドラルクの砂が、隣に座っている彼女に降りかかる。こっちがゲームやってる最中に死ぬなよ、という抗議はドラルクにはどうしようもない。彼女が握っているコントローラーがドラルクの私物でなければどうにかして死んだ後の砂を入り込ませていたところだ。再生しているドラルクの顔が隣の彼女に近付いた。そこでドラルクは嗅ぎ慣れない匂いを感じる。すん、と改めて鼻を鳴らしたがやはり覚えがないような気がした。その匂いをドラルクは不快に思わなかった。むしろその逆である。
「香水でも変えたのかね」
考えてみれば仮にも女性に対して不躾な問いだったかもしれない。例えばヒナイチなどにはぶつけなかっただろう。しかし百年単位にもなる長年の付き合いが、ドラルクを気安くさせた。しかも彼女の答えはドラルクにとって最悪であった。
「は? 三十年くらいずっと同じやつだけど何言ってんの?」
わざわざポーズボタンを押してゲームを一時停止してまで向けられた不可解そうな顔に対し、ドラルクはショックで半分ほど死にかける。どうにか踏みとどまり、再生しているドラルクの脳裏にある記憶がよぎる。
『好きな人の体臭はいい匂い(概略)』
よりによって朗々とした父親の声で蘇るその言葉と今、彼女にかけてしまった問いがドラルクの中でいやな結びつき方をする。まさか、とドラルクは首を振る。せっかく五体元通りになったのに再び砂になるところであった。さっき感じ取った匂いそのものはおろか、匂いをかいだという事実さえやたらと後ろめたく感じる。そんなドラルクをよそに、ゲームを再開した彼女によって、画面の中の塊はますます巨大化していく。ついに巨大なビルを巻き込めるようになっていた。いっそ今あの塊に巻き込まれれば失言をなかったことにできるだろうか、とドラルクは思う。そんな心中に構うことなく、彼女は上の空で反応が薄いドラルクに近付いて質問する。
「これあとどこにいけばいいの?」
「ど…………こにでもいけばいいだろう」
彼女が近づくことによって、先ほどの「匂い」をまたドラルクは感じてしまう。やっぱりいい匂いに思えてしまったことは向こう百年黙っておこうと彼は決意した。自分の感情を整理するのにそれだけかかりそうだったからである。一部始終を見届けたジョンは、完全ではないながらも主の動揺を悟って自分に出来ることはないかを考え始めていた。一方、完全に気が散ってソファに並んでいる吸血鬼どもを眺めていたロナルドは本気の舌打ちした。何が悲しくてこんな小学生みたいなやきもきを見せられなければならないのか。本当の小学生であれば可愛げもあるが実際は二百歳越えの吸血鬼どもである。ただ、今ドラルクを怒鳴りつけると客人もろとも怒鳴りつけることになるためロナルドはさすがにぐっと堪えた。どうせ怒鳴っても、そもそもダイニングで作業している時点でまともに進める気ないだろ若造がとドラルクに言い返されるだけでもあるが。
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