その他

「また催眠術の本読んでんの?」
クラスメイトに声をかけられた斎藤は、図書館で借りていた本から顔を上げた。最近はとやかく言われるのが面倒になり、カバーをかけるようにしているが、今声をかけてきた男子生徒は小学校からの付き合いである。前は彼も面白そうじゃん、と言って一緒に催眠術の子ども向け入門書を読んだりしていたものだ。だが中学に上がる頃から彼は催眠術には興味をなくし、サッカー部の同級生や先輩後輩連中と楽しくやっているようだった。斎藤は眼鏡越しに彼を見つめる。催眠術をマスターすれば、こういったときも相手の意識に残らずいなすことができるのにと思った。冷やかされるのは嫌だが、太古の昔からあるジャンルだけあって、催眠術に関する本は無限に思えるくらい存在している。少しの時間でも無駄にはしたくなかったし、今読んでいるものは今も活躍している有名な催眠術師の発行したものだ。少しでも早く読み進めたいと思うのは自然なことだった。
適当な返事をし、ちらちらと伏せた本に目をやる斎藤を見て、男子生徒は少し呆れた顔をする。
「何、お前催眠術師にでもなるつもりなん? なってどうするん? 何すんの? テレビに出るの?」
あの芸能人みたいに、と彼が挙げた名前はどれもマジシャンの名前だった。催眠術師の知名度なんてそんなもんか、と斎藤はこっそり嘆息した。斎藤がうんざりしていることに気が付かず、彼はあ! と手を叩いた。
「催眠術使えたらさぁ、好きな女子とかと付き合えんじゃん!」
使えるようになったら教えてくれよ、と彼は斎藤の背中を叩いた。力加減を知らないその痛みに顔をしかめながらも、斎藤は驚いていることが顔に出ないように努めた。催眠術師たるもの態度はコントロールすべしと色々な本に書いてあったからだ。
斎藤は、自分に絡むのに飽きて離れていった彼の言葉を思い返す。斎藤にも気になる相手がいない訳ではない。その相手と仲良くなりたいとは思っている。しかしその手段として催眠術があるという発想が斎藤にはなかった。今こうして考えてみても、いまいち腹落ちはしなかった。

この土地での公演も無事に終わり、その事を祝した打ち上げがセブン・リング・サーカスでは催されていた。シャモン斎藤は、仲間に囲まれるのも好きな性質ではあるがふと煙草が吸いたくなり喧噪を離れて喫煙スペースで一人、愛煙している細巻き煙草に火をつけていた。
「シャモンさん!」
ぼんやりと吐いた煙を眺めていたシャモンの意識を引き戻したのは、電飾担当の彼女の声だった。
「団長がとっておきのワイン開けるらしいですよ」
「これ吸ったらすぐ行くよ」
「早くしないと飲まれちゃいますよ」
そう言いながらも、彼女が戻る様子はない。シャモンはさりげなく風下に移動した。しかし彼女も作業着のポケットから煙草を取り出し、さっさと火を付けて吸い始めた。
「吸うのか」
「たまーにですよ」
彼女はシャモンに向かい合うようにしてコンテナに寄りかかった。
「ビーストちゃんとかいるし、元々そんなに吸わないんで」
たしかに彼女の同室のビーストはまだ未成年である。喫煙者率の高い男性陣も、ビーストの前では遠慮するというのが暗黙の了解となっていた。
「今日はどういう風の吹き回しなんだ?」
ふう、と彼女が吐いた煙はシャモンが吸っているそれと違うにおいがした。
「シャモンさんと話したいなと思って」
遠くの方で弾けた笑い声は、すっかり出来上がっているスタイリー井上やプリズムプリズムのものだろう。少しくらい誰かがいなくたって、気が付く団員はほとんどいない。
話す機会なんていくらでもあるだろうが、共同生活の中で二人きりで会話することはあまりない。もし、だからこそ彼女がこのタイミングでわざわざ探しに来たのだったら。シャモンは、エクステを外した髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
リスク――しばらく気まずくなる――を取れば、真意なんて催眠術を使わずとも確かめられる。だが素知らぬ顔をしている彼女の指先や、寄りかかっている足の組み方から真意を探ることは、シャモンにとっては楽しいものだった。
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