吸死
▼
アパートの前に粗大ゴミが落ちている。と思ったら人であった。ぼろ布に包まれたでかい捨てテレビかと思った。
「大丈夫ですか?」
だいじょうぶにみえるか、と切れ切れに呻く声が聞こえた。ならばおとなしく社会制度に頼ろう。
「やめろ」
スマホを持った手をがしりと掴まれた。じゃあどうしろって言うんですか、と聞いたが答えは返ってこなかった。放っておいたら他の人がどうにかするだろうか。でも私の右手は彼に捕まえられたままなのだった。
▼
起きたら明るい室内だった。ついにこの辻斬りナギリも年貢の納め時かと思ったがどうやら違うようだった。なぜか痛む節々をこらえて起き上がる。
「起きましたか。なら服脱いでください。洗濯するんで」
「なんだお前いきなり」
知らん女が俺の寝ているベッドに乗り上げてつかみかかってきた。
「そのくっさい服洗濯したいんですよ。本当はシーツも洗いたいですが今干せないので」
女が「くさい」という三文字に力をこめたことになんとなくショックを受けている隙に服をひっぺがされる。
「下は自分で脱いでください」
着替えこれです、と男物のTシャツとスウェットを渡された。洗濯物を持って部屋を出ていく女の細い背中が目に入る。俺は辻斬りナギリだ、あんな女いつでも斬れる。今は大人しくしたがってやってもいい。そうだ血も吸ってやろう、と自分に言い聞かせて下も脱いだ。
▼
昨日拾った彼にシーツ干しといてくださいね、と頼んだら本当にやってくれた。化粧を落としてから、きっちりかけ直されたシーツに顔を埋めると太陽のにおいがした。このワンルームのアパートの狭い出窓でよく干せたものだ。お兄さん器用ですね、と褒めたがふんと鼻を鳴らしただけだった。虫の居所が悪いのだろうか。通報はもう諦めている(スマホを出すたび警戒されるので)けどいつまでいるんだろう。彼がベッドに寝転んだ私を見下ろす。やはり貸した服は小さかったので腹や足首がつんつるてんだ。眉間のシワが深い。妹がよく眠いときそんな顔をしていた。
「あっそうだ」
買ってきたものを冷蔵庫にしまっていないことを思い出した。玄関に置きっぱなしのレジ袋を解体せねば、と部屋を出る。後ろでガタン、だかバタンだか音がした。テーブルに脛でもぶつけたのだろうか。今日食べるものだけ抱えて部屋に戻ると彼は何事もなかったかのようにベッドに腰かけていた。そこしか座るところがないから。私はいつもベッドにもたれて床に座っているが、彼がその位置にいるため今日はいつもと反対側に座る。自分の分の出来合いのサラダとスープ、あと彼の分として買ってきたボトルを机にのせた。
「………………なんだそれは」
「えっこれが手堅いかなと思ったんですけど。前吸血鬼の友達と行った居酒屋でメニューにあったし」
「私からとれました」という文字と笑顔のおっさんがプリントされたラベル。スーパーに普通に売ってるラインとはいえ、ちょっと値ははったのだ。
「吸血鬼だと気付いて家にあげたのか、お前は」
「だって離してくれなかったんで」
彼はぐっ、と押し黙るとしばらくボトルを見つめてから手にとって一気にあおった。コップ出してあったのに。
▼
最近下等吸血鬼の目撃情報が多いんですよね、と家主の女は言ったが特に警戒する様子もなく普通に出掛けていった。警戒心が死んでいるんじゃないか、だから俺がこうして上がり込んでいるわけだが。あの女を叩き斬るのはもう少し回復してからでもいいだろう。洗濯物を畳んでいるのは女に言われたからではなく貸しを作りたくないからだ。しかしあの女、俺がいるにも関わらず下着を平然と干して仕事へ行く。警戒心もなければ恥じらいもないのか。そういえば俺が今着ている服は明らかに男物のようだ。着られるが小さい。新品でもないので、俺じゃない誰かのために用意された服なのだろう。断じて興味もないが。そろそろあの女が帰ってくる頃だろうと窓の外を見たらいつぞや丸をさらいやがったのと同じ下等吸血鬼がカサカサと物陰に隠れるところを見てしまった。己の間の悪さを呪う。いやあの女が襲われると決まったわけでない。むしろ襲われない確率の方が高いだろう。ただ、もし最悪を引いたら? 帰らない家主となぜかいる吸血鬼(いや、逃げればいいのだが冷蔵庫に入っているボトルは? そこに着いた指紋は?)
「くそっ!」
鍵は閉めようがない。舌打ちをして数日ぶりに外へ踏み出した。
▼
彼を拾って何日か経ったが頑として名乗ってくれないので吸血鬼さんとかせいたかさんとかのっぽさんとか適当な名前で呼んでいる。子供向け番組に出られそうなにこやかさはないけど。でも手先は器用で作業も丁寧らしい。掃除とか洗濯とか私よりもよっぽどきっちりやっている。ここしばらく適当に生活を回していたのでありがたい。スーパーで二本目の血液ボトルを買った。相変わらずコップは使ってくれない。別に元々私の物じゃないから好きにしてくれていいのに。しばらくいるようなら彼のサイズに合わせた服を買った方がいいんじゃないか。つらつら考えながら帰り道を歩いているときだった。
ばっ、と進行方向の電灯が消えた。ぽつぽつと浮かぶ人家の明かりが、お前は一人だと言っているようでかえって心細さを募らせる。嫌だなあ、と思いながら足を速めた。踏み出した先にさっと影が落ちてくる。手足がたくさんあるそれと目があった。手足はよく見なくても人間のそれと似ていて気味が悪い。そういえば最近下等吸血鬼の目撃情報が多かったなぁ。ピンキリだけどこいつはどのくらいなんだろう。せめてそんな痛い目に遭わなければいいけど、どうせならもっと一息に殺してくれるくらいの脅威がよかったなぁ、などとぐるぐる考える。自分が混乱しているのが分かった。いっそ一息に終わらせてほしくて思わず目をつぶった。
すぐに、人が飛び降りるような重い音と、錆びた金属をこすり合わせたような悲鳴が上がった。ややあって、ここ数日で馴染みになった舌打ちが聞こえたので、恐る恐る目を開くと、やっぱり吸血鬼さんがいた。どうやったかは知らないけど多分彼のお陰なんだろう。吸血鬼の人に退治人みたいですねというのも誉め言葉にならない気がして、ありがとうございます、とだけ言った。吸血鬼さんは今までにないくらい眉間にシワを寄せて、家に帰るまでずっと無言だった。
▼
起きたら吸血鬼さんはいなかった。たしか昨日ボトルを空けてはいなかった。飲み切るまではいるんじゃないか、という期待と、そろそろいなくなってしまうだろうなという予感がうっすら同居していたのだ。貸していた服はちゃんと畳まれておかれていたし、無理矢理洗濯したぼろ布と血液のボトルは消えていた。彼がここにいた痕跡は何一つない。
結局コップは一度も使ってくれなかった。別れた恋人が使っていたコップだ。入れ替わりのようにして吸血鬼さんが来なかったら多分床に叩きつけて割っていた。服も捨てていただろう。だってもう不要なものだ。多分もう誰も着ないだろう、と思う。吸血鬼さんとももう二度は会えない予感がした。
「捨てるか!」
ちゃんと結論付けるために、声を出した。コップも服も処分しよう。もしまた吸血鬼さんを拾ったらそのときは彼の身長にあった服を買えばいい。しばらくは、来るか分からないその日のために私は生活するだろう。
アパートの前に粗大ゴミが落ちている。と思ったら人であった。ぼろ布に包まれたでかい捨てテレビかと思った。
「大丈夫ですか?」
だいじょうぶにみえるか、と切れ切れに呻く声が聞こえた。ならばおとなしく社会制度に頼ろう。
「やめろ」
スマホを持った手をがしりと掴まれた。じゃあどうしろって言うんですか、と聞いたが答えは返ってこなかった。放っておいたら他の人がどうにかするだろうか。でも私の右手は彼に捕まえられたままなのだった。
▼
起きたら明るい室内だった。ついにこの辻斬りナギリも年貢の納め時かと思ったがどうやら違うようだった。なぜか痛む節々をこらえて起き上がる。
「起きましたか。なら服脱いでください。洗濯するんで」
「なんだお前いきなり」
知らん女が俺の寝ているベッドに乗り上げてつかみかかってきた。
「そのくっさい服洗濯したいんですよ。本当はシーツも洗いたいですが今干せないので」
女が「くさい」という三文字に力をこめたことになんとなくショックを受けている隙に服をひっぺがされる。
「下は自分で脱いでください」
着替えこれです、と男物のTシャツとスウェットを渡された。洗濯物を持って部屋を出ていく女の細い背中が目に入る。俺は辻斬りナギリだ、あんな女いつでも斬れる。今は大人しくしたがってやってもいい。そうだ血も吸ってやろう、と自分に言い聞かせて下も脱いだ。
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昨日拾った彼にシーツ干しといてくださいね、と頼んだら本当にやってくれた。化粧を落としてから、きっちりかけ直されたシーツに顔を埋めると太陽のにおいがした。このワンルームのアパートの狭い出窓でよく干せたものだ。お兄さん器用ですね、と褒めたがふんと鼻を鳴らしただけだった。虫の居所が悪いのだろうか。通報はもう諦めている(スマホを出すたび警戒されるので)けどいつまでいるんだろう。彼がベッドに寝転んだ私を見下ろす。やはり貸した服は小さかったので腹や足首がつんつるてんだ。眉間のシワが深い。妹がよく眠いときそんな顔をしていた。
「あっそうだ」
買ってきたものを冷蔵庫にしまっていないことを思い出した。玄関に置きっぱなしのレジ袋を解体せねば、と部屋を出る。後ろでガタン、だかバタンだか音がした。テーブルに脛でもぶつけたのだろうか。今日食べるものだけ抱えて部屋に戻ると彼は何事もなかったかのようにベッドに腰かけていた。そこしか座るところがないから。私はいつもベッドにもたれて床に座っているが、彼がその位置にいるため今日はいつもと反対側に座る。自分の分の出来合いのサラダとスープ、あと彼の分として買ってきたボトルを机にのせた。
「………………なんだそれは」
「えっこれが手堅いかなと思ったんですけど。前吸血鬼の友達と行った居酒屋でメニューにあったし」
「私からとれました」という文字と笑顔のおっさんがプリントされたラベル。スーパーに普通に売ってるラインとはいえ、ちょっと値ははったのだ。
「吸血鬼だと気付いて家にあげたのか、お前は」
「だって離してくれなかったんで」
彼はぐっ、と押し黙るとしばらくボトルを見つめてから手にとって一気にあおった。コップ出してあったのに。
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最近下等吸血鬼の目撃情報が多いんですよね、と家主の女は言ったが特に警戒する様子もなく普通に出掛けていった。警戒心が死んでいるんじゃないか、だから俺がこうして上がり込んでいるわけだが。あの女を叩き斬るのはもう少し回復してからでもいいだろう。洗濯物を畳んでいるのは女に言われたからではなく貸しを作りたくないからだ。しかしあの女、俺がいるにも関わらず下着を平然と干して仕事へ行く。警戒心もなければ恥じらいもないのか。そういえば俺が今着ている服は明らかに男物のようだ。着られるが小さい。新品でもないので、俺じゃない誰かのために用意された服なのだろう。断じて興味もないが。そろそろあの女が帰ってくる頃だろうと窓の外を見たらいつぞや丸をさらいやがったのと同じ下等吸血鬼がカサカサと物陰に隠れるところを見てしまった。己の間の悪さを呪う。いやあの女が襲われると決まったわけでない。むしろ襲われない確率の方が高いだろう。ただ、もし最悪を引いたら? 帰らない家主となぜかいる吸血鬼(いや、逃げればいいのだが冷蔵庫に入っているボトルは? そこに着いた指紋は?)
「くそっ!」
鍵は閉めようがない。舌打ちをして数日ぶりに外へ踏み出した。
▼
彼を拾って何日か経ったが頑として名乗ってくれないので吸血鬼さんとかせいたかさんとかのっぽさんとか適当な名前で呼んでいる。子供向け番組に出られそうなにこやかさはないけど。でも手先は器用で作業も丁寧らしい。掃除とか洗濯とか私よりもよっぽどきっちりやっている。ここしばらく適当に生活を回していたのでありがたい。スーパーで二本目の血液ボトルを買った。相変わらずコップは使ってくれない。別に元々私の物じゃないから好きにしてくれていいのに。しばらくいるようなら彼のサイズに合わせた服を買った方がいいんじゃないか。つらつら考えながら帰り道を歩いているときだった。
ばっ、と進行方向の電灯が消えた。ぽつぽつと浮かぶ人家の明かりが、お前は一人だと言っているようでかえって心細さを募らせる。嫌だなあ、と思いながら足を速めた。踏み出した先にさっと影が落ちてくる。手足がたくさんあるそれと目があった。手足はよく見なくても人間のそれと似ていて気味が悪い。そういえば最近下等吸血鬼の目撃情報が多かったなぁ。ピンキリだけどこいつはどのくらいなんだろう。せめてそんな痛い目に遭わなければいいけど、どうせならもっと一息に殺してくれるくらいの脅威がよかったなぁ、などとぐるぐる考える。自分が混乱しているのが分かった。いっそ一息に終わらせてほしくて思わず目をつぶった。
すぐに、人が飛び降りるような重い音と、錆びた金属をこすり合わせたような悲鳴が上がった。ややあって、ここ数日で馴染みになった舌打ちが聞こえたので、恐る恐る目を開くと、やっぱり吸血鬼さんがいた。どうやったかは知らないけど多分彼のお陰なんだろう。吸血鬼の人に退治人みたいですねというのも誉め言葉にならない気がして、ありがとうございます、とだけ言った。吸血鬼さんは今までにないくらい眉間にシワを寄せて、家に帰るまでずっと無言だった。
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起きたら吸血鬼さんはいなかった。たしか昨日ボトルを空けてはいなかった。飲み切るまではいるんじゃないか、という期待と、そろそろいなくなってしまうだろうなという予感がうっすら同居していたのだ。貸していた服はちゃんと畳まれておかれていたし、無理矢理洗濯したぼろ布と血液のボトルは消えていた。彼がここにいた痕跡は何一つない。
結局コップは一度も使ってくれなかった。別れた恋人が使っていたコップだ。入れ替わりのようにして吸血鬼さんが来なかったら多分床に叩きつけて割っていた。服も捨てていただろう。だってもう不要なものだ。多分もう誰も着ないだろう、と思う。吸血鬼さんとももう二度は会えない予感がした。
「捨てるか!」
ちゃんと結論付けるために、声を出した。コップも服も処分しよう。もしまた吸血鬼さんを拾ったらそのときは彼の身長にあった服を買えばいい。しばらくは、来るか分からないその日のために私は生活するだろう。
