雪花




山奥の集落を滅ぼして以後、無為に感じられる長い日月がピサロのもとを行き過ぎた。

季節は巡り、アッテムト鉱山に封印されし地獄の帝王エスタークの復活はもはや目前だ。中庸という言葉を知らない人間たちは、欲得にかられて日々絶えることなく土を掘り続けている。

これも、己れの欲望のためだけにこの世界を我がもの顔で食い荒らす、愚かな人間が受けるべき報いだろう。

地中には、地中に生きるものの世界がある。土の上で呼吸して暮らす人間が決して手を出すべきではない領域もあるということを、学ぼうとしないからだ。

黄金の腕輪は、見つかっていない。魔族軍の精鋭を具し、世界じゅうを隅々まで飛び回ったが、フレノールの洞窟にあったはずのいにしえのその宝飾品の所在は、未だ杳として知れなかった。

黄金の腕輪は古代の遺伝子操作秘術、進化の秘法の増幅装置。

手にした者は途方もない力の極みへと昇り詰めるという。

これほど探してもその行方が見つからないことを、自分自身でどう感じているのか。ピサロには時折、解らなくなることがあった。

(黄金の腕輪を手に入れ、進化の秘法に身を投じれば、わたしはあれほど求めた究極の力をついに手に入れる)

(だがそれは自我を失った一匹の醜悪な怪物と化し、魔族ピサロとして生まれた我が存在を、この世から完全に消してしまうということだ)

ロザリーのことも、恐らく忘れてしまうのだろう。

もうずいぶん長いこと足を運んでいない、遠い蒼き塔。華奢でか弱い精霊エルフの娘には、心から信頼するに値する緑金色の甲冑の騎士がついている。

進化の秘法を使って化け物と成り果て、このままロザリーのこともあの塔のことも綺麗に忘れてしまえば、彼らは自分というくびきから放たれ、あるいはふたりで幸福に暮らすことも出来るやもしれぬ。

もう、あの塔には二度と行くべきではないのかもしれない。

思念に沈み込みながら、ピサロは東の空を見つめ、かすかに眉をひそめた。

(……なにかが、光った。力と力がぶつかって、弾けたようだ)

あれはロザリーヒルのある方向。

扉の封印を解くあやかしの笛がない限り、あの塔には誰ひとり侵入することなど出来ないはずだ。たとえエビルプリーストであっても。

いとしい精霊の娘と、腹心の騎士の無事を確かめたい心が激しく湧きあがったが、ピサロはきつく目を閉じ、黙って感情の高ぶりにじっと耐えた。

自分はもう、あの塔に行くべきではない。

ロザリーのことは、影の騎士が守るはずだ。あれほどの使い手を倒せる者はいるまい。いにしえの魔道封印宝珠、静寂の玉も渡してある。彼ならばエビルプリーストの放った刺客が襲い来ようとも、たやすく一刀に伏すことだろう。

(影の騎士よ)

ロザリーを頼む。

ピサロはともすれば乱れる己れの思念を、なんとかして遠ざけようとするかのように、紫色の瞳をふたたび堅く閉じた。







……そして、ロザリーヒル。

あやかしの笛の音色が響き、初めて魔族の王以外の人間の手によって、蒼き小さな塔の封印が解かれる。

導かれし者たちは、精霊の住まう塔に足を踏み入れた。

「ひんやりしてて、洞窟みたいに薄暗い所ねえ……。

外庭はあれほど一面に花が咲いてるってのに、この中は閉め切ってて狭くて、いい匂いがするけどなんだか陰気臭い感じ」

仲間たちのひとり、踊り子マーニャは辺りを見回しながらこわごわ歩いていたが、突然前に飛びだした勇者の少年の背中に思いきり顔をぶつけて悲鳴をあげた。

「いったぁーい!ちょっとあんた、なんなのよいきなり……!」

「下がれ」

天空の勇者の少年は鋭い声で言うと、右手でマーニャを押しのけた。

緑色の瞳を狼のように細め、上体をわずかに屈めて構える。利き手である左手を、素早く腰の剣の柄にかけた。

「敵だ」

「……貴様ら、人間だな」

マーニャがはっとする。

低い声が、暗がりから蛇のように這い上がった。

「ここを通すわけにはいかぬ」

空気がざわめき、勇者の少年は腰を落としてさらに構えを深くした。

ロザリーヒルの回廊を塗り込めていた青黒い闇が、左右にさかまいて割れる。

眼前に、緑金色に輝く重厚な甲冑をまとった、ひとりの壮麗な騎士の姿が現れた。

「不埒な侵入者を成敗してくれるわ。

我が名は魔族の王の一の騎士、ピサロナイト」

ピサロ、という名前を聞き、勇者の少年の肩がぴくりと動いた。

「……面白れえ」

少年は空を切る音を立てて剣を抜き放ち、緑金色の甲冑の騎士に向かって刃の切っ先を突きつけた。

「その名前になんとかして辿り着きたくて、頭がおかしくなっちまうくらいここまで遠回りして来たんだ。

やってみろ。相手になってやる」

「……」

緑金色の甲冑の騎士は、黙って剣を抜いた。

研ぎ澄まされた白刃と白刃が、宙で十字型にがきん、と交錯した。
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