吸死
「だから私は君の血を吸うために近づいたのであって君を恋人にするつもりはないんだって!」
完全に声をかける相手を間違えた。いや処女らしいし(自己申告)、私が声をかけるくらいなので見た目だってそう悪くないのだが、中身がどう考えてもヤバかった。分かるかそんな初見殺し。
「あんなこと言われたらそう思ってもしょうがないじゃないですか。」
「私は食事のために吸血するタイプの吸血鬼だからね?」
「血なら200mlでも400mlでも800mlでも差し上げますので」
「800mlも抜いたら死んじゃうでしょ!」
「心配していただけるんですか? 優しいですね!好きです!」
「クソーッ押しが強い!」
心が折れて若干指先とかがスナァ、と崩れていくのが分かる。彼女はそれに目ざとく気が付くと、さらさらと落ちる私を両手で受け止めた。そしてうっとりとした目で言う。
「もしこれを飲みこんだらあなたとひとつになれるんですかね」
「腹を下すだけだからやめなさい!」
火事場の馬鹿力か、なんとか飛べる形態に変身できたのでそのまま逃走する。ジョンを連れていなくてよかった。彼女の声が追いかけてくる。
「吸血鬼さーん!今度会ったら吸血してくださいねー!」
▼
それから本当に彼女は私の前に何度か現れた。彼女が大学生で居酒屋のバイトをしていて帰りが遅くなることが多いということを少しずつ知っていった。別に知りたくもなかったが。
「ドラルクさんカナブンだめなんですね。お礼に吸ってくださいよ。ほら、じゅっと一杯」
「バイトのノリを持ち込むな」
「やだなぁそんな荒んだお店じゃないですよ。今度来てください」
公園の植え込みのへりに腰かけて彼女は足をぶらつかせる。手にはさっき私めがけて飛んで来たカナブン。頼むから近づけないでほしい。私は再生しながら彼女と距離をとる。彼女はそんな私を視線だけで追いかけている。
「ドラルクさんと恋人になれないんだったら、一緒になるには血を吸ってもらうしかないですよね。血肉になるしかないんだから。私後悔せずに生きていきたいので。人助けだと思って協力してくださいよ」
「なんでそんなに私に執着するんだ。いくらこのドラちゃんが高貴な吸血鬼だからって」
「本当に分からないんですか?」
ぎら、と外灯に照らされて彼女の瞳が輝いた。人間の癖に我々みたいだ。
「そんなんドラルクさんが好きだからですよ」
カナブンが飛び去った羽音がした。夏は暑いし日が短いし虫も多いからあまり好かない。彼女の首筋を汗がつたっている。
「ねえドラルクさんぐずぐずしないでくださいよ。人間なんてあっという間に年取って死んじゃうんですよ」
▼
だからと言って本当にすぐ死ぬ奴があるか、と、まず浮かんだのは怒りに似た感情だった。赤の他人である私は、死因が交通事故だったらしいことしか知らない。若造がここしばらくいやに優しいのが気味悪かった。
通夜くらい顔を出してやれよ、という青二才の言葉に従ったわけではない。たまたま通りかかっただけだ。私とジョン以外の奴らは皆喪服だった。私はといえばいつもの格好であるが、こういう場には馴染むのだ。湿度も気温も高い。暗闇のなかで悪趣味なくらい明るいこの場所は蜃気楼の幻のようだ。すすり泣く若い女の声が聞こえた。あんなエキセントリックな女にも友人はいたのか。棺のなかで彼女は寝ているだけに見えた。燃やしてしまうとはいえ、日本式の棺桶はどうにもそっけない感じがしていけない。フン、と私は鼻を鳴らしてみせた。
「私の人生一度分でお前の人生十周できるぞ」
色とりどりの花に埋もれて彼女の首筋は見えなかった。一度くらい吸ってやってもよかったかもしれないと思うのは負けた気がするから嫌だ。ヌー、とジョンが心配そうに声をかけてきた。爪先や指先が徐々に崩れてきているのが分かる。理由はわかりたくない。
▼
帰り道、彼女に絡まれた公園を横切った。まだ夜はそんなに深くないが、人はいなかった。ジョンの滑らかな腹毛を撫でながら帰る。線香の臭いはいつまでも鼻に残っている。帰ったら服の手入れをせねば。
左の小指の先がわずかに欠けていることに気が付くのはジョンくらいだろう。それも何回か死んで再生していればすぐに治る程度のものだ。明日彼女は荼毘に伏される。私の指先は彼女や彼女の先祖と一緒にこの街の地下で眠るだろう。彼女は灰になってやっと望みが叶うのだ。台風のような人間だったが、結局最後まで私の気まぐれに振り回されたのだ。そう思うと愉快な気持ちになる。それだけのことだ。
完全に声をかける相手を間違えた。いや処女らしいし(自己申告)、私が声をかけるくらいなので見た目だってそう悪くないのだが、中身がどう考えてもヤバかった。分かるかそんな初見殺し。
「あんなこと言われたらそう思ってもしょうがないじゃないですか。」
「私は食事のために吸血するタイプの吸血鬼だからね?」
「血なら200mlでも400mlでも800mlでも差し上げますので」
「800mlも抜いたら死んじゃうでしょ!」
「心配していただけるんですか? 優しいですね!好きです!」
「クソーッ押しが強い!」
心が折れて若干指先とかがスナァ、と崩れていくのが分かる。彼女はそれに目ざとく気が付くと、さらさらと落ちる私を両手で受け止めた。そしてうっとりとした目で言う。
「もしこれを飲みこんだらあなたとひとつになれるんですかね」
「腹を下すだけだからやめなさい!」
火事場の馬鹿力か、なんとか飛べる形態に変身できたのでそのまま逃走する。ジョンを連れていなくてよかった。彼女の声が追いかけてくる。
「吸血鬼さーん!今度会ったら吸血してくださいねー!」
▼
それから本当に彼女は私の前に何度か現れた。彼女が大学生で居酒屋のバイトをしていて帰りが遅くなることが多いということを少しずつ知っていった。別に知りたくもなかったが。
「ドラルクさんカナブンだめなんですね。お礼に吸ってくださいよ。ほら、じゅっと一杯」
「バイトのノリを持ち込むな」
「やだなぁそんな荒んだお店じゃないですよ。今度来てください」
公園の植え込みのへりに腰かけて彼女は足をぶらつかせる。手にはさっき私めがけて飛んで来たカナブン。頼むから近づけないでほしい。私は再生しながら彼女と距離をとる。彼女はそんな私を視線だけで追いかけている。
「ドラルクさんと恋人になれないんだったら、一緒になるには血を吸ってもらうしかないですよね。血肉になるしかないんだから。私後悔せずに生きていきたいので。人助けだと思って協力してくださいよ」
「なんでそんなに私に執着するんだ。いくらこのドラちゃんが高貴な吸血鬼だからって」
「本当に分からないんですか?」
ぎら、と外灯に照らされて彼女の瞳が輝いた。人間の癖に我々みたいだ。
「そんなんドラルクさんが好きだからですよ」
カナブンが飛び去った羽音がした。夏は暑いし日が短いし虫も多いからあまり好かない。彼女の首筋を汗がつたっている。
「ねえドラルクさんぐずぐずしないでくださいよ。人間なんてあっという間に年取って死んじゃうんですよ」
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だからと言って本当にすぐ死ぬ奴があるか、と、まず浮かんだのは怒りに似た感情だった。赤の他人である私は、死因が交通事故だったらしいことしか知らない。若造がここしばらくいやに優しいのが気味悪かった。
通夜くらい顔を出してやれよ、という青二才の言葉に従ったわけではない。たまたま通りかかっただけだ。私とジョン以外の奴らは皆喪服だった。私はといえばいつもの格好であるが、こういう場には馴染むのだ。湿度も気温も高い。暗闇のなかで悪趣味なくらい明るいこの場所は蜃気楼の幻のようだ。すすり泣く若い女の声が聞こえた。あんなエキセントリックな女にも友人はいたのか。棺のなかで彼女は寝ているだけに見えた。燃やしてしまうとはいえ、日本式の棺桶はどうにもそっけない感じがしていけない。フン、と私は鼻を鳴らしてみせた。
「私の人生一度分でお前の人生十周できるぞ」
色とりどりの花に埋もれて彼女の首筋は見えなかった。一度くらい吸ってやってもよかったかもしれないと思うのは負けた気がするから嫌だ。ヌー、とジョンが心配そうに声をかけてきた。爪先や指先が徐々に崩れてきているのが分かる。理由はわかりたくない。
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帰り道、彼女に絡まれた公園を横切った。まだ夜はそんなに深くないが、人はいなかった。ジョンの滑らかな腹毛を撫でながら帰る。線香の臭いはいつまでも鼻に残っている。帰ったら服の手入れをせねば。
左の小指の先がわずかに欠けていることに気が付くのはジョンくらいだろう。それも何回か死んで再生していればすぐに治る程度のものだ。明日彼女は荼毘に伏される。私の指先は彼女や彼女の先祖と一緒にこの街の地下で眠るだろう。彼女は灰になってやっと望みが叶うのだ。台風のような人間だったが、結局最後まで私の気まぐれに振り回されたのだ。そう思うと愉快な気持ちになる。それだけのことだ。
