吸死

「最近、廃病院の近くで花嫁の霊が出るって噂を聞いたんだけど」
廃病院のベッドに腰掛けて、伸ばした足をだらしなくキャスターの取れた椅子に乗せた彼女が脈絡なく話し始めた。ざくざくと二本目のアイスキャンディに取り掛かっている。冷蔵庫から残りのアイスキャンディを取り出そうとしているあっちゃんに「食べすぎるとお腹壊すから一本ね」と俺は釘を刺す。元々は俺のために買った小さい冷蔵庫は、いつの間にか彼女の持ち込んだコンビニスイーツやアイスが半分を占めている。別にあっちゃんも食べてたりするし俺も分けてもらっているからいいけど。
「で、その花嫁の霊が何? スカウトした?」
「いや、どうせトオルだろうなって思って」
食べ終わったアイスの棒をかじりながら、丸椅子に座っている俺の顔の布をひらひらと触る。
「後ろから見て、これが花嫁のベールに見えたとかじゃない?」
「節穴すぎるだろ」
「白くてふわふわしてれば花嫁のユーレイに見えるんじゃない?」
ほんとかよ、と思ったが人間どもの適当な認知機能を利用して廃病院をお化け屋敷化しているのは自分である。そんなもんか、とだけ俺は返す。彼女は3本目のアイスを開けた。あっちゃんの教育に悪いからやめてほしい。その気持ちを込めて睨んだが、何を勘違いしたのか「トオルも欲しいならいいなよ」とグレープ味を放られる。色が濃いから服に着くと厄介だが、彼女はそういうのを斟酌する奴ではない。まあ、もう今夜は来院する奴もいないだろう。汚れたら洗えばいい。9月に入ったら肝試しに来る人間は減る。まだ大学生は夏休みのくせに。二時をすぎたらそうそう来ないと思っていい。今日は23時くらいに酔っぱらいが3人くらい連れ立ってきただけであとは彼女が上がり込んできた。やたら強力な懐中電灯をカチカチと明滅させて自分が来たことを知らせてくる。別にアイシテルのサインなどではない。私が来たから入れろのシグナルだ。大学生だから普段は昼行性の生活を真面目に(本人談)しているらしい。しかし長期休みになると途端に楽な夜型に流れる。そこで暇だからと俺のところに来るのだ。だからこんにゃくをぶら下げるくらいは手伝わせている。まぁ今日は暇なので一緒にだらけているだけであるが。
「もう四時過ぎてるじゃん」
彼女も夜目が利くから、暗いままにしていた部屋にパッとスマホの光が灯った。彼女の腕に巻かれた時計の文字盤がそれを反射する。曰く、ちゃんとしたクォーツの時計らしい。誰から贈られたのか、自分で買ったのかは知らないが。時計があるなら時計を見ればいいのに。じきに夜明けだ。そろそろ撤収の時間である。
「家まで送る」
「いいの? ありがとう」
形だけの謙遜を毎度律儀にするのだ。彼女の肯定を受けてあっちゃんは喜んでいる。3人で明け方間際の暗い道を歩くのは俺も好きだった。もし付き合うことになったら当たり前のようにこの申し出を受け入れるのだろうか。試したい気持ちと、このぬるま湯に浸かっていたい気持ちを両方持っている。
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