鋭角の夜が明けるまで
木から落ちた監督生をどうにかイデアが受け止めてからしばらくが経った。監督生がイデアの部屋を使うタイミングは、彼が部活動に顔を出している時間と合致しているらしく、自室で彼女とイデアが顔を合わせることはこれまで無かった。どうやら仮眠をとってから、相変わらず学園長に押し付けられている雑用をこなしに向かっているらしい。彼女が使った後のベッドはシーツなどがきちんと整えられており、かえって彼女がそこにいたことの証左になっていた。それを見るたび、イデアはきっかけとなった自分の発言を思い起こしては恥ずかしさでベッドを乱すのだが。
その日、授業から部屋に帰って来たイデアは、とうとうこんな日がやって来たかと天を仰いだ。監督生がベッドで眠っていたのだ。後ろで適当に束ねた髪も解かず、上着も脱がずに死んだように横たわっている。生きているのかと心配になって、イデアは一歩ベッドに近づく。思わず耳をすませて寝息を確かめようとした。
「いや、それは気持ち悪いのでは?」
すぐに我にかえって、近付けかけた顔をばっと上げる。イデアにとって監督生は異性というより未知の生き物である。それに、眠っていることもあって接近するのに抵抗を抱かなかったのだ。異性はおろか他人をここまで近くにおいたのはイデアにとって初めてのことだった。同室に他人がいることに慣れていないため作業をする気にもなれず、イデアは少し離れたところから監督生を観察する。学園長いわく、対象の見た目をあやふやにする魔法をかけているらしい(その説明を受けたとき、男子校の中に女子を一人無理やり入れるなら、もっと慎重になってほしいとイデアは思った)。しかし接近してみたらやっぱり同年代の異性であった。合うサイズがなかったらしく、ぶかぶかの制服が体格差を更に強調している。また、軽く握られた手などはイデアの手よりも二回りくらい小さい。雪こそまだ降っていないが、日に日に冷え込んでいる。毛布でもかけてやろうとイデアが思い立った瞬間、監督生の枕元に置かれた時計のアラームが勢いよく鳴り響いた。イデアが入学時に持ち込んだはいいものの、もっぱらタブレットのアラーム機能を使用しているため無用の長物と化しているものである。
「ヒッ!?」
自分の動きに合わせて鳴り出したものだから、イデアはびくりと体を縮めて飛び退く。監督生がゆっくり起き上がってアラームを止めた。そしてイデアのほうをちらりと見て口を開く。
「……特に使ってなさそうだったので、お借りしてます」
「あぁ、そう…………」
別に目覚まし時計くらい勝手に使ってくれて構わないのだが、それを何気なく伝える術はイデアにはなかった。ただそそくさとデスクに向かうのみである。起きてしまったらもう監督生はコミュニケーションがとれる生き物であり、それはイデアが苦手とするものだった。こちらから招いている手前追い出す勇気も出ず、イデアは無視を決め込もうとする。画面に写る文字列を目で追うが、何も内容が入ってこない。背後の気配がごそごそと身支度を整えていることだけを感じ取っている。
「昔、夜の海に夜光虫を見に行ったんですよ」
いきなり監督生が話し始めたので、イデアの体が、再びびくりと跳ねた。
「虫っていうか微生物なんですけど。波の動きに合わせて水が青白く光るんです。イデア先輩の髪の毛見て思い出しました」
いっさいの相槌を挟ませずに監督生は淡々と言葉を紡いだ。ただ話したくなったことを話しただけなのだろう。彼女がその記憶をどう思ってるのか、声色だけではイデアには判別できない。他の誰かが話していたら絶対に前を向いたまま適当にうなずいていた(それすらもできるか怪しいが)。しかし彼は後ろをちらりと振りかえった。監督生はベッドに腰かけて靴を履いている。イデアはオンラインゲームで煽られたときのような舌打ちをしたい気分になった。
(顔を見ても、分からないじゃないか)
この前どうしても必要な資料があって、イデアが図書館に行ったとき、監督生がハーツラビュルの一年生に挟まれて自習していた。彼女はこちらに気付かず、こそこそと真剣な顔で、でも楽しそうにしていたのだ。表情が薄いわけではないはずだとイデアは思う。だが今の彼女の顔からは何も読み取れない。監督生がイデアの視線に気がついて彼のほうを見た。イデアはつい視線を逸らしてしまう。でも彼女が薄く笑っていることに気が付いた。
「イデア先輩が部屋を貸してくれるの、すごくありがたいんです」
最初に感じた死の気配は薄くなっていた。他の人間に見せる満面の笑みよりも、自分だけに向けられた微笑のほうがイデアには特別に思えた。彼は監督生の笑みを視界の端でとらえながら、今までプレイした恋愛ゲームの中から類似のスチルを脳内で探している。今目の前でまさに整えられているシーツを乱しても、今日はこのベッドで安眠できる気がしなかった。
その日、授業から部屋に帰って来たイデアは、とうとうこんな日がやって来たかと天を仰いだ。監督生がベッドで眠っていたのだ。後ろで適当に束ねた髪も解かず、上着も脱がずに死んだように横たわっている。生きているのかと心配になって、イデアは一歩ベッドに近づく。思わず耳をすませて寝息を確かめようとした。
「いや、それは気持ち悪いのでは?」
すぐに我にかえって、近付けかけた顔をばっと上げる。イデアにとって監督生は異性というより未知の生き物である。それに、眠っていることもあって接近するのに抵抗を抱かなかったのだ。異性はおろか他人をここまで近くにおいたのはイデアにとって初めてのことだった。同室に他人がいることに慣れていないため作業をする気にもなれず、イデアは少し離れたところから監督生を観察する。学園長いわく、対象の見た目をあやふやにする魔法をかけているらしい(その説明を受けたとき、男子校の中に女子を一人無理やり入れるなら、もっと慎重になってほしいとイデアは思った)。しかし接近してみたらやっぱり同年代の異性であった。合うサイズがなかったらしく、ぶかぶかの制服が体格差を更に強調している。また、軽く握られた手などはイデアの手よりも二回りくらい小さい。雪こそまだ降っていないが、日に日に冷え込んでいる。毛布でもかけてやろうとイデアが思い立った瞬間、監督生の枕元に置かれた時計のアラームが勢いよく鳴り響いた。イデアが入学時に持ち込んだはいいものの、もっぱらタブレットのアラーム機能を使用しているため無用の長物と化しているものである。
「ヒッ!?」
自分の動きに合わせて鳴り出したものだから、イデアはびくりと体を縮めて飛び退く。監督生がゆっくり起き上がってアラームを止めた。そしてイデアのほうをちらりと見て口を開く。
「……特に使ってなさそうだったので、お借りしてます」
「あぁ、そう…………」
別に目覚まし時計くらい勝手に使ってくれて構わないのだが、それを何気なく伝える術はイデアにはなかった。ただそそくさとデスクに向かうのみである。起きてしまったらもう監督生はコミュニケーションがとれる生き物であり、それはイデアが苦手とするものだった。こちらから招いている手前追い出す勇気も出ず、イデアは無視を決め込もうとする。画面に写る文字列を目で追うが、何も内容が入ってこない。背後の気配がごそごそと身支度を整えていることだけを感じ取っている。
「昔、夜の海に夜光虫を見に行ったんですよ」
いきなり監督生が話し始めたので、イデアの体が、再びびくりと跳ねた。
「虫っていうか微生物なんですけど。波の動きに合わせて水が青白く光るんです。イデア先輩の髪の毛見て思い出しました」
いっさいの相槌を挟ませずに監督生は淡々と言葉を紡いだ。ただ話したくなったことを話しただけなのだろう。彼女がその記憶をどう思ってるのか、声色だけではイデアには判別できない。他の誰かが話していたら絶対に前を向いたまま適当にうなずいていた(それすらもできるか怪しいが)。しかし彼は後ろをちらりと振りかえった。監督生はベッドに腰かけて靴を履いている。イデアはオンラインゲームで煽られたときのような舌打ちをしたい気分になった。
(顔を見ても、分からないじゃないか)
この前どうしても必要な資料があって、イデアが図書館に行ったとき、監督生がハーツラビュルの一年生に挟まれて自習していた。彼女はこちらに気付かず、こそこそと真剣な顔で、でも楽しそうにしていたのだ。表情が薄いわけではないはずだとイデアは思う。だが今の彼女の顔からは何も読み取れない。監督生がイデアの視線に気がついて彼のほうを見た。イデアはつい視線を逸らしてしまう。でも彼女が薄く笑っていることに気が付いた。
「イデア先輩が部屋を貸してくれるの、すごくありがたいんです」
最初に感じた死の気配は薄くなっていた。他の人間に見せる満面の笑みよりも、自分だけに向けられた微笑のほうがイデアには特別に思えた。彼は監督生の笑みを視界の端でとらえながら、今までプレイした恋愛ゲームの中から類似のスチルを脳内で探している。今目の前でまさに整えられているシーツを乱しても、今日はこのベッドで安眠できる気がしなかった。
