その他
小雪がちらつくオフシーズンの浅間温泉に、ひとり降り立った青年がいた。インターネットを介していくらでもやりとりができる今日この頃、彼はわざわざあずさに乗って東京からやってきたのだ。憧れの作家に会いたいその一心で。
「お客様ですよ」と大女将は、離れにいる居候の男に呼びかけた。あらかじめ来客について話を聞いていた彼女は、「昔の文豪の先生みたいですね」と付け加える。男は黒眼鏡越しにいやあ、と照れ笑いをした。
「直接お会いするのは、初めてですよね。こんにちは」
緊張が滲む声で、四角四面な挨拶をした彼は「つまらないものですが」と東京ばな奈の大きな箱を差し出した。男は姪っ子とその友人たちの喜ぶ顔を思い浮かべる。
「わざわざご苦労だねえ」
努めてのんびりした声色で男は返事した。皮肉でもなんでもなく、そう思ったからだ。
「メールで依頼してくれればよかったのに。小生が適役かは別として、だが」
大学を卒業してまだ数年といった風情の青年は、男の言葉に対してそんな! と反駁した。
「適役もなにも、ぼくが、先生に書いてほしいんです。先生の書いたものを、ぼくのZINEに載せたいんです。物語じゃなくても、エッセイでも散文でも呟きでもなんでも」
青年は、十歳を少しすぎたあたりから今に至るまで、男の書く戯曲のファンであった。この度、自分でも筆を執って何かしら書いて発行してみようと思い立った彼は、「ゲスト原稿」を書いてもらうことを思い立った。もちろん相手は、憧れの戯曲家その人である。せっかくなのでぜひ直接挨拶させてください、と書かれたその若さ溢れるメールを無視することは、男にはできなかった。世間の評価や儲けなどを考えずに、ただ自分の作りたいものを作り、発信する。それは男もまた、行っていたことだからだ。黒いレンズの奥で細められた目に、青年は気付かない。そのわずかな沈黙で不安になったのか、わたわたと手を振り回す。
「もし、ネタがないとかならぼくをネタにしてくれても大丈夫なんで!いや違うな、むしろ光栄ですっていうか、ネタにしてください? はまた何か違いますけど」
その場の会話特有の言葉を紡ぐ若者の、自身に語られる余地と魅力があると思っているそのある種の傲慢さと健やかさを、男は却って気に入った。笑う動きに従って、男の柔らかな髪が揺れる。言われた通り、主人公は彼をモデルにしてやろうと思った。まだ何も思い浮かんではいないけれど、きっと書けるだろう。書かれた主人公は本当に君をモデルにしたのだと告げたら、青年は似ていないですよと笑うだろうか。それでもいいと、思えた。
「お客様ですよ」と大女将は、離れにいる居候の男に呼びかけた。あらかじめ来客について話を聞いていた彼女は、「昔の文豪の先生みたいですね」と付け加える。男は黒眼鏡越しにいやあ、と照れ笑いをした。
「直接お会いするのは、初めてですよね。こんにちは」
緊張が滲む声で、四角四面な挨拶をした彼は「つまらないものですが」と東京ばな奈の大きな箱を差し出した。男は姪っ子とその友人たちの喜ぶ顔を思い浮かべる。
「わざわざご苦労だねえ」
努めてのんびりした声色で男は返事した。皮肉でもなんでもなく、そう思ったからだ。
「メールで依頼してくれればよかったのに。小生が適役かは別として、だが」
大学を卒業してまだ数年といった風情の青年は、男の言葉に対してそんな! と反駁した。
「適役もなにも、ぼくが、先生に書いてほしいんです。先生の書いたものを、ぼくのZINEに載せたいんです。物語じゃなくても、エッセイでも散文でも呟きでもなんでも」
青年は、十歳を少しすぎたあたりから今に至るまで、男の書く戯曲のファンであった。この度、自分でも筆を執って何かしら書いて発行してみようと思い立った彼は、「ゲスト原稿」を書いてもらうことを思い立った。もちろん相手は、憧れの戯曲家その人である。せっかくなのでぜひ直接挨拶させてください、と書かれたその若さ溢れるメールを無視することは、男にはできなかった。世間の評価や儲けなどを考えずに、ただ自分の作りたいものを作り、発信する。それは男もまた、行っていたことだからだ。黒いレンズの奥で細められた目に、青年は気付かない。そのわずかな沈黙で不安になったのか、わたわたと手を振り回す。
「もし、ネタがないとかならぼくをネタにしてくれても大丈夫なんで!いや違うな、むしろ光栄ですっていうか、ネタにしてください? はまた何か違いますけど」
その場の会話特有の言葉を紡ぐ若者の、自身に語られる余地と魅力があると思っているそのある種の傲慢さと健やかさを、男は却って気に入った。笑う動きに従って、男の柔らかな髪が揺れる。言われた通り、主人公は彼をモデルにしてやろうと思った。まだ何も思い浮かんではいないけれど、きっと書けるだろう。書かれた主人公は本当に君をモデルにしたのだと告げたら、青年は似ていないですよと笑うだろうか。それでもいいと、思えた。
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