吸死
台風何号だかが関東を直撃した日であった。
ドラルクは、家の中にいてもはっきりと聞こえる強い雨音に包まれて、楽しくゲームをプレイし怠惰を貪っていた。こんな日に外に出る奴は馬鹿だ、とドラルクは思うがまだ雨足の強くない時間に事務所の主であるロナルドは仕事へ行ったらしい。真面目だねえ、と言いながらジョンの腹毛を撫でていると、事務所のほうがどやどやと騒がしくなった。そしてすぐにリビングと事務所を結ぶ玄関の扉が開く。
「お邪魔します!」
まず入ってきたのはロナルドの恋人である退治人と、その彼女に引っ張られたヒナイチ。そして扉を開けてやっていたらしいロナルドが最後に入ってきた。どうやら悪天候すぎて今夜は仕事にならないらしい。吸血鬼はおおむね流水を嫌うものだからだ。しかしこの豪雨には人間たちも閉口しているようで、皆見事に濡れ鼠であった。ロナルドに至ってはもうブーツも靴下も脱いで裸足になっている。恋人とヒナイチがいなかったら間違いなくすでに裸になっていただろう。彼女はそんなロナルドにお構いなくヒナイチをぐいぐいと浴室へ押し込んだ。彼女はドラルクとロナルドへ一息に話しかけた。
「雨も風もやばすぎたから避難してきちゃいました。ヒナイチちゃん先にシャワー浴びてもらうね。私もその後で借りるから」
ヒナイチが正面から堂々と入ってくるのは久しぶりだとドラルクは思う。いつもいつの間にか隠し部屋にいるからだ。ドラルクがぼけっとしている間に、我が物顔で彼女は収納を漁り、部屋着とタグを切っていない下着を取り出した。そしてそれを風呂場へ持っていく。洗濯物についてはほぼロナルドの管轄であるため、収納の一画が彼女のスペースになっていることをドラルクは初めて知った。冷蔵庫に知らない銘柄のドレッシングやコンビニスイーツが増減しているのは感知していたが。床下にスペースを作っているヒナイチに加え、またこの男は人に居住空間を好きにさせているのか、とドラルクは台所をカスタマイズしている自分を棚に上げて思う。彼女とロナルドが恋人同士になってからまだ数か月だ。当のロナルドは彼女の取り出した下着を見ないように視線をそらしていた。濡れた服でソファに座るなゴリラ、とドラルクはツッコミを入れる。あっごめんタオル渡してなかった! と彼女がバスタオルをロナルドに投げてよこした。
ヒナイチは、すみかとしている空間に衣服もいくつかストックしているが、雨続きで洗濯できていなかったらしい。結局、彼女の部屋着をヒナイチが借り、比較的マシな状態のロナルドの部屋着を彼女が借り、ロナルドは首やらゴムやらがだるだるになった自分の部屋着を着ることになったらしい。彼女ができたと聞いたとき、部屋着も買い足せと言った私の忠告を無視するからこんなことになるのだ。ドラルクはそれをそのまま言ってどつき殺された。自分の主も含め、全員から同じ石鹸のにおいと同じ洗剤のにおいがしているのを、ジョンだけが気が付いている。復活したドラルクは悪態をつきながらキッチンへ向かった。大抵退治人は待機中などに夜食と称してがっつり食べていることが多い。一応客人はもてなしてやろうという城主の計らいである。珍妙な英字の入った服の裾をぱたぱたと扇ぎながら彼女もドラルクを追ってきた。
「手伝いますね」
「そう言ってくれるのは君だけだよまったく」
「ヒナイチちゃんは何か報告があるらしいですよ。うちらと違って公務員ですからね」
まぁヒナイチはともかく、ロナルドについて戦力として期待はしていないが。人数も多いしカレーでいいか、とドラルクが言うと彼女は了解の返事をして手慣れた様子で各所から材料や調理道具を取り出してくる。ドラルクの知らない昼の間にここを使ったことがあるようだった。
「そういえば冷蔵庫の食材とか勝手に使ってもいいからね」
口に出してから、自分はどの立場で彼女に接しているんだと思ったが言われた方は気にしていないようだった。彼女もまた退治人であるため、外で話したことは何度もあるが(なんなら一番最初の、シーニャとロナルドの対決を観戦してゲラゲラ笑っていた)こうしてロナルドの恋人とロナルドの同居人という立場で会話するのは初めてだ。
ジャガイモの皮をむきながら、ドラルクは彼女に話しかける。ロナルドがダイニングから警戒した視線を向けてくるが、今更そんなものにひるむことはない。
「あの若造のどこがそんなにいいのかね」
野次馬のつもりがつまらないドラマの姑みたいな問いかけになってしまった。涙腺がないのかというくらいスムーズに玉ねぎを切っている彼女は、手元から目を離さずにドラルクさんお母さんみたいなこと言いますねと答えた。人間の娘と母親とはそういうものなのかとドラルクは思う。ロナルドは話題が話題のため必死に興味ないふりをしてジョンを構っているが、耳がこちらに向いているのは自明である。
「そうですね、」
しかし彼女がさらりと答えそうになったところで、ロナルドはそれを遮るように大声を出して立ち上がった。
「げ、ろ、ロナ戦の原稿があるんだった!!!」
やや一本調子でそう言うと、ロナルドはどたどたと事務所のほうへ移動していった。その腕にジョンが抱えられていたのを見て、ドラルクは嘆息する。
〆切は三日前で、一昨日どうにかオータム書店に缶詰をして原稿を終わらせているのをドラルクは知っている。彼女もきっと同じだろう。
「……あのチキンだかゴリラだか分からん男のどこがいいのかね」
玉ねぎを切り終えた彼女は肉に手をつけていたから、ロナルドを追いかけなかったらしい。ドラルクも今はロナルドを深追いして殴り殺されるより台所で話していたほうが面白いネタが得られそうだと判断した。切った具材を鍋に合流させ、炒め始める。
「だって、いい奴でしょう。一緒にいると面白いし」
「それはオトモダチのままお断りするときの言葉じゃないかね」
「いい奴だし、大事にしたいと思ったんですよ」
手を洗って米を研ぎながら彼女は答えた。一瞬、ざあと水を流す音だけが場を支配した。ふうん、とドラルクは乾いた相槌を打つ。この場にロナルドがいたら面白かっただろうが、あとから他人の口で伝えてもからかいにならなかったからだ。その他人が恥ずかしくなるだけである。
「思っていたより馬鹿正直だな、君も大概」
「まぁ、それでいいかなと思って。ドラルクさんには感謝してますし」
「はぁ?」
ドラルクは思わず素で怪訝な声を上げた。思わず野菜を炒めている手が止まる。
「だってドラルクさんが来てからのほうが、楽しそうですからね、ロナルド」
外で雷が鳴っているのもかすかに聞こえた。ドラルクには目の前の一見正直に見える人間の考えが分からない。
「……とりあえず水を1400ml」
「計量カップ大きいのありましたよね。それに、好きな人が楽しそうにしてたら嬉しいでしょう。」
「まだ続けるのか!? さては惚気たいだけか! なら聞かんぞ!!」
「惚気じゃないですよ。あなたのおかげで楽しそうって話なのに」
だから今度はちゃんと手土産に何か持ってきますよ、血液ボトルとかがいいですか? と計量カップ片手に話続ける女にドラルクは若干心が折れて死にかける。
「とりあえず血液ボトルは結構だ。重い」
「大丈夫ですよ退治人ですし。何ならお注ぎしますよ」
「そういう意味じゃないわ。さてはわざとか?」
ドラルクが一度崩れて再生したところで、ヒナイチが折よく戻ってきた。
「すまん、何か手伝うことがあれば」
「あっじゃあトマトでも切ります?」
ドラルクと会話していたのとまったく同じトーンで彼女はヒナイチと話し始めた。関心が移ったとみてジョンを回収しようと離脱するドラルクの背中に彼女は声をかけた。
「あとでゲーム一緒にやりましょうね! プロコンあるんで!」
「そういえば最近なんかコントローラー多いと思ったんだ!」
ドアを引きながら死んで生き返りツッコミを入れるというある意味器用な風景を見ながら、彼女はぽつりと呟いた。
「ドラルクさんも大概なんていうか……ちょろいですよね」
「何か言ったか?」
「なんでもないですよ。トマトありがとうございます」
ロナルドが食べつくしてなければアイスもありますからね、食べてゲームでもしましょう。彼女はヒナイチにそう笑いかけた。
ドラルクは、家の中にいてもはっきりと聞こえる強い雨音に包まれて、楽しくゲームをプレイし怠惰を貪っていた。こんな日に外に出る奴は馬鹿だ、とドラルクは思うがまだ雨足の強くない時間に事務所の主であるロナルドは仕事へ行ったらしい。真面目だねえ、と言いながらジョンの腹毛を撫でていると、事務所のほうがどやどやと騒がしくなった。そしてすぐにリビングと事務所を結ぶ玄関の扉が開く。
「お邪魔します!」
まず入ってきたのはロナルドの恋人である退治人と、その彼女に引っ張られたヒナイチ。そして扉を開けてやっていたらしいロナルドが最後に入ってきた。どうやら悪天候すぎて今夜は仕事にならないらしい。吸血鬼はおおむね流水を嫌うものだからだ。しかしこの豪雨には人間たちも閉口しているようで、皆見事に濡れ鼠であった。ロナルドに至ってはもうブーツも靴下も脱いで裸足になっている。恋人とヒナイチがいなかったら間違いなくすでに裸になっていただろう。彼女はそんなロナルドにお構いなくヒナイチをぐいぐいと浴室へ押し込んだ。彼女はドラルクとロナルドへ一息に話しかけた。
「雨も風もやばすぎたから避難してきちゃいました。ヒナイチちゃん先にシャワー浴びてもらうね。私もその後で借りるから」
ヒナイチが正面から堂々と入ってくるのは久しぶりだとドラルクは思う。いつもいつの間にか隠し部屋にいるからだ。ドラルクがぼけっとしている間に、我が物顔で彼女は収納を漁り、部屋着とタグを切っていない下着を取り出した。そしてそれを風呂場へ持っていく。洗濯物についてはほぼロナルドの管轄であるため、収納の一画が彼女のスペースになっていることをドラルクは初めて知った。冷蔵庫に知らない銘柄のドレッシングやコンビニスイーツが増減しているのは感知していたが。床下にスペースを作っているヒナイチに加え、またこの男は人に居住空間を好きにさせているのか、とドラルクは台所をカスタマイズしている自分を棚に上げて思う。彼女とロナルドが恋人同士になってからまだ数か月だ。当のロナルドは彼女の取り出した下着を見ないように視線をそらしていた。濡れた服でソファに座るなゴリラ、とドラルクはツッコミを入れる。あっごめんタオル渡してなかった! と彼女がバスタオルをロナルドに投げてよこした。
ヒナイチは、すみかとしている空間に衣服もいくつかストックしているが、雨続きで洗濯できていなかったらしい。結局、彼女の部屋着をヒナイチが借り、比較的マシな状態のロナルドの部屋着を彼女が借り、ロナルドは首やらゴムやらがだるだるになった自分の部屋着を着ることになったらしい。彼女ができたと聞いたとき、部屋着も買い足せと言った私の忠告を無視するからこんなことになるのだ。ドラルクはそれをそのまま言ってどつき殺された。自分の主も含め、全員から同じ石鹸のにおいと同じ洗剤のにおいがしているのを、ジョンだけが気が付いている。復活したドラルクは悪態をつきながらキッチンへ向かった。大抵退治人は待機中などに夜食と称してがっつり食べていることが多い。一応客人はもてなしてやろうという城主の計らいである。珍妙な英字の入った服の裾をぱたぱたと扇ぎながら彼女もドラルクを追ってきた。
「手伝いますね」
「そう言ってくれるのは君だけだよまったく」
「ヒナイチちゃんは何か報告があるらしいですよ。うちらと違って公務員ですからね」
まぁヒナイチはともかく、ロナルドについて戦力として期待はしていないが。人数も多いしカレーでいいか、とドラルクが言うと彼女は了解の返事をして手慣れた様子で各所から材料や調理道具を取り出してくる。ドラルクの知らない昼の間にここを使ったことがあるようだった。
「そういえば冷蔵庫の食材とか勝手に使ってもいいからね」
口に出してから、自分はどの立場で彼女に接しているんだと思ったが言われた方は気にしていないようだった。彼女もまた退治人であるため、外で話したことは何度もあるが(なんなら一番最初の、シーニャとロナルドの対決を観戦してゲラゲラ笑っていた)こうしてロナルドの恋人とロナルドの同居人という立場で会話するのは初めてだ。
ジャガイモの皮をむきながら、ドラルクは彼女に話しかける。ロナルドがダイニングから警戒した視線を向けてくるが、今更そんなものにひるむことはない。
「あの若造のどこがそんなにいいのかね」
野次馬のつもりがつまらないドラマの姑みたいな問いかけになってしまった。涙腺がないのかというくらいスムーズに玉ねぎを切っている彼女は、手元から目を離さずにドラルクさんお母さんみたいなこと言いますねと答えた。人間の娘と母親とはそういうものなのかとドラルクは思う。ロナルドは話題が話題のため必死に興味ないふりをしてジョンを構っているが、耳がこちらに向いているのは自明である。
「そうですね、」
しかし彼女がさらりと答えそうになったところで、ロナルドはそれを遮るように大声を出して立ち上がった。
「げ、ろ、ロナ戦の原稿があるんだった!!!」
やや一本調子でそう言うと、ロナルドはどたどたと事務所のほうへ移動していった。その腕にジョンが抱えられていたのを見て、ドラルクは嘆息する。
〆切は三日前で、一昨日どうにかオータム書店に缶詰をして原稿を終わらせているのをドラルクは知っている。彼女もきっと同じだろう。
「……あのチキンだかゴリラだか分からん男のどこがいいのかね」
玉ねぎを切り終えた彼女は肉に手をつけていたから、ロナルドを追いかけなかったらしい。ドラルクも今はロナルドを深追いして殴り殺されるより台所で話していたほうが面白いネタが得られそうだと判断した。切った具材を鍋に合流させ、炒め始める。
「だって、いい奴でしょう。一緒にいると面白いし」
「それはオトモダチのままお断りするときの言葉じゃないかね」
「いい奴だし、大事にしたいと思ったんですよ」
手を洗って米を研ぎながら彼女は答えた。一瞬、ざあと水を流す音だけが場を支配した。ふうん、とドラルクは乾いた相槌を打つ。この場にロナルドがいたら面白かっただろうが、あとから他人の口で伝えてもからかいにならなかったからだ。その他人が恥ずかしくなるだけである。
「思っていたより馬鹿正直だな、君も大概」
「まぁ、それでいいかなと思って。ドラルクさんには感謝してますし」
「はぁ?」
ドラルクは思わず素で怪訝な声を上げた。思わず野菜を炒めている手が止まる。
「だってドラルクさんが来てからのほうが、楽しそうですからね、ロナルド」
外で雷が鳴っているのもかすかに聞こえた。ドラルクには目の前の一見正直に見える人間の考えが分からない。
「……とりあえず水を1400ml」
「計量カップ大きいのありましたよね。それに、好きな人が楽しそうにしてたら嬉しいでしょう。」
「まだ続けるのか!? さては惚気たいだけか! なら聞かんぞ!!」
「惚気じゃないですよ。あなたのおかげで楽しそうって話なのに」
だから今度はちゃんと手土産に何か持ってきますよ、血液ボトルとかがいいですか? と計量カップ片手に話続ける女にドラルクは若干心が折れて死にかける。
「とりあえず血液ボトルは結構だ。重い」
「大丈夫ですよ退治人ですし。何ならお注ぎしますよ」
「そういう意味じゃないわ。さてはわざとか?」
ドラルクが一度崩れて再生したところで、ヒナイチが折よく戻ってきた。
「すまん、何か手伝うことがあれば」
「あっじゃあトマトでも切ります?」
ドラルクと会話していたのとまったく同じトーンで彼女はヒナイチと話し始めた。関心が移ったとみてジョンを回収しようと離脱するドラルクの背中に彼女は声をかけた。
「あとでゲーム一緒にやりましょうね! プロコンあるんで!」
「そういえば最近なんかコントローラー多いと思ったんだ!」
ドアを引きながら死んで生き返りツッコミを入れるというある意味器用な風景を見ながら、彼女はぽつりと呟いた。
「ドラルクさんも大概なんていうか……ちょろいですよね」
「何か言ったか?」
「なんでもないですよ。トマトありがとうございます」
ロナルドが食べつくしてなければアイスもありますからね、食べてゲームでもしましょう。彼女はヒナイチにそう笑いかけた。
