ゲーム作品

「只今戻りました!」
組の事務所に戻った西田は、ソファにどっかりと座っている真島の機嫌をそれとなく確認する。結果、悪くはなさそうだ、とこっそり安堵した。その真島の向かいに座っている女に、西田は背筋を伸ばして挨拶をする。
「姐さん、お疲れ様です」
「西田くん、お疲れ様」
にっこりと笑ったナマエは、地味な格好をした初老の女性だ。姐さんと呼ばれるには威圧感もない、カタギの人間にしか見ない風貌である。
「冴島の叔父貴を、待っておられるんですか」
「ええ。予定より少し長引いたとかで。ここで待たせてもらってます」
西田とナマエの会話を聞いていた真島は紫煙と一緒にわざとらしい大きなため息をつく。
「ナマエちゃんは真面目やなぁ、どっかで遊んで暇でも潰してきたらええのに」
「その間に大河くんが来たら待たせちゃうでしょう」
待たせとったらええねん、と真島は手のひらをひらひらと振った。
「兄弟がお勤めしてる間、ずっと待ってたのはナマエちゃんの方なんやし」
「それはまあ、私が勝手に待ってたというか。諦めきれなかっただけだから」
「アホやなぁ」
ナマエの手土産の最中を、真島は乱暴にかじる。西田も「いただきます」と一礼して手にとった。
ナマエは神室町に昔からある街金融の事務員であり、真島や冴島とは古馴染みであった。それは二人がまだ跳ね返りの若造で、ナマエが小娘だった頃からだ。その時から、冴島とナマエが互いを憎からず想っているのを真島は知っていた。けれど、どうにかなる前に冴島は投獄されてしまったし、真島も神室町にはいられなくなった。兄弟がナマエに何か別れの挨拶をしたかどうかも、真島は知らないままだった。
何年かして、大阪から戻ってきた真島がナマエを見つけたのは本当に偶然だった。新しくできていたコンビニで再会したときのナマエを真島は未だに覚えている。彼女はまず真島の左目を見、隣に冴島がいないことに気が付くと一瞬だけ泣き出しそうな顔をした。それでもすぐに笑顔を作って久しぶりと言ったのだ、ずいぶん様変わりした自分に対して。それ以降なにかと付き合いは続いていた。それは、彼女がまだ冴島のことを想っていたからだ。聡いくせに一途な女が幸せになるのは並大抵のことでない。ナマエはずっと独り身で、神室町で暮らしていた。
そのことを真島は、愚かだとも思うし美しいとも思う。口蓋に貼りついた最中の皮を飲み込んで、若衆が出した茶を啜った。煙草は既に灰皿の中で燃え尽きている。ナマエは上品に茶を飲みながら、若い衆が自分からの土産を食うのをニコニコと眺めていた。あーあ、と真島は伸びをする。
「暇やな、ナマエちゃんどっか付き合うてくれへん?」
「人の女に何言ってるんや」
背後から聞こえた低い声にヒヒ、と真島は笑う。
「兄弟がナマエちゃん待たすからやろ」
「先に帰ってろって俺は言ったで」
じろりと冴島はナマエを見る。周囲の若衆はその鋭い目つきに震えたが、真島もナマエも平気な顔をしている。
「たった1時間くらい、私には待った内に入らないって言ってるでしょ。それに、真島くんの元気な顔も見たかったし」
何と比べて「待った内に入らない」のか知っている真島は爆笑した。ナマエは痛いところを突くのが昔からべらぼうに上手いのだ。冴島は苦虫を噛み潰したような顔をして「帰るで」とだけナマエに言った。

ナマエも歩くのは速いほうだが、それでも長身の冴島とは歩幅の差が大きい。だから、歩くペースを合わせるのは冴島のほうだ。深夜でも消えない神室町の電飾に照らされた冴島の輪郭を、ナマエは見上げた。いわゆる端正な顔立ちではないが、人々の祈りによって形作られた仁王像のようだ。ナマエは冴島の顔が好きだった。
「……なんや」
ナマエの視線に気が付いた冴島が、彼女の方を向く。その目は優しかった。真島組を出るときの会話など、三人のじゃれ合いのようなものだ。真島はナマエのことを恋愛的な意味で好きではないのだし、冴島も本気で真島に嫉妬したわけではなかった。それに、ナマエが「待てる」と言うのは折に触れ冴島に言い聞かせていることだった。
「ん? 大河くんはいつでも男前だと思って」
こっぱずかしいことを、と冴島は彼女から視線を外した。ナマエと一緒にいると、自分が若造に戻ってしまったような気持ちになる。共に重ねられたはずの年月が丸々抜けてしまっているからかもしれない。年の割には若く見えるナマエだが、髪には白いものが目立っていた。好いた女にまっとうな人生を歩ませてやれなかったことを、冴島は引け目に感じている。

ナマエの家で過ごす二人は、会話が多いほうではない。話したいことがあれば話すが、なくても気まずくはないからだ。ナマエの作った料理を黙々と口に運ぶ冴島は「うまい」とだけ言った。
「ありがとう。大河くん」
作り置きだけどね、と笑ってナマエはほうれん草の胡麻和えを口に運んだ。小さなマンションの一室の、穏やかで、欠けるところのない食卓だ。冴島は自分用の茶碗から、自分用の箸で白米を口に運ぶ。
(……俺は幸せモンやな)
彼女と共に生活をしていると、冴島はいつもそう感じる。口に出すこともあるが、毎回律儀に言っていると嘘くさくなるような気もしていて、今は言わなかった。

風呂から上がった冴島は、すでに寝入っているナマエの隣にもぐりこんだ。このベッドはまだ買い替えて数年だ。自分の巨体に合わせたサイズになっているから、彼女一人ではさぞ持て余すだろうと冴島は思う。彼は、ナマエの寝間着の下にある体を知っていた。平らなままに少し肉のついた腹や、張りを失いつつある乳のことを。無論、全ては愛しいものだった。しかし冴島は若い頃の彼女の体つきを結局知らないままでもあった。起こしてしまわないように、冴島は慎重に寝返りを打つ。ナマエの体温を、冴島は感じた。思わず、シーツの上に広がったナマエの髪を一筋そっと掬う。本当はこの女の人生を丸ごと引き受けたいと冴島は思っている。だがそれをナマエに言うつもりはなかった。ナマエにはナマエの人生がある。自分のあずかり知らぬところでの歩みが存在するのだ。出会ったのは何十年も前なのに、そのうちの数年しかそばにいてやれなかった、しかもまっとうな職業でない自分がそれを言う権利はないと冴島は思っている。
しかし、真島に連れられて数十年ぶりにナマエに再会したときに、ナマエが自分を見る目が昔と変わらなかったことを、冴島は心底喜んでしまった。待っていてくれたことが嬉しいと思ってしまった。だからナマエから既にもらってしまった分を大事にせねばならないと冴島は思っている。それはもう返すことができないからだ。
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