漫画(ジャンプ系)
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「おれのお母さん?」
まだナマエが声変わりする前の高い声だ。幼い頃の彼はうーん、と手持ち無沙汰に楽譜をめくる。
「どんな人だった?」
幼い自分が、ナマエにそう質問している。高く結んだ髪が、動きに合わせて揺れていた。自分の抱えている楽譜は、童謡だった。母を慕う子の歌詞だったが、ウタにはそれがぴんと来なかった。彼女には母親や、それに近い相手がいたことがないからだ。
「ギターが上手だったなあ。それでよく一緒に歌ったりとか、したな」
「だからゴードンにギターを習ってるの?」
「そういうわけじゃないけど……いや、そうなのかなあ」
自分よりいくつか年上のナマエの、要領を得ない言い回しをウタは理解できなかった。それは成長した今でも、かもしれない。「なにそれ、分かんないよ」と言いかけたところでウタは目を覚ました。眠れないと思っていたが、何日も続くとこうしてたまに意識が途切れることがある。しかし悪夢に襲われるだけだ。ウタは下ろした髪を無意識に引っ張った。本当のことを知っていたら、そんな質問なんて口が裂けてもしなかっただろう。痛む腹に手を当てたが、痛みがマシになるわけもなかった。また、マシになっていいとも思えなかった。
ナマエは、ゴードンの他に生き残ったエレジアの住人だった。潰れた家の、瓦礫の隙間に挟まって奇跡的に助かったらしい。親兄弟、友人までも喪ったはずだが、それでも「父親」である赤髪海賊団に捨てられた年下の少女の前ではずいぶんと兄であろうとしてくれた。塞ぎ込んでいるウタを外に連れ出したり、ゴードンに伴奏をさせてユニゾンをしたり。ナマエがいたことは、ウタにとって幸いだった。ナマエにとってもそうだったのかもしれない。そうゴードンが呟いていたのをウタは知っている。けれど、それもずいぶん前の話だ。ウタが真実を知るよりずっと前の。真実を知った日から、ウタにとってナマエは喪失の傷でつながる仲間ではなくなった。自分は、彼の家も家族も友人もすべて奪った存在であった。ナマエが生き延びてしまったがゆえに、と思いかけてその身勝手さにウタは嘔吐した。ほとんど食べていなかったから、便器を叩くのは胃液のみだった。喉を焼く消化液の苦さだけでは、罰にはならない。
いつも通り自室で呑気に寝こけていたナマエは、強く揺り起こされて目を覚ました。幼い頃は夜に用を足したいウタに起こされていたものだが、さすがに久しくそんなことはない。薄目を開けて「どうしたの?」とナマエは訊いた。ウタはじっと彼を見下ろしている。
「ねえ、ナマエ」
ウタはおもむろに羽織っていたガウンを脱ぎ捨てた。闇の中で、一糸まとわぬ白い肌が露わになる。ううん、とナマエは寝ぼけた目をしばたたかせる。
「ウタ、どうしたの? 風邪ひいちゃうよ」
テノールというにはやや高い声だ。その声が尖ったのを、ウタは聞いたことがない。それが今の彼女には無性に悲しかった。
「ごめんなさい」
「えっ何が? おれの楽譜にお茶でもこぼした?」
ぽつり、とウタが零した謝罪にナマエは返した。彼にはウタに謝られる覚えがない。心底困惑するその態度に、ウタはますます悲しくなった。彼はウタに害される発想が本当にないのだ。ウタの胸に涙が滑る。もうすっかり大人びた体つきであるが、ナマエはそれに頓着しなかった。ウタはナマエの体をまさぐる。
「風呂にムカデでも出たのか? そのまんまだと風邪引くから服着てきな」
しかし、ナマエはむき出しのウタの背中をぽんぽんと叩いたのみだった。幼子をあやすような手つきから、その体温が伝わってくる。ナマエの男性器が硬さを帯びた様子はなかった。ウタの丸い目から、涙はとめどなく溢れる。さすがのナマエも身を起こして、ウタの背中をさすった。
「ムカデじゃないなら、怖い夢でも見たか?」
子どもにするような対応を受けて、ウタは自分が惨めになった。取返しのつかないことを、彼にしてしまった。それを償えるのなら何でもするつもりだった。たとえば戯曲の女たちのように、その身を差し出して贖えるのなら、それでも。しかしそれはただ自分が自分を傷つけて許された気持ちになりたいだけだった。
「ナマエ」と「ごめんなさい」を繰り返すばかりのウタに、彼は何も言わなかった。それは卑怯なことだ、とウタは思う。真実を話したら、さすがのナマエも自分を憎むだろうか。ウタにはそれが怖かった。顔の見えない誰に心無い言葉を吐かれるよりもずっと自分は傷付くだろう。憎まれて当然だとも思っているのに、自分からそう仕向ける度胸は本当はなかった。
映像電伝虫による配信を始めてしばらく経ったときのことだ。ウタの配信を、映らないところで静かに見守っていたナマエに、ウタはこう提案したのだ。
「ナマエも配信に出てくれればいいのに」
「おれが出ると、ややこしくなるかもしれないからさ」
ウタの言葉に、ナマエはちょっと困ったような顔で笑った。ウタだって、半分は本気じゃなかった。ただ、ナマエも出てくれたら楽しいだろうと単純に考えただけだ。ウタにはナマエの言う「ややこしくなる」理屈が分からなかった。
「せっかくウタが元気になったのに、おれが配信に出て何か言われたりとかしたら、嫌だから」
「何を言われるっていうの?」
うーん、とナマエは頬を掻いた。往々にして、カリスマ性のある人間の近くにいるぱっとしない異性は嫌な耳目を集めがちである。ナマエはそれを経験として知っていたが、ウタにどう説明すればいいのか、分からなかった。ナマエが迷っている間に、ウタはまあいいかと気分を切り替えたようだった。
「ナマエが嫌なら、仕方ないね」
ウタは、ナマエが自分を害さないと心底信じ切っていた。だから、自分もナマエのことは大事にしたいと思っていた。これもまた、ウタが何も知らないときの話だ。
まだナマエが声変わりする前の高い声だ。幼い頃の彼はうーん、と手持ち無沙汰に楽譜をめくる。
「どんな人だった?」
幼い自分が、ナマエにそう質問している。高く結んだ髪が、動きに合わせて揺れていた。自分の抱えている楽譜は、童謡だった。母を慕う子の歌詞だったが、ウタにはそれがぴんと来なかった。彼女には母親や、それに近い相手がいたことがないからだ。
「ギターが上手だったなあ。それでよく一緒に歌ったりとか、したな」
「だからゴードンにギターを習ってるの?」
「そういうわけじゃないけど……いや、そうなのかなあ」
自分よりいくつか年上のナマエの、要領を得ない言い回しをウタは理解できなかった。それは成長した今でも、かもしれない。「なにそれ、分かんないよ」と言いかけたところでウタは目を覚ました。眠れないと思っていたが、何日も続くとこうしてたまに意識が途切れることがある。しかし悪夢に襲われるだけだ。ウタは下ろした髪を無意識に引っ張った。本当のことを知っていたら、そんな質問なんて口が裂けてもしなかっただろう。痛む腹に手を当てたが、痛みがマシになるわけもなかった。また、マシになっていいとも思えなかった。
ナマエは、ゴードンの他に生き残ったエレジアの住人だった。潰れた家の、瓦礫の隙間に挟まって奇跡的に助かったらしい。親兄弟、友人までも喪ったはずだが、それでも「父親」である赤髪海賊団に捨てられた年下の少女の前ではずいぶんと兄であろうとしてくれた。塞ぎ込んでいるウタを外に連れ出したり、ゴードンに伴奏をさせてユニゾンをしたり。ナマエがいたことは、ウタにとって幸いだった。ナマエにとってもそうだったのかもしれない。そうゴードンが呟いていたのをウタは知っている。けれど、それもずいぶん前の話だ。ウタが真実を知るよりずっと前の。真実を知った日から、ウタにとってナマエは喪失の傷でつながる仲間ではなくなった。自分は、彼の家も家族も友人もすべて奪った存在であった。ナマエが生き延びてしまったがゆえに、と思いかけてその身勝手さにウタは嘔吐した。ほとんど食べていなかったから、便器を叩くのは胃液のみだった。喉を焼く消化液の苦さだけでは、罰にはならない。
いつも通り自室で呑気に寝こけていたナマエは、強く揺り起こされて目を覚ました。幼い頃は夜に用を足したいウタに起こされていたものだが、さすがに久しくそんなことはない。薄目を開けて「どうしたの?」とナマエは訊いた。ウタはじっと彼を見下ろしている。
「ねえ、ナマエ」
ウタはおもむろに羽織っていたガウンを脱ぎ捨てた。闇の中で、一糸まとわぬ白い肌が露わになる。ううん、とナマエは寝ぼけた目をしばたたかせる。
「ウタ、どうしたの? 風邪ひいちゃうよ」
テノールというにはやや高い声だ。その声が尖ったのを、ウタは聞いたことがない。それが今の彼女には無性に悲しかった。
「ごめんなさい」
「えっ何が? おれの楽譜にお茶でもこぼした?」
ぽつり、とウタが零した謝罪にナマエは返した。彼にはウタに謝られる覚えがない。心底困惑するその態度に、ウタはますます悲しくなった。彼はウタに害される発想が本当にないのだ。ウタの胸に涙が滑る。もうすっかり大人びた体つきであるが、ナマエはそれに頓着しなかった。ウタはナマエの体をまさぐる。
「風呂にムカデでも出たのか? そのまんまだと風邪引くから服着てきな」
しかし、ナマエはむき出しのウタの背中をぽんぽんと叩いたのみだった。幼子をあやすような手つきから、その体温が伝わってくる。ナマエの男性器が硬さを帯びた様子はなかった。ウタの丸い目から、涙はとめどなく溢れる。さすがのナマエも身を起こして、ウタの背中をさすった。
「ムカデじゃないなら、怖い夢でも見たか?」
子どもにするような対応を受けて、ウタは自分が惨めになった。取返しのつかないことを、彼にしてしまった。それを償えるのなら何でもするつもりだった。たとえば戯曲の女たちのように、その身を差し出して贖えるのなら、それでも。しかしそれはただ自分が自分を傷つけて許された気持ちになりたいだけだった。
「ナマエ」と「ごめんなさい」を繰り返すばかりのウタに、彼は何も言わなかった。それは卑怯なことだ、とウタは思う。真実を話したら、さすがのナマエも自分を憎むだろうか。ウタにはそれが怖かった。顔の見えない誰に心無い言葉を吐かれるよりもずっと自分は傷付くだろう。憎まれて当然だとも思っているのに、自分からそう仕向ける度胸は本当はなかった。
映像電伝虫による配信を始めてしばらく経ったときのことだ。ウタの配信を、映らないところで静かに見守っていたナマエに、ウタはこう提案したのだ。
「ナマエも配信に出てくれればいいのに」
「おれが出ると、ややこしくなるかもしれないからさ」
ウタの言葉に、ナマエはちょっと困ったような顔で笑った。ウタだって、半分は本気じゃなかった。ただ、ナマエも出てくれたら楽しいだろうと単純に考えただけだ。ウタにはナマエの言う「ややこしくなる」理屈が分からなかった。
「せっかくウタが元気になったのに、おれが配信に出て何か言われたりとかしたら、嫌だから」
「何を言われるっていうの?」
うーん、とナマエは頬を掻いた。往々にして、カリスマ性のある人間の近くにいるぱっとしない異性は嫌な耳目を集めがちである。ナマエはそれを経験として知っていたが、ウタにどう説明すればいいのか、分からなかった。ナマエが迷っている間に、ウタはまあいいかと気分を切り替えたようだった。
「ナマエが嫌なら、仕方ないね」
ウタは、ナマエが自分を害さないと心底信じ切っていた。だから、自分もナマエのことは大事にしたいと思っていた。これもまた、ウタが何も知らないときの話だ。
