吸死

私の書いているシリーズはメディアミックスもされた。手前味噌だがそこそこ人気のものだ。だがシリーズの途中から違う出版社のレーベルに変わっていたり、さらに違う出版社からスピンオフが刊行されていたりする。それもこれも全て出版事情が原因だ。
お世話になった初代編集は、優しい人だった。きっと作品を見る目もあったのだろう。私以外にも何人かの作家を担当していたようだった。だが、戦いには向かない人間だった、らしい。そして編集は戦えなければ作家を守れないのだ。あの出版社はとりわけ小さいところで、社員がほとんど外に出ていて手薄になっていたところを狙われたのだという。そう、ご存じ出版社同士の作家争奪である。出版権が移ってしまったら、駆け出しの作家には為す術がない。書き上げた原稿を受け取りに来たのは、出版社の名前は聞いたことこそあれ、知らない編集者だった。
……もちろんそういうものだとは理解している。それにこの二代目編集者も作家に対しては丁寧な仕事をしてくれる人だった。薄情かもしれないが不安な気持ちはすぐに消え、この人とやっていこうと思ったのだ。実際彼がいなかったらアニメ化までこぎつけるのは不可能だっただろう。回想するたびに、自分の人生このときが一番だったなぁと結論づけてしまうくらいには。しかし、知名度が上がり、人気になったことによる影響はいいものばかりではなかった。そう、再び作家争奪が起こったのである。私があずかり知らぬところでもきっと何度も勃発していたのだろうけれど、私が知っているのはこの大きな一度のみだ。だってそこでとてもお世話になったこの編集者と出版社は負け、私は二度目の出版権移動を経験することになる。
この三代目の編集者とは、正直いってあまりそりが合わなかった。正直いってあまり思い出したくはない。連絡が遅かったり向こうが電話に出ないことが多いのもつらかったが、こちらの書きたいものと向こうの求めているものの不一致が何よりもしんどかった記憶がある。向こうが新入社員だったとはいえ、私も達観できるほど大人ではなかった。それでもどうにか自分の書きたい方向へシリーズを着地させられたのだから、当時の自分を褒めてやりたいくらいだ。それでも彼のごり押しであまり思い入れのないキャラクターのスピンオフなどを書くことになったのだが。
そのスピンオフをだらだら書いているときに、三度目の出版権移動があった。クワバラさんが湖屋のクッキーを持って挨拶に来たのを覚えている(そのときのクッキー缶は今は葉書入れに転用されている)クワバラさんから話を聞いたとき「またか」よりも「これで編集が変わるのか」という安堵の気持ちが強かった。そのあとすぐにオータム書店の缶詰部屋に連れていかれたときは本当にここでやっていけるのか不安になったけれど。しばらくクワバラさんに担当してもらって、それに慣れたあたりで彼が新入社員を連れてきたのだ。それが、サンズさんだった。そのままサンズさんに担当してもらって、今に至る。
……と、ここまで思い返してどうにか後書きに書ける程度に内容を精査する。正直ほとんど出版業界の裏の話なのでおおっぴらには書けないのだ。新シリーズの後書きとして掲載するものだし、あまり重いことは書きたくない。
「原稿、まるごと全部終わるまで缶詰お願いしますって言わなきゃよかったかもなぁ……」
固く閉ざされた金庫のように重い扉を内側から眺めながら私は伸びをする。実際起こった事をまとめるのは苦手な作業なのだ。誰かがいると書けない性質なので、サンズさんには外に出てもらっているから独り言だけがコンクリ打ちの部屋に寒々しく響く。とうとう新しいシリーズが走り出すことになったが、オータム書店で完結まで書ききれるのだろうか。まぁ出版権の移動による出版元の変更は、頻繁ではないがそう珍しいことではない。精々編集者が変わるだけだ。私は変わらない。
「――どうぞ彼らの旅にお付き合いください、っと……」
かたかたとキーを打ち込んでいると、外から爆音が響いた。この扉越しに聞こえるなんて只事ではない。もしかしたら外で何か(火事とか)起こったんじゃないだろうか。私は慌てて文章を締め、ファイルを保存する。ピッ、と電子音が鳴ってロックが解除された音がした。運動不足にはつらい重さの扉に手をかけ、少しだけ開いた隙間から外を覗いた。
「グェーーーーッ!」
「おとといきやがれですよ!」
細い視界からでも、人がふっとばされているのが良く分かった。啖呵を切ったのはサンズさんの声だ。
「あっ先生原稿終わったんですね!」
お疲れ様です今開けます、とサンズさんの声と足音が近づいてくる。程なくして外側から缶詰部屋の扉が開けられた。
「ど、うしたんですかこれ」
あぁ、とサンズさんは頬に飛んだ返り血をぬぐった。手には大きな手裏剣を持っている。
「作家争奪ですよ」
けっ! とサンズさんは塩を撒かんばかりの顔で逃げ去っていく人影を見送った。はぁ、これが……と私は相槌を打つ。ここまで作家争奪によって何社もたらい回しにされてきた私だが、そういえば目の前で起こったのを見るのは初めてだ。正直これまではどこか遠い星で行われていて、その結果が運命のごとく自分の身にふりかかって来ているのだと感じていた。呆然とする私を心配したのか、サンズさんが私に向き合ってどんと胸を張った。
「安心してくださいですよ。先生の作品の出版権はこの担当編集サンズちゃんとオータム書店が守りますから」
自分よりもいくつか年下の彼女がやけに頼もしく見えて、私は鼻の奥がつんとしてくるのを感じた。ありがとうございます、と鼻声で答えたら、怯えたと思ったのかサンズさんが慌てて手裏剣を後ろ手に隠した。背中からはみ出しているのだが。いえあの、と私は鼻をすすってサンズさんの顔を見た。
「今度、作家争奪あったら取材させてもらっていいですか」
担当編集に取材のお願いをするのは初めてだ。それまでは取材旅行でも調査でも出来る限り一人でやっていた。サンズさんは少し逡巡したようだったが、先ほどと同じように不敵に笑って、いいでしょうと答えてくれた。
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