深雪と花弁

 昔々、とある地方の領主が代替わりしてある立派な若者に引き継がれました。 彼は美しく強く聡明で、同じく優れた青年たちとともに立派な統治を行い権勢をふるっておりました。

 ある時、領主の城に大陸きっての大魔法使いが訪ねてきました。 彼は城をぐるっと見回し、領主たちにこう言いました。

「西の塔の天辺に、昔からずっと鍵がかけられた部屋があるだろう。 あそこには悪魔が封じられている。 悪魔を消滅させる手立てを探しているから、それまでその部屋の扉を決して開けてはならない」

 いきなり申し渡された奇妙な忠言でしたが、領主は頷きました。動物の使い魔をたくさん引き連れたこの魔法使いが、嘘や冗談を言わない生真面目な性格だと知っていたからです。 部屋の鍵はもう一つ増やされ、西の塔には誰一人近寄りませんでした。

 それからしばらくして、領主は重い病に倒れました。 彼の友人であり臣下である者たちがあらゆる手を尽くして介抱しても効果はなく、彼は弱っていくばかり。 万策尽きたある日、とうとう臣下たちは魔法使いの言いつけを破ってしまいました。 開かずの部屋の鍵を壊し、扉を開けてしまったのです。

 その部屋の中にはただ一輪、真っ赤な美しい薔薇がありました。 きらきらと光り輝きひと目でただの花でないとわかるその薔薇に、必死の思いで彼らは願いました。

「人並みの幸せも知らないままあいつを死なせたくない、命を助けてほしい」

 その途端、空は轟轟と荒れ狂い真っ黒な霧が一瞬その場に立ち込めて消えたかと思うと、臣下たちは道具に姿を変えられてしまったのです。 他の召し使いたちは物言わぬ石にされ、城はしんと静まり返ってしまいました。

 慌てて領主のもとに向かう彼らの目の前に、小山のように大きな影が現れます。 天を突く二本の角に鋭く残忍な牙、毛むくじゃらの恐ろしい姿をしたそいつは、戸惑ったような声で家臣たちの名前を呼びました。

 それで皆はっきりと思い知りました。 この怪物こそ大事な領主、願いは叶いその代償としてみんな姿を変えられてしまったのだと。

 誰もが絶望しました。 領主の命は確かに助かりました。 けれど人間ですらないこんな恐ろしい野獣になってしまった彼が、どうやって人並みの幸せを得られるというのでしょう……。
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