吸死
こいつが本当は甘い酒を好かないことをワシだけが知っている、と昔思っていた。向かいに座る女はチェーンの居酒屋の薄いハイボールを一気飲みする。だん、とジョッキを置く音の大きさで今日も荒れることがわかる。
「これで何人目じゃ」
「片手で収まるわ一緒にすんな!」
自分は遊び相手こそたくさんいるが特定の相手はそこまで多くない。それでも片手からははみ出すので反論するのはやめた。
「私はさぁ、退治人やめたくないわけだよ」
知っとる知っとる、と適当な相槌をうつ。このやりとりももう何回繰り返しただろうか。
「そんな危険な仕事を辞めてオレと一緒に生きてくれないか? 嫌だけど?県外なんて一生行くかバーカ!そもそもお前を助けたのは私!私私私!」
別れた男の声真似をされても似てるかなんて判別できない。前回とその前の男には会ったことがあるが。二個前の男はそもそも共通の同期だった。悪いやつじゃなかったが女という生き物に夢見がちな節があった、と自分を棚にあげて勝手な論評をする。たしか破局ほやほやの時もそう言ってやった気がする。あいつなんかよりも度量が広いこのワシにしとけ、とはまだ言えない。
彼女はエイヒレをつまみながらメニューをめくって次に飲む酒の品定めをしている。 彼女が頼んだはいいが、飽きたのか遠慮からか、残されたマグロの刺身を食べてしまおう。まずいわけではないが、ぬるい食感がするのでビールでごまかそうとするが、そのビールもぬるくなっている。
「やっぱり失恋にはやっすいチェーンのウイスキーだよね」
「ほどほどにしとけよ、ワシらもう若くないんじゃから」
「すいませーんウイスキーふたつ、ロックで」
オイ、ととがめると私が二杯飲むからと返される。どうせギルドでも朝まで飲んでいるし、毎回どんなに荒れても翌日は酒の臭いひとつさせない女だ。むしろ会ったばかりの頃は向こうのペースに巻き込まれて自分ばかりが痛い目を見た。思えばその頃から便利に利用されている気がする。
つくづく可愛げのない女じゃ、と思ったところで、でもウイスキーを舐める彼女の目が潤んでいることに気がついてしまうからダメなのだ。元彼どもは彼女のこういうところを知っていたのだろうか。知らなかったらお呼びではないし、知っていて受け入れられなかったのかもしれない。これを可愛げと呼べる男を選んでほしい。自分とか、とうぬぼれる気持ちと彼女に幸せになってほしい気持ちは会うたびに拮抗している。
「好きな相手と一緒に生きたいってだけのことがこんなに難しい」
騒ぎ疲れたのか、そうぽつりと彼女が呟いた。
「見る目がないんじゃ大体」
「マジでそれはヒヨシに言われたくない」
「なにおう」
自分の元カノ遍歴も大概あっちにバレている。相手がいるときは声をかけてこない。誘われたら、たぶん行った。あまり飲んでいないのに頭の芯がぼうっとしている。これじゃあ本当にじいさんだ。言葉が制御できない。
「お前は最初からワシにしとけばよかったんじゃ」
酒の席の冗談とするには声色を作れなかったのだ。今日はじめて彼女が黙った。何倍飲んでも顔色ひとつ変えない女がびっしりと脂汗をかいている。もう後戻りはできない、と後悔と開き直りが入り交じる。ごめんね、と彼女が呟いた。
「…………帰る」
「ハァ!?」
何に対しての謝罪なのか訊く前に彼女は財布を開き一万円をテーブルの上に置いて席を立った。酔っ払いにしてはしっかりした足取りで店を出ていく。
「待て!待たんか!」
たぶんそんなには飲んでないだろうと彼女の置いていった万札を回収し、自分の財布から万札をレジに置いていく。店員のおねーちゃんが困惑してるが「たぶん足りてると思う釣りはいらん」とだけ言い捨てて自分も慌てて店を出た。どこ行ったあの女。こういう時にも足が早い。
悲しいかな知っている彼女の自宅のほうへ駆ける。ほどなくして信号が変わるのを待っている後ろ姿を見つけた。呼び掛けるとのろのろとこちらを振り向いた。帰り道のくせに、どこに行けばいいのか分からず途方にくれているような顔をしている。
「おみゃー、ありゃないじゃろ」
だって、と彼女は崩れたアイラインをぬぐった。ヒヨシは私を好きにならないと思っていたから。
「今さら何言ってもムダだけど、私はそういうのにつけこみたくなかった」
「本当に今さらじゃな。ワシが新横イチいい男だから良かったものの」
そうかもね、と彼女が笑った。化粧が崩れた顔に可愛げを感じるのは相手がこいつだからだ。これは、もしかしたらと必死に頭を動かす。失敗はできない。
「のう、ワシはお前ともお前の今までの男どもとも違うんじゃ」
乾いてもつれる舌を無理矢理動かす。噛まなかったのはラッキーだった。自分がここまで女を口説くのに緊張したことがあったろうか。だが、さっき居酒屋であんなことを言ってしまったのだからもう後戻りはとっくにできないのだ。
「ワシはお前が弱ってるところにもつけこむぞ。おみゃーがやりたいなら籍でも何でも入れるし次の休みに部屋でも見に行こう」
へ、と彼女が気の抜けた返事をした。
「まだ女の子のいる店とか行ってるのに」
「名刺とかカードとか全部捨てて連絡先消せばいいんじゃろ」
ずっと望んでいたことを実行できた達成感から、訳もなく興奮している。スマホを取り出して電話帳を開いたところで彼女に端末を取り上げられた。
「それはやらなくていい。どうせ電話帳とRINEまるごと消して明日困るでしょ」
もし何かあったら、ケンカしよう、と拳を構える姿はまったくいつもの通りだった。
「ケンカさせてくれるんか」
「いやケンカしない努力をしようよ」
ぐ、と彼女は大きく伸びをした。
「とりあえず次の休みあわせて、一緒にギルド行こ。部屋探す前に報告しなきゃいけない相手いっぱいいるんだから」
「これで何人目じゃ」
「片手で収まるわ一緒にすんな!」
自分は遊び相手こそたくさんいるが特定の相手はそこまで多くない。それでも片手からははみ出すので反論するのはやめた。
「私はさぁ、退治人やめたくないわけだよ」
知っとる知っとる、と適当な相槌をうつ。このやりとりももう何回繰り返しただろうか。
「そんな危険な仕事を辞めてオレと一緒に生きてくれないか? 嫌だけど?県外なんて一生行くかバーカ!そもそもお前を助けたのは私!私私私!」
別れた男の声真似をされても似てるかなんて判別できない。前回とその前の男には会ったことがあるが。二個前の男はそもそも共通の同期だった。悪いやつじゃなかったが女という生き物に夢見がちな節があった、と自分を棚にあげて勝手な論評をする。たしか破局ほやほやの時もそう言ってやった気がする。あいつなんかよりも度量が広いこのワシにしとけ、とはまだ言えない。
彼女はエイヒレをつまみながらメニューをめくって次に飲む酒の品定めをしている。 彼女が頼んだはいいが、飽きたのか遠慮からか、残されたマグロの刺身を食べてしまおう。まずいわけではないが、ぬるい食感がするのでビールでごまかそうとするが、そのビールもぬるくなっている。
「やっぱり失恋にはやっすいチェーンのウイスキーだよね」
「ほどほどにしとけよ、ワシらもう若くないんじゃから」
「すいませーんウイスキーふたつ、ロックで」
オイ、ととがめると私が二杯飲むからと返される。どうせギルドでも朝まで飲んでいるし、毎回どんなに荒れても翌日は酒の臭いひとつさせない女だ。むしろ会ったばかりの頃は向こうのペースに巻き込まれて自分ばかりが痛い目を見た。思えばその頃から便利に利用されている気がする。
つくづく可愛げのない女じゃ、と思ったところで、でもウイスキーを舐める彼女の目が潤んでいることに気がついてしまうからダメなのだ。元彼どもは彼女のこういうところを知っていたのだろうか。知らなかったらお呼びではないし、知っていて受け入れられなかったのかもしれない。これを可愛げと呼べる男を選んでほしい。自分とか、とうぬぼれる気持ちと彼女に幸せになってほしい気持ちは会うたびに拮抗している。
「好きな相手と一緒に生きたいってだけのことがこんなに難しい」
騒ぎ疲れたのか、そうぽつりと彼女が呟いた。
「見る目がないんじゃ大体」
「マジでそれはヒヨシに言われたくない」
「なにおう」
自分の元カノ遍歴も大概あっちにバレている。相手がいるときは声をかけてこない。誘われたら、たぶん行った。あまり飲んでいないのに頭の芯がぼうっとしている。これじゃあ本当にじいさんだ。言葉が制御できない。
「お前は最初からワシにしとけばよかったんじゃ」
酒の席の冗談とするには声色を作れなかったのだ。今日はじめて彼女が黙った。何倍飲んでも顔色ひとつ変えない女がびっしりと脂汗をかいている。もう後戻りはできない、と後悔と開き直りが入り交じる。ごめんね、と彼女が呟いた。
「…………帰る」
「ハァ!?」
何に対しての謝罪なのか訊く前に彼女は財布を開き一万円をテーブルの上に置いて席を立った。酔っ払いにしてはしっかりした足取りで店を出ていく。
「待て!待たんか!」
たぶんそんなには飲んでないだろうと彼女の置いていった万札を回収し、自分の財布から万札をレジに置いていく。店員のおねーちゃんが困惑してるが「たぶん足りてると思う釣りはいらん」とだけ言い捨てて自分も慌てて店を出た。どこ行ったあの女。こういう時にも足が早い。
悲しいかな知っている彼女の自宅のほうへ駆ける。ほどなくして信号が変わるのを待っている後ろ姿を見つけた。呼び掛けるとのろのろとこちらを振り向いた。帰り道のくせに、どこに行けばいいのか分からず途方にくれているような顔をしている。
「おみゃー、ありゃないじゃろ」
だって、と彼女は崩れたアイラインをぬぐった。ヒヨシは私を好きにならないと思っていたから。
「今さら何言ってもムダだけど、私はそういうのにつけこみたくなかった」
「本当に今さらじゃな。ワシが新横イチいい男だから良かったものの」
そうかもね、と彼女が笑った。化粧が崩れた顔に可愛げを感じるのは相手がこいつだからだ。これは、もしかしたらと必死に頭を動かす。失敗はできない。
「のう、ワシはお前ともお前の今までの男どもとも違うんじゃ」
乾いてもつれる舌を無理矢理動かす。噛まなかったのはラッキーだった。自分がここまで女を口説くのに緊張したことがあったろうか。だが、さっき居酒屋であんなことを言ってしまったのだからもう後戻りはとっくにできないのだ。
「ワシはお前が弱ってるところにもつけこむぞ。おみゃーがやりたいなら籍でも何でも入れるし次の休みに部屋でも見に行こう」
へ、と彼女が気の抜けた返事をした。
「まだ女の子のいる店とか行ってるのに」
「名刺とかカードとか全部捨てて連絡先消せばいいんじゃろ」
ずっと望んでいたことを実行できた達成感から、訳もなく興奮している。スマホを取り出して電話帳を開いたところで彼女に端末を取り上げられた。
「それはやらなくていい。どうせ電話帳とRINEまるごと消して明日困るでしょ」
もし何かあったら、ケンカしよう、と拳を構える姿はまったくいつもの通りだった。
「ケンカさせてくれるんか」
「いやケンカしない努力をしようよ」
ぐ、と彼女は大きく伸びをした。
「とりあえず次の休みあわせて、一緒にギルド行こ。部屋探す前に報告しなきゃいけない相手いっぱいいるんだから」
