魔界異聞ノ書完成(途中)
太古、人々は貳つに分かたれていた。片方の民は晄と名乗り、もう片方は翳と名乗った。どちらも同じような姿をしていたが、性質は全く非なるものであった。晄は明るく乾いた地を愛し、翳は暗く湿った地を愛した。晄は色を見、翳は熱を見た。彼らはそれぞれ自らの躰に適した地を探し、広いこの世界を流れ歩いていた。
彼らは或る日とある地で出会った。刹那、空は白くなり、地は黒くなった。彼らは其の地が《始まりの大地》であると確信し、お互いを認めそれぞれ国を創り始めた。晄の国はクレティーア、翳の国はサデランと呼ばれた。時に彼らは地を巡って争い、時に彼らは天の禍を共に乗り越えた。神は彼らの供物を等しく受け取り、彼らに平穏と安息をもたらした。
彼らと子孫は其の地を覆い尽くした。やがて地を巡って大きな争いが起きた。長い戦いの末、其の地を手に入れたのは晄であった。翳は海の裏側の地に追いやられたが、其処は翳にとっても暗く荒れた地であった。彼らの王が其処に初めて鍬を立てた。翳は王に続いて根気よく地を耕し城を築き、其処でかつて其の地に築いた国の名残を残した新たな国、セーランティウムを創った。その国にはこの上なく青く美しい鉱石があった。それは翳の心の救いとなり、まだ興したばかりで貧しい国の宝となった。
彼らは争いが起きても交流を途絶えさせることはしなかった。つかず離れず、均衡を保つことに力を尽くした。
晄の長の一族に、ルークスと言う名の青年がいた。彼は上から数えて四番目の子で、王位継承権は無いに等しかった。
翳の長の一族に、ソルヴァと言う名の青年がいた。彼は長の一人息子で、戴冠をしたばかりの年若き王であった。
彼らは扉の近くで出会い、互いを認め、語らい、かけがえのない友となった。互いに身分は明かさず、ただ平等に、同じ世界に住む者として心の底を打ち明けた。
彼らには夢があった。晄と翳が一つになり、同じ地で分け隔てなく手を取り合って生きてゆけるようになること。それは全くの幼い夢でしかなかったが、荒波に晒されてきた彼らの心は幾分慰められた。
しかし神は其の地を裏切った。
神は死んだ。其の地を支える大いなる力は全て消え失せ、彼らは存亡の危機に瀕することとなった。日は落ち、海は荒れ、地は割れ、疫病が蔓延り、人々は逃げ惑った。世界は暗闇に堕ちた。晄と翳の扉は閉ざされた。
晄の誰かが言った。「翳が神を殺した」と。それはまことしやかな嘘に過ぎなかったが、荒れた海は晄と翳を結ぶ扉を閉ざし、誠か否かなど当時の民衆には確かめようもなかった。世界を暗闇に堕とすことは、海の裏に追いやられた翳の復讐であり、翳が新しい神を立てることに違いないと囁かれた。
また誰かが言った。「翳は盟約を捨てた」と。これも不安から出た全くの嘘であった。怒りの矛先となった翳への不満はみるみるうちに膨らみ、民衆を突き動かす力となった。彼らは荒れ狂う海に浮かぶ扉の元へ集わんとしていた。
一方翳の国では、これを機にと翳の王を天に召し上げ、神にしようとする者達が現れた。度重なる受難に耐えかねた者達の蜂起だった。若き王は晄の思うつぼだと彼らを窘めたものの、彼らは制止を振り切った。皮肉にも、彼が賢王であったことが、民からの支持が厚いことが裏目に出た。彼が神になればきっと平穏な世が訪れると漠然と、しかし確かに信じ込んでいた。翳の王だけが、それは間違いであると知っていた。
「暗闇で 地に足をつけて生きる運命の吾らが 天に歯向かうなど到底許されることではない」と翳の王は彼の民衆へ訴えた。
彼の民衆は、その叫びを受け容れなかった。世界が完全な暗闇に堕ち、翳の天下になったようにも思われていたが、決してそうではなかった。翳にも晄と同じように災厄は降り掛かった。病に倒れ、街に屍が転がっていたのは晄と何ら変わりはなかった。
彼の民衆の勢いは最早翳の王ですら止めることは出来なかった。民衆は今にも扉を破り、晄の地へと踏み込もうとしていた。
翳の王は《災厄の歪》を防ぐため、また自分の民を守るため、彼らの長として晄と決着をつけることを決めた。彼は自分の命を代償に、自分の民の命運全てを守ることを誓った。
晄の長の氏族にも、疫病は襲いかかった。将軍であった長の息子達は次々に死に、残った男子は四番目の子、ルークスのみとなっていた。彼は迫り来る翳との決着をつけるよう頼まれたが、最初は断った。翳のせいではないと分かっていた。彼は彼の一番の友を殺すことを拒んだ。しかし長は息子を道具としか見なしていなかった。長は息子を英雄として仕立てあげた。家来や民衆に彼こそが選ばれし勇者であると、此の地に再び光を取り戻すと吹き込んだ。不安の最中に居た民衆は彼こそが英雄だと盲目的に信じ込んだ。追い詰められた彼は震える手で友を殺すであろう、豪奢な白い刃を受け取った。
翳の王はゆっくりとこちらに近づいてくるその気配に友人の面影を見、慄いた。晄の長の決断と思惑を知り、怒りに震えた。彼は彼の一番の友人を殺すことを拒むように、道を荒らし飼い慣らした獣たちに番をさせ、壁を建て濠を造り、逆さの森に大茨を絡みつかせた。彼と他愛のない話や夢を、望んでいた世界の形を語ることは二度と出来ないことを知り、若き王は涙を流した。
其の世界に示された道の先にあるものは、あの時望んだ、語り合った世界とは、大きくかけ離れたものになってしまった。
勇者は荒れる海の淵に立った。見慣れ、あれほど親しんだ岩陰も彼を責めているように見えた。荒れる海に矛を突き立てると、海が割れ道が出来た。海底に溜まった細かな硝子の砂が妖しく光る長い道の先に、禍々しい黒く昏い《扉》が佇んでいた。その扉には文字が刻まれていた。
《茨の冠を被る者 光の刃で此の地を灼く者 友を殺す者よ 汝に幸多からんことを》
彼らは或る日とある地で出会った。刹那、空は白くなり、地は黒くなった。彼らは其の地が《始まりの大地》であると確信し、お互いを認めそれぞれ国を創り始めた。晄の国はクレティーア、翳の国はサデランと呼ばれた。時に彼らは地を巡って争い、時に彼らは天の禍を共に乗り越えた。神は彼らの供物を等しく受け取り、彼らに平穏と安息をもたらした。
彼らと子孫は其の地を覆い尽くした。やがて地を巡って大きな争いが起きた。長い戦いの末、其の地を手に入れたのは晄であった。翳は海の裏側の地に追いやられたが、其処は翳にとっても暗く荒れた地であった。彼らの王が其処に初めて鍬を立てた。翳は王に続いて根気よく地を耕し城を築き、其処でかつて其の地に築いた国の名残を残した新たな国、セーランティウムを創った。その国にはこの上なく青く美しい鉱石があった。それは翳の心の救いとなり、まだ興したばかりで貧しい国の宝となった。
彼らは争いが起きても交流を途絶えさせることはしなかった。つかず離れず、均衡を保つことに力を尽くした。
晄の長の一族に、ルークスと言う名の青年がいた。彼は上から数えて四番目の子で、王位継承権は無いに等しかった。
翳の長の一族に、ソルヴァと言う名の青年がいた。彼は長の一人息子で、戴冠をしたばかりの年若き王であった。
彼らは扉の近くで出会い、互いを認め、語らい、かけがえのない友となった。互いに身分は明かさず、ただ平等に、同じ世界に住む者として心の底を打ち明けた。
彼らには夢があった。晄と翳が一つになり、同じ地で分け隔てなく手を取り合って生きてゆけるようになること。それは全くの幼い夢でしかなかったが、荒波に晒されてきた彼らの心は幾分慰められた。
しかし神は其の地を裏切った。
神は死んだ。其の地を支える大いなる力は全て消え失せ、彼らは存亡の危機に瀕することとなった。日は落ち、海は荒れ、地は割れ、疫病が蔓延り、人々は逃げ惑った。世界は暗闇に堕ちた。晄と翳の扉は閉ざされた。
晄の誰かが言った。「翳が神を殺した」と。それはまことしやかな嘘に過ぎなかったが、荒れた海は晄と翳を結ぶ扉を閉ざし、誠か否かなど当時の民衆には確かめようもなかった。世界を暗闇に堕とすことは、海の裏に追いやられた翳の復讐であり、翳が新しい神を立てることに違いないと囁かれた。
また誰かが言った。「翳は盟約を捨てた」と。これも不安から出た全くの嘘であった。怒りの矛先となった翳への不満はみるみるうちに膨らみ、民衆を突き動かす力となった。彼らは荒れ狂う海に浮かぶ扉の元へ集わんとしていた。
一方翳の国では、これを機にと翳の王を天に召し上げ、神にしようとする者達が現れた。度重なる受難に耐えかねた者達の蜂起だった。若き王は晄の思うつぼだと彼らを窘めたものの、彼らは制止を振り切った。皮肉にも、彼が賢王であったことが、民からの支持が厚いことが裏目に出た。彼が神になればきっと平穏な世が訪れると漠然と、しかし確かに信じ込んでいた。翳の王だけが、それは間違いであると知っていた。
「暗闇で 地に足をつけて生きる運命の吾らが 天に歯向かうなど到底許されることではない」と翳の王は彼の民衆へ訴えた。
彼の民衆は、その叫びを受け容れなかった。世界が完全な暗闇に堕ち、翳の天下になったようにも思われていたが、決してそうではなかった。翳にも晄と同じように災厄は降り掛かった。病に倒れ、街に屍が転がっていたのは晄と何ら変わりはなかった。
彼の民衆の勢いは最早翳の王ですら止めることは出来なかった。民衆は今にも扉を破り、晄の地へと踏み込もうとしていた。
翳の王は《災厄の歪》を防ぐため、また自分の民を守るため、彼らの長として晄と決着をつけることを決めた。彼は自分の命を代償に、自分の民の命運全てを守ることを誓った。
晄の長の氏族にも、疫病は襲いかかった。将軍であった長の息子達は次々に死に、残った男子は四番目の子、ルークスのみとなっていた。彼は迫り来る翳との決着をつけるよう頼まれたが、最初は断った。翳のせいではないと分かっていた。彼は彼の一番の友を殺すことを拒んだ。しかし長は息子を道具としか見なしていなかった。長は息子を英雄として仕立てあげた。家来や民衆に彼こそが選ばれし勇者であると、此の地に再び光を取り戻すと吹き込んだ。不安の最中に居た民衆は彼こそが英雄だと盲目的に信じ込んだ。追い詰められた彼は震える手で友を殺すであろう、豪奢な白い刃を受け取った。
翳の王はゆっくりとこちらに近づいてくるその気配に友人の面影を見、慄いた。晄の長の決断と思惑を知り、怒りに震えた。彼は彼の一番の友人を殺すことを拒むように、道を荒らし飼い慣らした獣たちに番をさせ、壁を建て濠を造り、逆さの森に大茨を絡みつかせた。彼と他愛のない話や夢を、望んでいた世界の形を語ることは二度と出来ないことを知り、若き王は涙を流した。
其の世界に示された道の先にあるものは、あの時望んだ、語り合った世界とは、大きくかけ離れたものになってしまった。
勇者は荒れる海の淵に立った。見慣れ、あれほど親しんだ岩陰も彼を責めているように見えた。荒れる海に矛を突き立てると、海が割れ道が出来た。海底に溜まった細かな硝子の砂が妖しく光る長い道の先に、禍々しい黒く昏い《扉》が佇んでいた。その扉には文字が刻まれていた。
《茨の冠を被る者 光の刃で此の地を灼く者 友を殺す者よ 汝に幸多からんことを》
1/1ページ