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外へ出た宗雲は、片方の眉を跳ね上げた。本当はやや途方にくれていたのだが、それを顔に出さなかったのは職業病ゆえだろう。薄い紗を何重にも重ねるように、どしゃぶりの雨が彼の視界を遮っていた。
馴染みの店のフラワーアレンジメント教室へ手を貸した帰りであった。余った花をひとまとめにした大きな花束を抱えた宗雲は、店先で立ち尽くした。こんな日に限って傘を忘れたのだ。扉にはめ込まれたガラス越しに覗き見た店内は、慌ただしく片付けをしている最中のようだった。雨上がりを待つのは構わなかったが、一抱えもある切り花たちを早く花瓶に活けてやりたかった。色とりどりの傘を差した人々が足早に横切っていくのを、宗雲は眺めていた。そのうちのひとつが、こちらに近付いてくる。花屋の客だろうか。宗雲は気を遣って少し脇にずれようとする。
「やっぱり、宗雲さんだ。こんにちは」
無骨なこうもり傘の下から現れたのは、顔なじみのナマエだった。ただし、ウィズダムの客ではない。宗雲が時折訪ねる喫茶店の店主だった。店主といっても、伯母から店を受け継いでまだ日の浅い若い女である。先代の時分からコーヒーの趣味がいいもので、宗雲はその店が気に入っていた。
「買い出しですか」
「ええ、そしたらこの雨でしょう。参っちゃいますよね」
ナマエが抱えているエコバックは、食材でぱんぱんに膨れている。そこには黄色いインクで小鳥がプリントされていた。彼女の店の名前である「かなりあ」にちなんでいるのだろう。ナマエは宗雲の抱えた花束を見、彼の顔を見た。
「もしかして宗雲さん、傘持っていないんですか?」
「ええ。まったく、迂闊でした」
「この時期は困っちゃいますよね」
ラウンジの客であれば、宗雲のミスを意外だと言ったかもしれない。しかしナマエはラウンジの客ではなかった。大粒の雨が傘や、屋根に当たって曇った音を立てる。ナマエの声は、それに遮られずにはっきりと聞こえた。
「そうだ!」
ナマエは傘を畳んで、軒先に入る。畳んだだけでも、傘からは大量の水が滴った。軽く雨をはらって、彼女は宗雲に自分の傘を差し出した。
「使ってください」
「いえ、しかしそれでは……」
ナマエは買い物袋を抱え直して、ニッと笑う。
「うちの店のほうが、宗雲さんのお店よりも近いので大丈夫です。それよりもお花が濡れたら大変でしょう。早く帰って活けてあげてください」
ナマエの勢いに押されて、宗雲は傘を受け取った。大きく作られたそれは、宗雲の手によく馴染む。
「……では、お言葉に甘えて」
「返すのはいつでも大丈夫なので」
宗雲に一礼したナマエは、湖に飛び込むように雨の中を駆け出していった。雨水を湛えた地面を構わずに踏んで、駆けていく。その背中を見送って、宗雲も傘を差して街へ出ていった。湿った雨の匂いを打ち消すように、華やかな青い匂いが手元からしている。自分たちの目的があるとはいえ、仮面ライダーとしての行動はある種の慈善であるし、ラウンジの接客も他者をもてなすものだ。そんな生活をしている宗雲が、他人からまったくの見返りを求めずに(金銭すら絡まずに)優しさを受けるのは、久しぶりのように思えた。

後日、宗雲はナマエの店を訪ねた。薄曇りだが、雨の予報は出ていない。飴色の扉を開けると、年季の入ったドアベルが鳴る。
「いらっしやいませ……あぁ、こんにちは」
宗雲が傘を携えているのに気がついたナマエは、カウンターから出てきてそれを受け取った。
「先日はありがとうございました」
「いいえ、大したことでは。これ、裏に置いてきちゃいますね」
足早に裏に引っ込んで、戻ってきたナマエに宗雲はブレンドコーヒーを注文した。そのついでのように、質問を投げかける。
「ご家族の傘ですか」
「ええ、兄……今は海外で働いていますが、が何年か前に置いていって。そのまま私が使っています」
カウンターの背後の棚のコーヒーカップを選びながら、ナマエは答える。
「お兄様が」
「ええ、海外でゲームを作ってるらしくて。ここにも置いてるんですけど」
カウンターの隅を見れば、金属製の洒脱なボードゲームが置いてあった。ナマエの兄のものであろう名刺も。
「もしよかったら、宗雲さんのお店にも置いてくださいね」
小さな飲食店の人間らしい気安さで、強制にならないような声色でナマエは言った。考えておきます、と宗雲も紋切り型の答えを返す。
「仲が良いんですね」
「そうなんですかね? まあ離れてたほうがよかったのかもしれません。私たちの場合は」
そういうきょうだいの形もあるのか、と宗雲は思った。コーヒーの匂いと湯気が店内に充満する。窓から差しこむ夏の夕方の日差しが、年季の入った床を照らしていた。
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