透明人間の秘密(連載休止中のため未完)


「信仰家の両親を巡礼中の事故で揃って失い、サランの修道院で暮らしていたクリフトに、自らの人生を選ぶ権利などあろうはずもなかった。

出会ったばかりの奴は幼かったが、今と変わらぬ優しげな蒼い目をしておったよ。なにを尋ねてもはきはきと答え、笑顔を絶やさないじつに利発な子供じゃった。

年は取ったが、わしとて音に聞こえしサントハイムの「氷竜の杖」じゃ。人を見る眼力はある。ひとめ見て、この子供はただ者ではないと感じた。しかるべき教育と修行を与えれば、いずれ必ず世に名を残す傑物となるであろうと。

じゃがそれは、同時にやつの人生を義務という名の硬い鎖で縛ることでもあった」

ブライはいったん言葉を切り、しばらく黙ってから再び話し始めた。

「どうじゃ小僧。このままわしと来ればそなたのみ特別に教会内に住まいを用意し、神学校へも通わせてやろう。サントハイムは出自を問わず能力を重んじる国じゃ。真面目に学び励めば大司教の位とて夢ではないぞ。

お前はもうみなしごのクリフトではない。己れの才覚を生かし、神の子供として生きることが出来るのじゃ。

さあ、わしと共にサントハイム城下へ来ぬか。

そう告げたわしをじっと見つめたクリフトは、何度かまばたきすると、こちらが拍子抜けするくらい迷いなく答えた。


「わかりました。


神が、そうお望みならば」


その日からクリフトは、十年以上もたったひとり教会で生きて来たのじゃ。

学び始めてすぐに驚異的な白魔法の才を発揮し、神学校での成績は常に首席じゃった。サントハイム神教の聖職者の修行は非常に苛酷じゃが、不満を洩らしたことはただの一度もない。

才能豊かであるからこそ、皆クリフトにはとくに厳しく教えを説いた。じゃが奴は文句ひとつ言わず耐え抜いた。もしかすると、腹の底では奴なりに不服もあったやもしれぬ。じゃがそれを軽々しく口にするような人間ではなかった。

クリフトは黙って堅実に学び、強大な魔力を身につけた。神学の飲み込みも早かったゆえ、特例として子供時代から礼拝に出席を許された。初めてアリーナ姫に出会ったのもたしかこの頃じゃ。姫が洗礼を受けに教会を訪れたのは御年4歳じゃったからな。

やがてその才気煥発(かんぱつ)さゆえに、国王陛下がクリフトに姫の世話係を命じた。

陛下も妻を亡くされ、言うことをまったく聞かぬ勝ち気なおてんば姫にほとほと手を焼いていたのじゃ。

城を抜け出してはやたらと教会へもぐり込むアリーナ姫に、ならばと身の回りや勉学の世話をクリフトに担当させることにした。無論、自身の修行はこれまで通りこなさなければならぬ。しかも、奔放な姫はいつやって来ていつ帰るのかすらわからぬ。クリフトにとってはなにからなにまでいい迷惑な話じゃ。

じゃがあの通り、奴はひと目見たとたん姫に特別な感情を抱いてしまっていた。生涯独身を貫くべき聖職者にとって、恋愛感情ほど修行の妨げになるものはない。つまらぬ恋などしてはならぬ。ましてや主君の姫に懸想するなど、とんでもない御法度じゃ。

賢いクリフトがそれをわからぬはずもない。じゃが奴自身にも、もうどうしようも出来なかった。それほどまでにクリフトは、身も心もアリーナ姫に惚れぬいてしまったのじゃよ。

しかし生真面目な奴にとって、身の程知らずな恋心はむしろよい影響を及ぼしたようじゃった。姫とすごす時間を確保するため、勉学にさらに集中するようになった。姫に胸を張れるような人間になるため、さらに厳しい修行も進んで体得した。昇進試験も次々に合格し、あっというまに神官職へと辿り着いた。

普通、齢12、3を過ぎれば人は一度、壁にぶち当たる。自分はいったいなんのために学び、なにを目指しているのか?という疑問の壁じゃ。

思春期に突然その壁にぶつかり、進むべき道のりを見失って急激に失速する者も多い。実際のところ、聖職者を目指す者にはとくに多い。なぜなら神は目に見えず、励ましの言葉も一切かけてはくれないからじゃ。

じゃが、クリフトに限ってその壁は存在しなかった。もしくは、その壁を自分でも気づかぬうちに越えていた。

それは奴の中で、知らず知らずのうちに目指すものがはっきりと形をなしていったからじゃ。

アリーナ姫のために神の教えを守り、アリーナ姫を守るために生きてゆく。

そのために学び、そのためにさらなる優れた人間を目指す。

クリフトという人間の根幹は、このまっすぐな信念だけで出来ている。奴はある意味、アリーナ姫ありきで成長して来たと言っても過言ではないのじゃ。

そのひとことで済ませては、あまりに奴個人の努力に対して失礼だと思われるかもしれぬ。じゃが姫という存在がなかったら、若くして半ば無理やり英才教育の型に嵌められてしまったひとりの人間が、果たしてあれほど迷いなく真っ直ぐに育つことが出来たじゃろうか。

そして、わしは早くから気づいていた。このまま才能を磨けば、いずれ奴は世界でただひとり、生と死の呪文を両方使いこなす希有な存在となるであろうと。

しかしそれには、本人の強い意志が必要じゃ。どれほど優れた潜在能力を持とうとも、土に埋もれさせたまま一生を終える者は腐るほどおる。精神の器に眠る魔力の根源たる種に水を与えるのは、あくまでも自分自身の意識、それにほかならぬ。

そなたらに、その意味がわかるか」

誰もなにも答えなかった。どこか緊迫した静寂が漂う中、ブライは続けた。

「つまり、ザキの呪文を会得したのは、結局はクリフト自身の意思なのじゃ。望まぬものは手に入れられぬ。

あやつは自ら望んで死の呪文を手に入れた。言い換えれば、それを手にするほどに強くなりたいと望んだ。なぜか。

それは、守らなければならない姫の御前で、もう二度とおめおめ倒れてしまうなどという失態を犯さぬためじゃ。弱く未熟な自分を殺すためじゃ」

「……それって、じゃあ」

マーニャがはっとしたように言った。ブライが頷いた。

「皆まで言わずともわかろう。この旅のさなかで起きたある事件。それが、クリフトの力を目覚めさせる大きなきっかけとなった」
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