吸死
ノースディンは春がそんなに好きではない。もちろん能力も関係しているが、理由の発端は別のことだ。ノースディンが一族の元を出たばかりの頃、毎年冬に彼の屋敷に訪ねて来たナマエという吸血鬼。それのせいだ。
「冬は出歩く人間も少ないし、庭いじりだってできないから退屈だろう。それにほら、寒い中一人だと寂しくなるからね」
一族の中でもそれなりに年嵩のはずだったが、ずいぶんと人間じみたことを言うものだ。それが相手への第一印象だった。ドラウスあたりに頼まれたのかと思ったが、そうではなく勝手に来ていると知ったのは何年目の冬だったろうか。実際、屋敷に滞在しているからといって何をするわけでもなかった。
「どうぞ、お構いなく」
元々社交的でないノースディンのことである。甲斐甲斐しくもてなすつもりはなかったが、ナマエは気にしたようすもなく暖炉の傍で編み物だの読書だのをマイペースにおこなっていた。他人の家にホリデーを楽しみに来たのかと疑ったほどである。
ナマエが訪ねてくることにもすっかり慣れたある年のことだ。わざわざ結露をぬぐってまで朝の遅い日の出を見つめていたのはなぜだったか。もう覚えてはいないが、とにかくそうさせるような何かがあったということだ。握りしめたカーテンすらも冷たかったのは記憶にある。雪を反射してより輝く陽光が目を刺していた。
「何をやってるんだい」
咎めるような刺々しさは含まれてなかった。ただ呆れたような調子で、ナマエはカーテンからノースディンの手を剥がした。所詮は吸血鬼であり、ナマエの手も温かくはないはずだったが――よっぽどカーテンが冷え切っていたのだろうか――その手を冷たくは感じなかった。さっ、とナマエはカーテンを閉めて陽射しを遮った。
「眠れないならホットミルクでもいれようか?」
「…………いや、結構だ」
「それならさっさと棺桶に入って寝てしまうことだね」
ノースディンの背中を押す力は強かった。一人で行けると反論しても、ナマエはノースディンが寝付くまでを見届けるつもりらしかった。ナマエは冷え切った部屋の暖炉に火を付けて、棺桶の蓋を持ちあげた。
「おやすみ、ノースディン。吸血鬼も多少はあたたかくしたほうがいい」
子ども扱いだ、と思ったが反論する元気はなかった。また、子ども扱いだとは思ったが、自分が人間の子どもだった頃にそれをしてくれる人間がいたかはもう思い出せなかった。
ナマエが帰るのは大体雪が溶け始める頃であった。
「庭が趣味なら、あたたかい時期になれば忙しいだろう」
そう言ってあっさり帰ってしまう。言外に「寒くなければ寂しくないだろう」という持論が感じられた。単純すぎる、とノースディンは思うが口に出したことはなかった。
そうしてナマエはしばらくの間毎冬来ていたが、ある年すっかり来なくなった。その理由は明確である。ドラルクを預かったあたりからだ。確かにあの虚弱すぎる手のかかる小僧が来てから忙しくはなった。なったが。
「ずいぶんと単純すぎる理屈だとは思わないか」
「…………はぁ」
ドラルクはジョンを撫でながら、電話越しにうんざりと返事をする。わざわざ連絡をよこしてきたと思えば、突然何だと彼は思う。一応とはいえ、師匠筋の人間の昔話を聞かされる時間ほど無駄なものはない。もちろんノースディンのことである。寝かしつけられた話は端折っているが。
「で、何の用です? ついに昔の話を無限にするおじいちゃんの仲間入りを?」
「馬鹿言え」
はあ、とドラルクはこれ見よがしにため息をついた。もちろん同じ竜の一族のナマエのことはよく知っている。たしかに吸血鬼のくせにやたら規範的な性格ではあると思っていたが。
「あのひと、一族の集まりとかにはよく来ますけどね。嫌われてるんじゃ?」
「嫌われているとしたらお前のほうだろう。お前を預かった途端に来なくなったのだから」
「は? 私はめちゃくちゃ可愛がってもらってますけど? どこかの偏屈なヒゲとは違ってお年玉だってもらってますし」
はっきりした舌打ちが聞こえたのでドラルクはほくそ笑んだ。しかしこれだけでわざわざ応対している労力が帳消しになるわけではない。
「遊びに来てと素直に言えばいいのに。いい年こいて好きな親戚の前でもじもじしてるシャイな小学生みたいな誰かさんの代わりに言ってあげましょうか?」
「この私に向かってシャイな小学生とはなんだ」
「二人とも仲がいいなぁ」
大体お前はと小言を続けようとしたノースディンだったが、受話器の向こうからドラルク以外の声が聞こえたのでピシリと硬直した。その声の主は間違えるべくもない。よりによってナマエ本人であった。思えばドラルクが素直に電話をとったことからしておかしかった。大方ナマエがドラルクに電話を取らせたのだろう。ドラルクに対しては小言が湯水のように溢れるが、ナマエ相手にノースディンは言葉を詰まらせた。
「な、なぜドラルクと一緒にいるんだ」
「お年玉を渡しそびれていたからね」
「今しがたのことだったのか……」
ノースディンは弟子の情けなさに思わず眉間の皺を揉んだ。情けないといえば、散々恨み節を垂れていた相手がすぐ傍にいた自分もまたそうであったが。
「そうだ、言っておくけど」
ドラルクからスマホを借りたのだろう。ナマエの声がさっきよりも近くで聞こえた。
「ドラルクがいたからもう寂しくないと思って、行かなかっただけだよ。こんな年寄りが毎年来るのもうっとおしいだろうしね」
ノースディンのこともドラルクのことも好きだよ、と付け加えられたので、二人は黙り込む。結局この手の素直な人間が一番扱いづらいのだ。ノースディンは、先ほどのドラルクに負けないくらい大きくため息をついた。覚悟を決めるために、少しでも時間稼ぎがしたかったのだ。
「…………今度、バラでも見に来るといい」
見に来てくださいでは? とドラルクが後ろで茶化すのが聞こえた。
「いいの? ありがとう。今すぐにでも行こうかな」
「それは勘弁してくれ」
咄嗟に跳ねつけてしまったが、別にそれでも構わないくらいだった。そうでなければ、何のために引っ越しの度にバラを植え替え続けたのか分からない。
「冬は出歩く人間も少ないし、庭いじりだってできないから退屈だろう。それにほら、寒い中一人だと寂しくなるからね」
一族の中でもそれなりに年嵩のはずだったが、ずいぶんと人間じみたことを言うものだ。それが相手への第一印象だった。ドラウスあたりに頼まれたのかと思ったが、そうではなく勝手に来ていると知ったのは何年目の冬だったろうか。実際、屋敷に滞在しているからといって何をするわけでもなかった。
「どうぞ、お構いなく」
元々社交的でないノースディンのことである。甲斐甲斐しくもてなすつもりはなかったが、ナマエは気にしたようすもなく暖炉の傍で編み物だの読書だのをマイペースにおこなっていた。他人の家にホリデーを楽しみに来たのかと疑ったほどである。
ナマエが訪ねてくることにもすっかり慣れたある年のことだ。わざわざ結露をぬぐってまで朝の遅い日の出を見つめていたのはなぜだったか。もう覚えてはいないが、とにかくそうさせるような何かがあったということだ。握りしめたカーテンすらも冷たかったのは記憶にある。雪を反射してより輝く陽光が目を刺していた。
「何をやってるんだい」
咎めるような刺々しさは含まれてなかった。ただ呆れたような調子で、ナマエはカーテンからノースディンの手を剥がした。所詮は吸血鬼であり、ナマエの手も温かくはないはずだったが――よっぽどカーテンが冷え切っていたのだろうか――その手を冷たくは感じなかった。さっ、とナマエはカーテンを閉めて陽射しを遮った。
「眠れないならホットミルクでもいれようか?」
「…………いや、結構だ」
「それならさっさと棺桶に入って寝てしまうことだね」
ノースディンの背中を押す力は強かった。一人で行けると反論しても、ナマエはノースディンが寝付くまでを見届けるつもりらしかった。ナマエは冷え切った部屋の暖炉に火を付けて、棺桶の蓋を持ちあげた。
「おやすみ、ノースディン。吸血鬼も多少はあたたかくしたほうがいい」
子ども扱いだ、と思ったが反論する元気はなかった。また、子ども扱いだとは思ったが、自分が人間の子どもだった頃にそれをしてくれる人間がいたかはもう思い出せなかった。
ナマエが帰るのは大体雪が溶け始める頃であった。
「庭が趣味なら、あたたかい時期になれば忙しいだろう」
そう言ってあっさり帰ってしまう。言外に「寒くなければ寂しくないだろう」という持論が感じられた。単純すぎる、とノースディンは思うが口に出したことはなかった。
そうしてナマエはしばらくの間毎冬来ていたが、ある年すっかり来なくなった。その理由は明確である。ドラルクを預かったあたりからだ。確かにあの虚弱すぎる手のかかる小僧が来てから忙しくはなった。なったが。
「ずいぶんと単純すぎる理屈だとは思わないか」
「…………はぁ」
ドラルクはジョンを撫でながら、電話越しにうんざりと返事をする。わざわざ連絡をよこしてきたと思えば、突然何だと彼は思う。一応とはいえ、師匠筋の人間の昔話を聞かされる時間ほど無駄なものはない。もちろんノースディンのことである。寝かしつけられた話は端折っているが。
「で、何の用です? ついに昔の話を無限にするおじいちゃんの仲間入りを?」
「馬鹿言え」
はあ、とドラルクはこれ見よがしにため息をついた。もちろん同じ竜の一族のナマエのことはよく知っている。たしかに吸血鬼のくせにやたら規範的な性格ではあると思っていたが。
「あのひと、一族の集まりとかにはよく来ますけどね。嫌われてるんじゃ?」
「嫌われているとしたらお前のほうだろう。お前を預かった途端に来なくなったのだから」
「は? 私はめちゃくちゃ可愛がってもらってますけど? どこかの偏屈なヒゲとは違ってお年玉だってもらってますし」
はっきりした舌打ちが聞こえたのでドラルクはほくそ笑んだ。しかしこれだけでわざわざ応対している労力が帳消しになるわけではない。
「遊びに来てと素直に言えばいいのに。いい年こいて好きな親戚の前でもじもじしてるシャイな小学生みたいな誰かさんの代わりに言ってあげましょうか?」
「この私に向かってシャイな小学生とはなんだ」
「二人とも仲がいいなぁ」
大体お前はと小言を続けようとしたノースディンだったが、受話器の向こうからドラルク以外の声が聞こえたのでピシリと硬直した。その声の主は間違えるべくもない。よりによってナマエ本人であった。思えばドラルクが素直に電話をとったことからしておかしかった。大方ナマエがドラルクに電話を取らせたのだろう。ドラルクに対しては小言が湯水のように溢れるが、ナマエ相手にノースディンは言葉を詰まらせた。
「な、なぜドラルクと一緒にいるんだ」
「お年玉を渡しそびれていたからね」
「今しがたのことだったのか……」
ノースディンは弟子の情けなさに思わず眉間の皺を揉んだ。情けないといえば、散々恨み節を垂れていた相手がすぐ傍にいた自分もまたそうであったが。
「そうだ、言っておくけど」
ドラルクからスマホを借りたのだろう。ナマエの声がさっきよりも近くで聞こえた。
「ドラルクがいたからもう寂しくないと思って、行かなかっただけだよ。こんな年寄りが毎年来るのもうっとおしいだろうしね」
ノースディンのこともドラルクのことも好きだよ、と付け加えられたので、二人は黙り込む。結局この手の素直な人間が一番扱いづらいのだ。ノースディンは、先ほどのドラルクに負けないくらい大きくため息をついた。覚悟を決めるために、少しでも時間稼ぎがしたかったのだ。
「…………今度、バラでも見に来るといい」
見に来てくださいでは? とドラルクが後ろで茶化すのが聞こえた。
「いいの? ありがとう。今すぐにでも行こうかな」
「それは勘弁してくれ」
咄嗟に跳ねつけてしまったが、別にそれでも構わないくらいだった。そうでなければ、何のために引っ越しの度にバラを植え替え続けたのか分からない。
