ゲーム作品
真っ白なキャンバスには無限の可能性があり、それは我々学生の未来も同じことらしい。熱く語るハッサク様を、後ろのほうに座った私は白けた目で眺めている。無限の可能性なんて、おとぎ話の中だけだ。分家筋の自分が一族の長になることはないし、ハッサク様のいい年した我侭がいつまでも通るわけはない。少しでも懐柔できれば、という父親の言いなりに美術を選択したが特に描きたいものなんて存在しなかった。言うことを聞いた試しのないモノズが、勝手にボールから出ておいて飽きたというように制服のズボンの裾を食んでいた。
中間試験こそ満点であったが、実技については一本の線も引かずにいたらさすがに呼び出しを食らった。当たり前だ。花や「相棒のポケモン」など無難なモチーフを無難に描いておけばよかったのに、そうしなかったのはハッサク様と話すことができる口実を作るためだろうか。それともささやかな抵抗だろうか。いつもドアを開け放っている美術室だが、さすがに成績、いや態度不良な人間への対応のためにドアは閉められていた。おざなりにノックをすると、あのやけにまっすぐな声で「どうぞ」という返事があった。
いつも誰かしら学生がいる美術室に、自分とハッサク様のみがいるのは不思議な感覚だった。しかもここにたまる生徒は自分よりも年下が多く、他に比べて賑やかなのだ。さんさんと午後の光が入っている中で、ハッサク様は黙って何かしら書き物をしている。思わずここが学園ではなく本家の屋敷のどこかなのではないかと錯覚した。しかしすぐにこちらに気が付いた彼は、ぱっと表情を緩めて「来ましたか」と言った。ハッサク様は学生の使っている簡素な造りの、高さが合っていない椅子から立ち上がり、こちらが座る用の同じ椅子を持ってくる。
「よしてください、自分でできるんで」
本家の人間にそんなことをさせるなんて、と思わず恐縮してしまった。ここには行儀をとやかく言う姉も父もいないのに。また、そういったことが馬鹿ばかしいと思っていたはずなのに怒られた記憶は染みついて、こうして自分の立場を分からせる。
「しかし、もう持ってきてしまいましたね」
学生の情報なんて教師は絶対に知っているはずだ。しかしハッサク様はただの学生の謙遜として処理するらしい。いや、元々こういう人間だったのだろうか。よくできたお人だが頑固なところがある、と父が評していた。その頑固さが今、一族の頭痛の種であるのだが。はぁ、と小さくため息をつきありがとうございますと一応礼を言って、同じ椅子に座った。
さて、とハッサク様は咳払いをしてまっすぐこちらを見つめてきた。こちらが話し出すのを待っているのだろうが、勝手に威圧感に負ける。仕方がないだろう。だって、節目の際に遠目から見るハッサク様のお父上の気迫を思い出すのだから。
「…………描きたいものがないのです」
適当なことを言って切り抜けるには、自分の悪知恵も度胸も足りなかった。正直にそう口に出してから、その凡庸さに嫌気がさす。しかし彼は、私の自己嫌悪とは裏腹に、そうですかそうですかと頷いた。
「描きたいものが、すぐにはなくてもいいのです。
小生の授業を受ける学生が皆表現したいものがあり、美術に興味があるとは思っておりません。単位のために選ぶような学生もおりますしね」
ですが、それで構わないのですと言うハッサク様の目は生気に満ち溢れていた。
「もうすぐ課外授業も始まりますでしょう。そのとき、心が震えたものを見つける助けになればこんなに喜ばしいことはありません」
ハッサク様の話し方は裏表がないというか、この人が本心からそう思っているのだと相手に強く感じさせる。揃いの目の色であるのに、彼のほうがより期待や興味に輝いているから、自分を惨めに感じる。
「ハッサク様は、本当に今の生活が楽しいのですね」
僻む気すら起こらなかった。自分の描きたいものがないのは、白紙のキャンバスなのは半ば自分から一族に取り憑かれているからだ。一族のことが嫌いなはずのハッサク様は、そう呼ばれたことに対して特に怒りは見せなかった。ただ、少し寂しそうに眉を下げただけだ。
「この学び舎にいるときは、どうか先生と呼んでほしいですよ。同じ一族である前に、教師と生徒であるのですから」
同じ色のはずだけど、ハッサク様の美しい夕焼けのような瞳から目をそらす。傷み始めた毛先をつい引っ張ってしまう。髪の色まで同じだと悪目立ちするのではないか。自意識過剰なことを考えて染めたはいいが、手入れをさぼっていた。
「私もあなたも最後はあの家に戻るのですよ」
私の呟きをハッサク様はしっかりと聞き取ったようだった。少なくとも小生は戻るつもりはありませんがね、とハッサク様は胸を張る。それは困る、と反射的に思ったが、困るのはよく考えれば私ではない。私の父や姉や、現当主だ。そう思うと急に愉快な気持ちが湧いてくる。
「それに、教師と生徒というのは一度なってしまえばやめたりすることはできません。一生その関係は続くのです」
だから素晴らしい、と力説するハッサク様の熱を自分の中に灯せたらどんなにいいだろう。モノズの入ったモンスターボールがまた揺れていた。きっとじきに飛び出してくるだろう。
中間試験こそ満点であったが、実技については一本の線も引かずにいたらさすがに呼び出しを食らった。当たり前だ。花や「相棒のポケモン」など無難なモチーフを無難に描いておけばよかったのに、そうしなかったのはハッサク様と話すことができる口実を作るためだろうか。それともささやかな抵抗だろうか。いつもドアを開け放っている美術室だが、さすがに成績、いや態度不良な人間への対応のためにドアは閉められていた。おざなりにノックをすると、あのやけにまっすぐな声で「どうぞ」という返事があった。
いつも誰かしら学生がいる美術室に、自分とハッサク様のみがいるのは不思議な感覚だった。しかもここにたまる生徒は自分よりも年下が多く、他に比べて賑やかなのだ。さんさんと午後の光が入っている中で、ハッサク様は黙って何かしら書き物をしている。思わずここが学園ではなく本家の屋敷のどこかなのではないかと錯覚した。しかしすぐにこちらに気が付いた彼は、ぱっと表情を緩めて「来ましたか」と言った。ハッサク様は学生の使っている簡素な造りの、高さが合っていない椅子から立ち上がり、こちらが座る用の同じ椅子を持ってくる。
「よしてください、自分でできるんで」
本家の人間にそんなことをさせるなんて、と思わず恐縮してしまった。ここには行儀をとやかく言う姉も父もいないのに。また、そういったことが馬鹿ばかしいと思っていたはずなのに怒られた記憶は染みついて、こうして自分の立場を分からせる。
「しかし、もう持ってきてしまいましたね」
学生の情報なんて教師は絶対に知っているはずだ。しかしハッサク様はただの学生の謙遜として処理するらしい。いや、元々こういう人間だったのだろうか。よくできたお人だが頑固なところがある、と父が評していた。その頑固さが今、一族の頭痛の種であるのだが。はぁ、と小さくため息をつきありがとうございますと一応礼を言って、同じ椅子に座った。
さて、とハッサク様は咳払いをしてまっすぐこちらを見つめてきた。こちらが話し出すのを待っているのだろうが、勝手に威圧感に負ける。仕方がないだろう。だって、節目の際に遠目から見るハッサク様のお父上の気迫を思い出すのだから。
「…………描きたいものがないのです」
適当なことを言って切り抜けるには、自分の悪知恵も度胸も足りなかった。正直にそう口に出してから、その凡庸さに嫌気がさす。しかし彼は、私の自己嫌悪とは裏腹に、そうですかそうですかと頷いた。
「描きたいものが、すぐにはなくてもいいのです。
小生の授業を受ける学生が皆表現したいものがあり、美術に興味があるとは思っておりません。単位のために選ぶような学生もおりますしね」
ですが、それで構わないのですと言うハッサク様の目は生気に満ち溢れていた。
「もうすぐ課外授業も始まりますでしょう。そのとき、心が震えたものを見つける助けになればこんなに喜ばしいことはありません」
ハッサク様の話し方は裏表がないというか、この人が本心からそう思っているのだと相手に強く感じさせる。揃いの目の色であるのに、彼のほうがより期待や興味に輝いているから、自分を惨めに感じる。
「ハッサク様は、本当に今の生活が楽しいのですね」
僻む気すら起こらなかった。自分の描きたいものがないのは、白紙のキャンバスなのは半ば自分から一族に取り憑かれているからだ。一族のことが嫌いなはずのハッサク様は、そう呼ばれたことに対して特に怒りは見せなかった。ただ、少し寂しそうに眉を下げただけだ。
「この学び舎にいるときは、どうか先生と呼んでほしいですよ。同じ一族である前に、教師と生徒であるのですから」
同じ色のはずだけど、ハッサク様の美しい夕焼けのような瞳から目をそらす。傷み始めた毛先をつい引っ張ってしまう。髪の色まで同じだと悪目立ちするのではないか。自意識過剰なことを考えて染めたはいいが、手入れをさぼっていた。
「私もあなたも最後はあの家に戻るのですよ」
私の呟きをハッサク様はしっかりと聞き取ったようだった。少なくとも小生は戻るつもりはありませんがね、とハッサク様は胸を張る。それは困る、と反射的に思ったが、困るのはよく考えれば私ではない。私の父や姉や、現当主だ。そう思うと急に愉快な気持ちが湧いてくる。
「それに、教師と生徒というのは一度なってしまえばやめたりすることはできません。一生その関係は続くのです」
だから素晴らしい、と力説するハッサク様の熱を自分の中に灯せたらどんなにいいだろう。モノズの入ったモンスターボールがまた揺れていた。きっとじきに飛び出してくるだろう。
