吸死
飼い猫が風呂場を覗いてくるときは人間が溺れていないか心配になってる時らしいと聞くが、それでいうなら私の恋人も猫か何かなのかもしれなかった。風呂場の、反対側が見えないようになっているドアに背の高い人影が映り込んでいる。最初は何か洗面所に用があるのかと思ったが、毎回毎回じっとそこに立っているからそういうわけでもないらしかった。
「カナエくーん」
一緒に入る? と呼びかけても「お気になさらず」とだけ返答がある。そうやってかわされるとこっちばっかり下心があるみたいじゃないか。うちに来て、私が風呂に入っているときはずっとそうだ。
「いや待てよ」
独り言が風呂場に反響した。最初はそうじゃなかった気がする。というか私もカナエくんがうちに来始めた頃はなんとなく落ち着かなくて、まともに湯船に浸からずすぐ上がったりしたものだ。慣れてきて、元々の習慣である長風呂をし始めてからお風呂場のドアの前にカナエくんが立つようになった。特に覗いてきたり入って来たりするような嬉し恥ずかしハプニングみたいなのではない。ただ洗面所に立っていて、私が上がるのを見計らって去っていく。それがまるで、猫を飼っている友人から聞いたエピソードーー猫は人間の入浴を心配そうに見に来る――に似ていると気が付いた。以前、彼の弟であるノゾミくんがこっそり私に教えてくれたことがある。自分が過去に用水路で溺れてしまってから、兄ちゃんはすごく心配性というかなんでも自分で何とかしようとしてしまうようになったこと。でも話し合って最近はちょっとマシになり、友達とか恋人もできて安心したと。兄をよろしくお願いします、と深々頭を下げられて、その場は恐縮することしかできなかった。
……いやまぁカナエくんは理由を全然教えてくれないから、私の深読みでしかないんだけど。ざば、と入浴中の長考を切り上げて、お湯から出る。今日もカナエくんはドアの向こうで、何をするでもなく立っているようだった。そのドアを少し開けて、私はカナエくんに話しかける。
「私そんな簡単に溺れたりしないよ、子どもじゃあるまいし」
「…………でもほら、人間って洗面器一杯の水で死ぬって言うし」
断定口調で話したからか、この前みたいにはぐらかされることはなかった。半ば認めたみたいなものだ。身内以外へ関心の薄い彼の、心配する対象に入っていることはありがたい。しかし、毎回こちらが風呂から上がるまでじっと待っているのはどう考えても健康ではない。
「そんなに心配ならやっぱり一緒に入ろうよ」
びしょ濡れの手を伸ばして、わざとカナエくんの服を掴もうとする。一回は避けられたけど、諦めずにもっと身を乗り出したら二回目は拒否されなかった。カナエくんの服の袖が取返しのつかないくらい濡らされた。観念したようにシャツのボタンを外すカナエくんに、背中洗ってあげようかと声をかけたら、冷えるからドア閉めなと返された。
「すぐ行くから」
そう言ったカナエくんの声は優しかった。
「カナエくーん」
一緒に入る? と呼びかけても「お気になさらず」とだけ返答がある。そうやってかわされるとこっちばっかり下心があるみたいじゃないか。うちに来て、私が風呂に入っているときはずっとそうだ。
「いや待てよ」
独り言が風呂場に反響した。最初はそうじゃなかった気がする。というか私もカナエくんがうちに来始めた頃はなんとなく落ち着かなくて、まともに湯船に浸からずすぐ上がったりしたものだ。慣れてきて、元々の習慣である長風呂をし始めてからお風呂場のドアの前にカナエくんが立つようになった。特に覗いてきたり入って来たりするような嬉し恥ずかしハプニングみたいなのではない。ただ洗面所に立っていて、私が上がるのを見計らって去っていく。それがまるで、猫を飼っている友人から聞いたエピソードーー猫は人間の入浴を心配そうに見に来る――に似ていると気が付いた。以前、彼の弟であるノゾミくんがこっそり私に教えてくれたことがある。自分が過去に用水路で溺れてしまってから、兄ちゃんはすごく心配性というかなんでも自分で何とかしようとしてしまうようになったこと。でも話し合って最近はちょっとマシになり、友達とか恋人もできて安心したと。兄をよろしくお願いします、と深々頭を下げられて、その場は恐縮することしかできなかった。
……いやまぁカナエくんは理由を全然教えてくれないから、私の深読みでしかないんだけど。ざば、と入浴中の長考を切り上げて、お湯から出る。今日もカナエくんはドアの向こうで、何をするでもなく立っているようだった。そのドアを少し開けて、私はカナエくんに話しかける。
「私そんな簡単に溺れたりしないよ、子どもじゃあるまいし」
「…………でもほら、人間って洗面器一杯の水で死ぬって言うし」
断定口調で話したからか、この前みたいにはぐらかされることはなかった。半ば認めたみたいなものだ。身内以外へ関心の薄い彼の、心配する対象に入っていることはありがたい。しかし、毎回こちらが風呂から上がるまでじっと待っているのはどう考えても健康ではない。
「そんなに心配ならやっぱり一緒に入ろうよ」
びしょ濡れの手を伸ばして、わざとカナエくんの服を掴もうとする。一回は避けられたけど、諦めずにもっと身を乗り出したら二回目は拒否されなかった。カナエくんの服の袖が取返しのつかないくらい濡らされた。観念したようにシャツのボタンを外すカナエくんに、背中洗ってあげようかと声をかけたら、冷えるからドア閉めなと返された。
「すぐ行くから」
そう言ったカナエくんの声は優しかった。
