ゲーム作品
ゴーストタイプのポケモンが居つく家は、地方によっては高く売りに出されるらしい。しかし私の住むこの土地では二束三文で売られる方だった。かつては若い家族が住んでいたらしいこの家は、独り身にはやや広すぎる。結果、管理の行き届かない部屋が生まれ、その暗がりに淀みがたまっている気がしている。きっと彼はそこに居ついているのだろう。もしかしたら、彼はその暗がりに魂が宿った存在なのかもしれなかった。
電気をつけなければ、室内は朝でも薄暗い。窓から差し込む光はカーテンに遮られ、そこだけ正しい時間を表しているようだ。
「おはよう」
私の声がけに、相棒であるオオタチがぬるりと姿を現した。家の中ではボールに入れていないから、好きなところで過ごしているのだろう。どこに潜ってきたのか、尻尾に着いた埃を取ってやる。関係性は悪くないようだし、ふたりで何かしていたのだろう。オオタチを追うように静かに姿を現したのは、件の彼だった。
「きみも、おはよう」
私の声掛けに彼は影のような体を揺らめかせた。寡黙な彼の、それがきっと返事なのだろう。ポケモンには違いないらしいが、私の持っている図鑑には載っていなかった。
「ごはん、一緒に食べる?」
前の家主はどんな経緯でこの家を出て行ったのか、家具の一式が残されたままだった。四人掛けの食卓に自分とオオタチと、彼の分の食事を用意する。彼の青い眼が細められた。
作業の切れ目に、私は大きく欠伸をした。家での一人仕事なので、見咎める相手はいない。昨夜の夢見が悪かったのだ。元々眠りが深いほうではなかったが、この家に来てから見る悪夢はいやに記憶に残っている。知らない男がどんどん私に近付いてくるのだ。逃げようにも体はずっと動かない。もう手を伸ばせば届くような距離にあっても、男は黒い影にしか見えない。どんな顔をしているのかも、分からない。しかしそれは現実には関わりのないことだ。仕事をしないと、オオタチも自分も養えないのだ。
コーヒーでも淹れようと立ち上がると、後ろに彼が立っていた。
「君、いつからいたの?」
当然答えは返ってこない。ただじっと見つめてくるだけだ。
「コーヒー、一緒に飲む?」
冗談で言ったつもりだったが、彼はふわふわと私の後ろをついてくる。光を反射しない濃い影のようなその体に質量があるとは思えなかったが、飲み食いはするようだった。ブラックコーヒーの色も、彼の前では見劣りするだろう。しゅう、とため息のような音が彼から発された。
「うん? これは君の分だよ」
彼に出したのは、この前買ったマグカップだ。ぱちぱちと目をしばたたかせて、彼は私を見た。
「君の専用にするから、よければ使ってよ」
休憩だの食事だのを共にすることが多くなったので、新しく用立てたのだ。彼はやっと合点したようにカップを持ちあげた。
今夜は新月であった。この辺りには人家も少ないから、月明かりがなければ本当に真っ暗闇だ。明るいところでは眠れない自分にとっては好都合だが。眠ればまたあの悪夢を見るかもしれないが、悪夢は所詮悪夢であって、睡眠をとらずには生活できない。ひんやりとしたシーツの冷たさを感じながら、私は目を閉じた。意識はすぐに、深層へと落ちていく。
(やっぱり、か)
気が付けば、男はいよいよ目の前に迫っていた。これが夢だと分かっているのに、指一本動かせない。こういう場合は明晰夢とは呼べないんだったか。男はおもむろに腕を伸ばす。真っ黒な指が、私の手を掴んだ。男は私を強い力で引き寄せた。真っ黒な顔の中に、青い眼がひとつ輝いている。その色に、私は見覚えがあった。
「……まだ夜か」
目を覚ましてもまだ部屋は真っ暗だった。何時か確認するのも億劫だ。瞼の裏に、まだ男の青い眼が焼き付いていようだ。のろのろと寝返りを打つと、枕元に煙のような揺らぎが起こった。暗闇の中にあってさらに黒い体が形を成す。いつもは片方隠れている目が、今はどちらも露わになっている。かすかに光るその双眸は、私をじっと見つめていた。
「どうしたの」
そう訊くと、彼は私の額に手を当ててきた。温かくも冷たくもない。ただ空気が動いただけにも感じるが、彼なりのコミュニケーションのようだった。
「心配してくれているの?」
肯定するように頭を縦に動かした彼の両眼が、炎のように揺れた。その色に私は既視感を覚えた。夢の男の隻眼と、同じなのだ。しかし、夢の男のそれは思い出すにもっと冴え冴えとした得体の知れないものだった。色以外は似ても似つかない。
そうか、と私は急に合点した。
(私にとっての悪夢は、君が人の姿をとることなのか)
不条理だと思っていた事柄の道理が分かって、私はにわかに満足した。彼の手が私の瞼に被さり、視界は真っ暗になる。しかし怖くはなかった。夜明けはまだ、遠くあってほしい。
電気をつけなければ、室内は朝でも薄暗い。窓から差し込む光はカーテンに遮られ、そこだけ正しい時間を表しているようだ。
「おはよう」
私の声がけに、相棒であるオオタチがぬるりと姿を現した。家の中ではボールに入れていないから、好きなところで過ごしているのだろう。どこに潜ってきたのか、尻尾に着いた埃を取ってやる。関係性は悪くないようだし、ふたりで何かしていたのだろう。オオタチを追うように静かに姿を現したのは、件の彼だった。
「きみも、おはよう」
私の声掛けに彼は影のような体を揺らめかせた。寡黙な彼の、それがきっと返事なのだろう。ポケモンには違いないらしいが、私の持っている図鑑には載っていなかった。
「ごはん、一緒に食べる?」
前の家主はどんな経緯でこの家を出て行ったのか、家具の一式が残されたままだった。四人掛けの食卓に自分とオオタチと、彼の分の食事を用意する。彼の青い眼が細められた。
作業の切れ目に、私は大きく欠伸をした。家での一人仕事なので、見咎める相手はいない。昨夜の夢見が悪かったのだ。元々眠りが深いほうではなかったが、この家に来てから見る悪夢はいやに記憶に残っている。知らない男がどんどん私に近付いてくるのだ。逃げようにも体はずっと動かない。もう手を伸ばせば届くような距離にあっても、男は黒い影にしか見えない。どんな顔をしているのかも、分からない。しかしそれは現実には関わりのないことだ。仕事をしないと、オオタチも自分も養えないのだ。
コーヒーでも淹れようと立ち上がると、後ろに彼が立っていた。
「君、いつからいたの?」
当然答えは返ってこない。ただじっと見つめてくるだけだ。
「コーヒー、一緒に飲む?」
冗談で言ったつもりだったが、彼はふわふわと私の後ろをついてくる。光を反射しない濃い影のようなその体に質量があるとは思えなかったが、飲み食いはするようだった。ブラックコーヒーの色も、彼の前では見劣りするだろう。しゅう、とため息のような音が彼から発された。
「うん? これは君の分だよ」
彼に出したのは、この前買ったマグカップだ。ぱちぱちと目をしばたたかせて、彼は私を見た。
「君の専用にするから、よければ使ってよ」
休憩だの食事だのを共にすることが多くなったので、新しく用立てたのだ。彼はやっと合点したようにカップを持ちあげた。
今夜は新月であった。この辺りには人家も少ないから、月明かりがなければ本当に真っ暗闇だ。明るいところでは眠れない自分にとっては好都合だが。眠ればまたあの悪夢を見るかもしれないが、悪夢は所詮悪夢であって、睡眠をとらずには生活できない。ひんやりとしたシーツの冷たさを感じながら、私は目を閉じた。意識はすぐに、深層へと落ちていく。
(やっぱり、か)
気が付けば、男はいよいよ目の前に迫っていた。これが夢だと分かっているのに、指一本動かせない。こういう場合は明晰夢とは呼べないんだったか。男はおもむろに腕を伸ばす。真っ黒な指が、私の手を掴んだ。男は私を強い力で引き寄せた。真っ黒な顔の中に、青い眼がひとつ輝いている。その色に、私は見覚えがあった。
「……まだ夜か」
目を覚ましてもまだ部屋は真っ暗だった。何時か確認するのも億劫だ。瞼の裏に、まだ男の青い眼が焼き付いていようだ。のろのろと寝返りを打つと、枕元に煙のような揺らぎが起こった。暗闇の中にあってさらに黒い体が形を成す。いつもは片方隠れている目が、今はどちらも露わになっている。かすかに光るその双眸は、私をじっと見つめていた。
「どうしたの」
そう訊くと、彼は私の額に手を当ててきた。温かくも冷たくもない。ただ空気が動いただけにも感じるが、彼なりのコミュニケーションのようだった。
「心配してくれているの?」
肯定するように頭を縦に動かした彼の両眼が、炎のように揺れた。その色に私は既視感を覚えた。夢の男の隻眼と、同じなのだ。しかし、夢の男のそれは思い出すにもっと冴え冴えとした得体の知れないものだった。色以外は似ても似つかない。
そうか、と私は急に合点した。
(私にとっての悪夢は、君が人の姿をとることなのか)
不条理だと思っていた事柄の道理が分かって、私はにわかに満足した。彼の手が私の瞼に被さり、視界は真っ暗になる。しかし怖くはなかった。夜明けはまだ、遠くあってほしい。
