ゲーム作品

むしろ夜型の九十九にとっては、日付が変わった頃からが活動のピークタイムである。仕事や趣味の情報収集を行うディスプレイのひとつが、メッセージの通知を吐き出した。
「本日事務所に泊めていただくこと、可能でしょうか?」
ビジネスメールみたいな堅さの文章だ。
「構いませんよ」
そう返信して、九十九は急いで席を立った。予備の毛布を引っ張り出して、一応ソファも拭いておこうと思ったからである。

「こんばんは。すいません、たびたび。しかも居酒屋臭くて」
くたびれた様子のナマエが来たのは、慌てて準備をし終えたその十分ほど後だ。本人の言う通り、たしかに本人は吸わないのにタバコやら酒やらの臭いがした。
「いいえ、お気になさらず。こんな遅くまでお疲れ様です」
仕事のお付き合いですか? と九十九は訊いた。
「えぇ。お客さんと。あとまぁその後に上司、女子なんですけど。に捕まって……どうにかタクシーに押し込んできました」
「それはそれは……。お疲れ様です」
九十九の声に同情がこもる。下げていたコンビニの袋から、ミネラルウォーターを取り出したナマエはぐびぐびと半分ほど飲み干す。酒は飲んでいるのだろうが、言動も動作もしっかりしているように九十九には思えた。
彼女が働いている会社は九十九課から少し歩いたところにあるのだが、繁忙期やら客先との飲み会やらで帰りそびれたナマエからごくたまに連絡が来るのだ。実際、学生時代からこの街に住んでいるというナマエから聞ける話は多かった。出会ったのも、ナマエの友人からの依頼だ。その依頼の際に協力してもらって以来、むしろナマエと付き合いが続いていた。
「あ、こちら毛布です」
九十九は椅子から立ち上がり、出して置いた予備の毛布を渡した。渡す段になって、突然毛布が臭くないかが気になりだす。ナマエはそんな九十九の緊張に気が付かず、ありがとうございますと笑った。

九十九課のソファに、ナマエは早々に寝転がる。ソファの横に、きちんと靴が脱ぎ揃えられていた。
「眩しくは、ありませんか」
九十九は心持ちモニタの明るさを落とす。
「大丈夫です。誰かが何かやってたほうが、むしろよく眠れるっていうか」
「お気遣いありがとうございます」
それでも、九十九は打鍵音をいつもより静かに心がける。ソファに寝そべっているナマエからも、モニタに向かっている九十九からも互いの顔は見えない。
「しかし、お仕事の一環なのでしょうが、こんなに遅くまで大変ですなあ。務め人というのは」
「……まあ、仕事相手なんて緊張する飲み会のあとに気楽な相手と話したいのは分かるんです。私もそうですから」
「それは、いい上司部下の関係ですなあ。ヒヒ、見習いたいものです」
コミュニケーション能力に秀でている九十九であるが、さすがにナマエの言葉の真意を読み取ることはできなかった。あるいは、これがプレイしているゲームのストーリーであれば読み取れたのかもしれない。
「まあ上司にそう思われてるのは嬉しいですが、私が話したかったのは九十九さんですよ」
「……はい?」
さすがの九十九も、勢いよく振り向いた。しかし、九十九の位置からナマエは見えなかった。ナマエから追加のリアクションは来なかったし、九十九から掘り下げるタイミングも逃してしまった。
(寝てしまったのでしょうか)
九十九は無理やり自分をそう納得させようとしたが、目の前の作業へ集中できそうになかった。

「おはようございます。昨日余計なことを言いました。忘れてください。これ泊めてくださったお礼です」
寝ぐせを整えるのもそこそこに、ナマエは早口で九十九に頭を下げた。
「い、いえ。そんなお気になさらず。お金も結構ですぞ」
相手の勢いにのけぞりながらも、九十九は差し出された万札を固辞する。
「さすがに酔っていたみたいで……」
九十九のデスクに無理やり紙幣を押し付けたナマエは、自分の眉間をぐりぐりと揉んだ。頭が痛むのは二日酔いのためだけではない。ナマエはアルコールが回ってる間の行いも記憶にある性質であった。起きたときのままの形に乱れた毛布を畳みなおして、ナマエはため息をつく。
「ボクは全然、気にしておりませんぞ」
「いや、私が嫌なんです。シラフならともかく酒の勢いで上がり込んだだけじゃなくてそんなコナかけるようなこと……」
語るに落ちるとはこれか、と九十九は思う。ターゲットの自白を引き出すなら探偵らしいのだが、特に狙ったわけでもなく、仕事でもない。ただ、目の前にいる相手が自分に「コナかけ」たいと思っているらしいことだけが事実のようだった。ナマエの顔がいっきに赤く染まる。
「お邪魔しましたありがとうございます帰ります!」
それでもきっちり畳まれた毛布は、丁寧にソファに置かれていた。
「ま、待ってくだされ!」
階段を駆け下りる音が遠ざかる。九十九は慌てて追いかけた。こういうときに八神や杉浦なら、二階から飛び降りる勢いで追えるのだろう。気持ちだけはその勢いで、九十九も階段を必死に駆け下りた。後ろでくくった髪がばさばさと跳ねている。普段使わない足がいきなりの運動で悲鳴を上げた。しかしそのドタバタとして足音が幸いしたのか、ビルを出る前に追いつくことができた。
「ま……待って…………くだされ……」
息を切らしながらも、どうにか九十九はナマエを引き留める。けれど、酸素が回っていない脳でナマエにかける言葉がうまく見つからない。九十九にしては珍しく、ええいままよと口を開いた。
「ぼ、ボクが好きでもないおなごを事務所に泊まらせるような軽い男に見えますか」
迂遠なのか直接的なのか分かったものではない。でもナマエは後者だと受け取ったようだった。もうすっかり化粧の落ちた目を丸くする。相手が焦っていると、逆に自分は落ち着くものだ。九十九は首筋にを感じながら、言葉を重ねる。
「その……シラフでも酔っていても、気持ちはかわらないでしょう。それに、今ならもうお酒も抜けているでしょうから、」
いえ! と遮るナマエの声が響いた。
「でもちゃんと!お風呂入ってマシな格好して、仕切り直させてくれませんか?」
三時間ください、とナマエは指を三本伸ばした。九十九は別に今の状態でも気にしない、もといナマエの魅力が損なわれているとは思っていなかったが本人がそう言うのであれば、希望には沿いたかった。九十九が了承したのを確認し、ナマエは今度こそ走り去る。彼女も焦っているだろうが、期限が切られたのは九十九とて同じである。あと三時間でナマエを待ちかまえる準備をせねばならない。インターネットの集合知にたよるか、それともややこしくなることを承知で女慣れしてそうな八神などに連絡をとるか。九十九の迷いは尽きなかった。
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