吸死

「あ、タビコ先輩の」
そう呼び止められたヴェントル―は、たいそう不機嫌な顔で振り向いた。しかも畏怖を含んだ声色ではない。ただ知り合いの知り合いに対するよそよそしさがあるだけである。それでも彼が振り向いたのは、タビコの名前を挙げられた――しかも先輩呼ばわりしている――だけが理由ではない。相手は銃を腰にさして、いかにも退治人然としていた。もしこれが買い物帰りで、なおかつ溶け物を買っていたらヴェントルーは無視していただろう。足を止めて、話を聞いてやろうと思ったのは気まぐれである。相手が「自分、駆け出しのときにタビコ先輩にお世話になって」と言った事が気になったからではない。断じて。

平日とはいえ、新横浜の夜は騒がしい。酒臭さをまといながら諦め悪く終電を目指す人間たちを眺めながら二人は並んでベンチに腰掛ける。視線は交わらない。
「一度、お話してみたかったんですよ」
「馬鹿にしてるのか」
「してないですよ。いや、タビコ先輩が気に入ってる吸血鬼ってどんな人だろうと思って。あの人最近本当に楽しそうじゃないですか」
不本意ながらその楽しそうさの犠牲になっている自覚があるヴェントルーはますます眉間の皺を深くする。それに構わず、隣の退治人はスマホを彼に見せてきた。
「ほら見てくださいよ、これ自分が退治人始めたばっかりのときに撮ったツーショット」
押し付けられた画面に仕方なく目をやる。隣に座っている人間は人懐っこい笑顔でタビコの隣でピースサインをしている。タビコはされるがままという雰囲気だ。ヴェントルーにはそれが興味のないときの顔であることが分かった。
「タビコ先輩、強いしめちゃくちゃ仕事できる退治人だったんですよ。ぺーぺーだった自分にも優しかったし。だから退治人辞めたって聞いた時すごい残念だったんですよ。でも、ちょっとほっとしたんです」
あの奇行しかしない女を尊敬する人間がいるのか。ヴェントル―は驚くと同時に飽くなき人間の奇行にちょっと引いた。また、こいつにタビコの現状を知らせたら失望するのかについて興味が湧く。しかしヴェントル―に口を挟ませず、その退治人はぺらぺらと話し続けた。
「だってあの人、いつもつまらなそうというかあんまり人生に執着がなさそうというか。一人前になったなって言われてバディ解消されたとき、この人どっかでぽろっと死にそうだなと思ったんですよね。そりゃこのご時世、この仕事でも命のやり取りまで行くことは早々ないですけど。でもずっと怖かったんですよ」
そしたら! と退治人はヴェントル―に詰め寄る。その無防備な間合いにヴェントル―は苛立つ。押しのけたが、本当は押しのけるふりをして縊り殺すことだってできるのだ。
「近い!」
大体、目の前の人間の話すタビコは彼の知っているタビコとまったく結びつかない。毎日よく飯を食い、楽しそうに高笑いしながら自分をこき使い靴下を奪って回るのがヴェントル―の思うタビコ像であった。
「久しぶりに見た先輩はすごく楽しそうに吸血鬼の靴下をむしりとっていて。あんな活き活きとした先輩初めてみました。手ごわい吸血鬼たちをちぎっては投げちぎっては投げ……」
うっとりと語る人間に、ヴェントル―はますますドン引きする。タビコの奇行について知ってなお尊敬し続けているのか。しかも嬉しそうにそれを語るとは。
「ええい気色悪い!」
「そんなこと言わないでくださいよ。他の退治人から聞きましたよ。タビコ先輩を元気にしてくれたのってあなたなんでしょう? それは人間である自分がやろうとしてもできなかったことです。ちょっと嫉妬しちゃうくらい」
ありがとうございます、とてらいなく礼を言われてヴェントル―は鳥肌を立てた。いい加減この人間と話していると頭がおかしくなりそうだ。強引に席を立とうとしたそのとき、退治人のポケットから電子音が鳴った。ビクッとするヴェントル―をよそに、ちらりとスマホを覗いた退治人は慌てて立ち上がる。
「失礼! 早く帰らないと恋人に怒られるので。呼び止めてすいませんでした。話せてよかったです」
言いたいことだけ言って嵐のように去っていった退治人の背中をヴェントル―は唖然として見送る。その衝撃に吹き飛ばされて、詰め替え用の洗剤を買うことをすっかり忘れてしまったのだった。
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