雪花




「ロザリーちゃん、ロザリーちゃん!」

蒼き塔の最上階に、朗らかな笑い声が響いている。

「まあ、あなたはしゃぎ過ぎだわ。そんなに跳びはねたら、いくら頑丈なこの塔でも、床の底が抜けて下へ落っこちてしまうわ」

「大丈夫だよっ。ぼく、スライムだもん。わたあめよりとっても軽いんだから!

ほら、ロザリーちゃんも飛んで。飛ぶとお空が近くなるんだよ。鳥じゃなくたって、お空と仲良しになれるんだよ!」

ロザリーは明るい声をあげて笑った。

緑金色の甲冑の騎士が連れて来て以来、新たにこの塔の住人となった蒼い小さなスライムの存在に、ロザリーはよほど慰められているようだった。

このところほとんど聞かれなかったほがらかな笑い声が響くようになり、笑うと顔色もずいぶん良くなった。食欲も、すこしずつ回復して来ている。

相変わらずピサロはここへは来なかったが、少なくとも愛らしい話し相手がいつも傍にいることは、ふさぎがちなロザリーの心を以前よりずっと晴れやかにしたようだ。

(お連れしてよかった)

彼女の守護者である緑金色の甲冑の騎士は、この小さな友との偶然の出会いに深く感謝した。

(ロザリー様が笑っている)

あんなに楽しそうなロザリー様のお顔を見るのは、どれほど久しぶりのことだろう。

見ているだけで、胸が満たされる。

傍にいられるだけで幸せだと思う。

こうして彼女と共にいられる自分が、貴くすら思える。こんな気持ちは生まれて初めてだった。

彼女のほほえみを瞳に映すと、言葉に出来ない喜びが全身にあふれて、分厚い仮面に隠された自分の顔も、嬉しさに釣られるように思わずほころんでしまう。

いつまでも、いつまでも、このお方に笑っていてほしい。

そのためなら、自分はどんな目に遭ったっていい。

緑金色の甲冑の騎士ははっとした。

(……もしかすると)

もしかすると、この気持ちが愛するということなのか。

誰かに笑っていてほしいと願うこと。

自分はどうなっても構わないから、あなたにだけは、いつも心から笑っていてほしいと願うこと。


ロザリー様、あなたにだけは。


たとえこの身が滅ぼうとも、あなたの目に映ることが出来なくなろうとも、いつまでも笑っていてほしい。


幸せだと感じてほしい。




邪悪な魔族にも、こんな気持ちを持つことが出来る。




魔物にだってちゃんと、誰かを愛することが出来る。







その時、かすかな笛の調べが空気を震わせた。

静かな蒼き塔が、風を受けた竹の幹のように一瞬だけ揺れ、緑金色の甲冑の騎士はぎくりとして顔を上げた。


(………来た)


「なにかしら?揺れたみたいだわ。

それに……今、笛の音色が。誰かが扉を……」

ロザリーは言いかけて口をつぐみ、さっと頬を紅潮させた。

「もしかして、ピサロ様が」

「いいえ、違います」

緑金色の甲冑の騎士は、笑って首を振った。

「ピサロ様のお吹きになるあやかしの笛は、もっとずっとうつくしく巧緻で、誰にも真似出来ぬほどみやびな音色です。

残念ですが、今のはただの聞き間違いでしょう」

ロザリーは顔を曇らせた。

「そう……、かしら。

そうね、きっと」

「ロザリー様。不躾ではありますが、突然のお申し出をお許しください」

緑金色の甲冑の騎士は、膝まづいてうやうやしく頭を下げた。

「じつは、ピサロ様の新たな御命を受けまして、わたしは只今よりとある遠き地へと赴かねばならなくなりました」

「え?」

ロザリーは青ざめた。

「ど……、どうして?そんな急に……」

「急ではありません。わかっていたことなのです」

緑金色の甲冑の騎士は明るく告げた。

「これまで貴女様のお傍に仕えさせて頂き、貴女様のお優しさに触れることが出来たわたしは、世界一の幸せ者でした。

ですが、たった今より果たさねばならぬこの任務こそ、魔族の王の移し身として生まれたわたしの貴き役目なのだと信じております。

ロザリー様、これまで深い寵をお与え下さり感謝しております。貴女様にお仕え出来たことは、わたしの生涯の誇りでした。

では、行って参ります」

「ま、待って!お願い」

ロザリーは緑金色の甲冑の騎士の腕を取った。

「そんな……、あ、あんまり突然過ぎて……。なんて言ったらいいのかわからないわ。

もう少しだけ、出発を伸ばすことは出来ないの?騎士様」

「騎士様とお呼びになりませぬようにと、申し上げたではありませんか」

緑金色の甲冑の騎士は、兜の面頬の間から覗く瞳をほほえませた。

「わたしはピサロナイト。

ピサロ様の影なる者。

あるじのために己れを捨て、一切の自我を持たずに生きる偽りの存在。

それ以外の呼び名を、持たないのです」

「気をつけて行って来て……下さいね」

ロザリーは弱々しく言った。

「もしも、ピサロ様に頼まれたお仕事が無事に終わったら……、また、戻って来てくださる?ここへ」

ピサロナイトはそれには答えず、典雅な仕草で一礼した。

「わたしはいつなんときなりとも、貴女様とピサロ様のお傍におります。

どんなときも、永遠に」

「体に気をつけて。きちんと眠って……疲れた時は、ちゃんと休んでね。

貴方は、いつもわたしとピサロ様のために頑張って下さっていたもの」

「それが、わたしの生きる意味ですから」

騎士が身を翻して去って行くのを、ロザリーは寂しげな瞳で見つめた。

(行ってしまう。こんなに急に……)


どうして?


わたしの大切な人たちは、みんなわたしのそばからいなくなってしまう。




だがロザリーの想いは届かず、緑金色の甲冑の騎士は、まるで蜃気楼のようにあっという間に扉の向こうへ消えてしまった。
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