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「3番ドッグにM35ボルト3ケース!1番ドッグにN43ナット5ケース!」
ガレーラの倉庫に。周囲の金属音に負けないくらいの大声が響く。見習いの少年たちがちょろちょろと積み上げられた工具や資材の合間を縫って、指示通りのものを指示通りのドッグへ届けに駆ける。
副社長になってもなお、何かと現場に立っているパウリーは今日も一番ドッグで指示出しをしていた。言い寄ってくる女どもを避けるためであるという噂もまことしやかに囁かれているが、今進めているのは海列車2号機の製造である。かような大仕事にそれだけの実力者が関わってくれるのは現場の職工たちにはありがたいことであった。
「ナット持ってきました!」
周囲の音に負けないくらいの声を張って、台車を押してきた使い走りの声を聞いてパウリーはその眉間のシワをわずかに緩めた。その使い走りの少年……ナマエはガレーラに来て3年目だが、記憶力がよく気も回るためパウリーは目をかけていた。台車から工具や資材を下ろし終わった彼の頭をぐしゃぐしゃとパウリーはかき回しながら追加で持ってきて欲しい資材を伝える。犬にするようなちょっかいだったが、ナマエは甘んじて受け入れていれていた。記憶力がいい彼は、一度言われたものを完璧に持ってくることができるし、最近は在庫数に応じて発注の進言もできるようになっている。近いうち倉庫管理の仕事に就かせるか、とパウリーは考えていた。一通り必要なものを伝えたあと、またナマエを倉庫へ送り出す。駆け出した少年と自分の上で何か軋むような音がしたことにパウリーは気がついた。
「危ねえ!」
有事のときにとっさに体が動くのはこういう職業の適正であった。パウリーは少年を抱えて立っていた場所から飛び退いた。間髪入れず落ちてきた鉄骨が台車を押しつぶす。
「すいませんロープが切れちまって!」
「バカヤロウ気をつけろ!」
ナマエを片手で抱きかかえたまま、パウリーは平謝りする職工へ一喝する。大丈夫か、と小脇にかかえた少年へ聞こうとして、作業服に包まれたその体が思ったよりも柔らかいことに気がついた。
「パウリーさん、ありがとうございます……」
お前もトロトロするな!とでも言われるだろうと思っていた少年は、恐る恐る何も言わないパウリーへ声をかける。その声がいつまで経っても高いままである理由をパウリーは信じたくなかった。しかし生まれた疑念をそのままにしておくわけにもいかない。
「ちょっと来い!」
彼は有無を言わさず少年をドッグの裏手に連行する。一服していた他の職人を追い散らし、周りに誰もいなくなったことを確認したパウリーはたいそう不本意だというように口を開いた。
「お前……なんで女だって言わなかった」
「他の人達もわざわざ男ですって言わないでしょ」
ゴッ!といつものように拳骨を落としてから、目の前の使い走りの――先程発覚した――性別をパウリーは思い出した。文句を言いながらも、頭も口も回るクソガキらしい顔でナマエは笑う。
「ちなみにアイスバーグさんには最初から話を通してます。性別によって扱いは分けなくていいと自分から言いました」
「じゃあ今まで気が付かなかったおれがバカみたいじゃねぇか」
「まぁ大体の人は気が付いてないと思いますし……そんなことよりも副社長。……今更女だからってクビにしたりしませんよね」
こいつにとっての関心事はそれしかねぇのか、とすがるような目をした少年――少女を見下ろしてパウリーは呆れた。
「アイスバーグさんがいいって言ってんならおれからクビ切るようなことはしねぇよ」
「本当っすか!?」
性別が女だろうがその能力に変わりはなく、また目をかけていたのは事実である。よかったと胸を撫で下ろす彼女にパウリーは目を細めたが、それもナマエが恐ろしいことを言い出すまでだった。
「もし女だからってだけでクビにされてたら、前に借金取りから逃げてきたパウリーさんがうちに転がり込んできたことをアイスバーグさんにチクるつもりでした」
嫌がらせです、と笑う顔がパウリーには悪魔に見えた。たしかにナマエの家は地理的にちょうどいい場所に存在するため何度か一時的に身を潜めていた。性別が分かったことで、自分の行為のハレンチさとそれでも女だと気が付かなかった己の観察眼のなさにパウリーの背中にはじっとりと嫌な汗が浮いた。責任問題、という四文字がパウリーに伸し掛かっていることに気づかないナマエは話が終わったと判断して「失礼します!」と頭を下げると元気にドッグへ駆けていった。こんなやりとりをした後でも潰れた台車を回収して、言われたものをきっちりまた届けに来るだろう。その可愛くなさをパウリーは気に入っていたはずだった。その意味が変質しないようパウリーは大きくため息をついた。
たくさんの工員が働いているガレーラの昼は騒がしい。食堂に向かう者、家族に作ってもらった弁当を自慢する者、売り歩かれているサンドイッチを購入する者。この中だとサンドイッチが一番安価で腹に溜まる。副社長になったくせにまたギャンブルで金欠気味のパウリーは作業服に混じってサンドイッチを購入し適当な場所に座り込んで包みを開けた。ぱさぱさのパンを咀嚼しながら周囲を見回すと、目をかけている使い走りの少女――最近少女だということをパウリ―は知った――が目に入った。同じような立場の少年たちに囲まれて笑いながら大口を開けて、パウリーの食べているものよりいくらか高価なサンドイッチを頬張っている。こうして見ると、たしかに他の奴らと比べてちびっこいというか一回りも二周りも華奢だ。いつぞやの飲み会で「いつまで経っても背が伸びねえな」とかいぐりしたことをパウリーは思い出してパンの欠片を喉に詰まらせた。げほげほと咳き込んだことがナマエたちにバレはしないかと慌てて視線をやるが、彼らは彼ら同士の馬鹿話で盛り上がっているようだった。誰のせいでこんなに動揺しているんだ、とパウリーは逆恨みのような感情を抱く。立ち上がってパン屑を払ったパウリーは、おもむろに使い走り達が寄り集まっている場所へ近寄る。気が付いた少年たちが次々に居住まいを正して、お疲れ様です副社長! と挨拶をした。もちろんナマエも、サンドイッチ片手にパウリーに挨拶をする。
「またギャンブルでスッたんですかあ?」
生意気な野次が飛んだので、パウリーは「いつもそうみたいに言うんじゃねェ」と言い返す。
「一か月と十二日ぶりですね」
彼女の言葉に、周りがさすが! と湧く。パウリーはうるせぇ、と怒鳴ってナマエが持っているサンドイッチを一口齧り取った。
「あぁー!」
お昼……とナマエは哀れっぽい声を出した。前からこのような戯れは(彼女とに限らず)やっていたことであったが、具材の多いサンドイッチを飲み込んだ後でパウリーはナマエの性別に思い当たる。熱くなる耳に気が付かないふりをしながら「ざまぁみろ!」とパウリーは叫んで足早に立ち去って行った。
「ンマー、どうしたんだアイツは」
その顛末を少し離れたところから見て首を傾げたのはアイスバーグである。アイスバーグの隣で、まだ十代も前半の秘書が「好きな子をいじめたくなるのは、大人になっても変わらないんですね」とパウリーに対して呆れた顔をした。
大規模商船の修理という山を越えたパウリーは、その高揚感のまま賭場に行き、そして一文無しどころか新しい負債を背負った。その上、すっかり忘れていた以前の借金の残りのことで、激務明けだというのに借金取りに追われていた。入り組んだ路地を通り抜け、追っ手を撒こうとしたパウリーは、アパルトメントの窓がひとつ開いて、知った顔がのぞいているのを見つけた。
「匿いましょうか?」
借金取りに追われているというのを自明のこととして申し出てくるナマエもまた、激務明けで少し疲れた顔をしていた。女が自宅に男を誘うにはどう考えても「ハレンチ」だと彼は考える。ただ彼女が女だと気が付く前に何度も転がり込んだのはパウリーであった。
どこ行きやがったあの野郎! という怒声が聞こえてくる。また、立ち止まったことで疲労が彼を襲う。部下の性別が思っていたのと違ったからって何なんだ、とパウリーはいつもとは正反対の理屈をつけて、窓から彼女の家に邪魔することにした。ナマエの部屋は前に来たときと変わらず殺風景だった。
「自分は今から寝るんで、好きに過ごしててください。寝るならそこのソファで」
ボトルから注いだ水を飲んで、ナマエはパウリーに言った。とはいえ彼女の家はこのワンルームしかない。
「男を家にあげておいてお前……」
「上がり込んでおいて言います? しかも今更」
心底呆れましたという顔をする彼女は、安かったのだろう男物の大きなTシャツを適当に着ていた。それにより体のラインは完全に隠れているが、それでもいつもの作業着よりは薄着である。できる限り家主を目に入れないように、パウリーは窓の外を伺うふりをした。そんな彼の動揺に構わず、ナマエは大きく伸びをした。
「じゃあパウリーさん、おやすみなさい」
「はァ!?」
さっさと薄いタオルケットにくるまった彼女は、床に転がって寝息を立て始める。あの商船の修繕では彼女も駆け回っていたからやはり疲れていたのだろう。それならば床で寝るのはよくないだろうに。気を遣いやがって、とパウリーは舌打ちをした。
「おい」
呼びかけても反応は返ってこない。彼は頭をがしがしと掻く。せめてソファに移動させてやろうかとしゃがみ込んだが、身じろぎをした彼女のTシャツがずれて、細い肩が露わになったのをまともに見てしまった。ドッグの中にいるときは、多少の力みがあるとはいえ今までと同じように気やすいやりとりができていた。しかし今は彼女の家で、無防備な彼女と二人きりである。動きやすいように短く切られた髪が、窓から入ってきた風に揺れている。散々撫でてきたそれに、今触れることは簡単だが、それをしてしまうと何か一線を踏み越えてしまう気がして、パウリーは何もせず立ち上がった。見下ろすと余計に小さく見えて彼は慌てる。彼がもっと若いときに喧嘩のはずみで踏み荒らしてしまった花のことをパウリーは思い出した。なんだか色々なことでの気疲れを改めて感じて、彼は家主の言葉に甘えて少し眠ることにした。ただし家主を差し置いてソファで寝るのは気が引けたので、テーブルを挟んだ反対側にごろりと横になって、大きなあくびをする。眠気がやってくるのはすぐだった。
「社長!」
昇格の辞令を出した相手に詰められたアイスバーグは、ナマエをひとまず落ち着かせるのに難儀した。彼女が握りしめて皺くちゃになった紙には、5番倉庫の管理を命じる旨が記載されている。
「副社長直々の推薦なんだけどなァ」
「パウリーさんが……?」
いぶかしげなナマエの脳裏に浮かんでいるのは「まだまだひよっこだろうが!」とどついてくるパウリーの姿だけだった。自分なりに頑張っているつもりだし、やれることは増えてきてはいるが、パウリーが自分をそんなに高く買っているとは思えない彼女は訝しげな顔をする。
「私が女だからドッグには居させられないってことですか」
突然ナマエの声の硬度が増して、アイスバーグはぎょっとした。ガレーラの広大なドッグに見合った巨大倉庫の管理ともなれば、本人がドッグに顔を出すことは少ない。それぞれのドッグに資材を分配し、収支に気を配ることが仕事になるからだ。たしかにドッグに比べれば危険は少ないし力仕事でもないが、それだけが理由であれば、アイスバーグはパウリーの推薦を却下していただろう。
「ンマー、あいつから何も聞いてねえのか」
最初に本人に話通しとけよ、とアイスバーグはため息をついて煙草に火をつけた。
「説明できるな、副社長」
ばっ、と彼女が後ろを振り向くと、秘書に書類を渡して退散しようとしたところを見つかったパウリーがふてくされたような、気まずいような顔をしていた。
「パウリーさん!」
しぶしぶ近づいてきたパウリーに、彼女は噛みつく。ホールドアップの姿勢をとった彼は、自分が説明しないとこの場を逃れられないことを悟り無精無精口を開いた。
「……お前が女だってわかる前から倉庫管理に就かせようとはしてた。でかい仕事がきりのいいタイミングになるまで待ってたら今になった。そんだけだ」
正面切ってパウリーを疑うことはしない代わりに、自分の方を見たナマエにアイスバーグは今の説明が本当であることを肯定する。自分の言葉が半信半疑で受け止められたことに、パウリーは腹が立った。
「その記憶力でうまいことやってるから推薦したんだよ! 今だって在庫管理の真似事やってるだろ」
各倉庫の管理役が彼女から進言されて助かったという話をパウリーは前々からよく聞いている。さすが副社長のお気に入りだけある、とも。
「よく見てくださってるんですね」
「お前おれを何だと……」
パウリーの抗議は、彼女に固く手を握られて中断された。
「ありがとうございます! 自分、頑張ります」
自分よりも小さな手は力仕事で荒れてはいたが、それでも柔らかかった。パウリーは声も出せずに口をぱくぱくと意味なく開閉させたあと、やっと「当たり前だ」とだけ返答した。
倉庫管理の任に彼女が就いてから何か月か経った。彼女は発注書の束を右手に抱えて、ついでに冷めてしまったコーヒーを淹れなおそうと左手にマグカップを持ってガレーラの廊下を歩いていた。正面玄関口近くに差し掛かったところで、向こうからばたばたと駆けてくる者がいた。
「お疲れ様です、副社長」
パウリーは彼女の挨拶におう、とだけ返してカサカサと彼女の後ろに隠れた。
「パウリー?」
猫なで声で彼に声をかけたのは、彼女には見覚えのない女性だった。件の一件後、副社長となったパウリーは借金取りだけでなく街の女性にも追いかけられている。熱烈なファンの中にはこうして勝手に入ってくる者も稀にいるのだ。まぁドッグに入ってこない分にはそんなに危険もなかろうと適当にあしらわれている。しかし今回はタイミングが悪かった。自分よりも一回りも二回りも小さい相手の影で身を縮めるパウリーを女は覗き込む。
「こんにちは、坊や」
「こんにちは、副社長に何の用でしょうか」
ナマエの声を聞いて「あら、」と女は目を丸くした。
「坊やだと思ったら、お嬢さんだったのね」
一瞬で侮るような目をした女は、にわかに自分以外の女性とパウリーが親しくしていることが気に入らない。
「ガレーラカンパニーってずいぶん若いお嬢さんが働いているのね」
「社長秘書はもっと若いですよ」
無自覚なのか、煽っているのか分からない淡々とした受け答えに女の苛立ちは増す。ぎっ、と睨まれたパウリーは無力なカエルのように体を固くした。
「へぇ? あなたもだけど、社長も副社長も若い女の子が好きなのか――」
女は言い切ることができなかった。なぜなら彼女が左手に持ったマグカップから、冷めたコーヒーを的確にぶちまけたからである。パウリーはロープを取り出そうとしたが間に合わなかった。
「何なの!?」
前身ごろにまともにコーヒーをかぶった女は、憤慨しながら出て行った。ナマエは何ごともなかったかのようにマグカップを持ち直す。
「発注書出したら、床は拭きます」
普段から金払いを踏み倒そうとする海賊なんかを返り討ちにするガレーラの職工たちはとにかく舐められたと判断してから手が出るまでが早い。彼女も漏れなくガレーラの人間であることをパウリーは改めて実感した。
「お前、何もあんな……」
「自分だけならともかく、あんだけ丸ごと馬鹿にされたらしょうがないでしょ」
一切悪びれない彼女の髪を、パウリーはぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「何か久しぶりですね」
ぐしゃぐしゃに乱された髪の毛は、ドッグにいたときよりもいささか伸びている。彼女が嬉しそうな顔をしている理由を、パウリーは考えないようにしている。
海列車2号の完成を祝して、ウォーターセブン全体が湧いていた。ガレーラはもちろん上から下まで無礼講の大宴会がドッグで開催されていた。若い職工たちの中には、普段関わり合いのない事務方の女性との出会いに血眼になっている者もいる。倉庫管理のナマエもまた、普段関わり合いの少ないドッグの若い工員に声をかけられていた。彼女と似たような時期に入った使い走り――もうそれ以外の立場に就いている者も多いが――は今更声をかけない。ただの仕事ができる同期としか見ていないし、かつ彼女がパウリーに目をかけられているからいろいろと面倒なのだ。パウリーの近くで飲んでいたピープリーは、彼が貧乏ゆすりをしながら一点を見つめて酒を舐めているのを見て、さりげなく距離を置いた。視線の先にいる本人……ナマエは、ジンジャーエールを飲んでピザをかじりながら隣に座っている青年が話しかけてくるのを聞き流していた。頭の中では完成した海列車2号の内装を再現して暇をつぶしている。
「――だから、オレは将来一番ドッグを任されるような職長になる!」
威勢のいい啖呵と共に、彼女の肩を抱こうと男は手を伸ばし――その手をがしりと後ろから腕を掴まれた。
「ずいぶん威勢がいいじゃねえか」
にやり、と凶悪な顔で笑った副社長の目が座っているのを見て、青年は本能的に危険を察知する。
「酒の席で女を口説くときに大口叩く前に、早く一丁前に仕事できるようになりやがれ」
容赦なく落ちたゲンコツに、すごすごと青年は退散する。代わりに彼女の隣にどかりとパウリーは座り込んだ。
「ンマ―、あいつしれっとグラス持ってってるぞ」
「単純な癖に素直じゃないからな、普段は」
遠巻きに見ている分には楽しいアイスバーグやタイルストンはひそひそと野次を飛ばす。それが聞こえているナマエは、パウリーのグラスをさりげなく自分のジンジャーエールと交換した。バレたらまたハレンチだと叫ばれるところであるが、酔いの回ったパウリーは気が付かずにジンジャーエールを飲み干した。
「厳しいですね、副社長」
「まったく、祝いの席でハレンチなことしやがって」
隣に座り込んで、ナマエが口を付けたグラスからジンジャーエールを飲み干しているパウリーはさっきの青年よりもよほど「ハレンチ」なのだが面倒なので彼女は指摘しない。
「ハレンチなことしてる奴がいたから、来たんですか?」
あっちでも言い寄られている子がいますよ、と彼女は適当に指をさすが、パウリーは彼女に声をかけようとしていた若者たち(数少ない女性社員に対し、男の割合が多すぎるのだ)を牽制しているためそれを無視する。大体は君子危うきに近寄らずといわんばかりに散り散りになっていくが、それでも諦めの悪い、または恐れ知らずの何人かはまだ残っている。
「別に心配していただくほどのことはないんですけどね。社長のとことか行ってきたらどうです? 積もる話もあるでしょうに」
今度はポテトをつまみながら彼女はパウリーへ話しかけた。出来心で口元にポテトフライを持っていく。ハレンチだと怒鳴るかと思っていた彼女の予想を裏切り、パウリーはポテトをひったくって丸飲みする。
「おれが居たい所に居るだけだ」
悪ィか、とふんぞりかえったパウリーの横で、すり替えたグラスから彼女は酒を舐める。溶けた氷で薄まっているのに、まだ甘ったるい香料の風味がした。
「素面で言ってたらかっこいいんですけどねえ」
その言葉が聞こえたのか聞こえてないのか彼女には分からなかったが、パウリーはフンと鼻を鳴らした。
休日、昼寝から起き上がったナマエは窓を開けて辺りを見回した。これまでの経験上、そろそろだと思ったからだ。その予想通り、またファンか借金取りに追われているのか後ろを気にしながらパウリーがやってきた。彼女は大きく窓を開け放ち、彼が入ってこれるようにする。
「今日はどっちに追われてるんですか」
「うるせェ」
海列車完成の打ち上げから一か月ほど経ったが、その間毎週のようにパウリーはナマエの家に転がり込んでいた。今までと比べたら異常な頻度であることは彼女も承知しているが、やはり大仕事を完遂させたとあってはさらに引く手も数多になるのだろうと了解していた。
「水飲みます?」
さっきまでくるまっていたブランケットを畳みながら、窓際に立ちっぱなしのパウリーに彼女は声をかけた。いや、とパウリーはもごもご答える。
「どうしたんですか」
悪いものでも食べました? と訊こうとした彼女の鼻先に、パウリーは後ろ手に持っていたものを突き付けた。
「やる」
「え、ありがとうございます」
ぶっきらぼうに差し出された一輪の花を困惑しながらも彼女は受け取った。ちゃんと店で買ってきたらしくセロハンに包まれたその花は、パウリーの胸に挿してあるのと同じ、白い八重の花だった。買ってきてから時間が経っているのか少し萎れかけている。彼女は慌ててその辺りに転がっていたジンジャーエールの空きビンをすすぎ、手際よく花を活けた。それをテーブルに置いてから、ナマエはパウリーに向き直る。
「どうしたんですか急に、花なんて」
ここがドッグで、話している内容が仕事のそれであればパウリーは容赦なくゲンコツを落としていただろうがここは彼女の家で、話している内容は仕事に関係ないものであった。そのため、パウリーは照れ隠しに怒鳴るしかできない。
「お前が素面で出直せって言ったんだろうが」
「出直せとまでは言ってませんけど」
「似たようなもんだろ!」
「もしかして毎週来てたのってそういうことなんですか」
掴みかかろうとしてたパウリーは、図星をさされて沈黙した。だがいったん落ち着いたことで彼女の顔が赤いのにパウリーは気が付く。ここは男から言うべきだ、と深く息を吸って、肯定を返した。
そんなパウリーの鼻先に、ナマエは鍵をぶら下げた。
「じゃあ次はちゃんと玄関から入ってきてくださいね」
先手を取って憎まれ口を叩かれたことで、パウリーの余裕は霧散する。
「女からそんな、ハレンチだろうが」
「誰も見てないところで、恋人同士なのにハレンチで何をいけないことがあるんです?」
呆れた顔の彼女は、さらにパウリーに詰め寄る。言い返すことのできないパウリーは、腕を伸ばして鍵をぶら下げたままのナマエを意を決して抱きしめた。何かと撫でまわしていた頭がもっと近くにあることが、パウリーを緊張させる。この生意気な部下にして恋人になった生き物をどうするべきか彼は決めあぐねていた。
ガレーラの倉庫に。周囲の金属音に負けないくらいの大声が響く。見習いの少年たちがちょろちょろと積み上げられた工具や資材の合間を縫って、指示通りのものを指示通りのドッグへ届けに駆ける。
副社長になってもなお、何かと現場に立っているパウリーは今日も一番ドッグで指示出しをしていた。言い寄ってくる女どもを避けるためであるという噂もまことしやかに囁かれているが、今進めているのは海列車2号機の製造である。かような大仕事にそれだけの実力者が関わってくれるのは現場の職工たちにはありがたいことであった。
「ナット持ってきました!」
周囲の音に負けないくらいの声を張って、台車を押してきた使い走りの声を聞いてパウリーはその眉間のシワをわずかに緩めた。その使い走りの少年……ナマエはガレーラに来て3年目だが、記憶力がよく気も回るためパウリーは目をかけていた。台車から工具や資材を下ろし終わった彼の頭をぐしゃぐしゃとパウリーはかき回しながら追加で持ってきて欲しい資材を伝える。犬にするようなちょっかいだったが、ナマエは甘んじて受け入れていれていた。記憶力がいい彼は、一度言われたものを完璧に持ってくることができるし、最近は在庫数に応じて発注の進言もできるようになっている。近いうち倉庫管理の仕事に就かせるか、とパウリーは考えていた。一通り必要なものを伝えたあと、またナマエを倉庫へ送り出す。駆け出した少年と自分の上で何か軋むような音がしたことにパウリーは気がついた。
「危ねえ!」
有事のときにとっさに体が動くのはこういう職業の適正であった。パウリーは少年を抱えて立っていた場所から飛び退いた。間髪入れず落ちてきた鉄骨が台車を押しつぶす。
「すいませんロープが切れちまって!」
「バカヤロウ気をつけろ!」
ナマエを片手で抱きかかえたまま、パウリーは平謝りする職工へ一喝する。大丈夫か、と小脇にかかえた少年へ聞こうとして、作業服に包まれたその体が思ったよりも柔らかいことに気がついた。
「パウリーさん、ありがとうございます……」
お前もトロトロするな!とでも言われるだろうと思っていた少年は、恐る恐る何も言わないパウリーへ声をかける。その声がいつまで経っても高いままである理由をパウリーは信じたくなかった。しかし生まれた疑念をそのままにしておくわけにもいかない。
「ちょっと来い!」
彼は有無を言わさず少年をドッグの裏手に連行する。一服していた他の職人を追い散らし、周りに誰もいなくなったことを確認したパウリーはたいそう不本意だというように口を開いた。
「お前……なんで女だって言わなかった」
「他の人達もわざわざ男ですって言わないでしょ」
ゴッ!といつものように拳骨を落としてから、目の前の使い走りの――先程発覚した――性別をパウリーは思い出した。文句を言いながらも、頭も口も回るクソガキらしい顔でナマエは笑う。
「ちなみにアイスバーグさんには最初から話を通してます。性別によって扱いは分けなくていいと自分から言いました」
「じゃあ今まで気が付かなかったおれがバカみたいじゃねぇか」
「まぁ大体の人は気が付いてないと思いますし……そんなことよりも副社長。……今更女だからってクビにしたりしませんよね」
こいつにとっての関心事はそれしかねぇのか、とすがるような目をした少年――少女を見下ろしてパウリーは呆れた。
「アイスバーグさんがいいって言ってんならおれからクビ切るようなことはしねぇよ」
「本当っすか!?」
性別が女だろうがその能力に変わりはなく、また目をかけていたのは事実である。よかったと胸を撫で下ろす彼女にパウリーは目を細めたが、それもナマエが恐ろしいことを言い出すまでだった。
「もし女だからってだけでクビにされてたら、前に借金取りから逃げてきたパウリーさんがうちに転がり込んできたことをアイスバーグさんにチクるつもりでした」
嫌がらせです、と笑う顔がパウリーには悪魔に見えた。たしかにナマエの家は地理的にちょうどいい場所に存在するため何度か一時的に身を潜めていた。性別が分かったことで、自分の行為のハレンチさとそれでも女だと気が付かなかった己の観察眼のなさにパウリーの背中にはじっとりと嫌な汗が浮いた。責任問題、という四文字がパウリーに伸し掛かっていることに気づかないナマエは話が終わったと判断して「失礼します!」と頭を下げると元気にドッグへ駆けていった。こんなやりとりをした後でも潰れた台車を回収して、言われたものをきっちりまた届けに来るだろう。その可愛くなさをパウリーは気に入っていたはずだった。その意味が変質しないようパウリーは大きくため息をついた。
たくさんの工員が働いているガレーラの昼は騒がしい。食堂に向かう者、家族に作ってもらった弁当を自慢する者、売り歩かれているサンドイッチを購入する者。この中だとサンドイッチが一番安価で腹に溜まる。副社長になったくせにまたギャンブルで金欠気味のパウリーは作業服に混じってサンドイッチを購入し適当な場所に座り込んで包みを開けた。ぱさぱさのパンを咀嚼しながら周囲を見回すと、目をかけている使い走りの少女――最近少女だということをパウリ―は知った――が目に入った。同じような立場の少年たちに囲まれて笑いながら大口を開けて、パウリーの食べているものよりいくらか高価なサンドイッチを頬張っている。こうして見ると、たしかに他の奴らと比べてちびっこいというか一回りも二周りも華奢だ。いつぞやの飲み会で「いつまで経っても背が伸びねえな」とかいぐりしたことをパウリーは思い出してパンの欠片を喉に詰まらせた。げほげほと咳き込んだことがナマエたちにバレはしないかと慌てて視線をやるが、彼らは彼ら同士の馬鹿話で盛り上がっているようだった。誰のせいでこんなに動揺しているんだ、とパウリーは逆恨みのような感情を抱く。立ち上がってパン屑を払ったパウリーは、おもむろに使い走り達が寄り集まっている場所へ近寄る。気が付いた少年たちが次々に居住まいを正して、お疲れ様です副社長! と挨拶をした。もちろんナマエも、サンドイッチ片手にパウリーに挨拶をする。
「またギャンブルでスッたんですかあ?」
生意気な野次が飛んだので、パウリーは「いつもそうみたいに言うんじゃねェ」と言い返す。
「一か月と十二日ぶりですね」
彼女の言葉に、周りがさすが! と湧く。パウリーはうるせぇ、と怒鳴ってナマエが持っているサンドイッチを一口齧り取った。
「あぁー!」
お昼……とナマエは哀れっぽい声を出した。前からこのような戯れは(彼女とに限らず)やっていたことであったが、具材の多いサンドイッチを飲み込んだ後でパウリーはナマエの性別に思い当たる。熱くなる耳に気が付かないふりをしながら「ざまぁみろ!」とパウリーは叫んで足早に立ち去って行った。
「ンマー、どうしたんだアイツは」
その顛末を少し離れたところから見て首を傾げたのはアイスバーグである。アイスバーグの隣で、まだ十代も前半の秘書が「好きな子をいじめたくなるのは、大人になっても変わらないんですね」とパウリーに対して呆れた顔をした。
大規模商船の修理という山を越えたパウリーは、その高揚感のまま賭場に行き、そして一文無しどころか新しい負債を背負った。その上、すっかり忘れていた以前の借金の残りのことで、激務明けだというのに借金取りに追われていた。入り組んだ路地を通り抜け、追っ手を撒こうとしたパウリーは、アパルトメントの窓がひとつ開いて、知った顔がのぞいているのを見つけた。
「匿いましょうか?」
借金取りに追われているというのを自明のこととして申し出てくるナマエもまた、激務明けで少し疲れた顔をしていた。女が自宅に男を誘うにはどう考えても「ハレンチ」だと彼は考える。ただ彼女が女だと気が付く前に何度も転がり込んだのはパウリーであった。
どこ行きやがったあの野郎! という怒声が聞こえてくる。また、立ち止まったことで疲労が彼を襲う。部下の性別が思っていたのと違ったからって何なんだ、とパウリーはいつもとは正反対の理屈をつけて、窓から彼女の家に邪魔することにした。ナマエの部屋は前に来たときと変わらず殺風景だった。
「自分は今から寝るんで、好きに過ごしててください。寝るならそこのソファで」
ボトルから注いだ水を飲んで、ナマエはパウリーに言った。とはいえ彼女の家はこのワンルームしかない。
「男を家にあげておいてお前……」
「上がり込んでおいて言います? しかも今更」
心底呆れましたという顔をする彼女は、安かったのだろう男物の大きなTシャツを適当に着ていた。それにより体のラインは完全に隠れているが、それでもいつもの作業着よりは薄着である。できる限り家主を目に入れないように、パウリーは窓の外を伺うふりをした。そんな彼の動揺に構わず、ナマエは大きく伸びをした。
「じゃあパウリーさん、おやすみなさい」
「はァ!?」
さっさと薄いタオルケットにくるまった彼女は、床に転がって寝息を立て始める。あの商船の修繕では彼女も駆け回っていたからやはり疲れていたのだろう。それならば床で寝るのはよくないだろうに。気を遣いやがって、とパウリーは舌打ちをした。
「おい」
呼びかけても反応は返ってこない。彼は頭をがしがしと掻く。せめてソファに移動させてやろうかとしゃがみ込んだが、身じろぎをした彼女のTシャツがずれて、細い肩が露わになったのをまともに見てしまった。ドッグの中にいるときは、多少の力みがあるとはいえ今までと同じように気やすいやりとりができていた。しかし今は彼女の家で、無防備な彼女と二人きりである。動きやすいように短く切られた髪が、窓から入ってきた風に揺れている。散々撫でてきたそれに、今触れることは簡単だが、それをしてしまうと何か一線を踏み越えてしまう気がして、パウリーは何もせず立ち上がった。見下ろすと余計に小さく見えて彼は慌てる。彼がもっと若いときに喧嘩のはずみで踏み荒らしてしまった花のことをパウリーは思い出した。なんだか色々なことでの気疲れを改めて感じて、彼は家主の言葉に甘えて少し眠ることにした。ただし家主を差し置いてソファで寝るのは気が引けたので、テーブルを挟んだ反対側にごろりと横になって、大きなあくびをする。眠気がやってくるのはすぐだった。
「社長!」
昇格の辞令を出した相手に詰められたアイスバーグは、ナマエをひとまず落ち着かせるのに難儀した。彼女が握りしめて皺くちゃになった紙には、5番倉庫の管理を命じる旨が記載されている。
「副社長直々の推薦なんだけどなァ」
「パウリーさんが……?」
いぶかしげなナマエの脳裏に浮かんでいるのは「まだまだひよっこだろうが!」とどついてくるパウリーの姿だけだった。自分なりに頑張っているつもりだし、やれることは増えてきてはいるが、パウリーが自分をそんなに高く買っているとは思えない彼女は訝しげな顔をする。
「私が女だからドッグには居させられないってことですか」
突然ナマエの声の硬度が増して、アイスバーグはぎょっとした。ガレーラの広大なドッグに見合った巨大倉庫の管理ともなれば、本人がドッグに顔を出すことは少ない。それぞれのドッグに資材を分配し、収支に気を配ることが仕事になるからだ。たしかにドッグに比べれば危険は少ないし力仕事でもないが、それだけが理由であれば、アイスバーグはパウリーの推薦を却下していただろう。
「ンマー、あいつから何も聞いてねえのか」
最初に本人に話通しとけよ、とアイスバーグはため息をついて煙草に火をつけた。
「説明できるな、副社長」
ばっ、と彼女が後ろを振り向くと、秘書に書類を渡して退散しようとしたところを見つかったパウリーがふてくされたような、気まずいような顔をしていた。
「パウリーさん!」
しぶしぶ近づいてきたパウリーに、彼女は噛みつく。ホールドアップの姿勢をとった彼は、自分が説明しないとこの場を逃れられないことを悟り無精無精口を開いた。
「……お前が女だってわかる前から倉庫管理に就かせようとはしてた。でかい仕事がきりのいいタイミングになるまで待ってたら今になった。そんだけだ」
正面切ってパウリーを疑うことはしない代わりに、自分の方を見たナマエにアイスバーグは今の説明が本当であることを肯定する。自分の言葉が半信半疑で受け止められたことに、パウリーは腹が立った。
「その記憶力でうまいことやってるから推薦したんだよ! 今だって在庫管理の真似事やってるだろ」
各倉庫の管理役が彼女から進言されて助かったという話をパウリーは前々からよく聞いている。さすが副社長のお気に入りだけある、とも。
「よく見てくださってるんですね」
「お前おれを何だと……」
パウリーの抗議は、彼女に固く手を握られて中断された。
「ありがとうございます! 自分、頑張ります」
自分よりも小さな手は力仕事で荒れてはいたが、それでも柔らかかった。パウリーは声も出せずに口をぱくぱくと意味なく開閉させたあと、やっと「当たり前だ」とだけ返答した。
倉庫管理の任に彼女が就いてから何か月か経った。彼女は発注書の束を右手に抱えて、ついでに冷めてしまったコーヒーを淹れなおそうと左手にマグカップを持ってガレーラの廊下を歩いていた。正面玄関口近くに差し掛かったところで、向こうからばたばたと駆けてくる者がいた。
「お疲れ様です、副社長」
パウリーは彼女の挨拶におう、とだけ返してカサカサと彼女の後ろに隠れた。
「パウリー?」
猫なで声で彼に声をかけたのは、彼女には見覚えのない女性だった。件の一件後、副社長となったパウリーは借金取りだけでなく街の女性にも追いかけられている。熱烈なファンの中にはこうして勝手に入ってくる者も稀にいるのだ。まぁドッグに入ってこない分にはそんなに危険もなかろうと適当にあしらわれている。しかし今回はタイミングが悪かった。自分よりも一回りも二回りも小さい相手の影で身を縮めるパウリーを女は覗き込む。
「こんにちは、坊や」
「こんにちは、副社長に何の用でしょうか」
ナマエの声を聞いて「あら、」と女は目を丸くした。
「坊やだと思ったら、お嬢さんだったのね」
一瞬で侮るような目をした女は、にわかに自分以外の女性とパウリーが親しくしていることが気に入らない。
「ガレーラカンパニーってずいぶん若いお嬢さんが働いているのね」
「社長秘書はもっと若いですよ」
無自覚なのか、煽っているのか分からない淡々とした受け答えに女の苛立ちは増す。ぎっ、と睨まれたパウリーは無力なカエルのように体を固くした。
「へぇ? あなたもだけど、社長も副社長も若い女の子が好きなのか――」
女は言い切ることができなかった。なぜなら彼女が左手に持ったマグカップから、冷めたコーヒーを的確にぶちまけたからである。パウリーはロープを取り出そうとしたが間に合わなかった。
「何なの!?」
前身ごろにまともにコーヒーをかぶった女は、憤慨しながら出て行った。ナマエは何ごともなかったかのようにマグカップを持ち直す。
「発注書出したら、床は拭きます」
普段から金払いを踏み倒そうとする海賊なんかを返り討ちにするガレーラの職工たちはとにかく舐められたと判断してから手が出るまでが早い。彼女も漏れなくガレーラの人間であることをパウリーは改めて実感した。
「お前、何もあんな……」
「自分だけならともかく、あんだけ丸ごと馬鹿にされたらしょうがないでしょ」
一切悪びれない彼女の髪を、パウリーはぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「何か久しぶりですね」
ぐしゃぐしゃに乱された髪の毛は、ドッグにいたときよりもいささか伸びている。彼女が嬉しそうな顔をしている理由を、パウリーは考えないようにしている。
海列車2号の完成を祝して、ウォーターセブン全体が湧いていた。ガレーラはもちろん上から下まで無礼講の大宴会がドッグで開催されていた。若い職工たちの中には、普段関わり合いのない事務方の女性との出会いに血眼になっている者もいる。倉庫管理のナマエもまた、普段関わり合いの少ないドッグの若い工員に声をかけられていた。彼女と似たような時期に入った使い走り――もうそれ以外の立場に就いている者も多いが――は今更声をかけない。ただの仕事ができる同期としか見ていないし、かつ彼女がパウリーに目をかけられているからいろいろと面倒なのだ。パウリーの近くで飲んでいたピープリーは、彼が貧乏ゆすりをしながら一点を見つめて酒を舐めているのを見て、さりげなく距離を置いた。視線の先にいる本人……ナマエは、ジンジャーエールを飲んでピザをかじりながら隣に座っている青年が話しかけてくるのを聞き流していた。頭の中では完成した海列車2号の内装を再現して暇をつぶしている。
「――だから、オレは将来一番ドッグを任されるような職長になる!」
威勢のいい啖呵と共に、彼女の肩を抱こうと男は手を伸ばし――その手をがしりと後ろから腕を掴まれた。
「ずいぶん威勢がいいじゃねえか」
にやり、と凶悪な顔で笑った副社長の目が座っているのを見て、青年は本能的に危険を察知する。
「酒の席で女を口説くときに大口叩く前に、早く一丁前に仕事できるようになりやがれ」
容赦なく落ちたゲンコツに、すごすごと青年は退散する。代わりに彼女の隣にどかりとパウリーは座り込んだ。
「ンマ―、あいつしれっとグラス持ってってるぞ」
「単純な癖に素直じゃないからな、普段は」
遠巻きに見ている分には楽しいアイスバーグやタイルストンはひそひそと野次を飛ばす。それが聞こえているナマエは、パウリーのグラスをさりげなく自分のジンジャーエールと交換した。バレたらまたハレンチだと叫ばれるところであるが、酔いの回ったパウリーは気が付かずにジンジャーエールを飲み干した。
「厳しいですね、副社長」
「まったく、祝いの席でハレンチなことしやがって」
隣に座り込んで、ナマエが口を付けたグラスからジンジャーエールを飲み干しているパウリーはさっきの青年よりもよほど「ハレンチ」なのだが面倒なので彼女は指摘しない。
「ハレンチなことしてる奴がいたから、来たんですか?」
あっちでも言い寄られている子がいますよ、と彼女は適当に指をさすが、パウリーは彼女に声をかけようとしていた若者たち(数少ない女性社員に対し、男の割合が多すぎるのだ)を牽制しているためそれを無視する。大体は君子危うきに近寄らずといわんばかりに散り散りになっていくが、それでも諦めの悪い、または恐れ知らずの何人かはまだ残っている。
「別に心配していただくほどのことはないんですけどね。社長のとことか行ってきたらどうです? 積もる話もあるでしょうに」
今度はポテトをつまみながら彼女はパウリーへ話しかけた。出来心で口元にポテトフライを持っていく。ハレンチだと怒鳴るかと思っていた彼女の予想を裏切り、パウリーはポテトをひったくって丸飲みする。
「おれが居たい所に居るだけだ」
悪ィか、とふんぞりかえったパウリーの横で、すり替えたグラスから彼女は酒を舐める。溶けた氷で薄まっているのに、まだ甘ったるい香料の風味がした。
「素面で言ってたらかっこいいんですけどねえ」
その言葉が聞こえたのか聞こえてないのか彼女には分からなかったが、パウリーはフンと鼻を鳴らした。
休日、昼寝から起き上がったナマエは窓を開けて辺りを見回した。これまでの経験上、そろそろだと思ったからだ。その予想通り、またファンか借金取りに追われているのか後ろを気にしながらパウリーがやってきた。彼女は大きく窓を開け放ち、彼が入ってこれるようにする。
「今日はどっちに追われてるんですか」
「うるせェ」
海列車完成の打ち上げから一か月ほど経ったが、その間毎週のようにパウリーはナマエの家に転がり込んでいた。今までと比べたら異常な頻度であることは彼女も承知しているが、やはり大仕事を完遂させたとあってはさらに引く手も数多になるのだろうと了解していた。
「水飲みます?」
さっきまでくるまっていたブランケットを畳みながら、窓際に立ちっぱなしのパウリーに彼女は声をかけた。いや、とパウリーはもごもご答える。
「どうしたんですか」
悪いものでも食べました? と訊こうとした彼女の鼻先に、パウリーは後ろ手に持っていたものを突き付けた。
「やる」
「え、ありがとうございます」
ぶっきらぼうに差し出された一輪の花を困惑しながらも彼女は受け取った。ちゃんと店で買ってきたらしくセロハンに包まれたその花は、パウリーの胸に挿してあるのと同じ、白い八重の花だった。買ってきてから時間が経っているのか少し萎れかけている。彼女は慌ててその辺りに転がっていたジンジャーエールの空きビンをすすぎ、手際よく花を活けた。それをテーブルに置いてから、ナマエはパウリーに向き直る。
「どうしたんですか急に、花なんて」
ここがドッグで、話している内容が仕事のそれであればパウリーは容赦なくゲンコツを落としていただろうがここは彼女の家で、話している内容は仕事に関係ないものであった。そのため、パウリーは照れ隠しに怒鳴るしかできない。
「お前が素面で出直せって言ったんだろうが」
「出直せとまでは言ってませんけど」
「似たようなもんだろ!」
「もしかして毎週来てたのってそういうことなんですか」
掴みかかろうとしてたパウリーは、図星をさされて沈黙した。だがいったん落ち着いたことで彼女の顔が赤いのにパウリーは気が付く。ここは男から言うべきだ、と深く息を吸って、肯定を返した。
そんなパウリーの鼻先に、ナマエは鍵をぶら下げた。
「じゃあ次はちゃんと玄関から入ってきてくださいね」
先手を取って憎まれ口を叩かれたことで、パウリーの余裕は霧散する。
「女からそんな、ハレンチだろうが」
「誰も見てないところで、恋人同士なのにハレンチで何をいけないことがあるんです?」
呆れた顔の彼女は、さらにパウリーに詰め寄る。言い返すことのできないパウリーは、腕を伸ばして鍵をぶら下げたままのナマエを意を決して抱きしめた。何かと撫でまわしていた頭がもっと近くにあることが、パウリーを緊張させる。この生意気な部下にして恋人になった生き物をどうするべきか彼は決めあぐねていた。
