吸死

〆切まであと一週間を切っているタイミングのロナルドは、いつもであれば段々と焦り始めている頃だった。しかし今のロナルドは〆切まであと五日なのにも関わらず、心ここにあらずという様子だ。いや、原稿のあまりの進まなさに現実逃避していることはよくある。ただし今回のそれは違う。一言でいってしまえば、浮かれ倒していた。へたくそな鼻歌すら歌っている。その調子はずれなメロディに、同居人たるドラルクは眉をしかめた。単純にうるさかったからである。
「いつまで浮かれ倒しているんだね」
「ううう浮かれてねえし!」
もうその返答は飽きたよねえ、とドラルクはジョンに同意を求める。ジョンもヌンと肯定した。さすがにロナルドもショックを受ける。八つ当たりでドラルクが死んで再生した。
「だって今時小学生ですら初デートごときでそんなに浮かれないだろ」
「ごときってなんだよごときって。人生初デートだぞ。しかも遊園地で……」
「聞いた聞いた。もう百回聞いたわ若造」
いかにロナルドの説明能力が保育園帰りに興奮した幼児ばりに拙かろうと、文字通り百回も聞いていれば大体のデートの内容は把握できた。把握できすぎてロナルドが最初は隠そうとしていた失敗(チュロスを全種類二本ずつ買ってきたとか)までドラルクは把握している。ドラルクにあしらわれて、いったん引き下がったロナルドはパソコンに向き直りキーボードに手を置いて――すぐに手を離した。そのまま自分の唇をそっと触り、また物思いにふけりだす。ゲームをしながらでも、ドラルクには彼が何を思っているか手に取るように分かった。観覧車が一番上に登ったとき、初めてキスをしたのを思い出しているのだろう。しかもロナルドからではなく、彼女がロナルドの不意をついてキスしたらしい。帰宅して開口一番が「柔らかかった」だっただけある。この時ドラルクは寝起きで惚気を聞かされるのは胃にもたれるというしなくていい発見をしてしまった。
「なぁドラ公」
浮かれポンチになっているロナルドの観察にも飽きて、ゲームに集中していたドラルクとジョンは顔を上げた。いつにもまして真剣な声色だったために、釣られて一人と一匹の表情も引き締まる。
「退治人の給料三か月分って、どう計算すりゃいいのかな」
「知らんがな」
「ヌン……」
事務所の確定申告を担当しているジョン的には、算出できないこともない。ないが、その問いかけに嫌な予感を察知して相槌を打つだけにとどめた。逆に、面白そうなことであれば藪をつついて蛇を出すことも厭わないドラルクは一旦切り捨てたあとに掘り下げることにした。
「突然何なんだ」
「いやほら、だってか、か、彼女とかにあげる指輪とかってそのくらいが相場っていうだろ」
「それは婚約指輪とかだろうが極端男め」
「いやでも、もうほらき、きききキスもしたし」
そのまま突っ走らせたほうが面白かったかもしれないが、ドラルクは思わず常識的な返答をしてしまった。しかしロナルドの返答に思わず絶句してしまう。突っ走りすぎている。この男、男女が口づけすればコウノトリが赤ん坊を運んでくると思っているんじゃあるまいな。嫌な予感がして勝手にロナルドのPC画面を覗き込むと、案の定婚約指輪だとかの商品ページだった。思わずジョンと一緒にドン引きする。ここまでくるとこの場にヒナイチが同席していなくてよかったとまで思えてきたドラルクは痛み始めた頭を押さえた。
「……さすがに恋人になって初めてのプレゼントは相手の意向を汲むべきだと思うがね。なぁジョン?」
ヌンヌン、とジョンも高速で首を縦に振る。
「そ、そうか? ジョンまでそう言うなら……」
思い直した様子のロナルドを見て、ドラルクはほっと安堵のため息をついた。同時に、まだ一度か二度くらいしか会っていない彼女に対して絶対にこの一連の会話を暴露してやろうと心に決めたのだった。
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