吸死

そろそろこの小さな村にも飽きたところだ。イシカナは大あくびをした。眠気からではなく退屈からのあくびだ。折よく近くの村で若者が死んだらしい。どうやら病で死んだらしく、見る限りきれいな死体だった。ますます都合がいい、とほくそ笑みながら埋められたばかりの棺を掘り起こす。細身のイシカナだが、そこらの人間よりは力もある。この村だって、近くといっても人間の足では丸一昼夜かかるのだ。一応空っぽの棺を埋めなおし、服の土埃をはらった。これで当分は気が付かれないだろう。気が付かれたとしてもその他の怪物の仕業になるだけだ。墓荒らしが来るほど裕福な村ではない。イシカナは掘り起こした自分と同じくらいの背格好の死体を担いで、自分が今住んでいる村へ戻った。

イシカナが住んでいるのは村のはずれにある小屋だ。元々は偏屈な老婆が住んでいたらしい。その老婆の遠い親戚だとでっち上げてしばらく過ごしていたのだ。老婆も座っていたであろうロッキングチェアに死体を無理やり座らせる。もう硬直したそれは思ったように曲がらないため、骨を折り曲げるようにして座らせる。どうせもう痛覚などないのだ。文字通り骨を折ったあとに、暖炉で静かに燃えている火に手をかざす。号令をかけるように、指揮者の最初の一振りのように大きく手を動かすと炎はたちまち燃え上がる。壁はレンガで出来てはいるが、粗末な木造りの床や、柱や、梁を炎が舐めはじめる。もういい頃合いだろう、とイシカナは裏手の窓を開けて世話になった家から手ぶらで出る。元より一時の気まぐれなので、この場所から持ち出したいものなどはほとんどなかった。
火の手は大きくなっていくが、他の家とは距離があるため他の村人が気が付いた様子はない。窓から炎がごうごうと漏れ出している。その緋色がイシカナのいかにも吸血鬼らしい青白い肌に熱を映す。吸血鬼は元来火を恐れるものだが、イシカナにとって炎は唯一凝視できる眩しさであった。朝になれば火は燃え尽き、就寝時の暖炉の火の不始末などで処理されるだろう。
(そういえば、あいつの絵の完成を見届け損ねたな)
強いていうなら一番付き合いのあった若い貧乏な絵描きのことがひとつ、心に小さくひっかかっていた。
虚弱ゆえ太陽の光に弱く、昼は外に出がたいというイシカナに何かと世話をやいてくれたのは、はみだし者として親近感を抱いたからかもしれない。朝の光はとても美しいのに、とわざわざ絵を何枚かイシカナの小屋に運んできたときは苦笑したが。吸血鬼は夜を愛し、夜と共に生きている。人間たちがどうしてそんなに朝の光が好きなのか理解に苦しむのが大抵の吸血鬼だろうし、イシカナも例外ではなかった。その絵たちも何枚かは知らぬ男の死体と共に今まさに焼失せんとしている。そういえば書きかけの絵があると言っていた。
「君が夜のほうがいいというから、一枚くらいは描いてみようと思ってね」
身よりのない「自分」の墓を作ってくれる親切な人間がいたら彼だろう。絵の完成くらい待てばよかったかもしれない。しかし今思い出すくらい些細なことだ。きっともうしばらくすればさっぱり忘れてしまうくらいの。


かつて人間と吸血鬼が大っぴらに交わっていなかった頃、人間社会でしばらく暮らしてみるという道楽が流行ったことがある。吸血鬼は退屈を嫌う生き物だ。長命の同種とばかり交わっていても一日が間延びしていくだけで面白くない。イシカナも暇つぶしに何度か人間として小さな村や石炭が台頭し始めたころの都会で暮らしたことがある。今は、むしろ吸血鬼でも遊びきれないような量の娯楽もあり大変よろしい。しかしイシカナは気まぐれを起こして、かつて自分が人間として住んでいた村のひとつを見に行くことにした。隣の村へ行くまで一日歩き通さねばならぬほどの山間にあった小さな村だったが、今は道路ができ、バスが通っているらしい。面倒なので使わなかったが。到着したのはもう日が沈む頃だった。夕方の日差しは段々と強さを失っていき、森の影が黒さを増していく。村の建物は当たり前のようにほとんど全て建て替わっており、イシカナの朧気な記憶は何の役にも立たなかった。しかし信じがたいことだが、そのなかに朧気な記憶でも分かる、当時のままの建物が一件だけあった。あの貧乏画家の家だった。へぇ、とイシカナの口の端が上がる。長く生きていると、埋めた覚えのないタイムカプセルがたまに見つかるものだった。
その家は、今は有名になった元貧乏画家の記念館として利用されているようだった。閉館間際に滑り込むことのできたイシカナは、年表や作品や使っていた画材などを眺める。あのガキがずいぶんとまぁ立派になったものだ、と独り言つ。焼失してしまった絵も何点かあった。それは戦火で燃えたのか自分が燃やしたのか。それなら持ち出して置いておけばさぞ高く売れたろう、とイシカナは思う。記念館といえど、元々広くない建物なのですぐに見て回れてしまう。多くはない展示物のなかにイシカナは自分の顔を見つけた。ガラスケースの中に恭しく広げられたスケッチブックは若い時の作品として展示されていた。どう見てもイシカナの横顔のスケッチの下には小さく「友人」と書かれている。そのガラスケースのすぐ近くの壁には、宵闇に沈む黒い森と細く浮かぶ白い三日月の絵が飾られていた。はっ、とイシカナは誰もいない展示室で笑い声をあげた。
帰りがけ、出口にいた学芸員が、彼の墓はすぐ近くの墓地にあると教えてくれた。閉館間近なのに親切なことだ、とイシカナは軽く礼を言う。学芸員いわく、彼は生涯独身であり友人の墓の隣に共に眠っているらしい。
夜の田舎町の墓地には誰もいなかった。彼の墓も他の人間と同じようにひっそりと存在しており、学芸員に話を聞いていなければ見つからなかっただろう。彼の両隣は、片方は花に囲まれていたが片方は最低限の掃除と小さな花束がひとつ供えられているだけだった。どちらが自分の墓かは一目瞭然だ。もう一方のほうに埋葬されている人間も、もしかしたら面識はあるのかもしれないが名前を見ても何も思い出せなかった。
自分の墓に供えられている花は、画家の墓にも供えられているものだった。彼の大事な友人だったからと見知らぬ奴の墓に花を供える親切な人間がいるのか、とイシカナは驚く。しかもその墓に眠っているのはそいつの友人でもなんでもないのに。自分の墓の表面をはらうと、昔名乗っていた気がする名前が彫られていた。どこから取ったものだったか。しかし本当に墓を作ったのか、律儀なやつだ。綴りだって教えていなかったはずなのに。
花の一本でも持ってくればよかったかもしれない、とイシカナは柄にもないことを考えた。
「しかしこの村、相変わらず何にもないな。帰るか」
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