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「エゼクサオン、入るぞ」
聞き慣れた声。今まさに聞きたくなかった声。
「まだ入っていいって言ってないだろ、トラッド」
エゼクサオンは肩をすくめ、トラッドと呼んだ男を見る。もうゴーグルをつけていて、彼の目が今どんな光を宿しているのか分かりそうにもない。
「返事をしないのはいつものことだろう」
トラッドはそんな青年を気にする風でもなく、いつもそうしているように煙草をふかし始める。換気が出来ない部屋はたちまち煙草のつんとした臭いで噎せそうになる。
あ、と呆けた様子でエゼクサオンが何かを放り投げる。
「来たなら帰る時それ始末してくれよ」
「うっわ無理」
トラッドは確認すらせず弾き飛ばす。
さっきのネズミだった。
「で、何の用だ。煙草吸いにきただけなら他所でやってくれよ」
んな訳あるか、と煙草の煙が文句を言いたげだ。
「こんな湿っぽい場所に好き好んでわざわざ来るわけないだろ、例の件だよ」
例の件、という言葉が微かにエゼクサオンを震わせる。隠すように明るい調子で言う。
「あぁ?また仕事かよ、勘弁してくれ」
「文句言うな、俺だって好きで報告してるわけじゃない」
「それにしては最近よく来てるんじゃないか?昨日も一昨日も来ただろ」
無言で煙草を一本手渡す。部屋の靄が濃くなった。
「俺が地下に籠って何年目か知らんが、地上は随分物騒になったようで」
皮肉めいた言葉が煙と一緒に吐き出される。トラッドは何も言わずに青年を見る。今ふと顔を出したこの青年の陰は自分には拭えそうにもない。彼の表情からは何も読み取れない。上層部の企みにこいつは一体どこまで気づいているのだろう__
「何その顔」
部屋の煙たさが急に身近に戻ってきた。青緑のレンズがこちらをニヤニヤしながら見据えている。
「もしかして」
ゴーグルのつるに徐に手をかける。トラッドは身構え、じりじりと距離を置く。
「何か隠し事でもあったりすんの?」
走る緊張。やがてエゼクサオンがゆっくりとゴーグルの縁から指を離す。
緩んだ空気にまた煙が踊る。
「……次は子供ってだけだ、お前意外と_」
「今更そんなことをして何になるんだ?」
いきなり強い口調で言われ、トラッドは思わず青年の顔をまじまじと見る。表情こそ笑っているものの、さっきまで感じなかった鋭い視線が今は手に取るようにわかる。
びびんなよ、と言うふうにエゼクサオンは手をひらひら振った。
「上に逆らうほど元気はないからな、こっそり逃がしたりなんかはしないさ」
ふっと煙を吐いてにや、と笑う。
「多分」
「多分かよ」
がくりと肩を落とすトラッド。エゼクサオンは素知らぬ顔でまた煙草をふかしている。先ほどの緊張はどこへやら。掴んだ筈の感情の感触はもう残っていない。
これ以上ここに居ても息が詰まるだけだ。
「……じゃ、それだけだ。俺は帰る」
「ん」
素っ気ない返事。所詮赤の他人なのだ。彼から歩み寄る姿勢は見えないし、そもそもトラッド自身も彼と必要以上に親しくしようとはしていないようだった。
(全てお見通しなのか、からかっているだけなのか……馬鹿なのか切れ者なのか)
あの赤髪のことは何度会っても理解できない。真意を突いたような発言も、アイロニーか世間の風刺か。いや閉じこもっている奴に世界の何がわかるのだろう。理で説明がつかないような力を持っているのだろうか。
煙草の煙が未練がましく追ってくる。
(怖い奴だよ、全く)
《EXECUÇÃO》__彼の部屋の扉に書かれた文字が鈍く輝いた気がした。
聞き慣れた声。今まさに聞きたくなかった声。
「まだ入っていいって言ってないだろ、トラッド」
エゼクサオンは肩をすくめ、トラッドと呼んだ男を見る。もうゴーグルをつけていて、彼の目が今どんな光を宿しているのか分かりそうにもない。
「返事をしないのはいつものことだろう」
トラッドはそんな青年を気にする風でもなく、いつもそうしているように煙草をふかし始める。換気が出来ない部屋はたちまち煙草のつんとした臭いで噎せそうになる。
あ、と呆けた様子でエゼクサオンが何かを放り投げる。
「来たなら帰る時それ始末してくれよ」
「うっわ無理」
トラッドは確認すらせず弾き飛ばす。
さっきのネズミだった。
「で、何の用だ。煙草吸いにきただけなら他所でやってくれよ」
んな訳あるか、と煙草の煙が文句を言いたげだ。
「こんな湿っぽい場所に好き好んでわざわざ来るわけないだろ、例の件だよ」
例の件、という言葉が微かにエゼクサオンを震わせる。隠すように明るい調子で言う。
「あぁ?また仕事かよ、勘弁してくれ」
「文句言うな、俺だって好きで報告してるわけじゃない」
「それにしては最近よく来てるんじゃないか?昨日も一昨日も来ただろ」
無言で煙草を一本手渡す。部屋の靄が濃くなった。
「俺が地下に籠って何年目か知らんが、地上は随分物騒になったようで」
皮肉めいた言葉が煙と一緒に吐き出される。トラッドは何も言わずに青年を見る。今ふと顔を出したこの青年の陰は自分には拭えそうにもない。彼の表情からは何も読み取れない。上層部の企みにこいつは一体どこまで気づいているのだろう__
「何その顔」
部屋の煙たさが急に身近に戻ってきた。青緑のレンズがこちらをニヤニヤしながら見据えている。
「もしかして」
ゴーグルのつるに徐に手をかける。トラッドは身構え、じりじりと距離を置く。
「何か隠し事でもあったりすんの?」
走る緊張。やがてエゼクサオンがゆっくりとゴーグルの縁から指を離す。
緩んだ空気にまた煙が踊る。
「……次は子供ってだけだ、お前意外と_」
「今更そんなことをして何になるんだ?」
いきなり強い口調で言われ、トラッドは思わず青年の顔をまじまじと見る。表情こそ笑っているものの、さっきまで感じなかった鋭い視線が今は手に取るようにわかる。
びびんなよ、と言うふうにエゼクサオンは手をひらひら振った。
「上に逆らうほど元気はないからな、こっそり逃がしたりなんかはしないさ」
ふっと煙を吐いてにや、と笑う。
「多分」
「多分かよ」
がくりと肩を落とすトラッド。エゼクサオンは素知らぬ顔でまた煙草をふかしている。先ほどの緊張はどこへやら。掴んだ筈の感情の感触はもう残っていない。
これ以上ここに居ても息が詰まるだけだ。
「……じゃ、それだけだ。俺は帰る」
「ん」
素っ気ない返事。所詮赤の他人なのだ。彼から歩み寄る姿勢は見えないし、そもそもトラッド自身も彼と必要以上に親しくしようとはしていないようだった。
(全てお見通しなのか、からかっているだけなのか……馬鹿なのか切れ者なのか)
あの赤髪のことは何度会っても理解できない。真意を突いたような発言も、アイロニーか世間の風刺か。いや閉じこもっている奴に世界の何がわかるのだろう。理で説明がつかないような力を持っているのだろうか。
煙草の煙が未練がましく追ってくる。
(怖い奴だよ、全く)
《EXECUÇÃO》__彼の部屋の扉に書かれた文字が鈍く輝いた気がした。